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c
childrenさん (7lw2audm)2020/7/31 21:59 (No.107682)
東京都医師会の方が、感情を露わにして、
「私たちは一生懸命にやっている。国が何もしてくれないから……」と発言。
日本医師会は、異なる意見のようだ。

「安全はあっても、安心がない」と、自分の非からは逃げ、他の責任追及には血道を上げる知事。
東京都全体が、他に責任をなすりつける風土になってしまったのかなと思うと、ちと寂しい。

このニュースに触れて思い出したのは、棋士の発言だ。
この棋士は、明らかに嫌がらせだとわかる思われる行為に遭った。
これに対し、理由を問うことも、文句を言うこともしなかったそうだ。
「勝負師は、感情を覚られたら、負けなんですよ」
と言って、笑った。

この棋士の態度が、妙に清々しく、さわやかに思えてしまう。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/12/10 13:06削除
若い同僚女性がやたら突っかかってくる。
これまでも突っかかってくることも、やたらなごんでくることもあった。
小生はあまり寛大な性格ではない。
わけのわからないことで突っかかってこられて、怒りの感情がこみ上げる。
もちろん表面には出さないがな。

この女性は仕事はできるのだが、他者に突っかかることによって、
自分の思うところを実現しようとするクセがある。
これまでも、幾度も、この手法で成果をおさめている。
だから小生は、彼女に、なぜ突っかかるのかの理由は問わない。
問えば、彼女の思惑に加担せざるを得らなくなりがちだからだ。
どこまでも放置するのみだ。

小生は勝負師ではないが、一般社会で暮らしている一人として、やはり感情をあらわに
すると損をすることのほうが多い。
とはいえ、感情を隠せば隠すほど、感情は増大化することもまた事実だ。

そこで、小生得意のお委ね。
普通の、お委ねではない。
間違っていたら、小生が裁かれることを覚悟のうえのお委ねだ。
 どうしても受け入れられない。彼女のようなやり方がこの世でまかり通ったら、
 世の秩序は乱れてしまう。
 主神様のお裁きをいただきたい。万一の場合は、命を召し上げていただいても
 かまいません。

先週末、つまり昨日は彼女、やけにご機嫌。
小生の機嫌をとってくるのだ。
何があったのか知らないのだが、ときには過激な祈りも大事ではないのかなと思う。
宗教者はとかく、相手のことを思えとか、優しさとかばかり強調されるが、
やはり厳しさというか、突き放すことも必要で、
そのことが意図とは逆に相手のためになることもあるのではないだろうか。

言うまでもなく、無信仰者からみれば、
彼女の態度急変と、主神様へのお委ねは無関係であり、
「たまたま」時期を同じくしたにすぎないということになるだろう。
しかし、長い信仰生活、この「たまたま」は実に高い確率で発生することを
小生は知っているのだ。
返信1
c
childrenさん (7mx9hw8r)2020/8/26 22:48 (No.115367)
一般社会人の目で見て、小生の知る限り、
前回の教団内紛のとき、正道を歩んだのは、中村総長だった。
どう見ても、中村総長の行動が正当だったとしか思えない。

その中村総長ですら、信仰を前進させることはなかった。
一部幹部には話していたようだが、公言することはなかったようだ。
しかも、明主様の教えに帰れというにとどまったようだ。

よく考えてみると、病気の癒しにはじまり、宗教法人にし、そこを統一し、
最終的にメシヤ降誕まで……。
短時日のうちに、あれほど前身しつづけた明主様が、いつまでも同じところに
とどまっているとは考えにくい。
「死んだら、霊界から働く」という発言も残している。
現在でも、信仰の前進に邁進していると考えるほうが自然だ。

信仰を前進させていただけたのは、教主がいてこそだと思う。
教団運営は間違えなかった中村総長にして、信仰の前進にはいたらなかったのだから。

教主様を戴けていることに、改めて感謝を深くするところだ。
ま、教団運営を間違わなかった中村総長が率いた教団に、教主様がいただけたのは
感慨深い。
やっぱり正しいことをしていればいいってことかもな。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/29 11:38削除
一般社会の結婚事情は、なんと出会い系アプリだった!?
出会い系アプリとは、インターネットにある男女の出会いをセッティングする機能のことである。
公的機関の調査ではないようだが、傾向としてはそう間違っていないのではないだろうか。
忌まわしい事件が数々報告されるなかで、なぜ、若者はネットで出会いを求め、結婚するのだろう。
少々驚きを隠せなかった。

ネットで出会って結婚した男女は、小生のまわりにもいる。
1人は、都内の有名私大を卒業し、大手出版社に勤務したのち、2年間のイギリス留学。
帰国後の職場になじめないでいるとき、ネットで出会った医師と結婚した。

もう一人も都内の私大を卒業し、大手都銀勤務の男性と結婚した。
出会い系アプリを通じて出会ったことは、最近知った。
2女性ともに、いわゆるアラサーだ。

小生らの時代は、結婚のきっかけは多くが職場だった。
しかし現代は、職場結婚は非常にまれだ。
男性側の事情は、万一、うまくいかなかった場合、社内に居づらくなるから、
職場の女性とは親しくならないようにしているという。
その気持ちはわかる。

それにしても危険と隣り合わせのネット。
例に挙げた2女性とも無事に結婚し、今のところ幸せに暮らしているのだから、
出会いのきっかけは何でもいい。
何事にもリスクはつきものだが、結婚までもリスクをとっていかないといけない時代に
なったということだろうな。

だとすれば、ますます神様とつながっている必要があると思うんだが……。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/24 10:26削除
一般社会人の目で見て、情報ディスクロージャーは大事だと考える。
理由は、よけいな疑心暗鬼を呼ばないため、信頼を築くためだ。

例を挙げれば、裁判。
署名まで集めておきながら、その後の経過は発信されない。
発信されているのかもしれないが、定期的刊行物にはみられない。
裁判経過とちゅうには、公表できないことも多いが、結果が出たなら話は別だ。
信者は、心地いいニュースだけを喜び、信仰を深めていくわけではない。
耳障りのわるいニュースも含めて、信仰向上をしていくものだ。

お願いするときだけは、やけに大声だが、
心地いい結果のときだけは、やけに明確だが、
そうでないときは、無言、こちらから尋ねてやっとわかることも多い。

別に教団批判をしたいわけではない。
信仰姿勢を見つ思いだからだ。
われわれ信者は、神様にお願いごとをするときはやけに熱心に、心を込めて行う。
対して、結果には一気にトーンダウンし、クールになってしまう。
教団の情報ディクロージャーの姿勢は、信者のこの姿の映し鏡! かなと思ったから、
記させていただいた。
返信2
c
childrenさん (7necz7g4)2020/9/7 21:57 (No.119256)
昭和20年代末、メシア降誕を祝い、教主は明主様から「メシア様」になられた。
しかし、メシアの名を一旦、封印した。
その理由は、浄化が厳しかったからと聞いた。

今回、教団内紛を経て、世界メシア教が誕生した。
ほぼ時を同じくして、信者も明主様にならい、メシアになろうということになった。
もちろん、天国においてだ。

天国、メシア、当然、光は強くなる。
光が強くなれば、浄化も厳しくなる。
小生も、メシアへの道を歩くことを神様に奉告した。
そのせいか浄化が厳しい。

浄化は、乗り越えてこそ、浄化。
天国人にふさわしくなるため、メシアにふさわしくなるため。
そう思いながら、日々、浄化を乗り越えることにしている。
小生の判断が是か非かは、事実が証明してくれると思う。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/28 22:22削除
三代教主様のことを記したせいか、いろいろ思い出した。
学生参拝のときだったろうか、三代様がおっしゃった。
一元化が成り、教団幹部が
「教主様は象徴になったので、これからは何が起こっても教主様の責任になることなくなった」
と話したあと、三代様が登壇された。

あの柔らかい笑顔はいつも通りだ。
 私は、責任とりますよと言ったんですよ。
そう言って、ふふふとうっすら笑みをたたえた。
あのとき、小生は、教主様は象徴になることが本意ではなかったのではないかと思った。

その1~2年前だったと記憶している。
学生活動の先輩が、聖地参拝から戻り、三代様の様子を話してくれた。
 いつもの優しい笑みは変わらなかったけど、
 「私は何でも知っているのよ」とでもおっしゃるいるように感じた。

まだ中学か高校、もしかしたら小学生だったかもしれないころのこと、
教団内で何が起こっているかはまったく知らなかった。
ただ、先輩の学生信者が感じたこと、小生自身が感じたこと、
どこかで教主外しが始まっていることを感じ取っていたということではないだろうか。

ひねくれた言い方をしてしまうと、教主様に何が起ころうと一介の信者には関係ない。
けれど、教主様外しをするということは、教主様がいたらまずいことが起こっていたということでもある。
まずいことを起こしている教団が、教団はおろか教えまで牛耳っていたとしたら、これは
無関係ではすまない、ホント。おそろしいよ~~~。

それにしても三代様は、まだまだ女性が軽んじられていた時代に、女性の身でたった一人、
戦っていらしたのだなと思うと、胸に迫るものがある。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/27 17:27削除
反吐が出る発言だった。
 もう救われているんですよ、過去の罪はすべて許されているんです。
発言者は、自分では立派な信仰者のつもりらしい信者だ。

我々はたしかに許され、メシアへの道を歩んでいると信じている。
ここで注意したいのは、赦したのは、主神様であるということ。
主神様から離れてしまった我々に対して、
主神様はもう赦したから天国にもどっておいでと言ってくださっていると教えられ、
その言葉を信じて、天国にもどっていると信じている。

だからといって、我々は過去にたくさんの人を傷つけ、迷惑をかけてきた。
これらの人たちが、その迷惑を赦しているわけではないのだと思う。
すべての人を支配する主神様が赦したのだから、迷惑をかけられた人だって赦している、はず。
この論理が成り立たないわけではないとは思うが、やはり腑に落ちない。

天国とは、主神様のいらっしゃる世界。
主神様が、正しく支配する世界だと考えている。
借りたものは返す、迷惑をかけた人には償いをする。
これが天国だと考える。

天国にいるからこそ、過去の罪に気づき、贖うことができるのではないだろうか。
光が当たったから、過去の罪という影ができ、罪に気づき、贖いができる。
それなのに、過去の罪はすべて消えた!?
万一責める人がいれば、その人がわるいとでも言いたいのだろうか!?
こういう信者にはなりたくない。
返信2
c
childrenさん (7nyhbqbl)2020/9/21 23:54 (No.123493)
外国人は、なにかあると、すぐ反論する。
こんなイメージがある。
このイメージを、アメリカ人にぶつけたことがある。

「いや、アメリカ人でも、思慮深い人は黙ってるよ」
とのことだった。

そういえば初代ロックフェラー氏も、社会から非難攻撃されたとき、
一言も反論はしなかったという。
日本人でも、吼えまくる人は、やはり思慮浅薄な人が多いのと同じだ。

元わが教団の連中は、「教主様は説明責任を果たしていない」とかぬかす。
現わが教団もなかでも、「もっと説明してほしい」と言うことがないわけでもない。
小生ですら、そう思うことはある。

 誤解と嘲罵にむくゆる沈黙 それは尊いものと思う   歌集『山と水』

教主様の態度は尊いものだったのだ。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/26 21:07削除
Wカップサッカー、ドイツに勝利!
久々に沸きあがる出来事だった。
この朗報について、いくつかの水を差すような声があがっている。

そのなかの一つ、小生が最も気になったのは、選手がロッカーを掃除して帰ったというもの。
日本では、中高の体育系サークルではごく普通の行動だが、外国人の目には必ずしも好意的には
映っていないという声だ。

外国では、掃除する人がいて、選手が後片付けをするということは、この人たちの職業を奪うことになる
というのだ。
単なる個人の職場の問題だけならいいのだが、そう簡単でもなさそうだ。
海外には身分制社会が長い間続いてきた国も多い。
掃除する階級があって、上流階級は掃除はしない。

以前、聞いた話だが、海外勤務に随行した日本人妻。
現地の使用人に掃除をさせると粗が多く、この日本人妻は見本になるように自分で掃除をしてみせた。
すると、使用人たちは、その後一切、日本人妻の言うことを聞かなくなったとか。
掃除をしたということは卑しい階級に違いない。
卑しい階級の人の指示には従わないという論理のようだ。
そもそも労働は卑しい階級の人がやるものという思想を持った宗教すらある。

わが世界メシア教は、どうなんだろう。
あれこれ思い出してみると、三代教主様のエピソードに行き当たった。
海外布教に出たときのことだったと記憶しているが、トイレに入ったまま、三代様が出てこない。
ようやく出てきたときに、理由を尋ねると、トイレの掃除をしていたとのことだ。

このエピソードがあるということは、掃除をする階級と掃除をさせない階級に厳分する教えは
ないということになるだろう。
ほっとした。
誰だって掃除をすれば気持ちがいいのだから、誰からもどんな身分の人からも気持ちのいい行為を
奪う資格はないと考えるからだ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/19 20:57削除
学者ではないので、論拠となる文献に当たったわけではないことを断っておく。

日本というところは、古来、善悪という思想はなかったとか。
ありのままをよしとする文化だった。
善悪の思想が渡来するのは、いつごろだろう。
キリスト教からか、仏教、儒教などの上陸からか。
とりあえず、外来の文化だったことはまちがいないようだ。

現在、社会のいたるところで、他者の非を挙げる光景を目にする。
それらのすべてを否定するわけではないのだが、行き過ぎではないかとは考えている。
いい、わるいと言いすぎると、行動力が損なわれるからだ。
誰だってわるいことはしたくないから、わるいことをしないように、何がわるいことかを
最初から決めておかないと、行動できない。
答えを見てから、問題を解くようなものだ。

こんなことでは社会の進歩はありえない。
最初から善悪のわかる行為なんて、そうそうはない。
やってみなければわからないことがほとんだ。

日本の強さの一端には、この善悪より、ありのままを大事にしてきた文化があるのではないだろうか。
様々なものを生み出してきたのは、自由に発想できる文化、つまりありのままの文化のなかで
生きてきたことが大きいと思う。

なぜなら、善とか悪とかいって、責め立てられることがないから、自由に活動できるのだから。
裁くことができるのは、善悪を正確に見通せる主神様だけだと考える。
返信2
c
childrenさん (7ka9idyi)2020/6/21 11:10 (No.92838)
一神教は、とかく争いを起こしやすい。
十字軍は、その代表例といえる。
なにせ、それぞれが最高の神を信仰しているのだから、譲るわけにはいかないからだ。

わが「世界メシア教」も最高の神を信じるので、一神教といえる。
だからといって、他の宗教の神を否定したりはしない。
一神教は、すべて創造主である神を信仰するので、同じ神だからだ。

創造主は、あらゆるものを創造した存在である。
時、所、事情によってさまざまなかたちで現れると考えておかしくはない。
同じ神にすべてをゆだねている者同士なら、どこかで合流するのが当然の帰結。
それができてないということは、
本当にすべてをゆだねているのかという疑問が湧いてこないでもない……。

現代物理学が正しいからといって、古典物理学もやっぱり正しいのだ。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/21 22:19削除
ユダヤ教とイスラム教は、布教活動はないそうだ。
対して、キリスト教や、各種の信仰宗教と言われる教団は、布教活動がある。
わが世界メシア教も、当然、布教活動はしている。
もっとも過去に比べると、現在はほとんどやっていないようであるが。

ユダヤ教やイスラム教については、ほとんど知らないので断定することはできないが、
ご承知のように、ユダヤ教は選民思想だから、誰でも救われるという発想がないのではないかと推測する。
イスラム教に選民思想があるかどうかは知らないが、歴史的にイスラム国家は他教徒に寛大な
対応をしている。
布教活動に熱心なら、こんな政策はとらないのではないかと、推測する。

幼少時から本教団の信徒であって小生は、布教が苦手だった。
そもそも自由主義者だし、自分が説得されるのが嫌いだっただけに、他者を説得する気持ちが起こらない
せいでもある。
説得に熱心過ぎて、悪評化を得ている新宗教は少ない。
だから布教には、これまで後ろ向きで来た。

しかしだ、主神様はすべての人間を愛し、永遠の命を与えようとしているという立場であることを
考えると、布教活動への見方は変わってくる。
選民思想ではなく、すべての人類を救う宗教の信徒なんだもんな。

かといって、自分の教団に悪評がたつのは耐えられない。
あれこれ考えて、要は布教のやり方の問題ではないかという結論に至った。
幸い、現在、わが教団は、「想念の御用」を打ち出している。
心の中で想うだけなら、誰にも迷惑はかからない。
誰かの不興を被る心配もない。
具体的にどうすればいいのかまでは思い当たらないが、
想念の布教。 小生もお使いいただけるように主神様にお願いしてみよう。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/18 23:23削除
聞いたところによると、ヒンズー教では、三神一体。
 創造神(ブラフマー)、維持神(ビシュヌ)、破壊神(シヴァ)
この3柱の神が一体となっているのだとのこと。

他宗教の神様をあれこれ言うのは、恐れ多いし、怖いのだが、ごめんなさいと申し上げたうえで、
やっぱり言わせていただくことにした。

小生の宗教的視点からいえば、
 3柱の神様が一体になったのではなく、
 1柱の神様が3つに分霊した
と考えるほうが、ぴったりくる。

なぜなら、主神様は1柱であり、すべての神様、人間、動物、草木、机や椅子だって
すべて、主神様の分霊だと考える。
もしかしたら、椅子や机、パソコンなどは違うのかもしれないが、主神様の企図の下で、
人間が作り出したように思う。

しかしだ、共通点はあると考える。
 わざわざ3柱の神様を1柱にしなければならなかった理由
1柱のほうが人間の心からなる欲求にぴったりくるからではないのだろうか。

心からなる欲求、これは本守護神、つまり主神様の分霊であるのかも。
そういうところに行きつくと、ヒンズー教との接点見出し出せないわけでもなさそうだ。
万教帰一!
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/10/31 10:39削除
ギリシャ  ギリシア
外務省も、ギリシャ大使館も、テレビも新聞も、おそらく雑誌も
「ギリシャ」を使用している。
唯一の例外ともいえるのが、高校教科書。
すべての教科書ではないと思うが、大手の2社は「ギリシア」を
使用している。

教科書2社の根拠は明確だし、小生も異論はない。
そして、いろんな意見があってもいいと思うし、どちらを使用するかは
表現の自由だとも考える。

ところで官庁間でも、異なる用語が使われることがある。
大手企業のビジネスマンは、この官庁は、この表現で。 あの官庁は、あの表現で
というように、神経を尖らせながら、官庁対応を行っている。
この官庁に、あの官庁の用語表現を行うと、いじわるをされるからだそうだ。
是非は別にして、このような現状があることはまちがいなさそうだ。

それなのに、ギリシアに慣れてきた子どもたちが、ビジネスマンになってギリシャに
変えなければならない。
ちょっとしたストレスだ。

1つでなければならないとは思うが、用途によるのではないだろうか。
わが世界メシア教も、教祖は「メシヤ」と書いているから、教祖の教えから外れているなどと
ほざかれることがあるくらいだ。
ちなみにわが教団では、歴史的に使われてきたものに対しては、「メシヤ」そのままで
刊行されているようだ。
ただ、新たなものに関しては、時代に合わせて「メシア」の表現を使っている。

学問的な論議はさておき、教科書も利便性を考えて「ギリシャ」にしたほうがいいと思う。
そのうえで、学問的根拠を、カコミ記事にするか、注として出せばいいのではないだろうか。

1つは、主神様だけでいいのかもしれない。
1つに絞ろとすると、争いの源になってしまうから。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/10/27 10:00削除
以前、ここに描いたことがある。
我々の先達のなかには、
 自分は誰よりも明主様に信頼されていた、
            愛されていた
と語る声を散見する。

これは案外、事実なのかもしれないと考えている。
神様は、すべての人間を、一番愛しているではないだろうかと考えるからだ。
極悪人だって、犯罪者だって、無能な人だって、一人残らず、
誰よりも、一番愛しているのではないかと考えるのだ。

この論にしたがえば、ユダヤの選民思想が納得できる。
ユダヤの人々は、誰よりも自分が愛されていることを、いち早く気づいたのではないだろうか。
 誰よりも、一番……。
ただし、
 すべての人を……。
の部分までは気づかなかった。

だから、ユダヤ人だけが救われると勘違いしてしまった。
ま、世界じゅうの宗教が同じ勘違いを含んでいるのかもしれないが。
もっともシャカがちがったようだが、仏教は無神論の点が残念だ。

人は誰でも、自分の視点でしか物事を見えないクセがあるからだ。
これにいち早く気づいたのが、イエスだったと。
世界の歴史は、勘違いから発達し、争いを生み、生きごめんnながらえてきた。
神様は、本当に意地が悪いとさえ思えなくもない。
あ、やめとこ。
神様、ごめんなさい。
ただ、神様の器は大きすぎて、怖いんだよ。
人間って、バカだからさ、その大きさは目に入らないんだよね。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/10/29 19:18
一神、われらのいう「主神様」。
すべての創造主だから、すべての宗教を含む。
すべての宗教の親だから、主神様にとって、すべての宗教はわが子というわけだ。
わが子を可愛くないと思う親はいないだろう。

一神教で争いを起こすのは、本当の一神教ではないせいかもしれない。
一時的な、主神様の都合ということもありうる、

いずれにしても、一神教が争いの元凶ということは迷信にすぎないということだ。
当てはまる事実の多数ある迷信ということではあるが……。
返信5
c
childrenさん (7m8xts9t)2020/8/9 22:15 (No.110617)
外国人は、窮地に陥ったとき、王家の下に集まる本能はないのか!?
そんなことはない、と思う。

歴史学者の一人が、言った。
ルイ16世がパリに行ったのは、無理やり連行されたわけではない。
パリが暴動で民衆の生活が立ちいかなくなった。
そんな混乱の地には、商人は行かない。
小麦商人もパリに行かなくなったので、パンがなくなったのだ、と。

パリの民衆は言った。
パリが混乱するのは、ルイ16世がパリにいないからよ、と。
パリの民衆は、ルイ16世を求めていたのだ、と。

不幸だったのは、王家に求める民衆より、王家を倒そうとする勢力が勝ったこと。
最終的には、王家を求める声が勝ち、ナポレオンが皇帝になり、ルイ18世が即位するのだが、
その間が、不幸、この上ないほど不幸。

日本に生まれた幸福、教主様の下に集まった幸福を、かみしめる。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/20 20:46削除
ちょっと訂正。
わが世界メシア教では、「最後の審判はすでに終わった」という見解のようだ。
終わったから、メシアの救いがあらわれて、誰でも天国に行けるというわけだ。

誤解のないようにいうと、
 小生はすでに、メシアの救いを受け入れ、天国にいる、つもりだ。
かといって悩みはあるし、体の不都合もある。
天国には、病貧層はないはずなのに、なぜ?
同じ疑問は小生にもある。

これに対して、教団の見解は、
 今心で思っていることは、そんな状態から、救ってあげましたよ。
という証として、見せてくださっているということのようだ。

うまいことを言う。
小生だってそう思わないわけではないが、現実に照らし合わせると、
頷けることが多い。

まず、メシア降誕本祝典を境に、境遇が大きく変化した。
物質的にどうというのではなく、出合うことが変わったのだ。
物質的にも少しはあるが、心の状態が変わったのは錯覚ではないと思う。

次に、足の痛みはあるが、仕事に支障を及ぼすことがなくなった。
かなり過激なスケデュールでも、なんとかこなしている。
こんなことは、足の痛みを覚える以前でもなかった。
過激なスケデュールも一応はこなしていても、ミスが多発していた。
今もミスはあるが、大きな影響が出ることはまずない。
だから日々明るく過ごすことができている。 ま、比較的明るくだけどな。

だからやっぱり、最後の審判は終わったとする見解を受け入れるし、
メシアの救いも受け入れるほうの立場であり続けるつもりだ。
なんらの不都合もないんだもんな。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/14 11:00削除
教祖、明主様の聖言に、「恐怖を除く」というものがある。
恐怖がなくなれば、人はかなりの部分まで、理性で動くことができるはず。
つまり正義に基づいて、疚しさも感じないで、判断することができるようになるはず。

そうなれば、安心して暮らすことができる。
信頼して暮らすことができる。
いいことずくめだと思う。

小生は、ひょんなことから、先週末より3連休になった。
休めるのはありがたいが、ちょっとした不安もつきまとう。
このまま仕事がなくなるのでは……。
自分では天国人だと思っているが、なかなかその通りにはいかない。

けれども、信仰によってさまざまなことを教えていただいている。
かりに現在の仕事がなくなったとしても、もっといい仕事に出合うためかもしれない。
かりに出合えなかったとしても、神様の子どもへと一歩近づけるかもしれない。
そんなふうに考えることができだけも、心は軽くなる。

ほんの少しだけど、恐怖は除かれているのかもしれない。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/13 21:56削除
人は、恐怖で動く。
経済系ユーチューバーの発言だ。
人は、理論ではなく、恐怖から逃れようとして行動するのだという。
投資活動にも同じことがいえるとのことだ。
共感するところもあるし、すべてがすべて共感できるわけでもないなと思ったりもする。

発言の是非はさておき、宗教者としての小生にも、恐怖で動いている面があるのは否めない。
恐怖に陥れて、勧誘しようとしていると思われるのが不本意だから、これまで記してこなかった。
 それは、最後の審判だ。
数千年前から多くの人類に信じられている預言だが、もちろん真偽は確かめようがない。
だから、小生は「ある」と信じることに決めているというにすぎない。
「ない」と断言できる何かが出てくれば、また別の話だが。

現在の世界を見ると、「ない」と言い切れない。
それどころか「ある」ことを裏付けるような事態がどしどし出てくる。
米国では、すでに他界した人物が当選したり、不正選挙は当たり前だとされていたり。
その前にウクライナ、台湾、北など、いつでも勃発したとしておかしくないニュースが
軒並みだ。

戦争が最後の審判だとは思わないし、付け焼刃の知識によれば聖書でもそうはなっていないようだ。
だけれども、その日は、刻一刻と迫っているかのような世界情勢だ。

われらが教祖の聖言によれば、すでに天国はできている。
このことを信じる人はいいとして、信じられない人はそのまま現在の世界に居続けるわけだ。
現在の世界、それは最後の審判によって消え去る世界。
最後の審判が、どのような形で成されるのかは読んだことがないのだが、
小生は必ず行われると信じている。

その立場でいえば、神様にすがろうとしない人の気持ちが理解できない。
こんな気持ちは、ただの恐怖信仰であり、教祖のみ心に反する信仰なのだろうか……。
返信3
c
childrenさん (7n1gqyvj)2020/8/29 21:22 (No.116167)
『アメリカを救う』をはじめ、明主様ご在世当時の出版物には
浄霊によるさまざまな奇跡が掲載されている。
小生の家族も知っている人も含まれているが、なぜか現在は信仰をやめて
しまった人が多い。

一方で活躍した信者、教師なども晩年は不幸だったり、信仰をやめてしまった
少なくない。

この理由を考えてみるんだが、
浄霊の奇跡に感動し、一生懸命信仰をするんだが、浄霊にとどまってしまうからではないか
と思う。

浄霊は、神を見せる手段とも考えられる。
神を見せられたなら、次に信仰への進まないといけないのに、
奇跡狙いに躍起になる。

奇跡はあって当たり前。
その次の段階に進まないと、救われることはないのかもしれないと思えてならない。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/16 21:50削除
小生が勝手に師と位置付けているキリスト教ユーチューバーの
高原剛一郎氏は、生まれるの赤ちゃんも命であり、中絶の非を唱えているようだ。
この意見には、100%賛成だ。
小生もそう考える。

ただ法として規制することには賛同しかねる。
法は、神を信じる人、信じない人、両者を含めて規制するものだ。
法だけを守っていても、いい社会にはならないし、罪を犯さないで生きることにもならない。
現在ある法に違反しているかしていないかにすぎない。

胎児には、自己表現をする能力がない。
だから、生まれてきた人間以上に、意を注いでいかないといけないとも思う。
そのことを百も承知したうえで、法として規制するには、慎重がうえであらねばならないと考える。

無責任な考えだと思うだろうが、
どうしても生まれさせなければならない命であれば、神はなんとしてでも中絶など回避すると思う。
そして中絶する親に対しても、どうしても罪を犯させたくないならば、なんとしても邪魔すると思う。

親になれない事情があったとしても、その事情を乗り越えて、神からいただいた命を誕生させよう。
神様は、この想いをお慶びになるのだと思う。
さらに、事情だって、取り除いでくださるかもしれないとさえ考える。

法で規制してしまうのは、想いを邪魔することになるのではないかと考えるのである。
神様は、強制力に基づく想いより、自発的な想いのほうが嬉しいのではないだろうかと
いうわけだ。

もっといえば、様々な戒律、これも神様が最もお慶びになるであろう、
自発的な想いを邪魔しているにすぎないのではないかと思うしだいである。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/10 12:07削除
米国、中間選挙。
共和党は、予想に反して、伸び悩みらしい。
その理由の一つに挙げられているのは、妊娠中絶問題だとか。

個人的には、生まれていなくても、赤ちゃんは命だと考える。
だから、中絶は罪な行為だと考えている。
だからといって、法によって犯罪にしてしまうのは違うと思うんだよな。
少なくとも、現段階では。
社会的認識が変われば、犯罪にしてもいいとは思うんだが。

別の問題に視点を移すと、不倫。
不倫は罪なことだと考えるが、犯罪にしてしまうのは、現段階では反対だ。
妊娠中絶も、同じ捉え方をしているのだ。

さらに視点を移すと、薬害・医療問題。
小生は、医薬品も、医療行為も、罪なことだと考えている。
実際、人体への害は小さくない。
だからといって、現段階で、医薬品や医療を禁止するのは反対だ。
これも不倫や中絶と同じ論理だ。

結論に移ると、自らの行為としてやるなら、外部から圧力を加えることに反対なのだ。
やっぱり裁きは、主神様の守備範囲。
不倫、中絶、医薬品・医療行為、その他もろもろ、罪な行為を裁くのは、主神様の手に
委ねたい。

人間が自分以外の人間の行動について、強制力を加えるのは、最小限がうえにも最低限で
いいと考えている。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/2 11:18削除
聞いた話だが、今、米国の大学、ハーバードやスタンフォードなどの
一流大学でマインド系の学部が増えてきているそうだ。

ご承知のように米国の大学は、ほとんどが私学。
政府からの補助などは当てにしていない。
つまりマインド系が今後主流になると見通しているから、どこかからか
大学に寄付が集まっているのかもしれない。

もっといえば、近い将来、マインド系ビジネスをしかけようとしている誰かが、
マインドのわかる人材を育成しようとして寄付金をもたらしているのかもしれない。

ちょっと前の話だが、米国大学にはファイナンス系の学部に多額の寄付がもたらされたそうだ。
その少し後に金融ビジネスが世界に覇を競った。
サブプラ問題も、そこに端を発するリーマンショックも、このファイナンス人材が作り出したものだ。

マインド系ビジネス。
どんな形でもたられるのかは想像もつかないが、ありえないことではないと考えている。
マインドといえば、宗教。

日本でもっと宗教人口が増えたのは、バブル時代だったそうだ。
今は宗教に風当たりが強くなっているが、このマインドビジネス時代を前にした
浄化ととれなくもない。
ややこしいマインドビジネスに惑わされないためにも、正しい宗教観を持った人材の
育成していく。
これも、われら宗教人のミッションかもしれないと思ったりしている。
返信3
c
childrenさん (7n7bbg6w)2020/9/2 23:36 (No.117877)
これも、神中心かどうかの問題ではないだろうか。

わが教団のことを批判してくださる連中、
元わが教団への、その昔に分離した教団からの批判、
他の宗教を批判する連中などなど。

悪事を犯さないとならないということが、すでに神から罰せられているということ。
神中心に考えると、「本当に間違っていれば、神様がつまみ出す」ということ。

人間がでしゃばらないとならないということが、すでに神からの罰を受けているということ、
ではないかなと思う。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/10/30 14:31削除
米国では、アナログレコードの売り上げが、CD売り上げを超えたとか。
雑音がないのが売りだったが、CDならダウンロードしても音は同じ。
専門的なことは知らないが、小生には同じに聴こえる。
言ってみれば、雑音を排除したことが、音楽業界の混迷をもたらしたともいえる。
その間、CD売り上げは低下し、音楽ファンはリアルコンサートに繰り出した。
リアルコンサートは雑音どころか、間違いやミスだってつきものなのに……。

そのリアルコンサートも、コロナの影響で、開催が困難になってきたと思ったら、
音楽ファンは、アナログレコードにもどっていたということなのだろう。
アナログレコードには雑音があるが、その雑音が個々のレコードごとに異なる。
異なる雑音を味わうには、ダウンロードでは不可能だ。

一方、最近、ネットビジネスを担う人たちの間でよく話されている。
 テレビとか新聞とかが新しく感じる。
ネットに比べると、これらはアナログだ。
速報性に劣るし、情報量も少ないし、偏っているし、愚鈍感さえある。

メシアは完全な存在だ。
完全な存在が世に出たことと比例するように、不完全なものがもてはやされてきた。
歴史を振り返ると、異なる2つが同時進行するのはよくある。

よけいなもの、無駄なもの、愚鈍なものを、今一度見直してもいいのではないだろうか。
もちろん雑音も。
返信1
c
childrenさん (7jjm268u)2020/6/2 19:32 (No.86949)
「裁く勿れ」という御教えがある。
だからといって、他人を裁いたら、信者ではない、救われない。
というわけではないと思う。

人間は正しく物事を見る能力がない。
能力がないのに、裁いたら、間違う。
だから、罪を作ることだと教えているだけだと思う。

正しく裁ける存在、つまり創造主に裁きをゆだねるというわけだ。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/10/3 15:41削除
秋季大祭、今年も参拝させていただけた。
わが世界メシア教は、いよいよ組織作りの段階に入ったんだろうという感じだった。
信仰面の大きな変化は、明主様のご生誕に加えて、イエスのご生誕もお祝いさせて
いただけることになった。
これについては、異論の余地なし。
大いに賛同した。

組織作りでは、評議会が結成されたことだ。
全メンバー女性によるシステムで、理事や専従者に不祥事があれば、そこへ切り込んでいく
組織のようだ。
宗教への批判が厳しさを増した昨今、タイムリーではある。
しかし、小生は手放しで喜ぶことはできなかった。
むしろ、疑問点満載というのが、現段階の受け止めだった。

疑問点の第一は、
 異議申し立てシステムについての有無が明らかでなかった。
 もしかすると、異議申し立てできるのかもしれないので、その場合はこの疑問は消える。
 本当にないのだとしたら、大いに疑問、不安でいっぱいだ。
 なぜなら、評議会の決定によっては、理事などの職位をはく奪されることもあるというものだった
 ように理解した。
 それなのに、異議申し立てのシステムがない!?

 人間は100%正しく物事を見ることも、判断することもできない。
 人間の集団である評議会だって、同じだろう。
 むしろ数の力を頼み、間違った事実や判断を強行されることだってありうる。
 本人および一般信者による、評議会判断への異義申し立てのシステムをぜひ公開してほしかった。

疑問点の第二は、
 人間が、人間を、裁くシステムは、天国にも必要なのだろうかという疑問だ。
 たしかに一般社会は警察権も司法権もある。
 これは、現代社会が無神論を土台にしているからであって、有神論を土台にした
 教団にも必要なのか?
 これは小生が長年、考えてきたことだ。
 近代司法の元祖ともいえる江藤新平。
 自分で作った法律によって裁かれた第一号ともいえる歴史を残している。
 胸が痛い。
 我々は、司法権自体も神にお委ねしているつもりだったので疑問を禁じ得ない。

この件については、長くなるので後日に譲ることにする。
ま、教団自体が、不祥事を戒めようとする意志の下のもとにあることがわかっただけは
喜ばしいのであるが……。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/15 17:55
聖言によれば、
 今までは本当の意味で大乗信仰はなかった
とのことだ。

なぜなら大乗とは、すべてを包含していなければならないからだ。

 すべてを包含するとは、一般的に悪事と言われている行為も含まれる。
 そのへんが難しいところだ。

思うに、神様のことは、大乗的にみていかなければ、理解できない。
だからといって、自分の行為を、大乗を言い逃れに使うことは戒めていかないと
いけないと思う。

でなければ、悪びらけに開け、犯罪教団になってしまうこともないとはいえない。
自分たちの行為は、きびしく自戒していくほうが無難だと思う。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/12 20:00
聖言によれば、大乗でないと発展しないとある。
かといって大乗に走りすぎれば、問題を起こし、レピュテーション被害に遭ってしまう。

小乗だと細かいことばかり厳しくなり、発展しない。
他者も批判しがちになりやすい。

大乗と症状の線引きは、どこにあるのだろう。

とりあえず、思いつくのは、他者に対しては大乗で臨むほうがよさそうだ。
だからといって、自身に対しては小乗にかぎるともいえない。
自分をがんじがらめにしばりつけてしまい、行動ができにくくなる。

大乗と小乗の線引きは、実に難しいなぁ。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/11 11:47
このユーチューブ番組では、好意的に見ている点を2つ挙げていた。
一つは、いわゆる広告塔がいないこと。

このことの是非は別として、宗教界では広告塔が多すぎる観がある。
そこへの不信感、嫌悪感が、社会にはたまっているんだなと思う。
それがないことが、好意的に映ったのであろう。
きっかけとしてはありだとは思うが、そこにとどまってしまうデメリットも
否定できない。
広告塔なしは、今後も続けてほしいなと願う。

もう一つは、無理な勧誘があまりないこと。
これも、共感だ。

無謀な金銭要求がないことも挙げていたが、例外としてお光20万円を取り上げている。
これは一部の教団であり、わが世界メシア教ではたしか3万円。
一体、どこの明主様教団なんだろうか!?
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/10 20:13
以前も書いたが、グノーシス主義批判。
これがどこからきているのかは知らないのだが、宗教学者が
そう判断したのだとか。

この宗教学者は、なぜ、わが教主のことを判断できるほど知っていたのか。
残念ながら、わが教は、いまだ、そこまで有名な存在ではない。
それなのに、判断できるほど調べ、見解あるいは意見書などを書いたのか?
その辺が、不明だ。

自発的でないとすれば、誰かに頼まれたからということになる。
頼んだのは、誰か?
その学者と、依頼した存在とは、どういう関係なのか?
以来に関して、金銭などの対価が発生し、どのくらいの額なのか?
少なくとも、そこがはっきりしないかぎり、どこまでも誹謗中傷の域を出ない。
その学者の判断がまちがっていたとしても、なんらかの制裁はないわけだから、
なんとでもいえる。

まして近年は、学者がスポンサーにおもねる意見書を出すのは、聞き飽きるほど
聞くところだ。

この学者の身辺については、もっと明らかにする必要を痛感する。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/9 23:06
もうひとつ問題に感じているのは、教主様の身辺を「調査」したと言っていたことだ。
調査という言葉で逃げているが、具体的には、尾行・盗聴・盗撮だ。
さすがに、自らの行動の卑しさに気づいたらしく、調査という言葉で、下卑た行動を
隠した。

というわけで、尾行・盗聴・盗撮の結果の映像は、ユーチューブで確認できた。
表立って言っているかどうかは知らないが、陰では、幾度も聞いた。
救世教を乗っ取ろうとして、教主様に近づいたのだと。

あの画像を見る限り、どう見ても、安めの喫茶店だ。
コーヒー1敗500円、よほど高くても800円はしないと思う。
貧乏人の小生でさえ、仕事など大事な人に会うときは、2000円の店を使う。
安くても1500円だ。
まちがっても盗聴や盗撮ができるようなセキュリティの店は使わない。

そして教主夫人の服装を見るかぎり、普段着に近い。

そんな場所で、乗っ取りなど密談をするとは思えない。
ちょっと考えるとわかるはずなのに、あえて不都合な話をしてるかのように語る。
そこに、教主様を追い出したい勢力の意図を感じるのだ。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/8 11:54
ユーチューブで、救世教のことを話題にしていたものを偶然、見つけた。
そうひどい宗教批判はないのだが、一部、気になる部分があった。

わが教主様は、キリスト教に入信したので、解任された。
「そりゃ、しかたない」と、解任した側の主張を何の疑いもなく認めていることだ。

ま、教祖の教えは何も知らないのだろうから、しかたない。
しかし、教祖は、他の宗教に触れることを禁じてはいない。
それどころか、むしろ薦めているといっても過言ではない。

小生も、本当に、現教主様が、キリスト教に入信しているかどうかは知らない。
教祖の教えに反しているわけではなく、教主の使命を軽んじた様子も一切ないからだ。

一般的な宗教感覚からいうと、他教は邪教とするものが多く、その施設に立ち入ることさえ
毛嫌いする傾向があるのは事実だ。
その点からいえば、わが教は例外。
従来の宗教イメージを覆す存在であることを是非とも確認しておきたい。

あらゆる宗教を救う宗教なのだから、他の宗教に大いに関心を持つほうがいいということである。
思い込みでとらえると、かのユーチューブ番組のように恥をかく危険性大だからだ。
返信7
c
childrenさん (7mq5fh1b)2020/8/21 23:20 (No.114126)
未だに懲りず、旧わが教団から浴びせられる「キリスト教化」攻撃。
「いい加減に理解しろよな! あったまわりーなー」と言いたくならないでもない。
というわけで、「キリスト教化」を別の面から考えてみた。

先の大戦で、日本は敗戦の憂き目を見た。
その原因の一つに、キリスト教への無理解がある。
日本人は、キリスト教に理解がない。
とりわけ米国から見れば、キリスト教に理解がない=野蛮人という図式になる。

野蛮人=邪神というわけで、こてんこてんにやっつけてもいいという意識を呼んだというものだ。
原爆実験の対象にされた理由もそこにあるというもの。
教科書には出てこないけどな。

対して、中華民国は、キリスト教布教が進んだ。
キリスト者である宋美齢の言うことのほうを信じたというわけだ。

現在、米中は対立激化の方向にあるが、中華が無神論にあるうちはいいが、
キリスト受容に舵をとれば、いつ転換しないともかぎらない。
そうなれば、日本はまたバカを見ることになりかねないわけだ。

国際的立場のためにキリスト化を薦めるのはおかしいことだが、
キリスト教への理解が国際的立場を左右するという構図があるということは、
そこに神様の意思を感じ取れるのではないだろうか。
いまだよ、いまだよ。 キリストへの立場を明確にしておくのは、いま!
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/17 20:43削除
明主様のみ教えを知らないのか?
知っていて、隠したのか?

ユーチューブを見ていたら、財務省を退職した経済評論家が言っていた。
 財務省の人たちは法学部出身者が多いから、経済のことを知らない。
 知らないくせに知ったふりをして話すから、簡単なことがわからない。
 (別に意図的に、間違えたわけではないという意味のようだ)

かもかも。
元わが教団の人たちも、本当は明主様のみ教えを知らなかったのかもしれない。
文言として知っていたとしても、本当に意図するところまでは知らなかったのかもしれない。
しかし、すでに先生と呼ばれ、なかには自分は明主様に一番信頼されていたなどと公言して
いる幹部までもいた。
いまさら、「わからない」とは言えなかったのかもしれない。
だから、誰にでもわかる浄霊の奇跡にすがりつき、明主様の本当に意図するところは、無意識の
うちに目を背けてしまったのかもしれない。

その結果、目を背けてしまった部分はなかったもののように扱われ、浄霊だけの信仰を明主様信仰
だと捉える「明主様」教団ができ上ってしまったのかもしれない。
だとすると、彼らの気持ちもわからなくはない。
ただ、それなら、本当に明主様の意図するところを実行しようとするわが教団を批判、否定する
ことは認められない。
わからないことは小生にも有り余るほどあるが、わからないことはわからないと言えばいいのであって、
わからないからと、他者を否定、批判するのはファシズムもいいところだ。

思うんだが、主神様が、明主様が、順序を誤るとは思えない。
教えのことはやはり教えの主、教主様にしか下されないのではないかと思う。
その教主様をなきものにしようとしてしまったことが、彼らの誤りのスタートだったのかもしれない
と考える。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/15 12:12削除
元わが教団の人たちは、
「教主様が、明主様の教えを変えた」
と、しばしば批判する。

これが大いに疑問かつ不思議なんだよね。
小生は信仰歴だけは長いので、幼いころから、いろいろな
話を聞いてきた。
信者さんのうわさ話、専従さんたちのオフレコ発言、井戸端発言……。
小生はその場にいたのだが、子どもだったから、おとなは気を許しというか、
置物くらいの感じだったのかもしれない。
いろいろな話を思い出す。

いずれ浄霊はなくなるんだろうな……専従者といっても、中堅幹部。
永遠の命をいただいたらしいんだよ……専従を志して奉仕中の男性。
聖書は読んだほうがいいよ……青年会リーダー、中堅幹部などなど複数。

なにも教主様が突然言い出したことではなく、昔から言われていたことばかりじゃないか
と思う。
それなのに、なぜ、教主様が明主様の教えを変えたなどと平気で言うのか!?
明主様のみ教えを知らないのか?
知っていて、隠したのか?
いずれにしても、人を批判するなら、慎重のうえにも慎重をきさないと、わが身の破滅を
導くだけのように思うんだがな。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/17 11:40削除
明主様を否定するかのような発言は、これまでまったくなかったのか?
小生の知る限りだが、二代様の時代にあったと聞いている。
 明主様、明主様と言っていても、救いはできない。(「救いはできない」の部分は正確ではないが、似たような趣旨の言だったと記憶)

二代様批判をする人たちは、この言を根拠に掲げていることがよくある。
字句通りに狭義に解すれば、たしかに姿のなくなった明主様を否定してかのように聞こえなくもない。
しかし、その意味に与することは難しい。
二代様は、明主様のお仕事を継承されたわけで、このことを二代様は否定した様子はない。
小生が推測するに、二代様を二代教主と認めたくない人々が、明主様の詳細な言を狭義に解して、
二代様のやることなすことに難癖をつけていた。
これに対して二代様が「明主様、明主様……」との発言になったのだと考えている。

同じことが現在も繰り返されている。
信者さんによる、「いまは教主様の時代……」の発言から読み取れるのだ。

これも小生が知る限りだが、教主様は明主様を具現化しているとしか読み取れとれない。
これまで教団は、明主様の仕事を否定してきた。
これをよみがえらせ、明主様の仕事を復活継承されたのが教主様だ。
したがって、正確に言うなら、
 いまこそ、明主様の時代だ。

目に見えないからといって、神を否定し、イエスを否定し、明主様も否定する。
教団の草創期を支えた先達を否定する。
そうではなく、救いの歴史を正しく受け取り、感謝していこうよ。
教主様のおっしゃることは、こういうことではないだろうか。

 それは昔の話、今は……。
貧しかった時代、苦しかった時代は過去のことで、自分たちとは無関係な出来事にしてしまう。
はすっぱな若者と重なるんだよね、「いまは教主様の時代……」発言をする信者さんが。
思考回路がそっくりなんだよね。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/11 23:06削除
明日から本格仕事復帰だ。
4日間の休みの間、本当に足が痛かった。
寝たきりになるのではないかという恐怖を打ち消すように、なるべく
動くようにしていたが、背中を曲げて、びっこをひく。
まるで『ノートルダムの〇〇男』だ。

不思議なもので、本日、日が暮れるころになって痛みが消えた。
9割方、普通に歩ける。
明日からの仕事復帰への不安が消えた。
これだから、信仰は止められない。
主神様のなさることは毎回、毎回、魅了されるばかりだ。

痛みのなかにあったせいか、なんでもないかもしれない電話に異様に苛ついた。
少し前、反教主派の教団からさかんに言われていた教主様批判。
 教主様は、明主様を否定している。
日のないところに煙は立たないというが、こんなところに原因があるのかなと思ったりした。

というのは、現わが世界メシア教の信者さんが、言うのだ。
 いまは教主様の時代、明主様時代の話を聞いても意味がない。
この人物が何を思って、こんな発言をしたかは定かではない。
しかし、こんな発言をするから、反教主派の人は教主様は明主様を否定してるという批判をしだすんだろうな
と思った。

外の敵は怖くない、怖いのは味方。
本当、そうだよなと思ったね。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/6/13 23:40
本来、先月末で終了することが決まっていたわが職場。
なぜか延長になり、今月末まで続くことになった。
すでに新たなプロジェクトがスタートしている小生は、2つのプロジェクトを
掛け持ちする格好になった。
忙しい。

新たなプロジェクトの責任者は、小生。
補佐を担ってくれている人は非常に優秀だ。
学歴も、経歴も、実際の職務もスピーディに性格にこなす。
掛け持ち状態の小生は、なかなか気持ちが入らない。
それは小生の責任なんだが、補佐を務めてくれる人が先回り、先回りして
仕事をこなしてくれるのが、少々うざったい。
責任者は、小生だぞぉぉぉと言いたくなる。

焦りと苛立ちのなかで日々を過ごしているわけなので、顔にこそ出さないが内心は
不満が充満し充満まう。
 立場をわきまえろよな、上司は小生だぞ!
 小生をバカにしてるのか!?
てな気持ちになってしまう。

で、小生得意のお委ね。
 なんとなくうまく行っているんだよな、先週から、なんとなく補佐との関係がスムーズ。
この補佐氏、実は本人も公言してはばからないクリスチャン。
ここだけの話だが、小生は最後の救いを託されし明主様の信徒。
そう考えると、小生の心に余裕が生まれるのがわかった。
補佐氏のやりたいことは何でもやらせよう。
最後の救いを託された明主様の信徒には、それにふさわしい職務が与えられるはずだという感覚かな。
このへんは言い回しが難しいのだが、クリスチャンにはクリスチャンの、
明主様信徒には明主様信徒の、天国人としての任務があるはずというところだ。
ちょっと思い上がっているみたいで、言いにくいのだが、察してほしい。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/20 23:35
神学を専攻する学生に会った。修士課程だとか言っていたな。
その人物に、りんごの件をぶつけてみた。
 「聖書には、どこに『りんご』なんて書いてないし、『赤い果実』という記述も出てこない。
  出てくるのは、『禁断の果実(木の実だったかもしれない)』という記述だけ」

なるほどな。
外から見ていて、当たり前だと思っていたことが、よく調べてみるとかなり違っていた。
ありがちなことだ。

ところで、いつごろ、りんごになってしまったのか?
木に成る、いや気になる。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/4/13 23:29
余談だが、しっくりこないと言えば、りんごだ。
アダムとエバの、あの禁断の木の実、りんごだ。

おそらく旧約聖書に出てくるんだと思うが、ユダヤ人はけっこう温暖の地の
人々だろう。
中東の西側あたりで活躍し、途中でエジプトに行ったとしても、もっと温暖の地である。
それなのに、りんご。

りんごは現代でも、寒冷の地でしかできない。
九州などでもないことはないが、山間地のやや寒い土地でしか栽培されていない。
それなのに、メソポタミアの温暖の地で、りんご。

川に挟まれているから、意外に寒いのか?
それとも温暖の地に適した種類のりんごがあるのか?
???

なぜ、りんごなのか……。
木になる、いや気になる。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/4/12 23:09
教主様によって、小生はカルチャーショックというか、レリジョンショックを受けた
ことがいくつかある。
教主様に反抗する気は一切なかったので受け入れはしたものの、しっくりこないことも
いくつかある。
その一つが、このお言葉だ。
「もうこの世に生まれてくることはないんですよ」
ずっと以前から、神様にはしたがうと決めていたので、それが事実なら受け入れるしかないのだが、
やっぱりしっくりは来なかった。

この世には嫌なこともいっぱいあるが、愛着もふんだんにある。
二度と生まれてこないなどと言われたとき、無性に悲しかった。
思い出すたび、いつも悲しかった、寂しかった。

チューチューブで見たのだが、霊能者らしき人が、俳優の三浦友和氏のことを語っていた。
 「次は、この世には生まれてこないんじゃないかな」
それまで、さほど反応していなかった三浦氏は、このときだけは反応が早かった。
 「それいいね、前からそんなことを考えていないこともなかったから」
こんな意味の返答をしていた。

次は、この世に生まれてこないことを歓迎する人もいるんだ!
そう思うと、教主様のお言葉がしっくり入ってきた。
なぜかはわからないが、次はこの世じゃなくてもいいや。
そんな気持ちになってきた。

ちなみに、この霊能者らしき人がなぜ、三浦氏がこの世に……と言ったのか。
その理由は、これまで何回も生まれてきて、善人だったこともあれば、大悪人だったこともある。
そのどちらも経験して、どちらも、どれも関心がなくなったという理由だ。
教主様の仰ることとは必ずしも合致しない理由かもしれないが、
この世にこだわらなくなったという結論だけは合致したようだ。
返信8

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