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c
childrenさん (7opi6131)2020/10/10 21:48 (No.128548)
認知症に取り組む理学療法士によれば、
認知症になった人に共通して見られるのは、水分の不足だそうだ。
それも、振動数の高い水ほど、細胞に浸透しやすいので、よいとのことだ。

振動数とは、回転数のことだ。
粒子が回転している水ほど浸透しやすく、認知症になりやすくしてくれるということなのだ。

この理学療法士いわく、地球も、私たちの体も、その他すべてのものはスカスカ。
隙間だらけで構成されている。
隙間だらけのものが、隙間のない面に見えるのは、回転しているから。
自転車の車輪が、回転しているときは、あたかも丸い面に見えるのと同じだ。

ところで、人間の思いも、実はスカスカ。
回転数の高い重いほど、他人の心に浸透しやすい。
回転数を上げるには、心のレベルを上げるしかないとか。

認知症を改善するには、頭や体を健常にすることも必要だが、
最大の要因は、心の回転数を上げることだという。

これは、「想念第一」を裏付ける説のように思えているのだ。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/11 21:40削除
上祐史浩氏という人物がいる。
オウム真理教の幹部だった人だ。
小生は、彼にシンパシーを感じている。
信仰の対象が異なるし、彼の宗教にも関心はまったくない。
ただ、目に見えないものを信じる、そして、それゆえに世間から
誤解を得、非難されているという部分においてのシンパシーだと思う。

近年は、ユーチューブなどでも頻繁に見かけるようになり、新たな道を
切り拓いているらしいこと、陰ながら喜んでいる。
そのうえで、最近の、彼の、ユーチューブでも発言に、? だった。

 やっぱり病気は医学で治さないと
こんな趣旨の発言だった。

現在、わが世界メシア教も、病気になると医学に頼ることが大勢になっている。
だから、医学に頼ることは何らの問題もないと思う。
ただ、医学だけ!?
医学だけにしか頼ってはいけないのか?
医学以外には、道はないのか?
この部分になると、彼は思考停止させているとしか思えない。

医学での治癒率、それ以外の方法での治癒率、このへんへの思考が全く感じられなかった。
現在、宗教を含めてあらゆるものが壁にぶち当たっている。
医学だって、壁にぶち当たっているとしか思えない。
科学者でもある彼なら、このあたりへの思考も進めてほしかった。

小生が考えるに、現在、医学の優位性は、法的、社会的に無難である手法であること。
これ以外には、優位性を見いだせないのである。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/12/15 23:23削除
年を取ってからの改築は、認知症を招きやすい。と言うそうだ。
決まった場所にあるものが、別の場所に移動する。
それだけで、今までやってきたことが億劫になり、何もしなくなりやすい。
動かなければ、認知症にもなりやすいというわけだ。

たしかに年を取ると、新しいことになじみにくい。
昨日までやっていた浄霊がなくなった。
昨日まで、浄霊一筋でお導きを担ってきた老信者さんにとって、
信仰への意欲が減退し、未活動になる。
その結果、認知症になってしまったりすることだってあるかもしれない。

難しいなぁと思う。
 未信者さんから、浄霊を受けたいと言われたが、もう浄霊はできない。
こんなボヤキを聞いた。
浄霊一筋にお導きをしてきた信者さんにとって、どうしていいかわからないようだ。

まぁ、信者さんのために、聖言を変えることはおかしい。
順序が逆になってしまうからだ。
かといって、今まで頑張ってきた老信者さん、教団を支えてきた老信者さんがどんどん
元気がなくなるのを見ているのも、辛い。
寂しい。 虚しい。

いい方法があるはずだと思うが、わからない。
やはり主神様にお委ねするしか方法は見つからない。
c
childrenさん (7owo6aoj)2020/10/15 22:10
理学療法士もそうだが、
医療界の中核を医者とするなら、その周辺がおもしろい。

ある整体師だが、医者はどこもわるくないと言うが痛いという来院者が多いのだとか。
機械や検査ではわからない体の不調も、長年、人体に触れてきた経験からわかるのだろう。
「医者にはわからないんだよな」と言う。

介護関係者いわく、
「医者は病気を治すことしか考えていない。私たちは、できるだけ患者が自立して生きることをめざす」
介護施設の人が病気やけがになると病院に行くが、点滴を行う。
すると病気は治っているが、確実に体力が衰えて帰ってくるのだそうだ。

なんていうか、権威とか肩書って見直す時期にきているのではないだろうか。

小生のケガも、今日は右手で鉛筆が持てた。
力が入らないので、幽霊みたいな字になったが、左手よりはマシな字が書けた。
医療にかからないので、その分、回復は確実に早いことは間違いない。
c
childrenさん (7oto1lma)2020/10/13 19:43
参考までに、
地球の隙間を全部、取り払って、つめていくと、
なんと、テニスボールくらいの大きさになるんだってさ。
もしかしたらバスケットボールだったかもしれないが、そのへんはまあまあ。
いずれにしても想像を絶するほどの小ささなのだ。

これって、霊と体に通じるのではないだろうか。

霊の大きさに比べると、体はないに等しい存在。
「霊」を「想念」に置き換えてみてもいいかもしれない。

それでも体は大事で大事で、大事なものではあることにちがいないのだが……。
ただ無力だ、体はあまりにも。
返信4
c
childrenさん (7l0noo0o)2020/7/9 22:29 (No.100185)
メシア降誕は、昭和29年だった。
ハレルヤ、ハレルヤの声に包まれての降誕だった。

現在、多くの信者がメシア降誕後の入信だ。
降誕以前の明主様の活動は、神の存在を知らせることにあった。
降誕後は、メシアの降誕を知らせることにあると思う。
つまり、入信したということ、その時点で赦しがあったというになるのではないか。

メシアの赦しを、受けていたことを知る。
このことにたどり着いたとき、感謝の心が生まれた。
「感謝が感謝を生み」
メシア降誕を信じることは、感謝の気持ちが生まれることだと感じている。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/28 11:33削除
ご本人が望まないので、人物特定できないように記す。
宗教家ではなく、もちろんわが世界メシア教信者でもないが、ある分野の第一人者で世界的に評価されている。
 オカルトっぽく思われるのが嫌だからあまり話さないようにしている。
とのことだ。

誰でもあるように、彼も行き詰ることがある。
 切羽詰まった挙句、寝転んでいると、寝転んでいる自分を見ている、自分がいた。
たまに聞く話だ。そのとき、彼は聞いた。
 これからも世界じゅうに戦争とかいろんな災いがある。
 しかし、すべて理由があってのことだ。
 だから、お前は何も心配することはないんだよ。

彼は、めったに他人に話さないそうだが、成り行きで仲間内で話すこともあるそうだ。
 多かれ少なかれ、似たような経験は皆している。

この話を聞いたとき、小生はとっさに思ったね。
 神様って、世界メシア教信者以外の人のところには、ずいぶんこまめに訪れているんだな。
小生には一度もそんな経験ないし、信者同士の会話でも聞いたことがない。
ちょっとひがんじゃうね。 
器の小さい人間なんじゃい。

しばらくして気づいた。
 我ら信者は、明主様を通して、代々の教主様を通してすでに教えられているんだ。
教えられてはいても、気づかなかった、気づかないことにしていただけかもしれない。
どの分野にしろ頭角を現すような人間はすぐれた感性が備わっているのだろうから、
気づいたのだろうとな。

余談だが、彼は、その経験をしたあとも、いろんなことが起こっている。人間関係とか、
その他もろもろ。
だけど、その経験をして以来、気持ちが一気にラクになっているとのことだ。

天国に来ても、いろいろあるのと同じだなと思った。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/13 12:12削除
今年になって、最初に騒がれているのが、colabo問題だ。
小生が知ったのが今年になってからだが、昨年末から騒ぎにはなっていたようではある。
というわけで早速、同団体の記者会見を拝見した。
目的は必要なものであり、その目的に基づいて活動していたことは間違いように受け取った。

問題点は、理解を越えた領収書について、関係団体との資金の流れだ。
これらについては、記者会見で明確にされることはなかった。
思うに、この記者会見の目的は、自分たちへの批判を行う行為を批判することだったのだろう。
だから、自分たちの行動への疑問の払拭しようとはしなかった。
ひたすら相手への攻撃に終始することになった。

これでは、ますます攻撃を助長させるだけになることは必至。
かわいそうな女性を助けることを邪魔するのは許せんと言う論理だ。
しかし、かわいそうな女性を助けることへの批判は、どこにも行われていない。
ないものをあるように一方的に決めつけ、そこに理由の説明は一切ない。
理由を言わない行為は、小生にとっては、思い上がり以外の何物でもないという結論になる。
理由を言えない場合もあるが、その場合には「理由は言えない」と言えばいい。
なぜ理由を言えないかの理由も、付けてだ。

詳細は知らないのだが、小生にしてみれば、使途不明金などは二の次の問題だ。
これまでの歴史的経緯のなかにあって、団体幹部が団体資金を流用することなど、わりに
よくあることだからだ。
いまさらつべこべ言ったところで、疚しい者同士を結束させかねないしな。
今までお目こぼしが行われてきたことに、メシア降誕によって、日が当たるようになり、
許されなくなったというにすぎない。

で、最大の関心は、いよいよいわゆる「福祉」、かわいそうな人を助ける行為にも、
日が当たるようになったのではないかということだ。
「弱者」の語を、葵のご紋のように振りかざしてきた時代から、必要な福祉と不必要な福祉が
区別されるようになった。
これは、喜ばしいことだと考えている。
c
childrenさん (7pnlmk00)2020/11/3 18:29
すべての人や、自然、その他もろもろは神が作ったものである。
このことを受け入れる人と、そうでない人がいる。

わが教団の信者は、一応、
 赦され、救われた者
と捉えている。

自分を振り返ってみると、こんな日々のどこが救われてるんだぁ!?
って思ったりする。
 
しかし、わが教団の信者は、神に向かうことができる。
神とつながることができる、これが赦され、救われたことだと思う。
この事実を受け入れるかどうか、ではないかと思うようになった。

その他のことは、そこから変わっていくのだろうな、きっと。
返信3
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/15 22:47 (No.160865)
幸せ過ぎて,怖くなるときがある。
特別な何かがあったわけでもなく、周囲の人と比べてというわけでもないのに。
なぜか幸せ感がこみ上げてくる。
そんな一週間だった。

今、こんなご聖言を思い出している。
「私の言うとおりにすれば、もっともっと幸せになれるのに。
私の言うとおりにする人はいない」

もっともっと、おっしゃるとおりにしたいと思う。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/22 23:05削除
さむらいジャパン、よかったなぁー。
何にも言うことはない、よかった、よかった、よかった。

最近、暗いニュースばかりだったから、本当、よかった。
高校野球みたいな緊迫感あったし、プロ選手なのに、本気が見えていた。
小生も、今一度、高校生にもどってやってみようという気になった。

賢くなっちゃ一歩も進めないけど、素直になれば道は開ける。
そんな気持ちだ。

本当、久しぶりに泣いたよ。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/2/1 22:28
先のことを考えると、怖くなるときがある。
今年も立春祭まであと3日。
御生誕祭は、霊界の変化。
霊界の変化が、限界に現れるのが、立春祭。

今日は、ミャンマーのクーデター報道があった。
武力!
小生の当たらない勘では、今年は武の災害があるような気がしていた。
当たらないことを願ってはいるが、やっぱり!
などと思ってしまう。

ま、小生の勘は、ほとんどが当たらないので、あまり心配しないようにしよう。
すべては主神様の御心を成し遂げていただくための出来事だ。
お委ねしよう。
それ以外、何ができるというのか。
返信2
c
childrenさん (7p0ytuya)2020/10/18 22:20 (No.131229)
正しいと思うことをやればいい。
やってみて正しくなかったら、神様はさまざまな事象を見せて、
正しい方向に導いてくださる。

本心から正しいと思うことをやれている人って、
どれだけいるんだろう。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/21 20:32削除
中庸をえよ とよく言われる。
それを聞いて、異なる2つあるいは複数を足して2あるいは複数で割る。
つまり平均を取ることだと思い込んでいる人がいないでもない。

それは違うことくらいは知っているが、じゃ、どうすれば中庸になるかがわからない。

今日、ヒントになる意見を聞いた。
 過ぎた部分を削除し、不足しているを足していく。
 これが中庸だ。
なんか納得できるんだよな。

具体的にどこからが「過ぎた」部分で、どこからが「不足している」部分かは
明確ではないが、それは一々の出来事に応じて考えていくしかないだろう。

とにかく尾行・盗聴・盗撮は、行き過ぎた部分であることはまちがいないだろうな。
社会から信頼を消し去る行為だもんな。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/25 12:06削除
過去の事実には、都合のいいことと、都合の悪いことがある。
名誉になることと、不名誉なことと言い換えてもいい。
言うまでもなく、不名誉な事実は誰にも知られたくないし、なかったことにしてしまいたい。
その気持ちは100%共感できるし、小生自身にもいえることだ。
自分自身で収まることなら、なかったことにしてもいいと思う。

問題は、他人を巻き込んでいた場合だ。
罪のない他人に、罪を着せてしまった不名誉な事実。
この場合は、なかったことにはできない。
犠牲になった他人の名誉を回復したあとでなければ、なかったことにしていいとは思えない。

元わが教団にも、不名誉な事実はあった。
少なくとも社会的には罪のない、正当な行為をした幹部に、さも疑念があるかのように吹聴し、
教団運営を妨げた事実があった。
犠牲になった人物は、小生の出身である、中村総長だ。
彼を犠牲にした事実は、永遠に消えることはない。
名誉を回復しないうちは、忘れてもならないことだと思う。
もっと、いえば、名誉回復がなされたとしても、犠牲にしたという事実は永遠に残ると思う。

だからといって、加害者の罪を責めようというつもりは毛頭ない。
信仰者なのだ。
改心して救われたというなら、まず事実に向き合って当然だと思う。
そのうえで、事実を信仰的にとらえ、言い訳をしてもいいし、必然だというならなぜ必然だったのかを
説明すればいい。

そのこともなし、加害者の名誉な部分だけを公言するのは、納得できない。
なによりも、加害者の名誉を耳にするため、あの野卑な行動を思い出すからだ。
一日も早く、さすがと思わせるような事実の後片付けがなされることを祈るばかりだ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/24 22:14削除
強烈な寒波に襲われるというか、すでに強い風が吹き荒れ、
寒さをさらに強烈にしている感じだ。
こんななか、小生は、何かと多忙。
働かないと生きてゆけない身なので、多忙なのはありがたい。
ただ、仕事に雑になりがちなのが、心配だ。

スピーディさと丁寧さを両立させたいのだが、うまく行かない。
不器用な性格なのだろう。

多忙なせいか、やや聞き流し気味にした信者からの電話。
 すでに許されているんじゃないのか。
 過去のことは忘れていいんだよ。
小生は、この類の発言が非常に嫌いだ。

たしかに主神様のお赦しはお受けしたつもりだ。
だから自分では、すでに赦されていると信じている。
だから、忘れて、なかったことにしてしまおう。この部分が理解できない。

赦されたなら、なおさら、過去のことにけじめをつけたくなるのではないだろうか。
主神様が赦してくださったからといって、過去の事実は残る。
現界の法には、時効という制度があるが、これは手続きの煩雑を回避するため。
しかし主神様の能力には限界がない。
煩雑で手に負えないなんてことはないんだと思う。

事実は事実として、永遠に残ると思う。
むしろ残して行かないいけないと思う。
すべて、主神様が与えてくださった事実なのだから。

こんな小生の主張を、人は、信者は「しつこい」と言って批判する。
別に責めるために、事実を残そうというわけではないのだが……。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/23 22:52削除
学校などで使用される文章では、男女の別を明確にすることは否と
されているらしい。
男女の登場人物がいて、男は、俺、僕など男と分かる言葉遣いは表記しない。
           女は、……だわ、……よねなど女と分かる言葉遣いは表記しない。
今のところ、違法ではなく、自粛状態のようだが、今後はどうなるか。

男女を区別するのは、言葉遣いまで、否とされることだろうか!?
女言葉を使う男がいてもいいし、女言葉を使う男がいてもいいと思う。
そんなのは個人の自由だと思う。

それなのに、男女の別がわかる言葉遣いそのものを規制しようなどとは、まさしくファシズム!

男は、男であることに誇りを持ち、
女は、女であることに誇りを持つ。
そのなかに、ごく少数、女になりたい男がいてもいいし、男になりたい女がいてもいい。
そんな社会に住みたいと思うぜ!
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/4/7 22:39
九州の高校生へのアンケートでは、もし攻められたら、
  逃げる
が多かったそうだ。

諸外国は、
  戦う
が多い。

小生は最近、戦う人になっている。
攻め、責められたら、徹底的に戦う方針でいる。
その分、自分から、攻め、責めに回ることは控えている。
もう一つ、人は攻撃しない。
あくまでも、文化になってしまっている誤っていると思われる価値観と戦う。

失敗を恐れる文化、画一化しようとする文化、この辺りは最大の攻撃対象だ。
失敗がないと進歩はない。
画一化からは衰退しか生まれない。

そのせいか、失敗を恐れる人々、画一化に血道を上げる人々、
こういった人との出合いが多くなった。
小生はやはり戦う人かもしれない。
責められれば責められるほど、攻められれば攻められるほど、
勇気凛々、湧き上がってくる。

ここで一つ、すべてを神様にお委ねすることだけは忘れないようにしている。
神様の意図の下で生きていくことに決めているからだ。
はてさて、この先、どうなることか。
人生、いくつになっても戦いは大事だと感じる。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/26 23:02
小生は今年、ステップアップを狙っている。
これまでしたくてもどうしてもできなかったことを、
いよいよやることにした。

結果はわからない。
捨てるものも出てきそうだ。

捨てるもの……、
その一つが、しり込みする心だ。
不安を感じる暇がないくらい、夢中になってやろうと考えている。
c
childrenさん (85dmj2x1)2021/12/22 21:27
作家の林真理子さん。
女性の社会進出には賛成だが、子育てをしていると幼稚園の都合や、
学校の都合で、職場を遅刻早退しなければならないことも多い。
そんなとき、フォローしてくれた同僚に
「おかげで助かったわ」など、一言
伝えることで働きやすくなる。
ということを書いたのだそうだ。

すると、反論の嵐。いわゆる炎上状態になったのだとか。
「当たり前のことだし、権利なんだから、お礼を言うのはおかしい」
という理由なのだった。

たしかに必要以上に気遣いしたり、小さくなったりする必要はないと思う。
周囲が積極的にフォローしてあげるべきだとも思う。
でなければ子どもは育てられない。
だけど……

それが当たり前で、フォローもらう権利があるというのはどうしても同意できない。
時代の変化もあるのだろうが、信仰者として考える。

権利だとか、してもらって当たり前という思想は、
すべてを人間のものだという思想から来ているのではないだろうか。
すべてを神様のものだという思想に立てば、感謝は生まれる。
たとえ普段憎らしいと思っている相手であっても、その相手の向こうにいる神様に対して
「ありがとう」の言葉は無理なく出てくる。

すべてを主神様にお返しするのは、円滑な社会生活をもたらすことでもあるのでは
ないかと思う。
返信7
c
childrenさん (7jidtymp)2020/6/1 22:53 (No.86805)
御教え、その他の言動を通じて、教祖の考え方としていえるのは、
戒律がないことだ。
何をしてはいけないということはないと言って過言ではない。
望ましくない、してほしくないということはあるが、あくまでも個人的な感想と
捉えていいだろう。

唯一、教祖が否定していると捉えられるのは、無神思想のみではないだろうか。
個人的好みとして書かれたものとは思えないので、御教えと捉えていいだろう。
教祖の使命は、世の救いである。
つまり、神を信じない人は救いようがないということ。
逆にいえば、神を信じる人であれば、救いの道は開かれているということになるのでは
ないだろうか。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/10 20:41削除
おそらくギリシャ、もしかするとローマかもしれない。
いずれにしても、海外旅行に出かけた若い男性の体験だ。

彼は、博物館のような場所を訪れ、神の立像の前に立った。
神のポーズが特徴的だったので、彼はそのポーズを真似、写真を撮ろうとした。
その瞬間、強い口調で制されたそうだ。
 「お前は、神か!」
神の真似をしようとしたのが、不敬だと捉えられたのだろう。
 人間の分際で、神の真似をしようなど、この不届き者め!
というわけだろう。

このエピソードの是非は、よくわからないので、これ以上は論じないことにする。

なぜ、このエピソードを記したかというと、
最近、神と勘違いしているかのようなニュースをしばしば耳にするからだ。
  行政文書を疑うのか!
行政文書といえど、人間が書いたものに間違いがないと断定してしまうのは怖いよぉ。
裁判官の手になる判決文にだって、いくらでも誤りはあるのは周知のとおり。
逆に、そこまで人間に期待されても、荷が重すぎるよぉ。

結論を言うと、
神のいない世界は、人間に過度な重圧を与え、
事実でないものを事実にしてしまう世界かもしれない。
地位とか立場とか、公文書だとかで、事実を作り上げてしまう。
こんな世界になったら、安心して生きられないよぉ。

ちなみに、行政文書とはそこまで厳密なものでもなく、間違いはそこらのあるものだと聞いた。
というわけで、ちょっとお笑いに走ってみた。
 行政文書にあることをねつ造だと言うのか!
 たくさんの有権者に選ばれた国会議員、大臣の言葉を信じないのは、国民を信じないのと同じだ!
あなたなら、どうする?

神のいない世界は、こんなものなんだろうな。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/9/15 14:49
戒律やルールは少ないほうが生きやすい。
かといって、ルールを無視し、強いもの勝ちの世の中になっても困る。
みんなが社会の一員として、よりよい社会づくりの範囲内で行動すれば
ルールは必要なくなると思う。

中国では、さまざまなルール無視の行動がしばしば批判されている。
各国には各国なりのルールがあるのだからという声もあるが、少なくとも
国際社会の一員として生きていこうするなら、国際ルールの範囲内で
行動してもらう必要があると思う。
法治国家として、法律を守る国家である必要があるということだ。

そうはいっても、あれだけの広大な国土を抱え、多数の民族を抱えている。
強権的に政治を行わないと治まらないと声は、昔からあった。
それも一理あるとは思うが、そもそも治まらないほどの広大な国土、多数過ぎる
民族を1つの国家にする必要があるのだろうか。
買い物をしすぎたから借金が増えた。借金取りがうるさいからと、借金取りを
殴り、帰しているようなものだ。

支払いができる範囲内、正当な手段で治められる範囲内の民族による国家にする
必要があると思う。
無理なことをしなければならないということは、神の意図と沿わないからではないかと
考える。
返信2
c
childrenさん (7oicog00)2020/10/5 21:40 (No.127282)
学術会議騒動。
信仰者の視線で見れば、因果応報。
今まで自分たちで勝手に人選してきたわけで、いわば既得権益。
それが赦されなくなったというだろう。

同じことはわが教団にもいえる。
今まで自分たちで勝手に人選してきた幹部職員が、教主の認可が得られなかった。
その結果、教主の横暴だと因縁をつけ、教主を追い出した。
内閣が認めなかったのは、内閣の正当な権限に基づく行為だ。
同じように教主様も、教団規約に基づいてみとめ、幹部職員を認めなかった。

教団内で起こることは、社会でも起こる。
今まで許されてきたことが、今日も許されるとは限らない。
返信
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/8 13:35削除
専門家がぶざまな理由には、リーダー教育のなさもあるかもしれない。
旧制一高などではリーダー教育が行われていたようであるが、
現在の日本では見当たらない。

一部では、日本の弱体化を図るために、GHQが日本からリーダー教育を排除したという声もある。
その結果、東大をはじめとした日本の学校では、上手に従える人が優秀な人ということになる。
人を率いる人は、落ちこぼれていくことになる。

だからリーダーとなる人間が、一般人と同じような感覚でいる。
一般人と同じように、責任回避をプライオリティのトップに置きながら、
偉そうなことを言う。

誰よりも最初に責任をとるのがリーダー。
誰よりも損をするのが、リーダー。
だからこそ一般人はついていく。

日本にも、リーダー教育が必要な時期に来ていると思う。
もちろん、宗教界にも、だ。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/7 21:33削除
専門家は、その世界しか見えない。
これは、信仰の世界でもいえると思う。
小生などは、本教以外の世界を知らないし、宗教のない世界も知らない。
だから、一般人のものの見方には逆に関心を深くしてしまう。
そのうえで、やっぱり信仰のない世界には住めないという気持ちが強くなる。

信仰のない世界では、たとえば死に至る病になれば、死ぬのが当然。
誰かに騙されてお金がなくなれば、騙した人を責めて返してもらうしかない。
高齢になれば仕事がなくなり、することもなくなる。
不幸になったというこれらの経緯を受け入れるしかない。

対して、信仰のある世界は、死に至る病になっても、もしかしたらよくなるかもしれないと思うし、
死んでも、そこから別の世界があるかもしれないと思う。
神様にお委ねしたらどうなるんだろうという気持ちになったりもする。
騙されても、一応は本人を責めても、返してもらえなくても、別の形で返ってくるかもしれないと
いう希望を持ったりする。

単なる気休めなら、そうそう長続きしない。
「かもしれない」が幾度も事実として起こってくるから、「かもしれない」を超えて、希望に
なったりする。
これは自分で経験するしかない。
話しを聞いても、いざ目の前に「不幸」が起こると、パニックになってしまう。
そこを幾度も経験していくしかないと思う。

つまり、信仰のない世界の専門家は、信仰のある世界を経験してみるのもまた
価値のある行動ではないかと思う。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/6 21:51削除
いま話題の「公金チューチューシステム」なる語。
発案者は、暇空茜という方だ。
彼は、当たり前になっている社会の非正義を白日の下にして、大人気。
それも、自ら攻撃したのではなく、攻撃されたことで、自己防衛として取り組んだ
結果が、攻撃者の非をさらす結果となった。

人を貶めようとして無い罪を作り上げる人が多いなか、
自己防衛としての反撃が、社会の非正義を暴く結果となった点が、好印象である。

彼を賞して、
 一般人なのに、すごい!
その気持ちもわかるが、小生なら、
 一般人だから、すごい!
と言いたいところだ。

現在社会には、政治家、学者、評論家、ジャーナリスト……様々な専門家がもっともらしい
ことを並べ立てている。
正直なところ、シラケるばかりだ。
彼らも、いつの間にか既得権益にたぶらかされて、自分の世界しか見えなくなっているのかもしれない。
これに対して、一般人は、日々瀬戸際のなかで精いっぱい生きている。
見えている世界が、広いのだ。
だから、専門家の見えない世界が見える。

発明家団体の人から聞いた話だが、
 発明は、圧倒的に女性が多い。
青色発光ダイオードなどの超特種な知識を要する発明は別だが、日常生活の細々とした発明は
圧倒的に女性の手によるものだという。

最近は少し違っているが、男性は家では何もしないことが多い。
対して女性は、こまごまとした日常を担い生きている。
だから、こまごまとしたことに目に行き、発見がある。だから発明ができる。

何でもない日常をしっかり生きることが、次の時代を築くことかもしれないな。
ま、大発明、やってみたいけどな(ムリムリ
c
childrenさん (7ov640wk)2020/10/14 20:57
ブーメラン。学術会議の学者方、口を開けば開くほどボロが出まくりだ。
世界的な権威と言われる学者でも、下手に民主主義などど言い出すから、
民主主義を知らないことが公になった。
擁護する支援者も、自治体首長が、いかに下品かをさらしたり……。

それ以前にも、小生の身近なところでも、学者がスポンサーにこびへつらう見解を発表する例は
頻繁に起こっている。
ま、スポンサーにこびへつらうのは、学者だけでもないけどな。

わが教団でも、教主様が関係するキリスト教を、否定するかのような見解を発表した宗教学者がいた。
教祖の教えも知らずに、ただ一方の勢力が喜びそうなことを書いて発表する。
こんなことをするから、学者への信頼は下がり続けるのではないだろうか。
元々、学者は金に困っていることが多いせいでもあるだろうが、悪循環だ。

学者の見解は、その学者がどのようなバックボーンを持っているかを見極めることが大切になりそうだ。
c
childrenさん (7onzlwnx)2020/10/9 20:20
わが教では、すべてのものは主神様のものだと捉えている。
命も、息も、家族も、仕事も、さまざまな思いも。
だから主神様の意図にかなうように使えば災いは起こらないのだと。

学術会議も、主神様のものだ。
自分たちの意向に合う人、自分たちに利益をもたらす人を優先していたとしたら、
当然、問題は起こる。

真偽は定かではないが、一定の思想を排除する団体だったというニュースがある。
その思想は、本当に主神様の意図に沿わない思想だとしたら話は別だが……。
もちろん学術会議のメンバーは、無神思想者も数多く占められているものと思う。
せめて、人類全体の利益を根底に運営していたら、こんな騒動にはならなかったように思う。

他人事ではなく、元わが教団の分裂騒動も、本当に主神様の意図を念頭に置いて進めていたら、
あんな騒動は起こっていなかったように思う。
信仰だって、私物化するのは危険ということなんだろう。
c
childrenさん (7ol7ctrk)2020/10/8 20:52
金融と言えば、ユダヤ。
そのユダヤ金融人の間で、こんなことがよく言われているそうだ。

「最も、投資効率のよいものは?」

 答えは、美術品だそうだ。

小生自身も、ユダヤ関係者から、「根付を買っておけ」と言われたことが事がある。
小さいので、保存コストがかからない。 数に限りがあるので、値下がりの心配がないとかいう
理由だったように記憶している。

ユダヤは、常に、美術品を求めているということだろう。

美術品といえば、わが教も、最大の救いの一つに考えられている。
アカデミックも、美的要素を持って取り組んでいけば、また違う方向が期待できるんじゃないかのなぁ。
返信6
c
childrenさん (7mhivqgy)2020/8/15 22:26 (No.112287)
渡哲也さんが帰幽された。
画面からしか存じ上げない方だが、いろいろなことを教えられたなと思う。

記事が事実であれば、の話だが、
人工肛門の件は、渡さんの意思ではなかったとか。
渡さんは、一部切除のつもりで手術室に入ったのに、
出てきたときには、人工肛門になっていた。

これは、ひどい話だと思う。
医学的な見解では正しい判断だったろうと思うし、おそらく家族の了解は得ていたと思う。
しかし、本人の意思はちがうところにあった。

渡さんは人格者なので、人工肛門の事実を受け入れたのだろうが、
小生なら、傷害罪で訴えるよ、医者と家族を。

善意から出発したことだろうが、結果において、横暴きわまりない思い上がりだ。
本人の意思によらずに、勝手に専門家が他人の人生をきめるなよなっ! と言いたい。
返信
匿名さん (8ncp4ynd)2023/3/2 17:52削除
幸福の科学、大川隆法総裁が亡くなられたようだ。
他教の信者が何か言っても虚しいだろうから、あえて冥福を祈るとだけにしておきたい。

常々、もし明主様信者でなかったら、幸福の科学を選ぶと言ってきた。
実際にいろいろなことを耳にすると、外から見るのとは少し違っていたようではある。
私生活でも問題を抱えていたとも聞いている。
初期の抱負は、いろいろな状況に見舞われるうち、変貌してしまうのはよくあることだ。

見えないものを信じる一人として、メシアの救いをお受けされることを祈る。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/15 09:22削除
主神様、怖いという気持ちは変わらない。
かといって、主神様の素晴らしさを実感する気持ちもまた増していく。
これも、また本心だ。

思うに、主神様からすべてが始まり、すべてが主神様の意図のもとで動いている。
この根本的なことが揺らいでしまったとき、主神様が怖い存在になり、
根本さえぴったり決まっていれば、素晴らしい存在になるということかもしれない。
これは簡単かつ日常生活に当てはめるとそう簡単でもない。

先日、ある信者さんがもらしていた。
この信者さんは、
 祖霊は、何も答えてくれない。
 反応がないから、日々のお供えが面倒になる。
 神様のほうがまた答えてくれる気がする。

たしかに反応がないことに対して、行動するのは虚しくなりがちだ。
しかし、自分で見過ごしているだけで、本当はやはり反応してくださっているのだと思う。
なぜなら、祖霊様も主神様の意図のもとで動いているからであって、
我々と常に行動を共にしている存在だからだ。
そう教えられ、われわれ信者はそれを信じている。

目に見えるもの、体感するものだけに、ついついとらわれがちだが、
そうではないということを信じることも、信仰なのだと考えている。
我々信者は、主神様を信じる道を選んだのだから。
とにかく信じるさ。 信じてみるさ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/14 21:37削除
故中村総長のことについて、ようやく腑に落ちた気がする。
幾度も記してきたが、小生は、護持委員会、主の光教団の出身だ。
したがって中村総長には、並々ならぬ思い入れがある。
正しいことを正しいとして一歩も退かない勇気を学ばせていただいた。
それなのに……。
現在、教団は、中村総長への慰霊祭を行ったという報道は聞かない。

小生は、未活動に近い末端信者なので、詳しい経緯を知っているわけではない。
そのうえでの話だが、中村総長がたどった晩年は、信仰者として疑問が残るところだし、やりきれない。

ここにきて、数年前の出版物より、教主様のお言葉を拝読した。
要約すると、
 最後の審判とは、神様の裁判所に出頭すること
とあった。
我々はすでに天国ができていると信じ、天国にいるつもりでいる。
たしかに天国はできているが、そのままで天国に行けるわけではない。
神様の裁判所に出頭し、神様から「赦す」という判断を下されることによって、天国に行けるのだ。
とにかく神様の裁判所に行かなければ、赦しもなければ、天国に行くこともない。

詳細は知らないことを重ねて記したうえで、
中村総長は、3代教主様から
「私のもとに来なさい」
と言われ、応じなかったという話しを聞いたことがある。
間違いがかもしれないが、小生の記憶ではそうなっている。

これがすべての原因だったのではないか。
そう思うと、ようやく中村総長の経緯が腑に落ちた。
もちろん、一般社会人として中村総長を尊敬する気持ちは少しも変わらないし、
一般人間として、あの状況で、3代教主様の言葉に従えなかった気持ちも十分すぎるほど理解できる。
しかし信仰者として、唯一のミスがあったとしたら、3代教主様のもとに駆け付けなかったことではないだろうか。
教主様は、教えの主であり、主神様に対して教えについての総責任者でもあったわけだ。
その地位を信じることは、主神様を信じることとイコールなんだといまさらながら確認した。

しかし、怖いな。
現在、中村総長に端を発する主の光教団が教主様をいただき、明主様の教えを遂行しているのだから、
まさしく教団護持を完遂したわけなので、総長としての任務も完遂したことになる。
一般社会人としても、まっとうな道を歩んだにもかかわらず、1点のミスで、やりきれない最期となってしまった。
神様というのは、本当に怖い。
戦慄が走る。畏怖する。

たしかに、最も大事な1点だったことにはまちがいないのだが……。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/8/21 20:41削除
安倍政治を継承すると言っていた人のなかには、そろそろ怪しい動きを示す人も
増えてきた。
また安倍さん亡き後という言葉も、しばしば耳にする。

本当に安倍さんはいなくなったのだろうか?
たしかに姿かたちは消えてしまった。
しかし、何の働きもしないのだろうか?
小生は、そうは考えない。
志半ばでこの世を去った以上、姿かたちは無くなって、志はこの世に残ると思う。

わが教祖も、ご昇天後は、「明主様亡き後」ということで
明主様とはかけ離れた行動に出る先達がいた。

姿かたちが見えなくなった時期というのは、いわば泳がされている状況かもしれないと
思ったりする。
姿かたちが見えていたころは忠実一辺倒だった人の本心を見抜くための時期。
明主様だって、安倍さんだって、必要の範囲内では今でもこの世に生きていると思うぞ。
ま、無神論者から見れば、とんだお笑い話にしか聞こえないだろうけどな。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/9 06:37削除
安倍元総理の帰幽は、ショッキングなニュースだった。
総理としてやり残したことがあり、そのことに取り組もうとしていた矢先だった。
拉致被害者の帰国、領土の復帰、世界基準の回復……。
神様は、それをお赦しにはならなかったのだろうか?
安倍氏を見ていると、そう自分の利益とか名誉とかに動かされているふうには映らなかった。
それなのに、神様は赦されなかったのだろうか?

いや、そうではなく、そのことを実現しやすいような環境を整えてくださった。
信仰者として、小生は、そう考えることにした。
なぜなら、安倍氏はもはや体力的に限界だった。
薬の力に頼っての健康では、限界がある。痛ましい。
いったん体を捨て、動きやすい環境を整えてから、取り組ませてあげよう。
そう命じたのではないだろうか?

だとしたら、これからも安倍氏は活動する。
この世にいなくても活動はできる。
信仰者なら、そのことを知っている。

そして、もはや人間に期待する時代は終わったようにも思う。
安倍氏のように卓越した人物が現れると、そこに期待が集まる。
その人物がいなくなると、活動がストップしてしまう。
そんな時代は終わり、すべての人間が活動できる時代になった。
能力がなくても、思いがあれば、活動できる時代。
想念の時代になったということなのではないだろうか。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/2/26 23:31
中村総長、石原慎太郎氏、すでに故人となられたお二人。
小生にとっては、ひとかたならぬ影響を受けた、お二人でもある。
ある政治ジャーナリストは、言った。
「石原さんに総理をやらせてみたかった」
東京をあれだけ引っ張った人だ、日本の国をどんなふうに引っ張ったかを
想像するだけでワクワクする。

同じように中村総長に、教団を、教団全体を引っ張ってほしかった。
現在の宗教批判のほとんどは、教えについてではなく、教団不祥事についてだ。
教えは難解すぎて、外部からはわからないという理由もあるだろうけど、宗教教団の
不祥事は忘れたころに取りざたされる。
中村総長のように、妥協することのない人だったら、不祥事はかなりの部分まで軽減されたのでは
ないかと思う。

それなのに、石原氏も、中村総長も、志半ばだったように映る。

このお二人に共通する、欠けているものがあるように思う。
それは、言わない。
もちろん、主神様やメシアの部分もあるだろうが、ここでは置いておく。
それ以外、一般人の目から見て、誰でもわかる点だ。

言わない理由は、このお二人を批判しているようにとられるのが心外だからだ。
小生にとっては、それでも尊敬して、心服してやまない方たちであることに変わりないのだから。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/2/14 22:57
石原氏は、石原氏の日ごろの言動からは相いれないと思われる人も応援し、
支援してきたようだ。
その人物が、のちに石原を陥れるような言動をすることだってあったのに、だ。
つまり、自分の利益をあまり計算に入れないで、人を受け入れていたのだろうなと思う。

よく石原氏は、右翼で、強権的な人のように語られることがある。
しかし、小生にはどうしても、そうは思えない。
石原氏は、小生と同じ、自由主義者に分類される存在だったとしか思えない。
実際、石原氏の周辺の人に尋ねてみると、
「ああしろ、こうしろなんて言われたことはない」
という声が多い。
人の今を見ないで、人の未来を見ていたのかもしれない。

現総理のことも、石原氏は期待していた節がある。
今はこんな人であっても、未来はわからないということだろう。
だからいたずらに、人を批判はせず、好きにやらせていたのだろうと思う。
もちろん予想に反してしまうことも、なかにはあるというわけだ。

現在、保守派と言われる人たちはやたらに岸田総理を批判する。
批判のすべてがまったく的外れだとは思えないし、共感するところも大いにある。
だからといって、いいかわるいかの二者択一の議論で人をあげつらうところが、
小生には今ひとつ、保守と言われる人たちへの共感が躊躇されてしまう点だ。
無色透明、岸田さんのような存在の人だって、最終的にあるべきところに着地させて
くれればいいではないか、と小生は考えている。

人間は欠点が服を着て歩いているといってもいいように思う。
いたずらに、欠点をあげつらうことは、人類の滅亡をもたらす行為のようで怖い。
石原氏のように、今見えていることだけで、人を判断しないような価値観が
もっと広まってほしいと願う。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/2/13 23:52
ITが人間の職場を奪う。
一時、さかんに懸念されたニュースだ。
そのころの意見の一つに、
 ITは、人間には絶対、勝てない。
 なぜなら、ITは失敗をしないからだ。

人間の歴史は、文化は、意図したとおり、計画に運んだことより、
思わぬところから発達したものがほとんどだからだ。
思わぬところとは、失敗のことである。
人間は失敗するから、ここまで進歩、発達してきた。
思い当たるところ大なりだ。

近年、株主資本主義など、少しの失敗も許さない傾向が強まっているように思える。
失敗することはわるいことで、失敗した人は悪人扱いされることまである。
日本の衰退は、この失敗を許さないところに一因するように考えている。

石原氏、失敗を織り込んできた人だと思う。
新銀行東京だって、方向性はまちがっていなかった。
中小零細企業の経営者には、救いの存在だったのではないだろうか。
貸し渋り、貸しはがしに苦しんでいた時代に、突如、現れた救いの金融機関だったと思う。

問題は、そこにつけ込んできた人たちだ。
この卑しい輩を見極めようとしなかったことが汚点ともいえなくはないのであって、
新銀行東京自体は汚点でもなんでもないと捉えている。
失敗を悪とする社会では、石原氏もさぞ働きにくかったことであろう。
それでも小生にとっては、輝かしい施策だったのは今でも少しも変わってはいない。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/2/12 22:47
立春祭を前にして、石原慎太郎氏が帰幽された。
もっと早く書きたかったが、思いが深すぎた。
どう書けばいいのか、言葉が見つからないまま今日に至った。
小生にとっては、憧れであり、希望であった。
石原都政時代は、都民であることが誇らしかったものだ。

ジャーナリストの須田慎一郎氏は、石原を回想して語った。
 当時、須田氏は新銀行東京の取材をしていた。
 石原都政にとっては、唯一ともいえる汚点的銀行だ。
 ちなみに小生は、汚点だとはとらえていないのだが、その点は後ほど記す。
 石原氏にとっては質問されたくない事項だと考えた須田氏は、記者会見では
 他の質問が一通り終わってから、質問するようにしてそうだ。
 なぜなら、石原氏の機嫌がわるくなると、他の記者さんたちに迷惑をかけるからだそうだ。

 一通りの質問が出尽くした後、須田氏が手を挙げると、石原氏はすかさず須田氏を
 指名したのだそうだ。
 そのことから、須田氏は、
 石原氏は逃げない人だと感心したという。

逃げない人。
小生の出身である主の光教団の中村総長も逃げない人だったと思う。
都合のわるいことに、自ら飛び込んでいくところが好きだったし、敬服していた。

中村氏がメシアのご神業に参画せずにいることが残念でたまらない。
石原氏も明主様にご縁のない人ではなかったそうだが、メシアのご神業には参画していない。
なぜかはわからない。
もしかすると、参画しているのかもしれない。
なにもわからないが、小生としては、
メシアのご神業に参画されることを祈らずにはいらない。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/10/18 19:47
昭和20年代の映画についてだが、
 映画会社の人によれば、20歳前後をターゲットに想定して映画作りをしている。
 だから、日本の映画だけ、おもしろくないという意味のことが書いてある。

数年前のことだが、日本のメディアは全体的に、読者の知的レベルは小5だと思えと
いう考えのもとで流されていると聞いた。
これは、小生が聞いた話だ。

あらゆるニュースは、子供向けだと考えたほうがいい。
おとなはおとなとして、メディアを超えた情報をゲットしていくしかないと思う。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/10/17 22:25
渡さんといえば、病気との戦いの日々だったと思う。
人格的な清廉さが伝わってきて、晩年は迫力を感じることも多かった。
渡さんの師ともいえる裕次郎さん、そして高倉健さん、さらに市川雷蔵さんなど、
存在感のある役者さんが多数いた。
映画からテレビに移ったことで、小粒になったというのもあるんだろうが、
それだけでもないのではないだろうか。

聖言によれば、歌舞伎役者さんについてのものだが、
 売れてくると大事にされるから体が弱る。
 そのせいで、芝居にも影響が出る。
とある。

日本の役者さんも、体を大事にしなければ、もっと魅力的になるのかもしれない。
視聴者としては、芝居がおもしろくなるのは非常にありがたい。
もちろん芝居だけでなく、小説や音楽家にもいえることだろう。
返信11
c
childrenさん (7kntu6cc)2020/6/30 23:00 (No.97799)
メシアの赦しを受けて、メシアになる。
ここまでは問題なんだが、そのメシアの赦しとは具体的にどうするのか。
そこはイマイチ、しっくり来ていない。

単に、言葉で奏上すればいいのか。
すべてをゆだねて、裁きを受けるのか。
どうなんだろう。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/3/1 14:00削除
ノブレスオブリュージュ。

身分の高いものには、身分に応じた責任と義務をはたさないといけないという意味。

天国人には天国人の、メシアにはメシアとして果たさないといけない責任と義務がある。

肝に銘じておこう。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/12/26 22:13削除
神元年。
神になることにしたが、さてはて、どうしたらいいのか???

今朝、拝読した『グローリー』。
メシアが降誕したということは、自分のなかに降誕したことであり、
社会から見れば、メシアである自分が降誕したことでもある。

小生の解釈だが、神になることは救う側になること。
自分が、どうすれば社会を救うことになるのか。
社会の欠点をあげつらっても、うざがられるだけ。
改善しようと思うどころが、意地を張らせかねない。
はてさて???

そんなことを考えていたら、ふと思いついた。
常に進化している。
メシアが降誕したということは、進化の邪魔をするものに負けないということである。
とにかく、常に進化している、よくなっている。
たとえ、人間常識的にはわるくなっているように思えることでも、
よくなっている。
そう信じること。

神元年の第一歩として、進化していると信じることから始めてみることにした。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/12/24 13:05削除
神元年。
ご生誕日、12月23日は、我ら明主様信者にとって元旦ともいえる日だ。
そこで、小生は、今年を「神元年」にすることにした。
あなたがわたしになる。

その昔、まだ輪廻転生を何の疑いもなく思い込んでいたころだった。
小生は、生まれ変わるなら、やっぱり人間だが、めんどいなという気持ちがぬぐえなかった。
そんななかで、何となく、生まれ変わるなら神様がいいなと思うようになっていた。
神様に生まれ変われると考えていたわけではなく、ただ何となく、いわば逃げ場として
神様になりたい、八百万いるんだから、あわよくば末端の神様くらいにはなれる、かもしれない。
そんな程度の思いにしか過ぎなかったのだが。

世界メシア教の昨年の教えのなかで、幾度か「神様が、あなたになる」というものが出てきた。
昔からの思いとは別に、
 いくらなんでも、神様になるのは無礼千万ではないか。
という気持ちがあった。
しかし、いつしか、神様の一部であってもおかしくはない。
そんな思いも交錯していた1年だった。

年が改まった機会に、エイッヤーの思いで、神様になることを受け入れることにした。
受け入れてみることにした。
はてさて、どんな一年になることやら。
万万が一、無礼であって、主神様のお怒りを買うようなことになっても、
なるべくお手柔らかにお願いします。
小生、すぐ、人間に戻ります。

でも、人間って、やっぱりめんどいんだよなー。
受験とか恋愛とか、出世競争とか、もうウンザリなんだぁ。
c
childrenさん (8482szl4)2021/11/21 18:08
あいまいなまま、まず言われたとおりにしようとする。
というわけで、一年半近くすぎて、上記の書き込みは正確ではないようだ。
メシアの赦しを受けて、天国に行く。
天国生活のなかで、メシアへの道が用意されている。
このほうが正確であるように思えてきた。

というわけで、これもまたとりあえずの段階の話だ。
聞きかじっただけで、調べていないこと承知されたい。
現段階での知識だ。

旧約聖書によれば、創世記のころ、アダム&イブのあとくらいか、
すでに、「神の子」と「人の子」が分かれていたという。
もちろん姿かたち見た目は同じだが、神様への向かい方が分かれていた。
人の子が何かと混乱の元凶になっていたのではないだろうか。

そこで神様は、おっしゃった。
「人の子はすべて滅ぼしてしまう」
その結果、起こったのが、ノアの方舟であり、大洪水だったということだ。
これが水の洗礼であったとしたら、今は火の洗礼を迎えようとしているということになる。

われら世界メシア教では、「神の子」になることを目指している。
旧約聖書の「神の子」と通じるものであるかどうか分からないが、とりあえず
文言だけは同じだ。
自戒しておこうと思った。

ただ、こんなことを言うと、脅迫信仰だとか言われてしまう。
これがなんとも厄介なのだ。
ま、今はやりの言論統制の一環ともなっているように思う。
返信4
c
childrenさん (7jc7pa4e)2020/5/28 15:15 (No.85375)
メシアの役割は、救世だ。
ユダヤ教の戒律から解放したイエスをメシアとする信仰がキリスト教だ。

世界メシア教が言う「メシア」も救世の使命を担っている。
キリスト教との違いといえるのは、メシアはメシアを作る使命も担っている点だ。
誰でも、メシアの赦しを受け入れれば、メシアになれるとする。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/2/14 21:04削除
メシアの時代の御用って何だろう。
ある信者さんは、
 今はお導きがないから、何をしたらいいかわからない。
と言っていた。

なんでもかんでもお導きの時代の信者さんにとって、今は物足りない気がするのだろう。
だからといって、お導き時代に戻りたいとは思わないようだ。
お導きとは、入信者を作ることだ。
信者でない人を、信仰の道に誘うには、いかに優れた信仰であるかをアピールすることになる。

わが信仰には、ご浄霊があって、ご浄霊で病が癒されて入信にいたる経緯が大半だったので、
他教に比べると、口にアピールする部分は少なくてすんだ。
そのせいもあって、浄霊がなくなった現在、どうしていいかわからないということになるのだろう。

小生とて、どうしたらいいかはわからない。
浄霊なき時代の信仰アピールをどうすればいいかわからない。
ただ、アピールするには、どうしてもいい部分のみを取り上げ、マイナス面は隠し去ってしまう傾向は
否めない。
これは、メシア時代のアピールにはふさわしくない気がしてならない。

マイナス面だって、主神様のみ心のうちで行われたことだ。
マイナス面を隠すことではなく、マイナス面も含めてアピールする。
マイナス面だって、マイナス面じゃないよ。
それをアピールすることが、浄霊なき時代のお導き活動のヒントになるのかもしれないと思ったりする。

先達を聖人君子であるかのような虚像にしてしまうのではなく、ありのままの姿をアピールする。
マイナス面を攻撃するのでも、否定するのでもなく、ありのままの事実を伝えていく。
そんなところなんだが、具体的にどうすればいいかは、まだ見えてこない。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/2/13 20:32削除
わが教祖、明主様も、いろんな「不幸」の原因を暗示する記述はある。
その一生に限ったことではなく、誰も知らない前世を挙げてまで開示している。
小生が知る限り、昭和25年の法難については読んだことはないが、その他のことは
ある程度まで開示というか、垂示している。
だからこそ納得できる、信じられる。
辻褄が合うからだ。

一切の非がなく、罪過だけ被ったなどということが、もしあれば、
主神様への疑問はどこまでも続く。

信じている存在を傷つけるような発言は、たしかに避けたい。
聞きたくないという気持ちにもなる。
ただし、心に封じ込めた疑問はいつまでも残るし、ある時点で吹き出すこともある。

思うんだが、言いたくないこと、疚しいと思っていること、これらのすべても
主神様のなさったことだとしたら、疚しい気持ちをもお委ねすればいいのではないだろうか。
自分のものと思い込んでいるから、隠したくなるし、疚しさも消えない。

天国人になるとは、疚しいことなんかない。
事実を公表し、誤った事実があるなら是正していくことではないかと思う。
事実は神様がおつくりになったものだから、事実をかえようとすることは神様への
反逆になるのではないだろうか。

くり返し言うが、自分一人だけの疚しさであれば、わざわざ公表する必要はないだろう。
他者に迷惑をかけていること、他者を犠牲にしたままにしていること。
この部分の事実は、なんとしても、ありのままの事実に是正しなければならないと思う。
主神様への信仰がかかっているのだから。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/2/12 20:53削除
キリスト者によれば、イエス様は罪無くして十字架に上られたという。
罪名はたしか内乱罪のようなものだったらしいので、たしかに無実だったのだろう。
そのうえで、なぜ、あのような悲惨な処刑をされたのか。
答えは、人類の罪を贖うためだ。
それは、それで異存はないのだが、どこかしっくりこないのもまた事実としてある。

主神様は、なぜ、あそこまで悲惨なことをなさったのだろう。
贖うには、そこまで悲惨な事態を背負わないといけないのだろうか。
そんな気持ちがどうしても湧いてくる。

小生には、その答えはすでに出ている。
幸い、わが教祖の聖言のなかに、答えにあたるものを見いだせるからだ。
もっとも、わが世界メシア教は、イエス様を贖い主と信じ、メシアであると信じている。
小生とても、そのことに一切の異存はない。

そのうえで、なぜ、イエスさまが贖い主の役目を担わされたのか。
その部分に答えが出ているのはありがたい。
答えが出ているから、わりにスンナリ贖い主であり、メシアだと信じることができる。

それなりの理由があって、贖い主の役目を担わされ、メシアへの道を歩まれた。
なぜ? の部分はここではあえて記さない。
誤解されるのは不本意だからだ。

主神様のなさることにはすべて、理由があって、結果がある。
この思いは、信仰心を強固にしてくれる気がする。
隠さなくてもいい世の中になればいいと願う。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/2/11 20:57削除
いわゆる、ヤメ検。
検察官から転身した弁護士のことだ。

これこれ10年ほど前になるだろうか、お会いしたことがある。
刑事弁護士として、主にビジネス系の不祥事を担っていたようだ。
 すべてをさらけ出したうえで、そこに至った事情を説明していくのが、
 最新の刑事弁護の主流になっている。

以前は、クライアントに都合のわるいことを隠して、あるいは嘘をついて、
罰を免れる、あるいは軽減してもらうのが主流だったとも言っていた。
 あとでバレたほうが怖い。一つバレたことで、他のすべても信用されなくなる。
これも天国化の現れではないかと考えている。

思うに、主神様は際限なく精密なAIみたいな存在だと想像する。
すべてをお見通しの主神様が世に出た以上、隠し事など不可能に近い。
そこに対応していかなければならなくなった現在、どうせならすべてを洗いざらい
表に出して、そのうえで、事情を説明していくほうが賢いということなる。

もちろん、露悪的な社会は望まない。
なんでもかんでも、公表すればいいとは思わない。
ただ、自己の利益のために、他人を犠牲にしてしまうことはわりにあるように思う。
他人を犠牲にしてしまった部分だけは、なんとしても表面化して、冤罪を晴らしてあげる。
そのうえで、なぜ、他人に無実の罪を着せてしまったのか、そこを説明していく。

自己の思いを遂げるために、他人に無実の罪を着せてしまった。
これは、わが元教団時代にもあったように聞いている。
多くの人から信頼されている幹部のなかにも、あったように聞いている。
さも立派な人のように語られようとしている事実もある。
だからこそ、気になる。

天国化した現在、天国人としてどのように彼らへの思いを向けたらいいか。
隠したり、これ以上の嘘をつくことは不可能だと思う。
だったら、どうすればいいのか。
そんなことを考えてしまう。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/2/10 20:02削除
知人のお譲さんは、引きこもりだ。
40歳を超えているが、働くこともなく、結婚も拒否し続けている。
ある程度の資産家なので、生活に困ることがないのも遠因にはなっているのではないかと思う。

直接の原因は、20代のころ、強姦に襲われたことからだったらしい。
たしかに不幸な出来事だし、お気持ちは察するに余りある。

最近、ニュースで騒がれている国際政治学者としてテレビなどに出ていた美人女性。
彼女も若いころ、同様の体験をしているそうだ。
しかし、そんなことはおかまいなし。
堂々と公言している。

同じように不幸な目に遭いながら、好対照な事例だと思う。
一方は、今でも男性相手に媚びを売るかのように近づいている(噂だがな)。
一方は、自宅に引きこもり、母親以外の人とは一切口をきかない。
父親とも、兄とも目さえ合わせようとしないそうだ。

国際政治学者女子は現在、いろいろな噂が飛び交っているが、不幸な過去を乗り越えたところだけは、
頭が下がる。

不幸な過去は隠すより、同情するより、堂々と公言し、なぁんちゃないという気持ちになれるように
したほうが、より天国に近いと思った。

誰だって、疚しいこと、恥ずかしいことてんこもりの人生を送っているのだから。
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childrenさん (85dmj2x1)2023/2/9 20:20削除
友人でも知人でもなく、たまたま出くわしただけの新聞記者がいる。
ぶしつけだと思ったが、話題もなかったので、言ってしまった。
 壁耳なんて卑しい真似をするから、卑しい情報しか入ってこないんじゃないですかね。
この新聞記者は、意外にストレートに受け入れてくれた。
 たしかに卑しい行為だとは思うが、壁耳だから入手できる情報もある。

壁耳とは、取材を終えたあと、外の壁に耳を当てて、室内の会話を聴く行為だ。
聞き耳を立てるという行為に近いが、一応、内緒とされている話を盗み聞くわけだ。

弁護士でもいろいろで、なかには相手方でさえ信頼するケースもある。
 あの弁護士事務所が入ったのなら、無茶なことはしてこない。
こういう弁護士は、裁判所からの信頼も厚い。
もちろん相手方も警戒していないから、解決はスムーズだ。

思うに、天国人になるとは、こういう存在になることではないかと思う。
卑しい行為で情報を得る新聞記者ではなく、
相手方を含めた全体を見て、正義を実現する弁護士。
そんな人になら心を許すから、社会も混乱しにくい。
なにが正しいかを見極められるのが、天国人かもしれない。
そのためには、自己の利益に目を奪われてしまうことをしないように努めておこうと思う。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/2/3 22:02削除
メシアの役割は、救世であるとともに、最後の審判でもあるそうだ。
わが世界メシア教によれば、最後の審判はすでに終わっているので、
救世の役割のみ。

メシアが降誕したということは、世の終わりが始まったことであり、
天国に行くことを受け入れない人は、世とともに終焉を迎えるしかないと
いうことなんだろうなというのが、小生の受け止め方だ。
天国に行くには、メシアの赦しを受け入れる道を通る必要がある。

恐怖信仰と勘違いされるのが不本意なので、小生は自分から上記の話を
することはない。
ただ、話を振られたときは、上記のような受け止め方をしていることを話している。

昨年の夏くらいだっただろうか。
信仰心はあるのだが、参拝したり、御用をしたりするのが億劫だと言う信者さんがいる。
 最後の審判で、皆滅びるんだったら、自分も滅んでいい。
咄嗟に話を振られ、小生は、その場の思い付きで答えた。
 皆が滅びるわけじゃないみたいだよ。 メシアの赦しを受け入れた人だけ天国に行って、
 天国で生き延びる。
この答えに、その信者さんがさらに反論してくることはなかった。

このやりとりを思い出し、ずっと吹っ切れないものを抱えていた。
なんか違うんだよな、もっと言いたいことがあるんだけどな。
もっと言いたいことが何かはわからないまま日々が過ぎていった。

この数日思うのは、
 自分が滅びるのは好きにしたらいい。滅びたいなら、それも自由。
 しかし、自分が滅んで一番悲しむのは、主神様じゃないかな。
 わが子が滅んで最も悲しむのは、わが子じゃなくて、親だからな。

小生が言いたかったのは、このセリフだと感じた。
自分が助かりたい、幸せになりたいのはもちろんなんだけど、
それは諦めたら、それでいい。

でも、自分が滅ぶことによって嘆き苦しむ存在がある。
だとしたら、めんどくさくても、どんなことをしても回避しなければならないと
いう気持ちになる。ないエネルギーもどこからか湧いてくる。
人って、そういう生き物だと思う。

モヤモヤした気持ちがようやくすっきりした。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/12/16 18:37削除
国は、「防衛費」にかこつけて、増税を打ち出した。
都は、住宅新築の際に「太陽光パネル」を義務付けた。

これに対して、
 国は、国民のものは自分たちのものだと勘違いしていると批判する。
 都は、都民の自由を無視して、自分たちの思い通りになると思っていると批判する。
反対者の反撃は盛り上がっている。

その反対者たちだが、自分たちの命をはじめ空気をすべてのものを自分たちのものと
思い込んでいる。

本当は、国民のものも、都民の自由も、その他すべてが、神様のものなのに。

すべてのものが神様のものだというのが常識になったとき、どのくらい多くの悲劇が滅詳するんだろう。
すべての問題解決のカギは、本来の持ち主に返すでしかないと思う。
ドロボーがドロボーを批判しても、あんまり効果は期待できない気がする。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/9/11 20:49
世界基準でいえば、兵士は、盾と矛を持って戦う。
対して、日本の兵士、つまり武士は盾を持たないことが多い。
矛、つまり剣だけで戦うのが普通だ。
日本人は体力的に、重い盾を持って戦うことが難しいからだそうだ。

小生が考えるに、
盾とは、相手の攻撃の邪魔をして、身を守るツールだ。
では日本の兵士は、どうやって攻撃から身を守るのか。
よける、つまり相手の刃から、わが身をかわしながら、身を守るのだそうだ。

相手の刃をかわしながら、最終的に一撃、斬りつける。
これは義経に由来する日本の剣法だと言われている。(反対説もあるようだが)
義経は小柄だったので、弁慶の巨体から発せられる刃をひらりひらりをかわしていった。
小柄な日本兵士が盾を持ったところで、外国人の巨体で突き付けられたら、
体勢を保てないだろうから、賢明な拳法だと思う。

わが世界メシア教は、日本発祥の宗教である。
盾を持って他宗教の邪魔をするのではなく、他宗教の攻撃をかわしながら
最終的に目的を達するのかもしれない。
他教を否定するのではなく、攻撃をよけながら、メシアの救いを広げていくのだろう。
返信9
c
childrenさん (7nczpvow)2020/9/6 22:58 (No.119044)
会話から入ったほうが、英語はしゃべれるようになりやすい。
だからといって、正式な場面で通用する英語を身に付けるには、ある程度、
文法を知っておくにこしたことはない。

ある英語指導者から聞いた発言だ。
会話で覚えた英語しか知らないと、「軽薄、バカっぽく見える」ことがあるらしいのだ。

同じように、浄霊から入ったほうが信仰は身につきやすい。
だからといって、神とのつながりを確信できないかぎり、信仰向上は難しいと思う。

奇跡は目に見えてわかるだけど、神様とのつながりは心の持ち方が大きい。
地味な作業ではないかと、考えているところだ。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/2/2 20:26削除
古い出版物を拝読していたら、政治への参加について書いてあった。
 信者の国会議員が30人できたら、政党をつくる。
明主様は、信仰心を持った政治家は必要だと考えていたことは知っていたが、
宗教そのものが政治に進出することには賛成していないと思っていたので、
意外だった。

政党を作ったときには、
 一部のやましいところのない、公明な政治を行う。
とある。

この聖言が書かれたころは、まだ例の宗教政党はできていない。
偶然にしても、ぴったりだ。
先を越されたのか、パクったのか?
そんなことはどうでもいいんだが、宗教が政党を作ったときの前例として
いろいろ参考になると思う。

信者とはいっても、それらしく見せているだけの信者政治家では、取り込まれてしまうだけだろう。
あちゃこちゃややこしい連中がはびこっている世界だというし、危険極まりない。

そんなことも考え、せっかくの前例なんだから、大いに参考にさせていただくといいと思う。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/2/1 12:44削除
2つ前の投稿、ガダルカナルの生還兵士の方は、敗戦を知ったとき、
 勝と思っていたから……
と発言していた。
当時の日本人の多くは、同じ思いだったと思う。
小生の親、祖父、その周辺からも似たような発言を耳にしてきた。

勝つ、つまり天皇陛下を信じていたということだろう。
その天皇陛下は、敗戦後、たった一人で正装をし、マッカーサーのもとを訪ねたそうだ。
 自分はどうなってもいい、国民を食わしてやってほしい
自分は処刑されてもいいからと、全財産を渡し、国民の命乞いをしたということになっている。

有名な話だが、いくら天皇という立場にあったとしても、実際に身の危険が迫っているときに、
こんな決断ができるものだろうか。
小生は、この話を耳にするたび、今一つ吹っ切れないものを感じていた。
いくら、天皇陛下の人柄が高貴で、立派であったとしても、だ。

しかし、当時の国民の思いは、天皇陛下にあったことは間違いないと思う。
天皇陛下にも、その国民の思いは伝わっていたのではないだろうか。
なんとなく感じていらしたのではないだろうか。
だとしたら、自分への思いになんとかして応えたい、という思いになることは理解できる。

天皇陛下のお人柄に、国民の思いがマッチングして、初めて発生したのが、
 国民を食わしてやってほしい発言になったように思う。

歴史を振り返ると、国民を置き去りにして、自分だけ逃げる為政者の話はいたるところに出てくる。
これらの国では、為政者だけでなく、国民の思いも「自分だけは」というものがあったのかもしれない。
なにせ、為政者はクルクル変わる存在なのだから、しかたない。

信じるがいいか、疑うがいいか、
小生は、可能な限り「信じる」ほうを選んでいく方針だ。
主神様も、明主様も、教主様も、教団も、社会も、国家も、家族も、有人も、仕事も……。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/30 23:42削除
いつもギリギリだ。
立春祭を目前に、スケジュール、金銭ともにギリギリだ。
いつも、いつも、崖っぷちだ。

ただし、いつもみたいに、精神的には追い込まれていない。
どことなく、精神的には、余裕がある。

忙しすぎるから、追い込まれる余裕さえないということだろうか。
とにかく、
精いっぱいやったのだから、何も考えないでおこう。
いや、精いっぱいやらせていただけているのだから、だ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/29 17:08削除
最近は、ネットばっかりだ。
ユーチューブで、ガダルカナルを戦った生き残りの日本軍兵士の話が出ていた。
撮影時、103歳。
腰などに痛みはあるものの、農作業に励んでいるとのことだ。

ガダルカナルの悲惨さは、しばしば耳にするところだ。
彼の話にも、それを証明してあまるものがある。
裸足で岩山を駆け上っていたため、足の指が変形していた。
戦闘で死んだ兵は5000名。
病死の15000名は、ほとんどが餓死だそうだ。

空腹が極まると、人の体力は限界を迎え、精神力にも異常をきたす。
最後のほうは、敵の玉が飛んできても、反応する兵はいなくなっていたという。
草以外、何も食べていない日々を幾日も過ごしていたのだ。

彼は、ガダルカナルを思うと、何でも耐えられるという。
お腹が空けばご飯が食べられることは本当にありがたいことだと言い、
いただきますと言って手を合わさないなんてありえないとも言う。

彼は、また上司から、一度も敵弾に当たっていないことを不思議に思い、
何か弾除けになるような物を持っているのか、あるいは何か信仰しているのか、と。
彼は、真言宗で、神社の役員をやっていると答えたそうだ。
神仏のご加護のようなものはあると信じているとも言っていた。

そして、日本軍も飢えていたが、米軍も物資不足に陥っていた。
米軍に十分な物資があったら、自分たちも生き残ってはいなかっただろう、と。

日本軍の飢餓は有名な話だが、米軍の物資不足は初耳だ。
実際に現場にいた人の体験でしかわからないことは多い。
これだから、試合、いや現場で実際に体験することなしには成長は望めないことがわかる。
耳信仰を脱皮するぞ!
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childrenさん (85dmj2x1)2023/1/28 22:29削除
どんなに高いレベルのチームにいても、試合に出られなければ意味がない。
練習だけしても、試合に出られなければ、スキルの向上はしない。
これはスポーツの話だが、現実社会にもいえると思う。
もちろん宗教にも。

やたら勉強会好きな信者がいる。
しかし、実際の信仰体験がなければ、いざというときの支えになるのだろうか
と思う。
いくら聖言や教主様のお言葉、真明様のごあいさつを読んだところで、
実際の経験がなければ、信仰向上はありえるのだろうか。
そんなことを、ふと思いついた。

そういえば、こんな聖言があった。
 早期教育は、頭脳の成長を妨害する。
この聖言を盾にとって、小生は小学時代はあまり勉強はしなかった。
小学校高学年になってやっと勉強を始めたが、困ることはなかったと思う。
それどころか、これまで疑問に思ってきたことが次々解明し、
授業が面白かった記憶がある。

ただ、友人関係には、あまりおススメできない。
集団行動が苦手で、ついつい自分勝手になり、自己主張ばかりしてしまう。

要するに、勉強しないだけは意味はなく、勉強しないぶんは、友だちたちと
遊びまわったほうがいいということだったかもしれない。

そういえば、福沢諭吉氏も、10歳までは本も読ませたくないと、
仰っている。
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