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c
childrenさん (7ninenl8)2020/9/10 22:00 (No.120268)
元わが教団の人から、こう言われる。

「御用をしてくもりがとれて、清まらないと天国に行けない。
 『赦しを受け入れれば、誰でも天国に行ける』はおかしい」

天国は、曇りのない人が集まったところ。
たしかに、み教えにそう書いてある。

一方で、こんなみ教えもある。
本教の救いの特異性は、自分は天国にいながら人を救うこと。

この2つの御教えを考慮していけば、すぐにわかるはず、なのに……。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/12 09:06削除
ネットで仕入れた情報なので、どこまで事実かは不明と前提で、
 宗教施設は、誰でも入れないといけない。
 信者であると否とに関係なく、入場を拒むことはできない。
というのだ。

さっそく宗教法人法を調べてみた。
ざっとしか読んでいないので、確言はできないが、見つからなかった。
その他の法、あるいは施行規則にあるのだろうか???

というわけで、いまだ流言の段階だが、もし事実だとしたら……
 鍵を取り替えられてまで追い出された、元いづのめの信者さんたち。
信者だよ、信者!
あのような行為をしたいづのめ教団の行為は、かなりアウトロー
になってしまう。

もう少し調べてみるかな。
別にいづのめ教団をいまさら避難するためではないよ、
同じ過ちを繰り返さないため、それだけだよ。
匿名さん (845dm58h)2021/11/6 19:58
広義と狭義がある。
広義でいえば、この世のすべては主神様のみ心のなかにある。
明主様の教えも、教団運営も、すべて主神様のみ心に下で動いている、と思う。

狭義で言えば、主神様のみ心は、明主様を通して、教主様に降る、と思う。
対して教団運営は、教団幹部の、そして信者に降る、と思う。

もちろん教えの部分に、幹部や信者が意見や感想を述べるのは問題ない、と思う。
ただ最終的に判断するのは、やはり教主様だ、と思う。
この部分の明確な線引きができていなかったことが、スムーズにメシアのご神業に
移行できなかった原因ではないかな、と思う。

み教えの部分について、教団幹部が口をはさみ、最終判断までしてしまった。
明主様は、よく順序と仰っている。
教主様にも、教団幹部にも、信者にも、あちこちみ心を下すとは思えない。
そんなことをしていたら、ご神業は混乱してしまうからだ。
やはり、自分を継承する教主様の下が、唯一の直接的なみ心伝達ルートでだとしか思えない。

だからこそ、メシアのご神業本格スタートがわが世界メシア教に担わせていただけたのだ、と思う。
なぜなら、明主様教団中、唯一の教主様を戴く教団だからだ。
c
childrenさん (7nwzfb1z)2020/9/20 22:46
さわらぬ髪に祟りなし。
よく耳にする言葉であり、つい最近までの小生の心でもあった。

よほど困ったときは神様に頼み事をすることもあったが、
普段は、さわらぬ神に祟りなしの傾向が強かった。
参拝、浄霊、それなりに奉仕もしていたが、それ以上のことはしてなかった。
下手に、神様に自分の思いを打ち明けると、浄化という名の苦境に落とされるのではないかという
不安があったからだ。

しかし、神とともに暮らすというご教導を経て、祟りは怖いけど、
誠心誠意やってお叱りを受けるなら、受け入れよう。
そんな気になってきた。

「すべての思いは、主神様からいただいたもの」

恐る恐るではあるが、自分の思いを神様にお委ねするようになったのだ。
返信3
c
childrenさん (7jl6enwy)2020/6/3 21:49 (No.87345)
キリスト教のユーチューバー、高原氏は、
「人を作ったのは神だから、作った存在なら何でもわかる」
という趣旨の発言をしていた。

人間、社会を作ったのは神だから、何らかのトラブルを正確に
治せるのは、やはり神しかいないということであろう。
その意味で、「すべてを主神様に、一旦、返上し、おゆだねする」ことの
大切が理解できる。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/5 19:58削除
例によって、キリスト教ユーチュバー、高原剛一郎氏よりの受け売り。
 三波春夫さんの代名詞ともいえるセリフが、
 「お客様は神様です」
 あたかも、お客様に媚びるという意味として伝わっているが、三波氏の意図は違っていた
 というのだ。

三波氏の意図は、
 自分は、神様に捧げる気持ちで舞台を務めていた。
 だから、お客が多かろうと少なかろうと関係ない。
 神様に観て、聴いていただいているのだから。
というわけだ。

小生たちも、仕事などで人に認められることもごくわずかにはあるが、
誰にも認められないことも多い。
でも、いいのだ。
小生は、神様の指示にしたがって働いているのだから。
本当に神様の指示通りにはたらけているかどうかはわからないが、少なくとも
神様の指示にしたがいたいという気持ちだけはあるのだから。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/27 22:51削除
非常に乱暴な意見であることは百も承知のうえで、あえて記す。
サタンが現す奇跡もあれば、正神が現す奇跡もあれば、主神様が現すきせきもあるというのが、
小生の考え方だ。
ここが乱暴なところだが、医学だって、サタンが現す奇跡ではないかと考えている。
小生にはサタンという考え方はかなり薄いのだが、少なくとも主神様の現す奇跡ではないと。

もちろんサタンだって、行きつくところは主神様なわけで、主神様の手のひらのうちにあると
いうことに変わりはない。
ただメシア、絶対力降臨までの過渡的奇跡だったということだ。
なぜなら人間を直すのは主神様であって、人間が作った医学で治るようにみえるのは、
やはりサタンに類する神の奇跡でということになる。

言うまでもなく、医学にかかってはいけないとは考えていない。
ただ、医学にかかりたくないという気持ちも尊重すべきではないかと思う。
医学拒否だというレピュテーションリスクを避けるためかもしれないが、明主様教団でも、
わがメシア教団でも、医学にかかることを強制するかのような言動がないことはない。

医学にかかりたい人はかかればいいし、それと同じくらい、医学にかかりたくないという
気持ちも尊重されてしかるべきだと考えるのだが……。
原理的自由主義者である小生はとりわけ強く、この気持ちが強い。
  ほっといてくれ!
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/25 10:52削除
メシアのうち、イエスの部分について、小生の師ともいえるのが、高原氏だ。
一方的に学ばせていただいている。
最近は、奇跡について語っておられた。
 奇跡は、サタンでも起こせる。
ここは、納得できる。

ただ、氏の話はしだいに、奇跡を起こすのはサタンであるかのような語り口になっている。
ここは、納得できない。

創造主に出合えば、そのぶん、創造主の意図に沿えるようになる。
創造主の意図に近づけば、そのぶん、何かが変わる。
これが限界に現れて、奇跡と呼ばれる状態になるのだと思う。

氏もそのへんはわかっていられるようではあるのだが、あたかも奇跡=サタンのように
受け取られない構成になっていたのが残念だ。
 サタン「でも」起こせる奇跡なるもの、まして創造の主であるならば……
なにより今生きていること自体だって、奇跡ではないか!
c
childrenさん (85dmj2x1)2021/12/26 22:37
この世で居場所がなくなっても心配いらない。
なぜなら天に居場所ができているからだ。
携挙についての、聖書にはこんな内容もあるらしい。

ますます重ね合わせてしまう。
元の教団から締め出されてた信者さんたちが集まってできた世界メシア教。
正しいと思うところ、明主様の聖業を引き継ぐ教主様の下に集まった信者さんたち。
居場所はちゃんと用意されていたわけだ。

もっと言えば、小生の出身教団である主の光教団だって、追い出された教団だ。
総長にしたがって居場所がなくなった信者さんが集まってできたのが、主の光教団だ。
宗教的な問題はさておき、あのとき組織として正しい方向にあったのは総長だと
小生は今でも信じている。
ただ当時の三代教主様に距離を置いてしまったことが唯一のミスであると思うのだが。

携挙は、天に居場所の用意ができたときに行われる。
世界メシア教の組織の土台づくりのためにプレ携挙として主の光教団の追い出しがあった。
たしかに、早くに他の2教団と距離を置いたことで、その後のもめごとに巻き込まれずに
すんだ。
その後のもめ事。これがプレ艱難時代だとしたら、
本番の艱難時代はどのようなことに見舞われるのだろうか。
高みの見物ができるらしいが、いい気味という気持ちもないとはいわないが、
元は同じ信者仲間だった人たち。
やはり心配になるのはしかたないだろう。
c
childrenさん (85dmj2x1)2021/12/24 21:36
携挙が、いつかは、明確な記述はないらしい。
特殊相対性理論によれば、光については、空間と時間は伸縮するというし、
死後の世界には、時間の感覚がないという話しもある。
そんなところから、いつ、かは現界人の感覚による明確さは求めてもムダということだろう。

ただ、艱難時代の前にあるということは聖書の記述にあるようだ。
そして、流れとして、イエスが血の贖のあと、天国に行って、天国づくりを準備する。
天国が完成した後、携挙があるということになるのだとか。

天国が完成!
明主様のお仕事じゃん!
思い付きで考えた携挙と、聖地に行けなくなったことの関係。
なんだか、単なる思い付きでもないのではないかと思えてくる。

携挙によって天国に行けるのは、再臨のキリストについてきた人。
別に、いい行いの人でも、健富和の人でもないらしい。
教主様についてきた人も、別になんらかの条件はなかった。
符合する部分が多いんだよなぁ。

再臨のキリストとともに天に上るといっても、まさか
本当に空中を上昇するとは思えないし、この世を去るつまり死とも思えない。
想念の世界の出来事だと思うし……。
小生の希望的こじつけなんだろうか?
c
childrenさん (85dmj2x1)2021/12/18 22:33
今年も、ご生誕祭の日がやってきた。
明主様のお仕事は、あまりに大きすぎて、考えれば考えるほど
わからなくなる。
わからないから、信じるのだ。
信じることしかできない、疑う要素がない以上。

教団の訴訟は、思わしく進んではいないらしい。
前にも書いたが、そのほうがいいと、小生個人は思っている。
弁護士との契約がどうなっているかはわからないが、万一、成功報酬型だと
とんでもない金額の請求書がくるからという理由、だけではない。

キリスト教のユーチューバー、高原氏によれば、
携挙は、艱難時代の前に、起こるそうだ。
艱難時代の前には、キリスト信者は地上から一斉にいなくなるという聖書の文言。

聖地は、地上天国の模型。
地上の天国から、明主様の信者は一斉にいなくなった。
これって、携挙のひな型としての現象かもしれないと思ったりする。
地上天国の模型には行けなくなったが、
天国は、自分のなかにあることはなんらの変りもない。

ところで、地上の天国から、信者が一斉にいなくなったということは、
これから、
地上の天国には艱難時代がやってくるということなのかなぁ。
やめておこう、皮肉っぽく聞こえてしまうのは、心外だから。
事実としての、予想の可能性として記しただけなのだから。
c
childrenさん (85dmj2x1)2021/12/15 23:20
キリスト教のユーチューバー、高原氏は言う。
いい人にこしたことはないが、救われるかどうかは
いい人、わるい人は関係ない。
神様に、所属しているかどうかだけ。

彼はキリスト者だから、携挙についての話だ。
携挙とは、世の終わりのとき、イエスが天からおりてきて、
所属している人を携えて挙げてくださるという意味のようだ。

これって、われらのメシアの救いと同じではないのかな。
病気だからとか、貧しいからとか、性格がわるいからとかは関係なく、
ただメシアの救いを受け入れるかどうかということに尽きる。

健康になるのも、富裕になるのも、言い性格になるのも、
天国に行ってからでいいのではないのかな、と。
まずは、明主様が天国を作ってくださったことを認め、
メシアの赦しを受け入れてからでいいのではないのかな、と。
なぜなら、明主様の救いの特異性は、
「自分は天国にいながら」なのだから。
返信7
c
childrenさん (7kwe1a8w)2020/7/6 22:48 (No.99456)
政治と宗教の問題は昔からある。
法的には、宗教は政治に関与してもいいが、
政治が宗教に関与することを否定したものだというのが、
多数派による、憲法の解釈だ。

御教えも、ほぼ同様の解釈だと思う。
「宗教心を持った政治家は望ましい」というような文言があった。
私も、同意している。
ただ、教団ごと政治に介入するのは、疑問を禁じ得ない。
なぜなら、国民はさまざまな宗教を持っているからだ。
どの一つも特別扱いになるのは、政治としてふさわしくないと考えるからだ。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/10 23:49削除
参議院選挙、小生にとっては思い通りの結果となった。
わが教団でも、選挙に当たっては、信者さんから推薦の言葉をいただいた。
あの候補者は信者さんだからという言葉もいただいた。
しかし、小生はいずれの言にしたがう気持ちになれなかった。
本当に素晴らしい候補者かもしれないけど、それでも素直になれない。

社会生活をしていると、いろんな声が聞こえてくる。
 宗教信者は楽なんだよ、教団に頼めば、思い通りになる。
選挙も同じかもしれない、という疑念がいつも頭から離れない。

小生は信仰はしているが、神様に委ねているのであって、教団に委ねているわけではない。
別に教団に不信感があるわけでも、不満があるわけでもない。
だからといって、選挙はやはり、独立した個人の意思として行いたい。
もちろん神様にお委ねしたうえでのことだ。
神様以外には、誰にもお委ねする気持ちにはなれない。

ちなみに、教団が政治家を推薦することに異論はない。
どんな政治家が式典に参列しようと受け入れる。
ただ、投票だけは別の話だと思えてならない。
c
childrenさん (85dmj2x1)2021/12/25 19:09
20~30年ほど前になるだろうか、永田町に出入りすることがよくあった。
秘書さんたちとの雑談のなかで、しばしば出てきた話題がある。
「秘書になって最初にすることは、オヤジの弱点を握ることだって言われるんだよ」
どの秘書も、自分がオヤジの弱点を握っているとは言わなかったが、永田町秘書界の常識と
でも言わんばかりだったのを思い出す。

他人の弱点を知ってしまうことはないとはいえない。
日本社会だけかもしれないが、他人の弱点は攻撃しないことで社会の安寧を享受してきた。
小生なども、神様以外には絶対というほど、他人の弱点を公表しないように自戒している。
どんなに憎い相手であっても、だ。
神様には、言いまくってるがな(アハハ。

問題なのは、永田町の秘書さんの例ではないが、眉をひそめるような行為が当たり前に
なってしまうことだと思う。
もはや、眉をひそめることすら忘れてしまったかのように。

しばしば記述してきた、尾行・盗聴・盗撮。
どうやら、この行為は当初、弱点を握り、教主様を自在に動かすことが目的だったようだ。
他人の弱点を握り、自分の利益を図る。
この行為への恥じらいを忘れて、正当な行為となってしまったというだろう。
つまり、尾行・盗聴・盗撮文化を受け入れていたということでもあるのだろう。

もちろん、明主様の教えのなかに、尾行・盗聴・盗撮文化を受け入れるものはない。
小生が知る限り、ない。
いつのまに尾行・盗聴・盗撮文化に冒されてしまったのかは知らないが、
思い出すのは、聖地の女子トイレで盗撮というニュースが流れたことがあった。
教主様への尾行・盗聴・盗撮が表ざたになるだいぶ前のことだ。
すでに、相当前から、元わが教団には、尾行・盗聴・盗撮文化が根付いていたという
推察が成り立つ。
返信2
c
childrenさん (7m63gc3r)2020/8/7 22:29 (No.110068)
信じるほうがいいか、疑わうほうがいいか。
言わずと知れたことだが、信じるほうが得をすることは多い。
といって、オレオレ詐欺もあるし、さまざまな思惑を持って近づいてくる人も多い。

小生は、無理なくいいなと思える人に出会ったら、信じることにしている。
損とか、得とか考えずに、自然にいいなと思える人だ。
その結果、信じた人のマイナス面が見えてくることもある。
そのマイナスが受け入れることかどうかを考えて、その後の交流を決める。

あれこれ詮索した結果、同じ結論に達することもあるだろう。
しかし、詮索された側は気分がよくない。
せっかくいい人に出会ったのに、みすみすバイバイなんてことになりかねない。

信仰のない人も同じ経験はあるのかもしれない。
しかし、小生は、信じるときに必ず、神様に奉告する。
同じ主神様の子ども同士だと思う気持ちに手伝って、信じることができる部分もある。
信じ切ったとき、問題点が急に浮き彫りになったりするのだ。

わが教団も、元の教団と内紛状態にある。
そのせいで、わが教主様への誹謗中傷が耳に入ることもある。
そんなときも、主神様に奉告する。
すると、まもなく何らかの回答をいただける。
それを繰り返しつつ、教主様への信頼が深く強くなっているのである。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/9 22:04削除
ナチスの一員としてユダヤ人の迫害を実行し、戦後はアルゼンチンで逃亡生活を
送った。
15年ほどたって、逮捕され、処刑された、アドルフ・アイヒマン。

彼は、法廷で自分は無罪だと主張した。
 戦時下では、命令に逆らうことはできない。ドイツ法では違法ではない。
『私は貝になりたい』という映画を思い出すんだよね。

その時々の法律に逆らうことはできない。
その時点で処刑されることだってありうる。
だからといって、罪がないということになるのも、ちょっと。
反社勢力だって、そのなかでは、反社行為は逆らえないだろうし、忠実な行為かもしれない。
これって、困るよな。

小生は長年、この問題について考えてきた。
で、結局、結論は、無罪。
あくまでも法的に無罪というにすぎないのだが。
根拠は、疑わしきは罰せず。
結論が出ない、つまり何が正しいかどうかわからない状態を、「疑わしき」状態と判断した。

その結果、もし、しめしめと味をしめることもあるだろう。
そんなのは、やっぱり受け入れがたい。
しかし、小生は信仰者。
人間界の法律を逃れたとしても、神様の法律を逃れることはできないと信じている。

無神論者には受け入れがたいだろうが、人間は人間の心のなかを正しく知ることはできない。
冤罪だけにはどうしても加担したくないのだ。
神様の裁きにお委ねすることができるのは、本当にありがたいことだと痛感する。
匿名さん (85dmj2x1)2022/7/1 21:08削除
梶谷真司さんという哲学者がいる。
 同類の人の対話は、緻密ではあるが、退屈だ
と言う。
これ、わが教団と、元教団の人のやりとりを見ても通じるものがあると思う。

 緻密というが、たまには役に立つ議論もあるが、たいていはどうでもいいことに終始する。
「キリスト教化」論争も、教祖の聖言を見れば、別におかしなところはない。
にもかかわらず、あれこれ細部にこだわって、本筋から離れているのは明らかだった。

対して、
 異質な人の対話は、一方が当たり前だと思っているところに疑問を呈する。
ここなんだよな。
われら信仰者が当たり前だと思っていることを切り込むことを忘れてしまった観が否めない。
小生は昔から、教団で行う座談会が苦痛だった。
ためにする議論というか、最初から結論ありきの議論になることが多い、興味がわかないのだ。

小生は、どんな議論をしたいか。
「信じる」とはどういうことか?
まずは、ここからスタートするような座談会ならワクワクするだろうと思う。

というわけで、小生の「信じる」とはどういうことかを記しておかねばなるまい。
答えは、「信じる」と決めたからだ。
過去のある時点で、「主神様を信じる」と決めるような事態に直面しただけのこと。
今でも不安になったり、わるい予感がしたりとかあるが、
「信じる」と決めた以上、どこまでも信じていこうという前提のもとで行動する。
裏切られる、つまり自分の思い通りにならなかった場合も含めて、
「信じる」ことに決めたのだ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/15 10:24
鉄は錆びるものと思い込んでいた。
ところが、5000年以上も錆びない鉄があることを知った。
鉄鉱石から鉄を作るには、1500度以上の高温が必要。
ある程度、文化が発達しないと不可能だ。
1500度の高温を出せるようになる前にも、鉄はあった。
錆びないのは、この鉄だ。

現在の鉄が人工鉄とすれば、自然鉄ともいえるもの。
隕石のなかにある鉄で、隕鉄と呼ばれている。

錆びない理由を調べてみると、鉄でよく知られている火星には酸素がないから
錆びないという。
しかし、火星が赤く見えるのは、鉄が錆びて酸化鉄になっているためだというものもある。
つまり火星でも錆びることはあるというわけだ。
そのへんは定かではないんだが。

錆びない理由に、ニッケルが含まれているからというものもある。
だったら、人工鉄もニッケルを含めて作ればいいのにと思うが、そのへんも定かではない。

宗教者である小生の視点でいえば、自然界が作り出したものは、錆びない。
錆びは、金属の死だというものが、自然界つまり神が作ったものに死はないともいえるのではない
かと想像した。
人間だって、神が作り出した状態になれば、死はなくなる。
永遠の命というわけだ。

鉄は錆びてもいいが、人間はできるなら永遠の命のほうがいいなと思う。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/25 23:06
自分で選べるなら、やっぱり信じるほうを選びたい。
ざっくりとした体験では、信じるほうが得をすることが多い気がする。
疑いでいっぱいになるときもあるが、無理やりにでも、見て見ぬふりをする。

もちろん小生には信仰があるから、お委ねする。
そのことでかなり明るくはなるが、完全とはいかない。
それでも黙って、文句を言ったり、なんらかの行動に出ないようにする。

その結果、意外に、心配したようにはならない。
早まって文句を言ったりしなくてよかったと思うことがほとんどだ。

先週末から、ある人物に怒りがこみ上げていた。
今日、何もなかったようにふるまっていてよかった。
心からそう思えた。

無理やり信じることもないとは思うが、言葉を含めて、
行動の部分は慎重のうえにも慎重でいるに越したことはないと言えそうだ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/24 23:04
浮き沈みの激しい芸能界で、50年以上、第一線を歩き続けた人がいる。
仕事に追われて自分の時間がなく、世間のことはほとんど知らない。
今どき珍しいくらい、世間知らずだ。
だからといって、大きくだまされたこともないようだ。
だまされたとしても気づかないのかもしれないが、とくに困ったことがないからでもあろう。

周囲の人にも恵まれたようで、傍で見ていても嫌悪感を感じる面がない。

うらやましい気もするが、小生に堪えられるだろうかとも思わないでもない。
各自、自分が一番いいと感じる環境を、自分で選んでいるんだろなと思った。
返信5
c
childrenさん (7jrly483)2020/6/8 09:51 (No.88324)
聖書によれば、「メシア」は、白い衣服をまとい、羊のような頭(白)を
して現れるようだ。
これは、人間の姿で、ということになるだろう。

では、なぜ、人間の姿なのだろうか?
最初の人間を作ったのは創造主であり、以後は人間が人間を作ってきた。
となると、
最初のメシアは主神様がお作りになり、以後はメシアがメシアを作っていく
と考えていいのではないかな。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/6/22 20:50
歴史家の発言だが、
 一神教は、平等な社会になりやすい。
 多神教は、階級社会になりやすい。

一神教、つまり主神様に基づくと、すべては主神様のものであり、すべてのものは
主神様の一部ともいえるわけなので、上下関係などできようはずがない。
多神教は、それぞれが異なる神様につながるわけであり、神様の上下によって社会にも
上下が生まれるというわけだ。
なんとなくわかる気がする。

われら世界メシア教も、主神様につながる一神教だ。
本祝典前から、メシアの働きは地上で行われていたということだろう。

小生は、信仰歴だけは長い。
その間、多くの先達が教団から離れていくのを目の当たりにした。
総括的にみるちと、教団から重用されていた先達、自分は明主様、教団から重用されていると
自他ともに認める人ほど離脱しやすいように思う。
誰からも認められないけど、コツコツ目立たない信仰を続けていく人は割合に長く、現在も
信仰を続けている。

思うに、メシア時代の信仰、教団は、この平等を追いかけていかなければならないのではない
だろうか。
主神様から見た公平、それは人間にとっては平等という意識になるのではないかと思う。
よく平等は不公平を生むというが、本当にそうなんだろうか。
人間に、本当の公平なんかわかるはずはない。
だとしたら、せめて平等を意識していくしかないのではないかと思ったりしている。
返信1
c
childrenさん (7nlku3e0)2020/9/12 23:12 (No.120894)
日本を崩壊させようとする勢力は、今
宗教界に手を伸ばそうとしているらしい。
あの手、この手で入り込んでくるという。

キリスト教化だと非難する連中も、そのことを心配する声がないわけではない。
小生も、そのことを心配しないわけではない。
かつて、変な人たちが入り込んできたこともあったし。

しかしだ、小生は神様を信じる者だ。
もし、本当にお邪魔になるときがきたら、
神様はつまみ出されるはずだから。

小生は、批判者より、神様を信じる信者なのだ。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/4 08:54
ウクライナ侵略について、ロシアを擁護でもないのだろうが、
ロシアの事情をくみ取る意見がある。
 ウクライナと米国がつるんでロシアを追い込んだからであって、
 ロシアとしてはしかたない行動だ。
 太平洋戦争に追い込まれた日本の事情と似ている。

たしかに、人を国を追い込むと、とんでもないことが起こるのはよくある。
だからといって、正当化することはできないように思う。
正義かどうかという視点で語るなら、
あのときの日本の事情が本当に正義であったなら、あのような悲惨な敗戦とは
ならなかったのではないだろうか。
なぜなら、神様が放っておくはずがないからだ。

もちろん結果としてアジア解放につながったということはある。
その点があるから、戦後の日本は比較的早い時期に復興を果たしたのだと思う。

追い込むほうの責任もあるが、
追い込まれた側としては、そのことがあるからといって、他国の、他人のものを
盗んでいい理由とはならないのではないかと考えた。

緊急避難、正当防衛はあるが、これが成立する要件は極めて厳格なのだ。
そう、他に方法がない。
我らは、信仰がある。
まずは、というかどこまでも信仰に求めた解決を図ってからにしたほうが無難だと思う。
まぁ、「無難」などという手法を持ち込むこと自体が不謹慎なのではあろうが。
匿名さん (8482szl4)2022/5/2 16:38
「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持」
言うまでもなく、日本国憲法前文だ。

 かねてよりの近隣国からのいちゃもん、今年になってのウクライナ。
一体どこに「諸国民の公正と信義」なんてあるのだろうと疑問でいっぱいだ。
ないとは思わないが、いくらあっても個人の、いや個国の事情によって、無視されるのであれば
ないのと同じだ。

 信仰者である小生は、
  「主神様の公正と正義」
なら納得する。
無制限な力を持つ主神様なら、安全と生存を委ねることに異存はない。

 無信仰者は言うであろう、
 「歴史上、多くの戦争が宗教によって起こされている」
と。
代表例として挙げられるのが、十字軍だ。
たしかに、たしかに、否定のしようがない。

 しかし、反論するなら、できないこともない。
為政者や民衆を動かすために、宗教の名を利用した。
これは、当時の人を知らないし、人の心の中を正確に判断することはできないので、
一応スルーする。

 これ以外にも反論理由はある。
     メシアだ。

十字軍の時代も、その他の宗教に名を借りた戦争も、すべてメシア降誕前の出来事だ。
絶対力がないのだから、ときに人間の思惑、事情に負けることがあったとしても不思議ではない。

今後、メシアへの信仰が広まるにつれて、「主神様の公正と正義を信頼して」という憲法だって
ありになるかもしれない。
その日までは、必要に応じて軍備を捨てることは危険きわまりないと思う。
心配なのは、信仰心がなくなっているのは世界的傾向だということだ。
にもかかわらず、平和や非武装を声高に叫ぶ人の神経が理解できない。
匿名さん (8482szl4)2022/5/1 19:50
世界最古の国家とされるのは、サンマリノ共和国。
4世紀初頭の成立だというから、わが国では卑弥呼の邪馬台国時代より少し前に相当する。
十和田湖ほどの面積しかない小さな国だが、1500年以上、独立国家として存続している
わけだから、すごいを超えている。

サンマリノ共和国は、イタリア半島の中東部にあり、中立を守り通している。
その間、領土拡張の話ももたらされているが、きっぱり断っている。
また1万5000人の人口ながら、二次大戦中はイタリアからの難民10万人をきっちり食べさせて
いる。物資の流通が途絶えるなかでのことである。

やれ平和、やれ人権を唱える人々からすれば、理想郷といえる。
しかし、平和や人権を声高に唱える人は無神論が多いのに対し、サンマリノ共和国は
宗教国家だ。
建国の発端は、ネロと並んでキリスト教迫害で知られるディオクレティアヌス帝からの
迫害を逃れたことから。
岩山ばかりの厳しい土地に逃げたのだ。

イタリアのような戦乱の地にありながら、実際2度ほど外国勢力の支配下に入っているが、
短期間で独立を取り戻している。
強力な軍備もなしに、独立を守り続けるなんて驚異でしかない。

考えるに、ひとえに信仰の力があってこそなのではないだろうか。
信仰もなしに、軍備なく、独立を守るなんておとぎ話にすぎないと思う。
ウクライナを見て、再確認する。

平和、人権を唱える人々は、絵空事ではなく、本気で平和、人権を求めているのだろうか。
それはまさしく奇跡であり、信仰あってこそ初めて可能性が生まれるものではないかと考える。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/10/25 20:02
通称名がある。
外国人が、通称として用いる名前を、届け出ることにより、公式の場でも使える制度だ。
現在は外国人のみに適用されている。

これを日本人も使えるようにしたら、どうだろう。
夫婦同姓ではまずい事情のある人は、通称名を届け出る。
同性婚の人も、通称名でなら婚姻も可能にする。
同性婚の不都合は、相続についてが多いようなので、この部分の不都合は解消できる。

同性婚を望む人たちも、夫婦別姓を望む人たちも、自分たちの言い分にのみ制度を
変えようとする傾向が見られる。
しかし、異性婚を望む人も、夫婦同姓を望む人も圧倒的に多いと思う。
そこへの配慮もしなければ、やっぱり不公平だし、社会の安寧は守れないと思う。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/10/22 23:06
夫婦別姓、家制度問題がニュースに上がることが増えた。
個人的には、夫婦別姓は、通称名の使用で十分な気がする。
通称では都合のわるい人がいるのだろうか。
たとえば、どんな場面で?

家制度も、聖言によれば、
 成人した人は、親の膝下を離れるのがいい。
とあったような記憶がある。
だからといって、帰る場所がなくなってしまうのはやっぱり寂しい。

主神様は、明主様は、どのようにお考えになっていたのだろう。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/10/20 21:33
わが世界メシア教を、キリスト教化だと批判する連中も、日本を滅ぼしたい勢力だと、
小生は思っている。

えっ キリスト教化って、外国かぶれじゃないの!?
と思う人もいるようだ。
とんでもない、日本を生かすのは、世界を生かすことと同義である。
日本は、世界じゅうを取り入れて、白の文化を創り出す使命を担っているからだ。

教祖で、初代教主様だった明主様は、執着をとることを教えてくださった。
今、現教主様は、すべてを主神様にお委ねすること教えてくださった。
執着をとる、お委ね 同じことだと考えている。
だったら、何も言い換えることはないじゃないか、明主様の用いた用語でいいじゃないか!?
という声も聞こえてくる。

とんでもない。
明主様は、まず日本国内の布教を繰り広げるために、日本人になじみのある「執着」の語を
用いたのだと思う。

世界布教に向けて、どれだけ仏教用語にピンとくる人がいるだろうか。
だからこそ、世界布教に向けては、世界に馴染みのあるキリスト用語を用いて主神様を、
メシア降誕を伝えていく。
こういうことだと思う。

あれこれ、難癖つけてくる連中に、この深い配慮がわかるわけ、ないかぁ。
ダサいもんな、連中。
返信6
c
childrenさん (7mbvlhyy)2020/8/11 23:35 (No.111202)
香港が気の毒な状況だ。
誰だって、自由があったほうがいいと思うんだが、意外にも、
大陸の人たちは、そうでもないらしい。

というのは、自分たちがこんなに不自由なのに、なぜ香港だけ自由なんだ!
という声があるのだそうだ。

自分が不幸だから、幸福な人を不幸にしてしまおう。
こんなことをやっていたら、永遠に自分に幸福はやってこないと思う。

より幸福なほうに、より自由なほうに、自分たちを合わせていく。
そのほうが賢明だと思うんだけどな、
ジェラシーの愚ってあるよな。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/4/15 23:35
専門家によれば、ウクライナ侵攻は長引くことが予想されるとか。
別の専門家によれば、ロシアにはロシアのウクライナ侵攻をしなければならない事情があるとか。
その真偽は定かではないが、プレ世の終わりの戦争になるという声まである。
世界最終戦争だ。

これもやっぱり、尾行・盗聴・盗撮と同じところに起因するように考える。
他人のものと自分のものの区別がつかない。
他国のものと自国のものとの区別がつかない。
神様のものと人間のものとの区別がつかない。

世界を支配するのもいいが、世界を支配できるだけの能力を持った人間などいないと思う。
能力もないのに、支配しようとするから、支配される方はとんでもない迷惑を被る。
なぜ能力がないかといえば、神様のものだから、支配できる能力を持っているのも神様だけ。
無信仰者にこんなことを言っても聞き流されるだけだろう。
本当は今こそ、信仰が必要な時代だと思う。
それも世界を支配できるだけの能力を持った神への信仰だ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/22 22:14
ウクライナ。
どうせ勝てないんだから、相手の要求を受け入れ、国民を守るべき。
こんな意見がある。

一概に否定できない部分もある。
だからといって、不当な要求を受け入れると、いつまでも不当な要求は続くものだ。
どこかで拒否しなければならない。
その、「どこか」について考えてみた。

そこに正当性があり、相手の要求が不当なものであると判断できる場合。
不当な要求を突き付けられた側が、その要求と戦うという意思がある限り、
やはり、できるかぎりの応援をしていきたい。

これをわが教団に当てはめてみる。
小生は、今回の騒動の前から、おかしなものは感じていた。
しかし、小生は、教えについても教団についても、神様から託されたものはない。
だから、おかしいなと思いつつ、特別な意思表示はしてこなかった。

しかし、教主様の方針が明確になり、それは小生の考えていたものでもあった。
だったら、できる限りのことをして支援しよう。
そのために失うものがあったとしても、しかたない。
そんな気持ちだった。

教団のことと、ウクライナのことはもちろん完全に一致はしない。
しかし、どこまでも戦うという意思を打ち出している限り、力の続くかぎり
応援していきたいという気持ちは別におかしなことではないと考える。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/16 20:03
作家の井沢元彦氏によれば、
神のいない国に、平等はなく、民主主義もない。
とのことだ。

よく人は平等だと言われるが、優秀な人もいれば、愚かな人もいて、身体強健な人もいれば
虚弱な人もいる。善行の人もいれば、平気で悪事を重ねる人もいる。
どう見たって、平等なはずはない。

では平等とは、どこから来るかといえば、神だ。
神と人間の差に比べれば、人間同士の差はないに等しい。
つまり、神がいるから、人間同士の平等もありうるということになる。

戦争だって、神がいないかぎり、やむこともない。
民主主義だって、やはり神がいないかぎり成立しない。
小生は民主主義はどうでもいいんだが、自由は守りたい。
自由だって、きっと神様がいるから成立するんだろうなぁ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/12 22:50
戦争の原因は、気候だという学者がいるそうだ。
ウクライナ侵攻ももちろん、背後には機構問題があるのだという。
言うまでもなく、この説の真偽を議論するスキルなど、小生にはない。
したがって仮に真だとして考えてみた。

近年は、人工的に雨を降らせることのできる時代になった。
だからといって気候全体を操れる技術が生まれるまでには気の遠くなるほどの歳月を
必要とするだろう。

したがって今現在、気候を完全に操れるのは、主神様だけ。
なぜなら創造主だから、気候もちろん主神様によって作られたものだからだ。
だとすれば、無心思想の国ロシアには気候問題を解決することは不可能ということになる。
ひいては永遠に戦争をし続けるしかないということにもなる。

かといって無理やり有神思想を押し付けることもこれまた、無神思想者と何ら変わりないことになるので、
やぶへび。
しかたないので、小生得意のお委ね。
ロシアのことを主神様にお委ねすることにした。
同時に小生は、主神様を求めて、気候問題を減少させ、
少なくとも争いごとの加害者になるようなことだけは回避させていきたい。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/2 22:57
ウクライナが気の毒な状況だ。
ここでも、しばしば登場させていただいている、
キリスト教ユーチュバーの高原氏によれば、
今回のウクライナ侵攻は、エゼキエル戦争そのものではないが、
前段階の出来事としての可能性は否定できないそうだ。

エゼキエル戦争。
聖書に出てくる、大艱難時代の始まりとも言われる戦争だ。
最後の審判の始まりといってもいいのではないのかなぁ。

いよいよ始まりました。
メシア降誕本祝典もすぐそこに。
のんきにしていて、本当に大丈夫かいな?
返信5
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/11/21 22:14 (No.142590)
最近、わが教団では、基本的にだが、善言讃詞が廃止の方針が打ち出されている。
先週半ば、小生もこの方針に則ることにして、夕拝時に奏上していた善言讃詞を辞めた。
もちろん善言讃詞への思い入れはあったので、丁寧に御礼を申し上げたうえでの決行だ。
そして不都合があれば、いつでも復活させることを前提にしてだ。

その結果、廃止と時を同じくして、物事が急に動き出した。

いまのところ、善言讃詞廃止は、好結果をもたらしている。
このまま続けて行くことにした。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/4/8 21:18
おもしろいユーチューブと出合った。
天津祝詞を唱えなくなった理由を、聖言から説明している。
こんなのが増えるのはいいことだと思う。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/3/4 19:52
もう一方の善言讃詞。
これは法華経に由来するようだ。祖、明主様のお歌にもあるように、仏はすべて神にもどられた。
いつまでも、法華経に依存しているのは、仏様にも失礼かもしれない。
去るものを追うのは、去るものにとっても、負担になる。
以前、仏教の僧から聞いたことがあるが、
亡くなった人のことは一日も早く忘れあげるのが最大の供養。

仏だって同じように、いつまでも依存されていては迷惑というものだろう。

ところで、仏教は、無神思想だ。
明主様信仰者が、今一つ神中心になれない理由の一つはそこにあるのかもしれないと
思ったりするのだ。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/3/3 18:58
小生は、かなり昔から疑問に思っていた。
天津祝詞。
イザナキ、イザナミは、日本人の祖とされる神様だ。

教祖、明主様のご聖言によれば、
「日本人は最も新しい民族」
ということは、イザナキ、イザナミの前から人類はいたことになり、
それを支配する創造主、主神様もいらしたわけだ。
イザナキ、イザナミの前の時代はどうなるんだろう?
主神様なのに???
漠然と、そんなことを考えていた。

今年から世界メシア教では、天津祝詞がなくなった。
これを疑問視する声がないこともないが、小生はかなり納得している。

神道ゆかりの祝詞を使わせていただいてきたわけだが、
やはりメシアという絶対神が現れるまでの仮であり、借りだったのでは
ないかと考えている。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/18 21:35
善言讃詞がなくなり、天津祝詞がなくなり、ずっと前に神言もなくなっている。
現在は、ご神名のみだ。
そのご神名そのものも、変った。
このことに違和感を覚える声があるようだ。

思うんだが善言讃詞も、天津祝詞も、神言も仮のものではなかったのかな?
というのは、教祖明主様は、「いずれ祝詞の形式も確立していく」というような
ご発言があったようなことを記憶している。

とずれば、明主様が構想していた祝詞の形式に向かって一歩、前進したことになるのでは
ないだろうか。

自分が初めて体験したことを、すべてと思い込む。
これは人間に備わったクセらしいが、違和感を覚える信者さんたちは初めて
体験した祝詞が完全無欠であるかのように思い込んでしまっただろう。

「いずれ祝詞の……」のご発言が、小生の記憶違いでなければだが。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/6 14:44
トランプ米大統領の功績の一つに、
新しい規制を作ったら必ず、旧規制を廃止するというルールを定めたことがあるそうだ。

設立当時は必要だったが、社会の変化によって、必要のなくなった規制は必ずある。
だから、この不必要な規制を廃止していこうということのようだ。

立法府と廃法府。
教祖の聖言にもあるところだ。

これは法律にかぎらず、社会のあらゆるところにあると思う。
旧来の習慣をいつまでも続けてしまう。
なんとなく、その習慣を作った人にわるいから、なにかわるいことがあるかもしれないからと
止めることができない。

善言讃詞だって、必要な時代はあった。でも仏が神にもどられた現在、必要ではないかもと
いう考えくらいは起こって不思議はない。
実際に廃止するときには、個人の方法によればいいが、
だからといって、教祖に反したという批判には当たらないと思う。
浄霊が短くなったと批判する人もいるが、実際にやってみるとどうなんだ。
せめてこのくらいは、視野が及んでいいのではないだろうか。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/11/24 21:41
聞くところによれは、善言讃詞は、法華経に由来するそうだ。
仏は、時期が来るまで、仏の姿に化身していた神だ。
天国が成り、時期が来たので、いつまでも仏のままでいるのは気持ち悪いに違いない。

だから本来の神の姿になっていただき、神としてのお働きをしていただきたい思いから、
善言讃詞を辞めることにした。

本当にいままでありがとうございました。
いつまでも執着しないほうが、仏様にとってもいいことだと判断した。
返信6
c
childrenさん (7mnajeg4)2020/8/19 23:19 (No.113643)
御教えにこだわる信者は多い。
比べて、明主様の全体にこだわる信者は意外に少ない、ようだ。

参拝して、浄霊を戴いて、奉仕して、罪穢れが消えたときに、天国に行けると
信じている信者は多い。
しかし、明主様は、脳溢血の浄化に苦しむ際中に、メシアになったとおっしゃった。
このことを知っている信者は多いんだが、なぜか目を向けようとしない。
そこに目を向けさせてくれたのは、世界メシア教だった。

だから、小生は世界メシア教の信者になれたことを誇りに思っている。
明主様の全体に目を向けることを教えていただいたからだ。

冷静になってみ教えを振り返ってみると、小生が知る限り、
参拝、浄霊、奉仕に取り組んでいれば天国に行けるなどいう記述は思い当たらない。
日々取れていくいく曇り、新たに積んでいく曇り。
差し引きしたら、いつまでたっても、曇りのすべてが取れていく日など、天文学的年月だ。

そんな現実には起こりえないことを、教祖・明主様がおっしゃるわけがない、と思う。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/30 22:10
現在は、学力に応じて、各種の学校がある。
通常の学力に満たない子どもばかりが行く中学校に通って一年が過ぎたそうだ。
親としては、無能の烙印を背負わせるような学校に、わが子を通わせることは
少しばかり葛藤があったそうだ。

しかし一年がすぎ、毎日、休まず学校に通うわが子の姿を見て、こだわりは消えたそうだ。
読み書きもできるようになり、計算もできるようになった。

通常の学校に通っていたころは、やはり見下され、からかわれ、バカにされることも
あったせいで、学校は休みがちだったとか。
現在の中学校は、同じような学力の子どもばかりなので、差別されることはないので、
気持ちよく学校に行っているのだろうと、親はうれしそうだ。

思うに、人にはそれぞれ事情がある。
他人からは理解できないことも、それなりの事情があるのだ。
事情も知らずに、他人を責めることは実に恐ろしいことだと思った。
スローペースでも読み書き、計算を身に着けるチャンスを奪ってしまうことになるからだ。
責めないということは、それだけ自然のリズムを破壊しないことであり、
主神様のみ心に叶うことなのではないだろうか。

ま、甘やかすこととの線引きが難しいのではあるが。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/28 22:52
最近、耳にする機会が増えた気がする、日本語力の低下。
一般社会の出来事に向けた意見だが、わが教団にも当てはまると思う。
 日本語力が低いから、好きな言葉、刺激的な言葉にしか反応しない。

行間を読めない、時代を加味できないなど、これまでも言われてきたことに
加えて、言葉を勝手に取捨選択して理解してしまう。
だから正確な判断もできないし、不正確な判断に基づいて、他者を非難攻撃してしまう。

さらに、元々低下した日本語力で、近年はネット画面からしか言葉を読まない。
紙媒体に比べて、ネットは理解には不向きな媒体なのだ。
一般にネットの場合、せいぜい200字程度のまとまりしか、人間には理解できないのだそうだ。

どう読んでもおかしくないのに、み教えに反している、明主様に逆らっている、
さまざまな教主様批判も、背景の一つには、こうした日本語力の低下によるものなのかもしれない。

小生も例外ではないだろう。
聖言を拝読するときは、可能な限り、紙媒体を離れないようにしようと思っている。
奴らみたいに、マヌケな理解しかできなくなったら、損だもんな。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/15 21:18
夕拝のとき、明主様御在世当時の出版物を拝読している。
そのなかには、明主様に求めた人の話が出てくる。
想像もできないほどの病の苦しみにあえいでいた人も少なくない。
 せっかく明主様にご縁をいただきながら、幾人の方がメシアの救いに巡り合えたのだろう。
そんなことを考えてしまう。

で、小生は、そこに名前の出てくる方に向かって、心のなかで語りかけることにした。
「天国はもうできています。主神様の赦しをお受けしてください」

昭和20年代のことだから、大半がこの世にはいないだろう。
本当に届いているかどうか、もちろんわからない。
それでも、じっとしてはいられない。

メシアの救いを一人でも多く、霊界におられる方々も含めて、届けたい。
返信3
c
childrenさん (7k3qifur)2020/6/16 21:32 (No.91255)
どんなに思い続けても振り向いてくれないので、諦めて他の人にアプローチを開始した。
そのとたん、突然、振り向いてきたりすることがある。

恋愛だけでなく、仕事など様々なことで同様のケースを辿ることがある。
神様ってイジワルだなと思ったりするんだが……。

御教えによれば、物事を停滞させる原因には、我と執着がしばしばあると記載されている。
これは、一旦、自分の思いを神様に委ねるということだと思う。
自分ではいいと思ったことも、一旦、神様のみ心に委ね、神様の判断を仰ぐということ
ではないだろうか。
返信
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/10 22:28
どうしたことだろう。
いい仕事が入り続けている。
今年の年頭の願いは、経済的に恵まれることだった。
それが、こんなに早く具体化したということだろうか。
だとしたら、嬉しいのだが、
スケジュール調整を考えると、いささか重苦しくなってしまう。

小生の性格の暗さなのだが、いいことがあっても素直に喜べない。
神様のご守護だという思いもないではないが、同時にワナではないかとも思えてしまう。
経済的に恵まれたいという願いを狙って、邪神がワナをしかけているのではないだろうかと
勘ぐってしまうのだ。
なにせ、スケジュールがどうにもならない。
1つを選べば、1つを捨てるしかないからだ。
選んだ1つがいつまで続くかわからないし、捨てた1つを悔やむことになるのではないだろうか。
あれこれ考えて、どんどん重苦しくなってしまう。

その思いを抱えて、夕拝。
 すべてをお委ねします。
近頃、得意のパターンだ。
すると、少しずつ気持ちが軽くなってきた。
小生は、天国人。
天国人としての解決を、きっと神様がご用意くださっていると思えてきた。

小生の心は決まった。
やはり、以前からやりたかった仕事を選ぼう。
せっかく、いただいたチャンスなのだから。
その結果、1つを失くしたとしても、後悔したとしても、
主神様のみ心だと捉えさせていただくことに、気持ちは決まった。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/7 23:02
カレーのレシピを書けと言われたら、やっぱりカレーのレシピを書かなければ〇はあげられない。
神様が、こんな目的に使おうと思って人間を作ったら、やっぱり神様の意図に沿うように
しないのといけないのと同じだろう。

体験発表も、いつしか教団の宣伝をしないといけないという構図が出来上がっているのでは
ないだろうか。
小生の性格が、ひねくれているせいかもしれないが。

神様もそう思っていらっしゃるのだろうか?
本当は、本当のところをお知りになりたいのではないだろうか。
そんなことを思ったりしている。

体験発表の場が、神様を、教団をほめたたえる場だという既成観念が、
体験発表をしにくくさせているということだってありうる。
元々、神様のことをほめたたえるのが信仰だとは思うが、
どれを読んでも同じってことはあるのだろうか。
神様ってスゲーと思うのは、気づくのは、人それぞれ異なる視点があってしかるべきだと
思うのだが……。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/3/6 23:47
他宗教の方なのに、一方的にお世話になりっぱなしなのが、
キリスト教ユーチュバーの高原剛一郎氏だ。
惜しげもなく聖書を披露してくださるし、ありがちな宗教臭がないのが魅力だ。
なぜ教祖明主様が、キリスト教に一目置いていたのか、その理由がわかる気がする。

その高原氏が、最近、おもしろいことを仰っていた。
たしか、読書感想文。
中学生だったか、高校生だったかが、読書感想文を書けと言われて、反発した。
自分の心のなかのことを、なぜ、他人に言わなければいけないのか?
というわけだ。

この気持ち、小生にはよくわかる。
以前、体験発表をしてくれと言われたとき、同じことを思ったからだ。
信仰心というものは、どこか恋愛に似通っていて、他人には知られたくない部分がある。
わるいことをしているとは思っていないのに、やっぱり他人には話したくないのだ。

で、この生徒に、教師が言った。
「だったら、その書きたくない気持ちを書いたらどうか」
それ以来、その生徒は文章を書くのが大好きになったという。

体験発表をしたくない理由は、単に自分の心のなかの出来事だからというだけではない
のかもしれない。
こう書かなければいけない、こんなことを書いたらいけない。
その気持ちは、知らず知らず、自分をうそつきにさせてしまうことでもあると思う。
その思いが、体験発表アレルギーを引き起こさせる。
この気持ちが、体験発表を理由の一つにあるのではないだろうか。

ちなみに、この先生は、この生徒の作文に〇をつけたそうだ。
でも小生は、✕をつけるだろう。
作文としての価値は高いと思うが、読書感想文を書けという設問とはズレている。
問いには、正確に答えるなければ〇は付けられない。
c
childrenさん (85dmj2x1)2021/12/31 19:49
2021年も大みそかを迎えました。
足の痛みに翻弄された1年でしたが、年の瀬が近づくにつれて、
足に力強さがよみがえってくるのを実感している。

2021年の心に刺さるみ教えは、
 これまで許されてきたことがだんだん許されなくなってくる。
 几帳面さが求められる。
だ。

神様は、本当に優しいと思うが、それと同じくらい厳しいと思う。
2022年は、メシア降誕本祝典が予定されている。
本格的にメシアの働きが始めるのは、いささか怖い気がしていたら、
現在は、かなり変わった。

メシアのお働きに、正念を据えて、お仕えしたい。
その気持ちになれたことがいささか嬉しい。

皆様、一年、感謝、感謝.
返信4

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