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c
childrenさん (7jglizl0)2020/5/31 16:53 (No.86380)
イエスは自分たちの罪を贖ってくださったと信じる人が、クリスチャン。
メシアになられた教祖様の赦しをお受けすれば天国に行けると信じる人が、世界メシア教徒。

イエスの時代には、まだ天国はできていなかった。
教祖様は、「天国を作る」と仰った。
いつか天国と、すでに天国の、違いでもあろう。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/27 21:47削除
EUの源は、ローマ帝国ともいえる。
だとすれば、EUを束ねるのは、ドイツといえなくもない。
というのは、ローマ帝国が崩壊後、復活をめざして起こったのが、
神聖ローマ帝国。
この神聖ローマを作ったのが、ドイツだった。

小生個人的には、ドイツは好きにはなれない。
強そうに見えるのに、しょっちゅう戦争に負けている。
二度とドイツとは組んでほしくないと内心で願っている。

しかし現在、EUをリードしているのは、ドイツだ。
教祖、明主様の聖言にも、そのような記述が読み取れる。

小生が個人的に組んでほしいのはイギリスなんだが、イギリスはEUから外れた。
ヨーロッパをリードする存在ではなくなった。

ここでクリアしなければならないのは、イギリスもドイツもプロテスタントだ。
ローマカソリックではない。
この辺のところは、今後、クリアできればいいなと考えている。
ま、厳密にいえば、東ローマ帝国もローマカソリックではないんだけどな。
ローマカソリックにこだわる必要はないということなのだろうか、はて?
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/12/14 22:20削除
ご生誕祭が近づいている。
本年からは、明主様とイエス様のご生誕をお慶び申し上げる日となる。
そのこと自体には何らの疑問も、こだわりもない。
イエス様が我々の贖罪主だということも何らの疑問もない。
それなのに、すんなりと受け入れがたい部分があることも事実だ。

受け入れがたいのは、処刑のされ方だ。
現代人の感覚で捉えるせいだろうが、あまりにも残虐すぎる。
当時の人々は、他にも同じ処刑をされている。
そのことも百も承知しているのに、どうしても残虐すぎる。
当時の人間と、現代人と痛覚に違いがあれば話は別だが、そんなことは聞いたことがない。
想像するだに、いや想像すらしたくないほどだ。

神様は、そこまで残虐なことをなさるのだろうか?
それに見合った罪が我々にあったとしても、人類に堪えられる程度の痛みとは思えない。
神様がそんなことをなさるなんて、考えたくないのだろう。

今後、歴史研究が進んで、当時の人類は痛覚が現代人とは異なっていた。
またはすでに死亡した死体に、釘を打ち付け、磔にした。
さもなければ、あの処刑はもっと痛みの少ない方法で行われたが、人類を戒めるために、
書き換えた。
そんな事実が出てこないかなと願うばかりだ。
神様のなさることにしては、むごすぎる。

そんなことを考えるのは、神様への向かい方が、小生は甘すぎるのだろうか。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/9/26 21:28
気になるのは、西洋はキリストの贖いによって、その後の救いを与えた。
救いとは、主神様に祈らせていただけるということだと解釈している。

では、東洋は、どうなるの?
これが仏法であり、仏の慈悲、つまり観音による救いではないのだろうか?

イエスは贖い、観音は真如。
横で見ると、イエスと観音、別々の場所で使命を担っていたのかもしれない。
観音様は、メシアになられた。

イエスと明主様が呼応して、赦しのお働きをしてくださるのは、ちっとも不思議でも
なんでもないと思うんだがなぁ。
返信3
c
childrenさん (7meppao5)2020/8/13 23:14 (No.111748)
幹と枝。
信仰に迷うときは、大抵、枝葉に囚われている。
あのみ教えにはこうあって、このみ教えと食い違う。
あの先生は言っていた。などなど。

教祖の究極の目的から離れているとき、こんなことが起きる。
つまり、枝葉に目を奪われて、幹が目に入らないときだ。

小生が考える教祖の究極の目的は、神の愛を伝えること。
神の愛を忘れて、勝手なことを言っていても、しゃーないと思う。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/24 19:46削除
職場での中年女性との雑談だ。
テーマは、いじめ。
彼女の身近な出来事というより、ニュースでの状況に心を傷めている様子だ。
 いじめをするって、精神を病んでいると思う。
 医学的な治療が必要なんじゃないかしら。
外科的治療か、薬物投与の方法を想定しているようだ。

小生は、答えた。
 たしかにいじめは、精神的な病だと思う。
 同時に、いじめに走らせる側にもなんらかの問題がある。
 「俺の神経に触ることをする」とか「むかつく」とか。
彼女の答えは、そこで止まってしまった。

いじめられる側に原因を求めることは認められていない。
だからといって、真に解決するなら、目をつぶっていては進歩していかない。
いじめ問題は、すぐに解決することではないし、おとなになってからでもある。
 少しずついじめに慣れて、少しずつ撃退方法を身に付けていく。
 そのほうが本人にとって有益だと思う。
 おとなは一生、その子についていることはできない。
 一時的に助けても、その子は一生、誰かにすがっていくしかなくなるさ。
彼女は、口をやや尖らせて言った。
 強い子はそれでもいいけど、強い子ばかりじゃないわ。
それもわかるが、と答えて小生は黙った。

黙った理由は、反論できなかったからではない。
何でも、一方的な見方で、強制手段を用いて、他方を潰してしまおうという考え方に
驚いたからだ。
恐怖に迫られると、そなりがちだ。
しかし、人間はすべてを正しく判断する能力など持たない。
表面的にいじめっ子であっても、実際のところは逆だったということもよくある。

小生は、神様に委ねることを教えていただいたことを、心からありがたく思ったね。
いじめっ子にも、いじめられっ子にも、まちがった判断で他人を潰すこともしないで
すむからな。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/18 21:39削除
大臣を攻撃していたかと思うと、いつの間にか攻撃されていた。
クイズ君の異名を持つ議員さんの話だ。
おもしろいのは、自らの発言で、攻撃されたオウンゴールだということだ。

オウンゴールの件だけをみると、個人的には、彼の発言に賛成である。
幾度も話し合いを繰り返したところで、身のある話などできるとは思えない。
その話し合いにも出るかどうかは知らないが、弁当狙いかよと思ってしまわなくもない。
会社や役所などでは、弁当狙いで会議をやる連中がいることはつとに承知のところである。
この部分はさておき、小生が怒りを覚えるのは、
  課長補佐にケンカを売るとはいい度胸だ。
この部分は、問題だと思う。

小生が記者なら、言うね。
  国民にケンカを売るとはいい度胸だ。
憲法上の主権者は国民であり、公務員は下僕だって、学校で習うもんな。

国民は主権者であり、人間は神様の分霊である。
すべての人間には、神様がいらっしゃるのである。
神様に対して無礼を働いたわけだから、そう簡単に許されるはずないよな。

議員さんも、公務員も、信仰者も、誰より小生も、このことは忘れたくないもんだ。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/1 23:43削除
大臣攻撃が、いつのまにか攻撃した議員への攻撃に一変した。
人を攻撃するのは、本当に怖いといまさらながら痛感している。
思うに、人を責められるほど清廉潔白な人間などいない。
誰しも欠点が満載の人生を過ごしているからだ。
 バカという人がバカ。
うべなるかなである。

小生なども、恥と失敗が洋服を着て歩いているような人生だ。

この議員本人も、どんどん深みにはまって、自己崩壊しなければならないように、
ならないように仕向けられる。
その昔、仏教僧侶だったか、
わるさをしなければならなかった、それがすでに裁かれているということ。
裁かれているから、悪事を犯し、犯罪を犯す。

枝葉、枝葉へとむかっていかなければならなくなる。
誰かを責めなくてはならなくなったとき、そのときに自分は裁かれているということに
気づけるように気をつけたいと、つくづく思う。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/1 08:46削除
総務省文書流出騒動。
責められていた大臣への攻撃が、責める側の議員が攻撃される風向きとなった。
枝葉にこだわるとこうなるのは、よくあることだ。
だから、小生はなるべく人は責めないことに決めている。

風向き変更後の現状について、小生はやはり心配だ。
というのは、議員個人への攻撃に終始していることだ。
議員一人を責めたところで、国民にはなんの利益もない。
国民に利益があるのは、こういう騒動が起こったシステムが改善されることだ。

なぜ起こったのか?
原因は、どこにあると考えられるのか?
そのために、事実を正確に表面化していく。
これが国民にとっての利益になると思うんだけどな。

嫌だなと思う議員への攻撃も、やはり枝葉に目を奪われているにすぎないと思う。
幹は、官公庁が握っている情報を絶対、外には流出させない。
官公庁から言われれば、国民は大事な個人情報も提出しなければならない。
それなのに、官公庁の勝手な判断で外に出てしまうのは、あまりにも危険だ。
どうしても防止しなければならない急務。
幹は、ここだと思うけどなぁ。

議員個人への非難攻撃に終始している時間はないはずではないのかな。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/27 23:10削除
総務省文書流出騒動、文書自体の謎が解けてきた気配だ。
うそがつけない時代になったのは喜ばしいことだと思う。
さすがは、メシアの時代だ。

というわけで、クソまじめな面を見せているが、実は小生、
うそを完全に否定しているわけではない。
ちょっとはうそがあったほうが、世の中はおもしろい。
すべてが事実だらけという日々も疲れる。

では、許容されるウソと、排除されるウソの線引きはどこかについて
考えてみた。

小生の答えは、自分だけで完結する事項についてのうそは許容。
 どうせ私をだますなら、死ぬまでだましてほしかった♪
という具合に、自分で責任をとれる範囲内なら、うそも許容。

排除されるべきうそは、誰かの利益を害するうそだ。
これだけは、絶対、危険だ。
思惑に反して、自分を危機に陥れかねない。

こんな結論を導いてみたのが、いかがでござる?
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/20 22:30削除
物議をかもしている、総務省流出文書騒動。
これって、いつのまにか、幹がどっかに行っちゃっている。

幹とは、政治家がメディアに不当な圧力をかけたかどうかではなかったか。
そのことをそっちのけで、発言がどうとかこうとか、枝の枝、葉先の葉先の
ことばかり取り上げられている。
国民にとっては、どうでもいいこと。
国民そっちのけの議論が行われているわけだ。

これも、政治家による、国会の私物化だよなー。
国会だって、神様のもの。
私物化するなよ! って無神論者に言うのも、無理筋な話だった。

というわけで視点を変えてみるが、
枝葉にこだわって、幹が見えなくなったとき。
これが、犯罪に至る道筋だって、元検事さんから聞いたことがあるな。
だって、柿木だったら、枝葉に体重載せると、折れちゃう。
真っ逆さまに落下しちゃうぞ。

どんな状況でも、幹だけはしっかり見失わないようにしないとなぁ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/22 22:02削除
元サッカー日本代表選手は、今回の好調をこうも分析する。
 自分が代表にいたころと、今回の代表とで、サッカーのプレー技術はあまり
 変わっていない。
 変わったのは、メンタル。
 
かつては、有名チームの有名選手を前にすると、やたらすごい選手だと思い、
ビビッていた。
しかし、今は、日本の代表チームの選手たちは、そんな有名チームの有名選手とも目を見て、
対等に話しているそうだ。

元選手は、また言う。
 サッカーの技術は、基本的には、小学校時代に完成する。
 以後は、どんなに頑張っても薄っぺらい技術しか身に着かず、実際の試合では役に立たない。
 勝負は、メンタルだけと言って過言ではない。

メンタルは、技術が完成したあとでも、どんどん成長してものなのかもしれない。
サッカーだけでなく、一般社会にも通用することかもしれない。
育ちや、学歴、容姿や教養は、一定の時期でおよそ完成してしまう。
残された成長分野は、メンタル。
信仰は、まさにメンタルを成長させるのには、最適な行為だと思う。

元日本代表選手の言葉を都合よく解釈しているのかもしれないが、
勇気をいただく発言だ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/20 23:28削除
あのドイツに勝った、サッカー日本代表。
かつて代表として活躍したことのある元サッカー選手いわく、
 試合に出場した選手、しなかった選手ともに一体になっていなければ力は発揮できない。
ということは、今回の代表は、出場しなかった選手も一体になって盛り上げていたということだろうか。

そんなことが本当にできるのだろうか!?
せっかく代表に選ばれながら、試合に出られない。
人間だもん、悔しい気持ちをそうそう簡単に切り替えることができるのだろうか!?

元サッカー選手、またいわく
 森安監督は、一体になれる選手しか代表に呼んでいないはず。
これは、かつての岡田監督に始まり、西野監督、そして森安監督に引き継がれているだという。
 サッカーの面白いところは、個としての選手がいくらレベルが高くても、チーム全体のレベルが上がる
 わけではない。
 各選手がチーム全体のことを考え、そのうえで自分ができる役割を見つけられる選手を、代表として
 集める。
個のレベルではなく、チーム全体のレベルを上げるのに必要な選手ということのようだ。

ちなみに、野球は、個の選手のレベルが大きいそうであり、そこがサッカーと野球の違いなのだそうだ。

小生は、団体として行動するのは、苦手だ。
耳に痛い言葉だった。
これまで、組織内での活動が今一つ上手にできなかったのは、そのせいかもしれない。

個としての活動しかできない小生は、末端とはいえ、教団の一員である。
教団全体のことを考えながら、一歩距離を置いて、こんなところで、あれこれボヤいている。
信仰は、サッカー型なのか、野球型なのかはよくわからない。
どちらのタイプも包含した型であると信じたい。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/5 22:50削除
男女平等って、女性が損をすることじゃないかしら。
20歳後半、新婚1~2年、大手企業に勤務する女性の発言だ。

現在、男女平等に反対する発言を少しでもしようものなら、反論の嵐。
ネットでも、すぐさま炎上。
この分野だけは、言論の自由は著しく制限されている。
小生もずいぶん悩んだが、ここはほとんど人がこないサイト。
見逃してもらえるものとの甘えの下、記している。

彼女はたまに、重たい荷物を抱えて歩いている。
普通の重さではない、男性でも覚悟を決めてからでないと動かせない重さだ。
その日は、後輩らしき男性と二人で歩いて来たが、やはり荷物は彼女が抱えている。
小生は思わず、後輩男性に言った。
 「そんなんじゃモテないよ」
女性に重たい荷物を持たせるのは、男性として恥じゃないのかと思ったからだ。
しかし、男性はキョトンとしていた。

あとで、彼女は教えてくれ
 今の男性で、そんな気の利く人はいないわよ。

男女平等。出世も、賃金も男女平等。
女性の仕事を、わざわざ助けてあげないといけない理由がないからだろう。
発想自体がないようなのだ。

でも、重たいものはやはり重たい。
女性には過重すぎる労働であることは変わらない。
そんな思いを込めての発言が、冒頭のものだ。

出産もしたいが、ある程度の地位を得てからじゃないと産休、育休、時短勤務も
現実には難しいという。
  30代のうちには、第一子は生みたいんだけど……。
ぽつんと付け加えた。

本当の男女平等は、まだどこにも例がないのかもしれない。
世間体を繕うだけの男女平等なら、そこらじゅうにあるのだけれども。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/4 13:38削除
中学生のときだったか、高校生だったか、あるいは小学生だったかもしれない。
当時、青年学生参拝日というのがあって、小生は毎月参拝していた。
そのときの専従幹部の方のお話だった。

そのころはすでに収まっていたが、それ以前教団は、医療拒否として世間の目はきびしく、
ときに官憲の捜査を受けることもあったようだ。
専従幹部も、呼び出されたことがあったそうだ。
GHQだったかもしれないし、警察だったかもしれない。
そのへんのところは子どもだったし、正確ではない。

覚えているのは、取り調べのなかで、
 なぜ、こんなことをするのか!
と問い詰められ、幹部は言った。
 信仰を守るためだ。
そのとたん、周囲の空気が変わるのを感じたという。
もちろん、何のお咎めもなく、その後も元気に専従生活を続けていたということだ。

幹部の述懐によれば、追い詰められ、とっさに出た言葉だったとのことだ。

今になって考えるに、万一、
 病気で苦しんでいる人のためだ。
と言っていたら、医師法違反。
信仰なら、官憲は手を出しようがない。
憲法は、官憲を制するためにあるものというのが通説だからだ。

その幹部はそこまで考えてはいなかったと思う。
純粋に、とっさに出たんだと思う。
小生が思うに、この呼び出しは、この幹部に、「信仰だ」と自覚させるために
神様が官憲の手を使ったのではないかと考えている。

社会の目は別にして、神様はやっぱり信仰心を求めているのではないだろうか。
小生は立派なことは言えない立場なんだが、信仰心だけはつねに忘れたくない。
返信10
c
childrenさん (7l7rb6jd)2020/7/14 21:45 (No.102125)
我らの教祖、明主様は、「自然農法」を教えてくださった。
今でこそ、推奨されているが、教えられた当時は、実施農家が村八分のような
状態に置かれることも珍しくなかったようだ。
実に、無知を社会で共有すると、人類の福祉は阻害されるという典型的な霊だと思う。

で、個人的な見解だが……。
「自然農法」を教えた目的のプライオリティの一番は、
神の愛を伝えることだったのではないかと思う。
神はいかに、完璧な状態で人類に農業を用意したかということ。
つまり、土と光、水があれば作物はできるということだ。

実際には、そう簡単ではないが、農業で生計を立てているわけではない私でも、
土と光、水だけで、一応の作物はできている。発泡スチロールの「畑」で、だ。

ところが、いつの間にか、農薬や肥料の害を伝えることが目的であるかのような
気がする。
農薬を攻撃し、化学肥料を攻撃することが、自然農法であるかのような観が否めない。
これも、み教えの曲解といえるのではないだろうか。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/6 21:23削除
我らが教祖、明主様は浄化の原理を明らかにしてくださった。
その他、鉱山学、芸術、自然農法など広く、あらゆる現象について、
原理を明らかにしてくださった。
戦争や貧乏の原理までもだ。

当時の文化に対しては、基礎科学だともいえるが、本来のご神業に対しては
実学だったともいえる。
神を見せるという意味で、実学だったといえる。
神を見せることに注視していたことは、古い出版物から読み取れる。
ある海外宗教について、
 浄霊は、時期が来て治ったという見方もされるが、
 この海外宗教の方法だと、神の存在が誰の目に明らかにできる。
などという記述があるからだ。

何のために神を見せる必要があったのか。
人類を主神様と一緒に過ごす世界、つまり天国に迎えるためだと思う。
本来の救いは、病気を治すことでも、貧乏から解放することでも、争いをなくすことでもなく、
天国に住まわせることだと。
もっといえば、天国に住んで、天国生活の馴染んできたら、しぜんに
病・貧・争は、消滅してしまうのではないかと考えている。
だから、これが基礎科学だ。

基礎科学は、目に見えにくいけど、そこなくしてはいつまでたっても堂々巡りだ。
本来のご神業から離れて、どんな御用をしても、一時的な効果しかないのではないかと
思う。
もっといえば、明主様の想いには目を背け、利用できる部分だけ利用する。
あたかも、明主様の想いであるかのように偽装しているように思えてしまう。

基礎科学なくして、永遠の進歩は難しい。
基礎科学なくして、本来の救いは難しい。
明主様の真の願い、天国生活なくして、永遠の救いは難しい。
のではないだろうか。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/4 19:57削除
実学と基礎科学がある。
ある研究者によれば、意外にも日本はアメリカに比べて、実学重視ではないかという見解だ。
科学にかける予算が、圧倒的に実学が多いからだという。

実学とは、我々の生活に直接的な影響をもたらす研究だ。
対して、基礎科学とは、自然界の不思議、宇宙や地球の成り立ちなどを研究する。
したがって、我々一般庶民の生活には、すぐさまメリットは見えない。
スペースシャトルが実学なら、はやぶさは基礎科学に分類される。

実学と基礎科学を、明主様信仰にあてはめてみた。
浄霊や参拝、奉仕は実学だ。
成果が見えやすい。
対して、基礎科学は、わが世界メシア教の信仰だ。
明主様のご神業の本筋ともいえる、地上の天国化だ。
これはすぐに病が癒されたり、いい気分になったりはしない。
かといって、本筋なくして実学信仰ばかりでは、何かあると道が見えなくなり、路頭にも
迷いかねない。

逆に、基礎科学ばかりでもいいのだろうかとは思う。
何をやればいいかわからないし、成果も実感しにくい。
信じるという意味ではそれでもいいのだが、人間の弱さという意味では、世間からの
非難を浴びたときに対抗できるかどうか不安だ。
よほどしっかりした信仰があれば、話は別だが、そうそうたくさんはいないと思う。

基礎科学の上にというか、基礎科学の下で、実学の部分があってもいいのではないかと
思ったりしている。
ちなみに本来、基礎科学に与えられるノーベル賞も、近年は実学傾向にあるという。
件の研究者によれば、実学ばかりでは、本来のノーベル賞レベルの研究は生まれないとのことだ。
明主様信仰も、同じかもしれないとは思っている。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/29 21:35削除
移民の保険がないとかなんとか、しばしばニュースになっている。
日本人が外国に長期で渡航する場合、普通は渡航先の保険を入手してから
出かける。
学者志望の彼も、留学を前に渡航先の保険手続きなどで奔走中だ。

彼は、経済的に余裕のない家庭で育ったらしく、今まで一度も留学経験がない。
学者をめざすには、海外経験がないことは致命的な欠如なのだとか。
それでも、働きながら学者をめざしている。
そんなさなか、たまたま出した論文が認められて、ついに留学をゲットしたのだと
嬉しそうだ。
日ごろの努力を身近で見てきた小生としても、心から彼を応援している。

彼の留学先はヨーロッパだが、医療は100%無料だ。
その分、簡単には医療にはかかれないようで、受診を申し込んでから、実際に受診するまでには
1週間ほどかかるのだとか。
風邪なら、すっかり治ってしまうという。

経済的に余力のある人は、有料の医療を受診するのだが、彼は余力がない。
その不安を訴えていた。
 大丈夫だよ、アマゾンに留学したと思えば、なんとか乗り切れる!
小生の励ましに、彼はうっすら笑顔になった。
 そういえばそうですね。

病気になれば医療にかかる。
このことを何の疑いもなく信じ込んでいる人はまだまだ少なくない。
彼も学者志望なんだから、思考を停止させずにいろんな方法に目を向けてほしい。
そうすれば、もっと生きやすくなるのにと思う。

わが教祖、明主様が自然農法を提唱したとき、ほとんどの人が嘲笑した。
しかし、現在は、ほとんどの人が受け入れている。
医療への思考も、もっともっと進めていってくれれば、未来が広がっていると思うんだがな。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/27 21:53削除
人のなかにいらっしゃる主神様の分霊と交流を図る。
これは、日常生活でも言えることだと考えている。
前の日にもめて、あるいは利害が対立している人、こういう人と
再び交流するのは、なんとなく避けたくなる。

そんなとき、もめた、あるいは利害が対立していることは一旦、よそに置いて、
その人のなかにいる主神様の分霊と交流するんだという気持ちで接するように
している。
すると、意外にすんなり交流できたりすることが多い。
以来、避けたい事態に直面したときは、この気もちを思い出するように心がけている。

何ももめたり、利害が対立している相手だけではなく、日常的にいろんな人々を接するときも
いい結果をもたらしてくれているように思う。

人には、主神様の分霊と、それ以外の部分がある。
それ以外の部分が求める欲求には、物質的、社会的に恵まれることが多い。
厳密に言うなら、浄霊をいただいて病気を治したいというのも、この部分に属する欲求ではないかと
思う。
物質的、社会的欲求も主神様からいただいたものだから、否定するのは違っている。
ただ、そこだけに目を奪われて、主神様の分霊が求める欲求に仕えていくことは忘れがちになっている
ように思う。

小生も改心して、これからは主神様の分霊に仕えていくことを信条にしようと考えている。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/26 21:43削除
現在、推進中のメシア聖堂。
いつまでに完成をめざすのか、どこに建設するのか、予算はいくらくらいなのか。
さっぱり伝わってこない。
説明なしに、メシア聖堂建設の言葉だけをかけられても、今一つピンとこない。

たしかに、大規模な建設を打ち立てると、建設業者からの袖の下問題、
反対派教団からの嫌がらせなどなど様々な妨害が考えられる。
それならば、こういう理由で明らかにできないが、くらいは発表されてもしかるべき
ではないかなと思う。
納得できる、もちろん事実の範囲内で、説明があってほしい。
明主様の時代ならば、どこからつつじが何本、どうやって入手したか、予定と違っていた
ことなどなど事細かに説明があったようだ。

小生は、明主様は、信者のなかにいる主神様の分霊に説明していたのではないかと考えている。
主神様の分霊に対して、何の説明もなしに、結果だけを知らせて協力を求めるなんてこと
ありうるのだろうか?

裁判のことだって、裁判中だから公にできないのは重々承知している。
だからといって、公にできることもある。
公にできることくらいは、公にしてほしいものだ。
説明なしに協力だけを求められても、蚊帳の外におかされているのでは実感が湧かない。

結果だけを報せ、だまって言う通りにしろというのでは、独裁であり、ファシズムの手法である。
まさか、わが世界メシア教が独裁やファシズム体制をめざしているとは思えないのだが……。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/25 22:51削除
説明がなくなったのはいつごろからだろう。
小生が子どものころは、少しはあったと記憶している。
死の淵から救われたような人が「先生」として、いろいろな話をしてくれていたせい
かもしれない。
自らの体験があるだけに、強い。
求める心も、信念も、強い。
だから、理由を説明できたのではないかと考えている。

もう少し大きくなってから、一元化といわれたころには、理由の説明はなくなっていたように
記憶している。
さらに3派に分かれてからは、もっと説明がなくなり、説明を求めようとする声を
力ずくで封じるようになっていた。
 そのことは知る必要がない。
 知ろうとするのは思い上がりだ。
という調子だった。

その後のことは、他の教団のことは知らない。
小生がわかるのは、所属していた主の光のことだけだ。
当初、主の光は説明のオンパレードだった。
どんなことも説明してくれた。
そこが魅力だった。
しかし、いつしかというか、一挙に説明がなくなった。

誰のころとはあえて言わないが、教団組織の変化について質問したところ、
ものすごい視線でにらまれたという信者さんもいる。
この話を聞いて、小生は、説明できないようなやましい事態が起こったんだろうなと
内心で思っていたものだ。
同時に、教団への関心はまた元のように覚めたものに戻った。
ただ、主神様への信仰心だけは養われていたので、そこだけは熱かった。
主神様に求めていけば、必ずというほど理由の説明は、どこからともなくいただけた。

理由の説明もなしに結果だけを告げられる。
これだとやっぱり熱いものにはなりにくい。
燃えないんだよな。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/24 21:39削除
我らの教祖明主様のころと、現在の違いはいくつかある。
その一つは、理由の説明だと感じている。
小生は、明主様ご昇天後の生まれなので、正確には明主様時代のことは
知らない。
何をもって明主様時代と言ったかというと、いろいろな出版物、聖言だ。

明主様の聖言を拝読していると、細かなことまで逐一理由の説明がある。
アメリカ布教の意味、法難の意味……ことに臨んで説明がなされている。
そこに明主様の信者への想いが伝わってくる。

小生は、生まれながらの信者だが、なんとなく信仰している時代が長かった。
高校時代も大学時代も学生活動に参加して、一見すると信仰しているような
外見を保ってはいた。
しかし、信仰の意味も、位置づけも、信念も、意識したことがなかった。
それが、ズシ~~ンと迫ってきたのは、明主様の聖言を拝読してからだった。
『地上天国』以外も出版物を拝読して初めて、明主様の本気を感じた。
これは一大事なんだと実感した。

なぜそう感じたかはよくわからないが、おそらく逐一理由を説明していたことが
大きかったように思う。
理由が説明できるということは、ある程度まで理解していないと無理。
自分ではわかったつもりでも、他人に教えようとするといきなり理解していないことに
気づかされる。
なぜ、気づくかというと、理由の説明ができないからだ。

だから、明主様が逐一理由を記していらっしゃるということで、本気が伝わってきたのだと思う。
もう一つは、明主様の優しさだ。
信者がわかりやすいようにという心遣いから、理由の説明をなさったのではないかと思う。
もっといえば、信者のなかにある主神様の分霊に対して、
 「私の理解はこうだけど、これでいいんだな」
という確認の意味もあったのではないかなと思っている。

明主様時代に比べると、現在は、結果だけ伝えられることが多い。

この理由は、ご神業を理解しきれていないのか、
あるいは、信者へのやさしさがないのか、
はたまた、信者のなかにいる主神様の分霊に確認しようという気持ちがないのか、
さらに、それ以外の理由があるのか?

ふと、そんなことを思ってしまう。
返信7
c
childrenさん (7ki40ay6)2020/6/26 22:58 (No.95394)
おこがましいのは重々承知の上で……。
キリスト教もイスラム教も、ユダヤ教に端を発する。
ユダヤ教は、なぜかユダヤ人のみの選民思想を持つに至った。
ユダヤの戒律を守る、ユダヤ人のが救われるという思想を持つに至った。

戒律を守れない、他民族は救われないのか!?
創造主は、すべての人や物を作ったので、そんなことはありえない。
というわけで、戒律を守れない、他民族のために、キリスト教を作った。

キリスト教は、イエスを救い主と認めない人は救われないという思想を持つに至った。
創造主は、すべての人や物を作ったので、そんなことはありえない。
というわけで、イエスを救い主と認めない人のために、イスラム教を作った。

思うんだが、イエスは本当に「自分を救い主と認めない人は救われない」と言ったのだろうか。
ムハンマドは、「最後の預言者」とは言ったが、「最後の救い主」とは言ってないのではないだろうか。

何かの事情で思い込んでしまった教えを今一度、創造主にお返ししなければ、永遠に
み心に叶った教えには至らないと思う。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/24 21:26削除
中国大使の人気がうなぎのぼりだ。
言うべきことをきちんと言う。
国民全体がいかに、この行動を待望していたかが読み取れる。

いっぽう某野党は、自らをやじった民間人を刑事事件で訴えた。
なんとなくブーメランになりそうな気配が漂っている。
なにせ、この野党はさんざん根拠も明確でないことで、やじってきた過去がある。
自分たちがやじるのはよくて、自分たちがやじられるのは告訴する。
多くの国民は、この点に疑問符をつけているようだ。

というわけで、正しいことを正々堂々を言うためには、自分たちの非もあげつらわれるリスクが
ともなっていることを肝に銘じないと危険だ。
そのことも含めて、日ごろから、練習しておく必要がある。
責められることを想定したうえで、正論を吐く練習。

日本語力を上げて、正しい情報を掴んでいく練習。
ここがミソ。
われら信仰者は、そのうえで、というか、そのまえに、常に主神様に向かって
正しいことを見つける練習、自分の非を認める練習をしていくことが大ミソだ。
ここがすべてを言ってもいいというのが、正直なところだ。
道は、見えないところで開けている気がする。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/23 20:51削除
ちょっとした誤りには相槌を打ってやるくらいの雅量が必要。
では、ちょっとした誤りと、重要な誤りの線引きはどこにあるか。

つらつら見回すに、政治の線引きは、ちょっとしたの部分がやたら広い観がある。
とりわけ大国に対しては、どんな誤りも受け入れてしまう傾向があるように見える。
小生が直接話しただけの感想だが、ビジネス界の人は少し違う気がする。
 きちんと説明すればわかってくれる。
 言いたいことも言わずにいると、何を考えているかわからない奴と思われて警戒される。
 反対意見であっても、優れた意見を出せば、尊敬される。
海外経験のあるビジネスマンからは、こんな声のほうが圧倒的に多い気がする。

一時期、日本は、「経済一流、政治は三流」と言われたが、
経済衰退ムードの現在でも、日本企業は好業績を残し続けている。
最近も、33年ぶりの株高が報道された。
内容の是非はよくわからないのだが、経済人の強気が一因となっているのではないかと思えてしまう。

不当な言いがかりで裁判沙汰にされた日本企業が、アウエイの法廷で100%勝訴した例もある。

正しいことは正しいと、説明し、理解してもらう努力は大切なんじゃないだろうか。
ものわかりのよさが、かえって災いすることも少なくない。
誤解については、可能な限り説明する。
そこから新たな道が開けてくることもあるよ、きっと。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/22 21:00削除
自民党は、多数決ではなく、執行部が決める。
反対党をすかすために、とりあえず賛成したのではないか。
本議会で懸念に応えていく。
LGBT法案について、さまざまな見解が出ている。

とりあえず賛成……駆け引き政治であり、旧体質的。
本議会で……もう遅いよ。

って話であって、その前にやっぱりきちんと説明を試みるべきだったと考えている。
まずは、正攻法でやってみるべきだと。

多数決でなく……執行部が決めるのは、自民党内ルールであり、それを知らない国民は無知という声がある。
政治家だって、執行部で決めることなんて知らない人は少なくない。
それなのに、決まったあとで、ルールを持ち出し。
この行為に対して、国民の一人である小生は、「執行部が決めるというルールがあることを『奇貨として』
党内を通過させたんだと捉えている。

やっぱり説明不足なんだよね。
説明するためには、まず事項について情報を正しくつかんでいることが不可欠。
しっかりとした情報を掴んでいれば、外国の言い分に流されることにはなりにくい。
日本を正しく理解してもらうチャンスともなる。
言葉で説明できることは、これからの世界に重要になってくると考えている。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/21 08:23削除
同一性がないのは、性だけではないようだ。
外国からの不当な要求を跳ね返すだけの言葉を持たない政治家。
これは、政治家の外見はあっても、政治家としての能力がないことだと思う。
軍人なら、言葉がないのは理解できないこともないが、政治家で言葉を持たないのは
致命的だと考えるぞぉ。

性同一性の場合、外見の性に合わせて、心の性を変えようとすると自殺に至るとか。
これは過去の医学的試みによる結果だそうだ。
だから、政治家としての能力がない人間に、無理やりに政治家としての能力を持たせようと
するのは悲劇を招くかもしれないので、これ以上は控えることにする。

だからといって、同一性のない政治家のために国家を犠牲にするわけにはいかない。
国民としてできることは、同一性のない政治家を生まないようにすることだと考える。
そ、選挙だ。
同一性のない政治家を誕生させてしまったのは、国民なんだから、同じ失敗を繰り返さないようにするしかない。

考えようによっては、LGBT法案は、同一性のない政治家を露呈させる機会になったといえる。
うわさには聞いていたが、ここまでひどいとは思っていなかった。
戦争がどうとか取りざたされる昨今、こんな政治家と組んでいたらとんでもないことになるのじゃないだろうか。
自分の仕事もできない人間と組んで仕事なんかしていたら、そのプロジェクトは成功しないよぉ。
理解増進法案、理解させる言論能力がない政治家がいることをしっかり理解できたよぉ。

同一性がないのは、宗教も同じかもしれない。
見た目には信仰者らしく見せていても、いざとなると神様も明主様も信じることができずにいる。
こんな信者はいたるところにいるかもしれないし、小生だって決して例外とはいえない。
だから、せめて、信仰者として表面と中身の同一性が成るように努めていこうと考えている。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/18 21:18削除
なぜ「ケンカを売る」と書いたか。
小生には、JGBT法案賛成派の政治家の発言は、事実だとは思えない。
つじつまが合わないからだ。
主神様の分霊である国民に対して、事実でないことを公言する。
これは、まさしくケンカを売っているだと考えた。

一方、政治家だって、主神様の分霊だ。
事実にないことを言ったということを、政治家のなかにいる主神様の分霊がお見通しと
いうことになる。
どこまで通用するか、推移を見守りたい。

それにしても、姿が見えなくなったとたん、平気で嘘でも裏切りでもしてしまう。
これは、教祖明主様ご昇天直後の教団と重なってしまうんだよね。
姿が見えていたときにはわからなかったことが、姿が見えなくなると表面化してくる。
本心を見分けるには、いい機会ともいえるわけだ。

というかさ、神様がなぜ隠れ身、人間には見えないか。
その理由がわかった気がする。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/17 21:11削除
国民にケンカを売るとはいい度胸だ!

LGBT法案、昨日、自民党内を通過したようだ。
その前提となった委員会での決議は、少数派の意見で決した。
これなんだよ、これ。
 国民にケンカ売ってんのか!
まさしく、この言葉を具体化したような経緯になった。

小生などは、法案の詳しい中身は知らない。
だから自民党がそこまで必要だと考える法案だったら、なぜ、こんな不当な手段を
歴史に刻んでしまったのだろうか。
不当な手段しか用いられなかったということは、即、疚しい気持ちがあったということに
なるのではないか。

心から正しいと考えているなら、やっぱりきちんと説明せんといかん。
そのうえで、意図的なやじ、論理に外れた反対意見が出るなら、強行手段もやむなしだとは思う。
しかし、小生が知る限り、意図的に悪意に満ちた反対意見はないようだ。
なのに……。

やっぱり怪しいよな。
国民を相手にケンカを売っているとしか思えない。
国民一人一人には、主神様の分霊がいらっしゃるのだ。
そこにケンカを売って、どうなるんだろうか。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/14 21:43削除
見た目や法律上の性と、本人が思う性とが異なることは、障害ではない。
理由は、下記に記したとおりだ。
同じように、ケガや病気だって、病ではないと考えている。
何らかの不都合を解消するために起きている現象が、ケガであり病である。
これはわれらが教祖である明主様が説かれたことだ。

というわけで信じる信じないは、各自の自由だ。
ただ小生は、かなりの部分で、教祖の説かれたところを信じている。
これは体験から来た、小生個人の実感である。

障害でないものを障害といい、
病でないものを病という。
どこかに異常であり、不幸に向かっていることだという捉え方をされていると思う。
本当は、不都合を解消するために起こっていることであり、その先には幸福が待っている
というのが小生の信仰と、その実践から得た捉え方である。

われらが教祖様は、病気の文言に代えて、「浄化」と呼んだ。
とてもぴったりするネーミングだと感じる。

と悟ったようなことを記したが、その当座はやっぱり悪くなっていくだろう、
神様に嫌われたのかもしれないなどと、あれこれマイナス方向にばかり考えてしまうんだけどな。
人間って、どこまで行ってもダメダメだなと、強く実感するね。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/13 11:24削除
LGBT法案が、自民党内の委員会で可決されたようだ。
性同一性障害から、障害を外し、性同一性の文言を使うようにするのだとか。
反論の多い「性自認」の語を変えて用いるとのことだ。
どっちでも同じだと思うがな。

そんな議論はさておき、小生の意見としては、「障害」の言葉を外すことには賛成だ。
障害とは考えていないからだ。
小生の周囲にも、見た目や戸籍の性と異なる性らしき人は幾人もいる。
自認だけでなく、性志向、また単なる異性装趣味の人もいる。

最近は周囲も寛容になり、超一流企業のエリートサラリーマンでも堂々と社内で公表し、
飲み会などで人気者になっている奴もいる。
奴は、仕事にも熱心で、いわゆるデキる奴でもあることが大きいとは思うのだがな。
ま、やるべきことをしっかりやっていれば個人的な生活にはチャチャを入れない風潮は
好ましいことだと捉えている。

どこまでも小生個人の考えだが、性同一性がマイノリティな人は、いわゆる前世の記憶が
十分に消え去る前に今生に生まれてきただけにすぎないのではないかと。
だから人としての能力には何らの問題もないし、社会生活に不都合があるだけのことで
「障害」と捉えてしまうのは賛同できかねる。

だからといって、政策的に許容はいいにしても、強制するのは賛同できない。
同法案反対者がいうように、男女の風呂やトイレを自由に出入りさせるのは理解できない。
実際、小生の周囲の性的マイノリティの人間だって誰ひとり、異性の風呂やトイレに行きたい
などという声は聞いたことがない。
 せいぜい立ったまま用を足したくない
と言った奴がいるくらいだ。

小生は原理的といえるくらいの自由主義者だが、個人の自由は公の利益にしたがうという考えには
同意できる。
大多数の性的マジョリティが嫌悪するようなことに、無理やり自分の思考を強制することは
同意しかねる。
どうしても嫌なら、マイノリティの側で譲歩し、見た目の性の風呂やトイレにマイノリティ専用
ゾーンを設ければいいと考える。
皆が嫌がることを、無理やり強制することは男女を問わず共通の心理だと思うがな。

法律問題としては、相続などの問題を解決すればいいんじゃないのかなぁ。
c
childrenさん (8482szl4)2022/5/19 14:26
終末の世になると、悪は裁かれ滅びる。
最後の審判だが、主神様はゾロアスター教を通じて、ユダヤ教に教えた。
さらにキリスト教に受け継がれた。

ユダヤは様々悪評を向けられているが、小生は好きなところのある文化を持った人々だと考えている。
約束を守るところもそうだし、物事をきっちりやり遂げるところもうらやましい。

先の大戦で日本はポツダム宣言を受諾したあと、北方領土に突如侵攻してきたソ連を相手に戦った部隊がある。
隊長の樋口季一郎中将は、軍無違反を覚悟でソ連軍と戦った。
そのおかげで、北海道は現在も日本のままだと評されている。

樋口中将はまた、迫害を逃れるユダヤ人たちを助けていた過去もある。
戦後、樋口中将を戦犯にしたかったソ連から守ろうと、ユダヤ人たちが動いた。
そして、守り切った。
こういうことをきっちりやれるところがうらやましい。

 幸せになれるかどうかは別の問題だが、ユダヤの教えを実行すれば必ず成功する。
 これだけは責任持って言えると小生に言ったユダヤ教徒がいたが、実際にこの言葉を裏付ける事実は実に多い。

そのユダヤの格言に、こんなものがある。
 食べ過ぎるから豚になる。しゃべりすぎるから貧乏になる。

……、なんていうかなぁ。
耳に痛いよなっ!
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/18 22:07
お盆は、ゾロアスター教に由来するそうだ。
アケメネス朝ペルシャで信仰された、ゾロアスター教だ。
サンスクリット語のウランバナが、盂蘭盆会になり、お盆になった。
仏教は、ゾロアスター教の影響を受けて成立していることになる。

最後の審判、悪が裁かれるという思想、これもまたゾロアスター教が源流だとされている。
メシアという発想もゾロアスター教にはあったようだ。

よくキリスト教化を批判する人がいる。
しかし、キリスト教だって、仏教だって、開祖の思想にはあらゆる思想によって成り立っている
といえると思う。

メシヤがメシアになったからといって目くじらを立てる人もいる。
思うに、主神様はあらゆる思想を加味して、理想世界を作るのではないだろうか。
なんでもかんでも自教発想でないと、気に食わない人たち。
まるで、なんでもかんでも自国発祥だと言ったり、
どこでもここでも自国の領土だと言い出す、あの国、この国……。

元々すべては主神様のもの。
主神様は、その時代時代に、必要な人を使い、必要な行動をとらせ、理想世界を作っているのでないだろうか。
となると、なんでもかんでも自教初でないと気が済まないとか、あの国、この国は、
主神様のご意図とはちょっと違っていると思うのだが。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/27 08:39
オリンピックで来日した人が、福島の桃が美味しかったと発言してくれた。
こんな心遣い、福島とは無関係な小生でもうれしい。

桃で思い出したのだが、
偉人は、けっこう川から誕生している。
モーセがそうだし、メソポタミアにも川から生まれた王がいるようだ。
日本だって、桃太郎が、そうだ。

ところで明主様のご生誕地側にも、墨田川が流れていたように記憶している。

偉人と川。
何か関係があるんだろうか。
単なる、こじつけか。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/17 20:19
キリスト教もイスラム教も、元をただせば、アブラハム。
一説によれば、アブラハムの母方は、シュメール人だとか。
もしくは、妻のサラがシュメール人だとか、いろいろ。
とりあえず、シュメールの影響を受けていたことはまちがいないだろう。

シュメールの言語は、文法が日本語と似ているそうだ。
て・に・を・はなどの助詞があるそうだ。
シュメールの前に、メソポタミアに住んでいたウバイド人が、日本に来た
などの、日本とのつながりを言う説は、けっこうある。

ユダヤ教から、キリスト教。
メシア降誕の預言も、やはりシュメールに端を発しているということは
ないのだろか。

歴史学上は、ユダヤ教の成立は、バビロン捕囚時とされている。
ユダヤ人が、メソポタミアの地を離れてからだいぶ過ぎているので、
関係を見出すことはできないのだが。

川の氾濫という自然災害があった、シュメール。
地震という自然災害があった、日本。

人間の力ではどうにもならない自然災害が、宗教を生み、メシア降誕を
受け入れる土壌のように思うのは、小生だけだろうなぁ。
返信12
c
childrenさん (7lxjb3aq)2020/8/1 22:43 (No.107950)
わが教主様は、キリスト教かぶれだと非難された。
しかし、わが教祖は、他教に触れることを、むしろ好ましいとしている記述がある。
だから小生も、可能なかぎり、気が進めばの話だが、他教に触れるようにしている。

その結果、やはり、自分の宗教が最高だなと確認する。
とりわけ、元の同じ教団にふれたとき、いつも教主様がいることのありがたさを痛感する。

やはり最高の神様、宗教に縁をいただけることはいいことだと改めて思った。
最高の神様なら、他の宗教にふれることを奨めないわけはないのではないだろうか。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/16 21:41削除
一度受けた誤解は、なかなか払しょくされない。
未だにわが教主様が、キリスト教かぶれだと思い込んでいる人がいる。
小生は、「かぶれ」は心外として、キリスト教化はいいことだと考えている。
なぜなら、教祖である明主様の想いでもあるからだ。
ただ、誤解の部分はできれば払拭しておきたい。

払拭したい誤解は、尾行・盗聴・盗撮で有名な、キリスト教関係者と会っていたというもの。
教主様があのとき、会っていたのは、聖書関係者であって、キリスト教関係者でも宗教関係者でもなかった。
根拠は、教主様が騒動直後に、そう明言されている。
尾行・盗聴・盗撮などという不当な手段を用いると、こういういい加減な情報しか入手できない
ということの実証であったわけだ。

教主様が言ったからといって、正しいかどうかわからないじゃないかという声もあるだろう。
これについては、小生の場合、別に宗教関係者であっても一切の問題は感じていなかったということ。
そのうえで、教主様がはっきりと明言しているのだから、信じるほうを選ぶのは間違った選択ではない
と思う。

ま、手段が正しくなければ、ろくな実りを得られないということだけは肝に銘じておこうっと。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/31 20:26
わが世界メシア教の救いは、極東から輝く光に端を発する。
教祖の聖言にそう説かれているからだ。

思い起こせば、わが国の歴史は、要所要所でつねに海外に目を向け、
そこから独自の文化を発展させてきたように思う。
聖徳太子の遣隋使、明治天皇の四方の海みな同胞しかりだ。
さらに現在、私たちが日本文化だと感じているもののほとんどが室町時代に形づくられている、
それに先立っては、義満の明かぶれがあった。
もっと古くは、平安時代の国風文化の前には、唐風文化かぶれがあった。
現在の民主主義だって、直前にはGHQかぶれがあった。

日本という国は、外国かぶれによって、自らの内なる文化に目覚めていったように思う。
日本に端を発する救いだって、海外かぶれがあって、本来の内なる救いに目覚めていく
ことは、大いにありうることだと考えられる。
 本来の内なる救い、もちろんメシアの救いだ。
固執する文化は、日本にはありえないし、
キリスト教かぶれだと批判する方々は、本当に日本人なんだろうかと邪推してしまわないでもない。
固執する救いは、日本に端を発する教祖のご神業にはありえない

キリスト教かぶれなしに、教祖のご神業、メシアの救いはありえないのではないだろうか。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/2/27 23:22
昨年来、真明氏のあいさつでも、教主様のキリスト教かぶれは否定されるようになった。
念のため確認しておくが、キリスト教かぶれを否定したのであって、
キリストを否定しているわけではないということだ。

もう少し深堀していくなら、明主様を否定して、キリスト化を進めているわけではないということでも
あろう。
誰よりも明主様がキリスト教を肯定し、それゆえに教主様もキリスト教を受け入れようとしているという
こともでもあると思われる。
その根拠として、教主様周辺の人がこぞって明主様信徒であることを挙げている。

これを深堀していくことにもなるのだが、小生は前々から思っていた。
明主様の聖言を知っている人なら、他教にかぶれることなどありうるのだろうか、ということだ。
いささか自画自賛にはなるが、明主様の活動は本当に素晴らしい。
素晴らしすぎる。
そこを離れることなどありうるのだろうかと不思議だった。
教主様批判が吹き荒れたころ、小生はこの点がどうしても不思議でしかたなかった。
だから批判に与する気には、最初から起こらなかったのだ。

これ以上は、深堀を超えて、邪推だが、
人は、自分の見方を通して、他人を見ることが多い。
いわゆる、色眼鏡ができあがっていて、自分の色眼鏡を通して、教主様批判となったのではないかと
ずっと考えていた。

では、教主様批判をする人たちのかけているサングラスは、何色なのだろうか。
それこそ、明主様否定の色を帯びたサングラスだったのかもしれない。
言葉とは裏腹に、批判者の人たちはすでに明主様を批判してしまっていたのかもしれないと。
自分たちが否定しているから、教主様も明主様を否定しているように映ってしまった。
そんなところかもしれない。
だんだん謎が解けてくる。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/6/28 11:57
あまたある教えを生かす教えこそメシアの宣らす教えなりけり
こんな御歌があったと思う。不正確で申し訳ない。

聖書の一説には、「私が来たのは、律法や預言者を廃するためではない、
律法や預言を完成させるためである」というものがあるらしい。

これはまったく同じ趣旨のことだと断定していいのではないか。

イエスが予言した天国を、お創りになったのが明主様であり、そこに
われわれが行けるようにしてくださったのが現在の教主様という図式で
いいように思う。

だんだん世界メシア教信徒としての役目、位置づけが明確になってくたように
感じている。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/6/27 19:26
わが教祖であり、初代教主様であった明主様の布教は、
その意味でも、過去にない進展をしていくと思う。

これまでの布教は、他の宗教を否定し、消滅させながら行われた。
しかしわれらは、他の宗教を生かしながら行われる。
初代教主を引き継ぐ現教主様の世界布教も、やはり後者の展開で
進展していくと思う。
だからこそ、「イエスと呼応する」と仰った初代教主様の聖言を
われらに思い出させてくださったのであろう。

われらをキリスト化と批判する人たちは、いまだ明主様以前の
布教から抜け出しきれていないということになる。
それは、とりもなおさず、明主批判といえるのではないだろうか。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/6/26 10:22
「なぜ、アーメンなんだ!?」と怒りの声が届くことがある。
やっぱりキリスト教かぶれじゃないかということだろう。
この発想が生まれる人たちの頭の中を想像してみる。

 明主様の教えは最高のものであり、他の宗教がしたがうべきであり、
 自分たちが他の宗教に迎合するような行為をするのはおかしい。

明主様の教えが過去のどの宗教より上に存在するという部分は同意。
そのうえで、他の宗教がしたがう、他の宗教に迎合するのはおかしい、という
部分には賛同しかねる。

なぜなら、優れている存在が、自分たち以外のものを否定していいという
発想は、アーリア思想であって、日本思想とは相いれないと考えるからだ。
明主様の教えの根源には、大和民族があり、日本発祥の思想から生まれている
ことが窺える。

古代アーリア人、インド・ヨーロッパ語族だが、彼らは勝利=正であり、
正が他を支配するのが、神の意思だとでも考えているのだと思う。
だから他人が安住している地域に強引に侵入し、元からいた住人を奴隷にしてしまう。

この発想は、日本の文化にはないと言っていいだろう。
日本には奴隷がいなかったからだ。

宗教も同じように考え、強い宗教は他の宗教を否定し、消滅させていいと
でも考えているのだろう。
明主様を信仰するわれら世界メシア教は、他の宗教の色を鮮明にし、違和感なく
明主様を信仰できるようにすることこそが、明主様のご意図だと考えていると思う。
だからこそ、救世主ではなくメシアを呼称したわけなので、アーメンだって捧げられる。
アーメンの意味は、カムナガラタマチハエマセなのだから。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/4/13 09:47
春季大祭、ビデオで紹介された『基督と自観師』。
その巻頭に、自観師である明主様が言葉を寄せている。

基督と並び称せられることについて、
謙遜して否定もしないし、自画自賛して肯定もしない。時が進むにつれて明らかになるだろうという
内容のことを記されている。

明主様でさえ否定も肯定もしないと仰っていることに対して、否定一方で語ることの
思い上がり、思い込みはどこから来るんだろう。

しかも、この著が発刊されたのは、昭和24年。
その後の時の進捗によって、明主様がキリストとの関係をどのように捉えていたか。
言うまでもなく、かぎりなく「肯定」に傾いていることは歴然としているように思う。
c
childrenさん (7vywzq1h)2021/4/11 20:31
わび茶、千利休。
彼の親族に始まる千家の流派の一つでは、
「利休のわび茶は、キリスト教の影響によるものである」
と言っているそうだ。

代表的な日本文化である茶道が、キリスト教の影響を受けていた!

日本に始まる宗教である、わが世界メシア教も、キリスト教の影響で完成したとしても
不思議はない。

そもそも日本の役割は、世界中のものを受け入れることにある。
これは、明主様の聖言にもあることなのだ。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/10 11:49
クリスチャン、キリスト者とは、
「イエスが人類の罪を贖ってくれた」」と信じる人だそうだ。

この定義にしたがえば、われらの教祖、明主様もクリスチャン。
わが教主様をキリスト教かぶれと批判する人たちの多くも、クリスチャンということになる。
明主様のご聖言には、「イエスは贖い主」という記述があるし、
わが教主を批判する人たちも、このご聖言に基づいていることから、読み取れる。
もちろん信者以外にも、学校教育やマスコミを通じてイエスを贖い主だと知り、信じている人も
いるだろう。

ってことは、人類の多くがクリスチャンってことじゃないか。
わが教祖だって、ご聖言を信じているし、学校教育も受けているし、マスコミからの情報も入っているだろう。
キリスト教の影響を受けているのは当たり前すぎほど当たり前のこと。
どこに問題があるというのだ!?  イミフメイ。

何でもないことを、さも一大事であるかのように吹聴する。
こういう手法を駆使する連中に、今、世界は苦しめられている。
わが教団だって、例外ではないってことだ。
事実を見ていかないとな。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/23 20:12
ふと思い出した聖言。
「本教は、外国から逆輸入されて発展する」
まぁ、こんな趣旨の聖言だったな。

海外が発展して、外国好きの日本人に広がっていく。

いよいよ、メシアのご神業が現実味を帯びてきた気がする。
教祖、明主様のご意図に沿って活動できることを誉に思う。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/21 19:39
キリスト教化批判。
最初のころこそ、教主様をやり玉にあげた批判が多かった。
その後、いくばくもせず、真明様がやり玉にあげることが増えていった。
このごろでは、もっぱら真明様に集中している観が否めない。

この理由について、真明様が若いから舐めているのかなと思っていた。
もちろん、それもあるんだろうが、小生はもっと別な理由にたどり着いた。

教主様の発言、お書きになったものは難解なので、一読しただけでは理解できないことも少なくない。
これは、教主様の文学性によるところが背景にあるのではないだろうか。
対して、真明様はかみ砕いて、日常生活レベルに目線を置いた発言が多い。
したがって、理解しやすい。

ってことは、キリスト教化批判をしている連中は、文学性が低く、読み取る能力がないことの
表れかもしれないと思ったりした。
だとしたら、ちょっと気の毒な気もしないでもない。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/19 22:33
わが教主様を批判する人々は、口をそろえて言う。
「これはみ教えにない。あれはみ教えに反している」

そんな人たちの発言を耳にするたび、小生はいつも思う。
「一般社会人が眉をひそめる行為をし、それをいまだに恥じることなく、
批判する。こんなことをしろとみ教えのどこに記しているんですかいな!?」

ネットを中心にやり玉にあがることの多くなった某新聞社。
彼はとても立派なこと言い、書く。
ただ、彼らの行動は常にと言っていいほど、彼らの記事とは正反対だ。

なんだ重なるんだよな、教主様批判の人たちと、某新聞社の彼らが。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/7 21:39
教祖、明主様に始まり、現教主様が本格化させた「キリスト教と呼応する」ということ。

イエスは、贖い主。
人類の罪を、十字架上に血をもって、主神に贖ってくださった方だ。
つまり、人類の罪は、イエスの血によって贖われたのだ。

明主様は、地上天国を作る方だ。
主神様が成し遂げた天界の天国を、地上に実現することだ。
つまり、すべては天国を作るために発生している。
悩み苦しみはすべて、天国を作るための主神様の恩恵なのだ。

未だに、罪を謝罪しないと天国に行けないという人がいる。
こういう主張をする人は、イエスを否定し、明主様を否定するのと同じだと思ったりするのだ。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/5 22:44
退職した専従者のことを心配するのはおこがましいのだが、
退職者はなにも教団だけの問題ではない。
退職後の人生をどう生きていくかは、人類全体の問題といえる。

長年、所属してきた組織からいわば強制的に追い出されるわけだから、
寂しさどころではない、まるで不要な人材であるかのような気がしたりするのではないだろうか。

現在の日本では多くの人が年金をもらえるので経済的な心配はない。
しかし、精神的な心配は残る。

第二の人生をどう生きるか。
自分を必要としてくれる場をどう見つけるか。
小生は思う。
やはり神様は、第二の居場所をきっと用意してくださっていると。
そして第二の居場所を与えるために、退職をさせたのだと。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/3 22:23
わが教団には、定年制があるようだ。
たしかに若い人に席を譲るには、定年制は不可欠といえる。
しかし、年をとったからといって、働けないわけではない。
なのに一定の年齢に達すると職場から、有無をいわせず追い払われる。
これはちょと頷けないのだ。

実際、わが教団の信者をスカウトしまくっている専従者たちのほとんどが
定年者、あるいは定年を目前にした人たちだ。

定年後、別の社会で生きていくことは不可能ではない。
しかし、待遇が違う、誰も持ち上げてくれないし、下積みの毎日だ。

この現実を受け入れられない人たちが、あれこれ難癖をつけている。
悲しいけど、現実だ。

ただ信仰者なら、現実を受け入れ、一から再スタートするほうが賢明だと思う。
人生を2度味わうことにもなるわけだし。
もっとも、そう簡単ではないことも、これまた事実といえなくもないのだが……。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/11/29 19:08
わが教主様のことを、み教えから離れた、明主様と違うことをやっているという
声は少なくない。

かといって、具体的にどのみ教えから離れているのか、明主様とどこが違っているかを
挙げる声は少ない。

逆に、明主様が「キリスト教と呼応する」「浄霊は二の問題」と仰ったことには
なぜかスルーを決め込んでいる。

小生が思うに、これこそがみ教えの私物化であり、浄霊の私物化である。
み教えを垂れてくださったのは明主様であり、
浄霊を教えてくださったのも、明主様だ。

いわばみ教えと浄霊の持ち主は、明主様といえる。
それなのに、持ち主である明主様の仰ることには従おうとしない。

人間の造り主は、主神様。その主神様が命を召し上げたら逆らうことはできない。
み教えと浄霊の持ち主である明主様が、キリスト教と呼応するといい、浄霊は二の問題だと仰れば、
キリスト教と呼応し、浄霊を二の問題にすることに逆らうことはできない。

あえて逆らおうとする人々は、本来の権利者から略奪しているということになるのではないだろうか。
だからこそ、すべてを主神様に返上することの意義があると思う。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/11/28 18:16
人は、自分の頭の中にある情報だけで判断する。
だから古代の人が飛行機を見たら、大型の鳥、あるいは天狗だと思うだろう。
鳥か天狗しか頭の中になく、飛行機なんて情報はないから。

同じように、明主様の御教えも自分が知っているみ教えの範囲内でしか判断できない。
知らないことを言われたときには、それは間違っていると言い出す。

小生には微塵もみ教えから離れているとは思えず、むしろやっとみ教え通りになったとしか思えない。
それなのに……。
自分で判断し、断定し、自分が思ったり行動したりするだけならいいけど、
その判断で他者を批判するのは、怖いと思ったね。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/11/26 21:38
いつも思うのだが、ユーチューバーのキリスト伝道師。
表現がとても上手なのだ。

ある教会では、炊き出しをしてホームレスを助けている。
炊き出しは、すべてのホームレスに行きわたるだけの量があるそうだ。
だからといって、すべてのホームレスが炊き出しの恩恵を受けているわけではない。

なぜなら、すべてのホームレスが炊き出しの場まで行くわけではないからだ。

神様の恩恵も同じで、自分から神の下に行かなければ、神の恩恵にはあずかれない。
すべての人を満たすに十分な恩恵があるのに、
神の下に行く人は恩恵にあずかることができるが、
行こうとしない人は神の恩恵にあずかることはないということだ。

行こう、行こう、神の下♪
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/11/22 23:01
徹頭徹尾、小生個人の感想だが、
キリスト教化だと批判する声のなかには、僻みも含まれているのではないかと思う。
日本を否定されたような感じがして、寂しいというか。

これも、また小生の個人的感想なんだが、
小生は日本文化が大好きだし、世界一優れたものだと考えている。
だから文言だけでなく、外国語化していくことは、ちと寂しい。

明主様が、キリスト教化していたころ、時代は日本人の外国崇拝が進んでいた。
その影響もあるのかなと思ったりする。
しかし時代は変わりつつある。
日本語がカッコイイ―と思われたりしている。
メシ「ア」教が、メシ「ヤ」教だったりも、時代の変化に対応したものだ。

だからあえて日本文化を打ち出すことも意義があるんじゃないかと考えたりしている。
小生が出合う外国人だって、日本文化への関心が深い。
世界布教に向けても、日本文化への造詣があったほうがかえって外国人にはきっかけになりやすい
ように思うんだが……。

もちろん以上は小生の個人的感想なので、教主様の方針にしたがうことに変わりないのだがな。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/11/14 23:02
わが教団は、「世界メシア教」の名で、宗教活動を行っている。
昭和25年に教団創立当初は、世界メシヤ教の名で宗教活動を行っていた。
以来、教祖在世中は、「世界メシヤ教」だった。

教祖ご昇天2年後、世界救世教になる。

明主様の教えを変えたということには、やたら目くじらを立てる信者がいるのだが、
「メシア教」の部分には、なぜかスルーする信者が多い。

教祖の名付けた教団名で活動できることが誇らしく思えている。
c
childrenさん (7q0pt6x2)2020/11/12 22:47
言うは易く行うは難し。
主神様にすべてをおゆだねし、赦され救われた者として生きていく。
そう決めているのだが、いざとなると、やはり心配が持ち上がってくる。

想念の御用。
その状況から救われたことを示すために、体験させてくださっている。
もう赦されているんだ。
そう簡単には信じられそうもないけど、とりあえず信じることにする。
c
childrenさん (7pz9gux7)2020/11/11 22:22
教祖の聖言によれば、
「本教の特異性は、自分は天国にいながら衆生救済を行う」
ことだ。

そこまで仰るということは、だれでも天国に行ける準備があるということではないだろうか。
c
childrenさん (7pxvgy4e)2020/11/10 23:02
自分を完成させることが信仰の目的だという人がいる。
完成させてから、主神様にお返しするつもりなのだろうか?

小生は、赦しをお受けして、まず主神様の下に帰ってから、
主神様のものとして自分を完成させたいと思う。
c
childrenさん (7pwe45l3)2020/11/9 22:08
「救われる」とは何だろう。
小生は、本来の姿に戻すことだと思う。

自分の本来の持ち主である主神様に、自分を戻すこと。
これが、救われるということだと思うのだ。
明主様のお仕事も、これだと思う。

誰でも、すぐに、自分を主神様に戻せるはずだ。
それなのに、まだ救われていない、いないと言い続ける。
世界に向けて、世界の歴史のなかで救いを行う。
この部分には、いたって無関心。
まだ、まだ、まだ救われていないといって、
自分が救われようと必死だ。

それに対して、明主様のお仕事にはいたって無関心。
小生から、明主様を信仰する他教団の人たちの印象は、こういう感じだ。
c
childrenさん (7pult3s5)2020/11/8 16:08
わが世界メシア教の機関誌名は、『グローリー』という。
教祖ご在世当時から発行されていた機関紙『栄光』を英訳したものだ。
小生なども、幼いころ、1部10円で配布した懐かしの新聞だ。

この『栄光』は、教祖様が名付けたもので、一般的な日本語の栄光とは少し異なり、
キリスト教用語として用いられている「栄光」に由来していることが、当時の教祖書簡から
読み取れる。

教祖を同じにする他教団には、教祖がキリスト教へ向けた熱い思いについて、なぜか
口をそろえて冷淡だ。
この教祖のキリスト教へ向けた思いに唯一、応えようとしているのがわが教団だと
改めて実感した。

教祖の思いに気づくことができたのは、教主として主神様、教祖様に祈る存在がいてくださった
ゆえではないかと思う。
その教団に縁を得たことが、ちとばかり誇らしい。
返信25
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/2/25 22:11 (No.370148)
祈。
なんというか言葉がない。

いつまでもご一緒させていただきたい。
この想いを含めて、すべてをお委ねいたします。
ようやく、この気持ちになれた。
そして、ようやく、少しだけ
光が差し込んできたような気分がしている。

大丈夫、きっと大丈夫、だいじょうぶ。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/11 21:51削除
医療従事者の上から目線的な態度。
公金チューチュースキーム。
こんなシステムがまかり通るのは、やはりおかしい。
医療はやはり、大きく変容することが望ましいのではないだろうか。

そのためには、医療を不要とする人が増えることが第一だと思う。
医療を不要としさえすれば、医療従事者を持ち上げる必要はなくなる。
持ち上げられなくなれば、医療従事者も上から目線ではなくなる。
優秀な人材を、もっと他の産業で活用できる。
もちろん国家財政だって、もっと有意義なことに使えるようになる。

医療システムの瑕疵をいち早く世に公開したわが教祖、明主様の先見の明には
いまさらながらひれ伏すばかりである。

わが教団ももっと、医療に向けた視線を脱皮してほしいなぁと願う。
わが教団の主張は、医療だって主神様のおつくりになったものということ。
もちろん医療を利用したい人はしていいというか、するしかない。
ただもろ手を挙げて、医療へ医療へという態度には共感しかねる。

強盗だって、殺人だって、もっといえば尾行・盗聴・盗撮だって、やはり
主神様がおつくりになったものである。
だからといって、認めることはできない。
最低限、各自が選べる風潮にもっていくことが前向きだと思う。
信仰者としても、社会人としても。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/10 21:35削除
またしても憎まれ役を買うことにした。
わが世界メシア教教主様夫人のまゆみ奥さまは、めでたく退院。
元気なお姿を見せ、倒れてから入院、退院までのことをお話しされ、
機関誌『グローリー』に掲載されている。

以前の投稿では、医療機関従事者の「しなさい」発言への不快感を記した。
今回は、優しさへの不快感だ。
まずは、対象となる医療機関の行動の概要を記す。
  コロナ禍は病院内にも及び、リハビリも不可能になった。
  退院を希望した奥さまに対して、病室内のリハビリを申し出、
  日常生活が完璧になるまで入院を続けるように奨めた。

これは一読すると、医療従事者の優しさを示している。
多くの人が優しいと思い、奥さまも同様の感想を持たれたようだ。
しかし、小生は別のことに思考が及んだ。

昨年末になるだろうか、経済学を学んだらしい若者3~4人の会話だ。
現在、わが国の支出は国債返済と福祉予算が大半を占めている。
医療費だって、その最たる存在だ。
若者たちは、そのことを憂いていた。
  命にかかわることでなければ医療を受けないようにしなければならない。
  そうでもしないかぎり国家経済は窮乏を極める一方だ。

彼らは明主様の聖言とは一切関係ないので、純粋に国家財政の観点からのみの
発言だと思う。
どこの誰とも知らない若者だったが、そばで聞いていた小生は頼もしく感じた。
現在の中高年は、どちらかというと戦後教育の悪弊の頂点にあり、自分のことしか考えられない。
対して、好景気を知らない若者は国家を見ていた。
そりゃ、嬉しくなるってもんだ。

医療だって、いわば公金チューチュースキームなんだ。
絶対必要ともいえない医療を施して恥ずかしいとも思わない医療関係者。
そのことをほめそやしている大人たち。
公金チューチューで生きていることに対して、
公金チューチューにしがみついている大人たち。
ちっとは恥っていうものを感じてほしいよなっ!
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/5 22:56削除
読み物ではないので、おもしろいの語は適切ではない。
興味深いというのも失礼だし、どのような言葉を用いればいいのか難しい。
とにかくまゆみ奥さまの浄化報告は、引きこまれるものがある。
誰にでも読みやすい文章なのもありがたい。

分かりやすいから、却って気になるが、病院関係者の
「~しなさい」
という言葉遣い。
あまりにも無礼な言いぐさだと感じる。

患者だからって、命令される立場にはない。
こんな態度で接せられたら、二度と医療にはかかるもんかという気になるのもうなづける。

最近、高齢者の生き方に取り組む方の話を聞いたのだが、
仮に認知症になっていても、それは脳の一部に劣化があるだけで、他の能力には
なんらの問題もないとのことだった。
人としての尊厳も持ち続けているし、体も正常に機能しているそうだ。
だから、あまりに優しすぎる態度も、人間性を無視した態度も不愉快極まりものだ。
普通の人と接するように、尊厳を持つことが大事だと。

うべなるかな。
患者だって、年よりだって、ボケていても、人間としての尊厳は立派に存在していると思う。
目に見えないからといって、死者をいないものと思っていると、とんでもない目に遭うのと
同じだと思う。

患者だって、ボケ老人だって、ボケ若者だって、死者だって、み~~=んな生きているのだ、
神様の子どもだと思う。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/4 19:24削除
遅ればせながら、まゆみ奥さまの退院報告を拝読させていただいた。
再び、元気なお姿を拝見できて、本当によかった。
しかも、入院中も、思ったより元気に過ごされていたようなのがわかってうれしい。

そこまで、というほど克明に記されていたことで、想いが伝わってくる。
というわけで、本来の趣旨は直接『グローリー』誌で読んでいただくことにして、
小生は、枝葉にこだわってみた。

報告のなかで気になるのは、医療機関の対応だ。
お手洗いに行かせてくれという言葉を無視し、勝手に器具を取り付ける。
渡哲也氏のときにも思ったが、自分の体と他人の体の区別がついていないのか、医療機関は!
と言いたくなった。

盗聴と戦ってきた小生の元上司は、医療機関のこと患者無視が嫌で、医療は避けていた。
元上司は本教の信者ではなかったし、本教のことも知らなかった。
夫人が自然食にはこだわっていた程度で、医療の危険も知らなかった。
したがって、純粋に医療機関の人権無視、上から目線が嫌だったのだと思う。

虫歯が痛んだときもそうだ。
一度だけ歯科医院を訪れたが、その後は幾度電話がかかってきても行かなかった。
それでも痛みは治まらなかったらしく、あるとき、机の上を血だらけにしていた。
書類綴じ用の千枚どうしを使って、自分で虫歯を抜いてしまったのだ。
そのくらい指図されるのが嫌で、医療機関の上から目線が嫌だった。

医療、医薬の害を語る人は多いが、医療機関の勘違い、思い上がりも改善されていくことを望むばかりだ。
返信4
c
childrenさん (7lt7yi46)2020/7/29 22:14 (No.107176)
「不平不満の心は悪魔に通じ、感謝は神に通じる」(意図)
この教祖の教えを類推解釈すると、
人をやっつけたいという思いは、破滅の神に通じることになる。
破滅の神とつながりができると、次々と破滅がやってくるのかもしれない。
破滅の神だって、破滅させるという役目を忠実にこなしていくだろうから。

歴史を振り返ってみると、これを裏付ける出来事はあとを絶たない。
悔しい思い、憎いという思い……これらは小生の日常にもよく発生する。
だけど、自分だけはマイナスのことから免れたい。
だから、破滅系の神様とはかかわりたくない。

だから、だから、すべてをお作りになった最高の神様、つまり主神様に、
すべてをお委ねすることにしている。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/2 23:01削除
連休のさなか、今年は何年振りかでコロナから解放された喜びか、
小生の周囲でも、誰もかれもが旅行に出かけた。
ほとんどが国内旅行だが、景気回復にいささかでも貢献してくれたらうれしい。
逆に国内でも外国人観光客の姿があちこちで見かける。
あふれかえっていると言ってもいいほどだ。

小生は、脚が痛いので、どこにも出かけず、家で仕事をすることにした。
この年になって、仕事があることへの感謝があるので鬱屈した気持ちにはなっていないのが
ありがたい。

今日は仕事から帰って、真明様のユーチューブを拝見した。
冒頭のおむつの例え話はなかなかふるっていると感心した。
これまで仏教者の話のうまさを記してきたが、それに匹敵するかなと思った。
いいじゃんというわけで、見続けていた。

メシア聖堂の話になったので期待していたのだが……。
やっぱり論理に飛躍があって期待に応えるものではなかった。
メシア聖堂が大事であることに異論はない。
大事だからこそ建設を進めることにしたのだと思う。
しかし、大事だ、大事だというだけで、その過程が省略されているから、やっぱりピンとこない。
さらに、共に建設しようという気持ちにもなれなかった。

言われたから、やる。
大事だと言うから、やる。
こんなことでいいのだろうか。
実感というものがなくて、いいのだろうか。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/1 22:57削除
高齢者が元気のない社会で、若者が元気になれるとは思えない。
世間では、年寄りがいつまでも居座って……、老害……など、とかく年寄りが
社会を悪くしていることのほうをアピールしている。
たしかに、現在の世の中を作ったのは現在の高齢者であり、そこに責任を見出そうと
するのは、あながち間違いでもないだろう。

これを耳に、目にし、何となく感じ取っている高齢者として、いつまでも生きていても
社会の迷惑になるだけだと思い込んでしまう。
こんな高齢者を見て、若者は未来の自分に重ねてしまうこともあるだろう。
 どんなに頑張って、年をとれば社会の邪魔ものになってしまう。
 寂しい、寂しい、寂しい。
こんな言葉を聴きながら、若者が元気になれるとは思えない。

小生の周囲も定年退職の話が続出し、彼らは仕事を離れたとたん、一気に老け込んでしまう。
かつても気概も、意欲も一気に消え去ってしまう。

話しは変わるが、仏教者は、人を元気にさせるのがうまいと思う。
年寄りに対しては、「これから、どれだけ花を咲かせられるかわかっているのか」。
この言葉で元気を取り戻す高齢者は少なくない。
実際には、一定の年齢になって花を咲かせられる高齢者はごくごく少数だと思う。
しかし、ありえないことではないと思うだけで元気になれるものだ。
もっとも、実現性はいくら低くてもいいが、ゼロでは単なるうそつきだ。

われらが教祖、明主様の聖言にも、「年齢は関係ない」というものがあった。
ありえないことではないと小生は信じるね。
そして、今後、花を咲かせられたら、若者を元気にできると信じている。
宗教教団だって同じで、高齢者が元気であれば、若者信者だって元気になる。
 年寄りは、引っ込んだりしないぞ!
年寄りも若者も元気の源は同じ、夢を持てるかどうかだと思う。
今が幸せかどうかは、二の次の問題だ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/10/29 19:50削除
Qちゃんこと、女子マラソンの高橋尚子さん。
記録を出す前には、必ず想定外のトラブルに見舞われていたそうだ。

鶏肉の骨が喉に刺さり、高熱。
蛇にかまれる。
大会の朝ご飯が出てこないまま、時間が来たので会場に向かう。
運転手が道を間違えて、スタート15分前に到着。
ウオーミングアップなしで42.195キロを走りだしたこともある。
そのたびに記録が出た。
マラソン仲間からは、今度記録を出すときは死んでるねと言われていたそうだ。

感謝の心を訴える書家は、
 人生なんて思い通りになることなんてない。
 思い通りにならないときに、世界が広がってきた。
だから、思い通りにならないことに出合うと、ニヤッとしてしまうそうだ。

小生は、決めたことを決めた通りにやらないと気が済まないほうだ。
だから、思い通りになったときは時代の趨勢が変わり、完成したことは
すでに役立たなくなっていたなんていうことは珍しくない。

なんかいろいろ考えさせられた。
今日も思い通りに、ノルマを達成するまで頑張っていたが、パソコンが思い通りに
動かなくて、いつまでもやり続けている。
 こんなとき、ニヤッとできる心を持てるくらいの余裕ある人間になろうと思った。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/8/14 23:05
3~4日前から降り続く雨。
時折、激しく降り、台風並みだ。
風があったら、台風そのもの。

熱海の土砂災害などもあったし、今年は水の浄化かも。
すべてを洗い流してくれるのだろう。

怖いけど、前向きに受け止めて感謝しようと思う。
返信4
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/11/17 23:04 (No.141157)
想念の御用
今、思っていること。
嫌だなと思っていることだと思うのだが、
それは神様が、その嫌だなと思っている世界から
救い出してくれた証ということらしい。

だから、神様にお委ねしていればいいのだ。

教団でも、旧教団からいろいろな嫌がらせが続いている。
そんな教団にいたことを見せてくださっているということになる。
そして、そんな教団から救い出してくださったから、
現在の信仰生活がいただけたのだ。

なんていうか、いいなぁって感じるのだ、こういう考え方ができるのは。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/29 22:05削除
このところ、ブチブチ教団へのクレームを書いてきた。
そのこと自体は、しっかり考えて、主神様への奉告も経ての行動なので、
別段、自重する気持ちはない。
今後も、気づいたことは記し続けていく予定だ。
なにせ、小生にとって大切な大切な存在なのだから。

その一因としては、布教をどうやって進めていけばいいか壁にぶち当たっていることがある。
浄霊はないし、声をかけるきっかけが見つからない。
その挙句、相手のなかにいる主神様の分霊に接することではないかなという考えにたどり着いた。

その思いで進めていけたらいいなと考えていたところ、
以前から入信してほしいなと願っていた人の入信が決まったという連絡をもらった。
その人物には以前も入信の話をしたことがあるが、きっぱり断られた。
しかし、祈りだけは続けていた。

そんな矢先、別の信者さんから、彼に入信の話をしてようかと相談された。
以前断られているし、本心からでない入信受け入れは、主神様に失礼だから、もう少し待とうと答えた。
そんな経緯のなか、彼は意外にすんなり許諾したとのことだった。
それどころか、積極的に入信への気もちを表現したとのことだ。

想念の時代。祈りを続けるだけで、自分が何もしなくても、
どこからともなく思うことが叶ったりするものだなと驚いている。
ま、単に小生が嫌われていて、拒否されただけで、誘う人が替わったので受諾したのかもしれないけどな。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/23 20:33削除
想念の時代になった。
先週末、職場の雑談だ。
 ITの時代にはついていけないね。
 テレビひとつ見るのも、どうやったらいいかわからない。
 ITの次は、どんな時代になるんだろう。
小生は、答えた。
 想念の時代。
 心に思ったとおりにテレビなどが動く時代だよ。
雑談の相手は、理解しかねたようだ。

そこで小生は付け加えた。
 心の中がすべて表に出ることはないだろうけど、例えば、
 あのドラマが見たいと思えば、自動的にそのドラマにチャンネルが動く。
そこまで言うと、雑談の相手は納得したようだ。

小生も、雑談の相手も、理系知識はあまりない。
しかし、人が何かを思えば、一種の信号のようなものようなものが発信され、
その信号を感知して動くことはありうるのではないかということで意見は一致した。

念のためにいうと、人が何かを思ったとき信号が発信されるかどうかは知らない。
あくまでも、雑談に過ぎない。

我ら明主様の信仰者は、霊主体従を教えられている。
まず霊界が動いて、現界が動く。
だとしたら、信号とまではいかなくても、人が思えば何らかのエネルギーが放射され、
それを感知されることはないとはいえないのではあるまいか。

もっとも、心の中のすべてが表に出るのは、少々困る。
めんどくさいなと思いながら職場に向かうとき、めんどくさいという思いが職場の同僚に
伝わってしまうもんな。
これは一大事だからな。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/12/6 15:32削除
学者だったか評論家だったか、こんな発言をしている。
 恨みつらみの感情の処理が一番難しい。
うべなるかなと思う。

神様にお委ねしても、やはり個人的な感情はときとして湧き上がってくる。
幸い、信仰があるから、湧き上がるたびに神様にお委ねするので、行動に
出ることはない。

老活動家、小生とは意見の異なる人物だが、尊敬すべき点はある。
 個人的な好き嫌いはもういいんだけど、国家や社会の進歩を阻害してきたひとへの
 恨みつらみはどうして消えない。
テレビなどで拝見していたときには、むかつく想いだったが、それなりに
懸命に生きてきたんだなと思うと、頭が下がる。

鉄腕アトムの手塚治虫氏の息女にも、頭が下がる思いをした。
大川隆法氏の霊言に対する対処だ。
 父はあのような話し方はしなかったが、この世を離れた現在、どんな話し方を
 しているかは、わからない。
 だから法的な手段で訴える気持ちはなく、ただ、どうお笑いにもっていけるかは
 考えています。
ものごとをここまで冷静に分析している姿にはただただ感服させられた。

わからないけど、むかつくことには、笑いで対処する。
これは賢明だと思う。
『笑いの泉』
この書籍、復刊してくれないものだろうか。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/9 22:30削除
教主様のお言葉のなかで見つけた。
 天国にいるから、心がこんなことになっている(概略)
さまざまな心の営み、迷いや悩み、怒りなどのことだと解する。

ときどき急に思い出したように、怒りがこみ上げてくることがある。
 許せない!
そんなときは、神様にお委ねするので、長引くことはないのだが、
納得できたわけではない。

こんな思いも、天国にいるから起こるのかもしれない。
だとしたら、怒りの相手は、救われたくて、天国に行きたくて、
怒りの心を起こさせているということになる。

だからといって、本人に確かめるわけにはいかないし、
確かめたところで、肯定することはないだろう。
そもそも、そんな奴らとは、とっくの昔に縁を切ってしまっている。

つまるところ、小生にできるのは、主神様にお委ねすることだけなのだ。
メシアの救いに与れるようにと祈ることだけではないかと考える。
これも、想念の御用ということになるんだろうか。
なると信じてやっていこう。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/8/18 07:13
今まで、ピンとこなかった、想念の救いのなかの、
「今、思っていることは、すでに救われた証として起こっている」

このことが少し理解できた、かもしれない。
浄化とは、救われた証。
救われたから、浄化として目に見え、感じるように表面化したもの。

浄化したということが、すでに救われたということ。

小生も人間関係の悩みがあったんだが、これまでも表面化しなかっただけで、
水面下で自分のなかにあったものだと思う。
浄化中は、やることなすこと裏目、裏目に出て、どうしていいかわからなかった。
だから、自分を変えようとすることすら止めた。

今も、以前も何も変わっていない。
なのに、なんとなく周囲とうまくいくのだ。
なにか努力したわけでもないのに、周囲から誤解が消えた。

人間関係の悩みをもったという時点で、すでに救われた証だったということだと
実感できる。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/5/17 21:03
教祖、明主様の聖言には、
 「想念のことはあれこれ言うと、堅苦しくなる」
こんな内容のものもあったように思う。

どこまでの自由に、ただ、その想念は神様からいただいたもの。
これだけは、しっかり押さえておけばいいということかも。

神様からいただいたものだから、そのまま神様にお返しして、
「自由にお使いください」
ということにしてみようと思う。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/5/16 19:38
想念の御用、想念の浄霊。
一般に、手をかざして浄霊するのではなく、心の中で浄霊すること。
この視点で語られることが多い。

もちろん、それもあると思う。
しかし、それだけだろうか。
浄霊で、身体を神の意思に沿う、自然界の働きに沿わせるようにする。

同じように、想念を神の意図に沿うようにするのが、想念の浄霊って視点も
あるではないだろうか。
源にあるのは、想念も本来の作り主である主神のものであることを認識すること。
だからこそ、「すべてを主神様にお返しします」という文言がいたるところで
記されているのではないだろうか。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/20 21:30
わが教祖、明主様。
昭和29年、脳溢血で倒れられてからの様子を、秘書で執事でもあった
井上茂登吉氏がつづった記述だ。

明主様は、とにかくお喜びの日々を過ごしていたようだ。
想念の浄霊、キリスト教との呼応を語っていた。
そのなかに、
「これからはお詫びの時代ではない、悔い改めの時代に入った」
と仰ったという記述がある。

お詫びにこだわる人は、宗教者であると否とを問わず、多い。
小生は昔から、お詫びされても、嬉しくはならないのを感じていた。
いくらお詫びされても、今までと変わらないのでは何の意味もないなと感じていたからだ。
何も変わらないのに、お詫びだけするというのは、自分が助かりたいために、
相手をだますのと同じじゃないかな、とな。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/19 21:23
少しだけ落ち込んで帰宅した今日。
おゆだねしようと努力するが、どうしても気分が晴れない。
悪いほうに進んでいくのではないかという思いが頭を持ち上げてくる。
小生に欠点があることは、小生が一番よく知っている。
浄化の名の下で、苦しいことが続いていくのかなと暗い気持ちが続いた。

夕拝時に、小生は、想念の御用を唱和している。
① 主神の赦しをお受けする。

この文言で、気分が一変した。

明日、何が待ち受けているかはわからない。
でも、いいんだぁ。
そんな気分になり、明日が気にならなくなった。

あの文言は、想念の浄霊かもな。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/7 06:56
人間、向上すれば神になり……。
これは人間が神のようになると意味でよく捉えられている。
神に近づく、とかな。

神に近づくというのは、神のようになるという意味だけだろうか。
もっと物理的にというか、精神的に神の近くに行くという意味も
あるんじゃないだろうかと思った。

物理的には、参拝。
精神的には、神とともに、神の世界で生きていくというか。
神の一部になるというか。

神のような人間になる自信は、小生にはない。
ただ神の一部になる。
この感覚はあるんだよな。
とくに今年になって、そういう感覚になっている。
参拝するときは、本体であると神と合体する、
浄霊をいただくときも、神の一部をきれいにしてあげるというか、
そんな感覚だな。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/24 22:07
想念の御用。
想念は正直だと思う。
心の状態が現象になって現れる。

正月休みが近づき、仕事中にも休みのことを考えたりしてしまう。
その隙を狙い詰めている存在がいるのか、
小さなミスが続いた。

少しくらい、手を抜かせてくれてもいいじゃん。
そんなことを考えてしまうが、とりあえず明日一日は気を抜かないで
やっていこう。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/22 19:42
12月23日を境に、霊界の年明けが始まる。
新年は、メシアのご神業がさらにステップアップする。
そのご神業に参画させていただきたいと願う小生にできることは何だろう。

想念の御用。
「神様の子どもなろうよ」と問いかけていくことだと思う。
「天国にいたころを思い出そうよ」でもいいかもだ。

この想念が行動に映っていけば、どうなるんだろう。
楽しみでもあり、怖くもある。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/11/18 22:57
想念の御用
今、思っていること。
こうなればいいなと思っていることだと思うのだが、
それは神様が、同じ思いの代表者として自分の中に集めてくださった思い
だということのようだ。

同じ思いの人の思いが叶うように、
同じ思いの代表者として主神様にお捧げしていく。

そのうえで主神様にお委ねしていけばいい。
御心に叶うならば実現させてくださるということだ。

なんだか前向きな気持ちになれるのだ、こういう考え方でいると。
返信13
c
childrenさん (7jy082jl)2020/6/12 21:17 (No.89606)
まったくの個人的イメージに過ぎないが……。
4人に1人とも、7人に1人ともいわれる最後の審判。
いずれにしても、かなり厳しい審判を覚悟したほうがよさそうだ。

一般に、救われる人と救われない人という区別がある。
それ以外にも、一人のなかに、救われる部分と、救われない部分が出て来る。
そんな気がしてきているのだが……。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/17 22:05削除
他人の批判はしないことをモットーにしている小生なのに、
人物評価の役目が回ってきた。
ま、幹部候補生選びの資料としての評価なので、そこに名前が挙がる
だけで名誉な方たちではある。

仕事だから、それなりにまじめにやったのだが、やり終えた時点で、
いや~~な気分だ。
理由は、明快。
人物の欠点を記していくと、すべて自分に当てはまる。
小生もどこかで、こんなこと記されているんだろうな。
そう思うと、心は暗くなる。
うつを抱え込んでいる最中だ。

すべて事実だから、事実どおりに評価されることを受け入れよう。
この思いに至ったとき、いくぶん気持ちは楽になった。
ありのままでいいんだ、それでいいんだ。
って感じかな。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/9/20 23:17
自民党総裁選の盛り上がりがすごい。
盛り上がりの一因は、メディアのあからさまな暴虐ぶりだ。
日ごろ、公平、弱者と言いながら、不公平、強制を公然と行う。
誰の目から見ても、100%、見て取れたようだ。

ここまで開き直って、恥さらしを行うってのは、もはや愚連隊。
愚連隊ぶりを堂々のやってしまわざるをえないというのは、そこまで追い詰められた
事情があるということなのだろう。

メディアは、本来のミッションに戻らないと、自滅への一途をたどるのかもしれない。
尾行・盗聴・盗撮という犯罪まがい行為を、公然と発表できる教団の未来と重ね合わせて
みないこともない。
返信2
c
childrenさん (7n4dwhrl)2020/8/31 22:25 (No.117119)
神中心の信仰と、自分中心の信仰。その2。
元わが教団は相変わらず、わが教団の教祖攻撃を続けている。
そのたび小生が思い出すみ教えがある。

「本当に、神様のお邪魔になるなら、神様が裁いてくださる」

とやかく言う暇があるなら、神様に従うことを考えるよ、小生は。

奴ら、ことあるごとにみ教えを持ち出すが、
「本当に、神様の……」
の御教えは、どっかに置き去りにしてしまったのだろう。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/15 20:37削除
信仰の喜びが見つからない信者さんも少なくない。
長年、信仰し、献金もし、参拝もし、一応のことをやっているにもかかわらず、
寂しい、寂しいを連発する。
残念でたまらない。
こうした声を発する信者さんは、信者さんに向けて、この声を発する。

小生には、どうすることもできない。
人に向けて発しても、得られるのはせいぜい、一時的ななぐさめ程度でしかない。

その声をなぜ、神様に向けて発しないのか、わからない。
 今、言ったことをそのまま、神様に向けて発しなよ。
そういうと、冷たい人だと言われる。

たしかに小生は冷たい性格なのだが、神様に向けて発する以外に、解決法を
知らないのだ。
神様は、何も答えはくれないが、
耳に聴こえる答えがないだけだと実感する。
耳に聴こえない答えは必ずと言っていいほど返ってくる。
何らかの形で、気づきだったり、人を介してだったり、思いもつかない方法で
答えをくださる、ような気がしている。

 信仰しても、何もいいことはない。
そんなことを言っている信者さんには、この書き込みをスルーしないで、実行して
みてくれることを心から願う。
せっかく信仰しているのに、信仰の喜びに出合えないのは、あまりにも寂しい。

神の御名を奉唱せよ、せよ、せよ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/1 23:53
たまには自分中心の信仰も語ってみよう。
以前の朝夕拝は時間が長かった。
疲れた日、寝坊した日などはサボることが多かった。
おまけに小生は、朝夕30分ずつの浄霊をしていたので、なおさらサボった。

現在は、祝詞がなくなったので、時間はかなり短縮された。
浄霊だって、朝夕、3分ずつだ。
疲れていても、すぐ終わると思うと、頑張れる。

朝夕拝をサボると、なんとなく神様に対してうしろめたさが湧いてくる。
その結果、自然と神様から心を背けてしまうことになりやすかった。
現在は、そういうことも極端に少なくなった。

こんなことを書くのは、自分中心だし、不謹慎かもしれない。
それでも、小生にとってはありがたいことなのは事実だ。
神様に心を向けていられることは、実にありがたいことだと実感する。
返信2

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