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c
childrenさん (7l6dyp5e)2020/7/13 22:43 (No.101691)
祭政一致。国にできない以上、民間が担うしかない。
だからこそ、宗教法人には税金が課せられないわけだ。

逆にいえば、国家や社会のための活動ができていない宗教法人は、
不当利得を得ているともいえる。

教団の発展や、幹部、職員の待遇改善にのみ意を用いている宗教法人は、
神が赦すとは思えない。
もちろん、これ見よがしに社会活動を吹聴したりしていても、本心の部分が
ズレていたら、やっぱり神の目には歴然となると思う。

目に見えない部分をしっかり担うことができているかどうか。
宗教法人の選別は、この視点でなされているのではないかと思ってみたりする。
返信
c
childrenさん (9frykn8j)2025/3/10 20:27削除
躍動の会、スタート!
兵庫県は、わが世界メシア教にとって、特別な地。
しかも、エルサレムにも通じると捉えている西宮市から
動き出した。
もっといえば、西宮市選出の議員は、東から移り住まれた方だ。
特別な感慨が湧いてくる。

兵庫県が動き出した。
世界も動きだすね。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/1/8 14:32削除
生の情報を得るため、被災地に行き、支援食糧のカレーを
食べて批判されている国会議員がいる。
カレーくらいいいじゃんと思うが、そうはいかないらしい。
ボランティアとして最大の恥をさらしたということにあるそうだ。

主の光教団、熊本で大地震があった。
ほとんど無傷だった教団施設は、市だか県だかから、ボランティアを宿泊されて
くれるように要請された。
快く引き受けた教団施設は、食事やお茶、お風呂をふるまおうとしたが、一切ノー。
被災地の人の世話になるのは、ボランティア最大の恥なのだと説明したという。

熊本地震は地の決壊が激しく、テントや寝袋で寝ようとする許可が出なかったとかで
寝るところだけ甘えさせてもらったのだと、ひどく恥じ入る様子だったと聞いた。
体を清めるものも、水も食糧もすべて自前で準備して初めて、ボランティアといえる
のだなぁと、小生は初めて知った。
ボランティアへの見方も変わった。

現地の食糧を食べるなど、ボランティアとして絶対あってはならないこと。
あっ、彼はボランティアが目的ではなかったということか。
なら目的は、どこにあったのだろう???
現地の食糧を取り上げてまでしなければならないほどの目的とは、いったい何んだ??????

皮肉はさておき、神様への奉仕も自戒せんといかんなと思った。
c
childrenさん (8xxl97s3)2023/12/14 10:38削除
政治家とカネの問題。
裏で糸をひいているのは、誰だとか、彼だとか。
それらの人物もあるんだろうけど、小生は、張本人は
故安倍さんだと考えている。
安倍さんの姿が見えなくなっただけで、不安になった政治家さんたちが
信念を変えてしまった、ように見える。

それを憂いた安倍さんが、「しっかりせー」という意味で、安倍派政治家たちを
叱責している。
そんな図式だ。

体がなくなればいろんなことが見える、のかもしれない。
体がなくなったほうが、自由に動ける、のかもしれない。

世間では、いろいろ非難しているけど、本当に安倍さんの叱責だとすれば、
見込みのある人間。
改心してもらわないと困る人間。
そういう人間ほど、窮地に陥ってくると思われる。
だから非難はテキトーなところで終わらせ、彼らの復活を願おうと思う。

安倍さんは、今もいるよ。と教えてあげたい。
唯物主義者にはわかんねーだろうけどね、この思い。
c
childrenさん (8xxl97s3)2023/12/10 20:58削除
先週、前後の用があって弁護士と会った。
用が終わって、雑談でもりあがった。
 あぶないお客なんて、いっぱいいるよ。
40歳前後の男性弁護士だが、いろんな不満をぶちまけていた。

弁護士には、奉仕活動が義務付けられている。
 なぜ弁護士だけ、無償奉仕を強制されるんだ!
そんなことを言っていたので、無償の話しは嫌がられるかなと思いながら、
ダメ元で言ってみた。
 報酬なしなんですけど。
 それは全然問題ないです。
意外だった。

どうやら、彼の不満は金ではなく、「強制」のほうのようであった。
死刑廃止など日弁連が打ち出しているが、これらはいつの間にか、ほとんどの
弁護士が知らないうちに、決まっているのだと言う。
 そのくせ、FAXで自分たちの主張への協力を押し付けてくる。
 せめて、決める前に、議論くらいあってもいいと思う。
最後は、弁護士らしく論理で説明していたが、いつまでも話をやめようとしなかった。
遅い時間に訪れて、最初は少し不機嫌気味だったのに。
こちらが話を切り上げなくては、夜通しでも話していそうな勢いだった。

どうやら気のいい人間のようなのがわかって、小生も気分よく事務所をあとにした。

一人一人のなかにメシアがいる。
人々は、自律したがっている。強制されることを不快に思っている。
強制は、メシアに対しての無礼なのかもしれないと思った。
c
childrenさん (8wvvh8wb)2023/11/25 12:49削除
他教の方だし、あんまり好印象を持っていない方だし。
なんとも言葉なかった。
とはいえ、一つの時代をリードした方なので、完全スルーも申し訳ない。
というか、悔しい。
言葉を探しているうちに、時間が過ぎてしまったのだが、
池田大作氏の帰幽に、
  冥福を祈る。


世間では、一つの時代が終わったと言われている。
小生も、そうなってほしいと願っている。
一つの時代とは、人を信奉する時代だ。
あの人はいいとか、あの人はダメだとか、そういう時代が終わってくれることを
願っている。
いわゆるカリスマ時代の終焉だ。

これからは個々の人々が、各自の分野でカリスマになる時代だと考えている。
なぜなら、一人一人のなかに、メシアがいらっしゃるからだ。
一人一人がメシアとしてあがめられないと、一人一人の中にいらっしゃるメシアに対して、
大変な無礼を働いてしまうことになると考える。

有力者とか、実力者とか、カリスマとかがどんどん自滅していっているのは、
その現れだと思うんだけどね。
c
childrenさん (8wvvh8wb)2023/11/18 17:43削除
その昔、ギリシャやローマでは民主主義が行われた。
この民主主義は、政治に参加できるのは、戦いに行く人だけ。
命をかけて国を守る人だけしか、政治には参加できなかった。
政治に、自分たちの意見を反映させることはできなかった。

今、選挙に行く人はどんどん減っている。
選挙に行かなければ、政治参加の場は限られる。
古代の人々は、この状態を知ったら、なんというだろうか。

思うに、命をかけなければ手に入らないものは政治だけじゃないのではないか。
仕事だって、家庭だって、友人だって、命をかけずに手に入るものなどないのでは
ないかと。
もちろん、信仰だって、同じだ。

都合のいい部分だけ、捧げていても、神様の御心なんて永遠にわからせていただけないのではないか。
すべてを捧げることなく、御守護だけ期待する。
こんな人らを神様は、なんちゅう図々しい奴らと思うかもしれない。
う~~ん、いろいろ考えるね。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/1/25 22:04
自分の気持ちを十分に表現できる言語を持つことは、精神衛生上
大切だと言う説がある。
小さいころから、外国語教育をことさら強制し、土台となる言語を持たない。
バイリンガルなどもそうだが、荒れる子どもの一因には言語があるのだという。

バイリンガルが荒れているかどうかは知らないが、気持ちが十分に表現できない
と心がすさんでくるのは想像できる。
外国語教育には賛成だが、それと同じくらい母国語をもっと身に着けたいなとは思う。
言葉は、大事だ。
ことたまとの関係があるのだろうか?

以下は、上記本文とは関係ない。

I decided to start studying English.
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/1/24 22:15
おそらく、サラリーマン川柳ではないだろうか。

 お迎えは、いつ来てもいいけれど、今日は嫌

ある高齢の信者さんが、この川柳を聞いて、救われたと言う。
ご自分の気持ちにぴったりなのだそうだ。

宗教者は、意識するとしないとにかかわらず、こういえば神様のお気に召すだろう
という前提の下で発言してしまう傾向がある。
神様からのお迎えに逆らえるはずはなく、逆らう気持ちもない。
だから、自分はいつ死んでもいいと、自分でも本心だと思い込んで、公言してしまう。
どこかにしっくりこない部分があることは気づいていても、見てみないふりをしてしまう
のが、クセになっているところもあるのだと思う。

それでいいのだと思うし、そのほうが社会生活は送りやすい。
それが話し言葉だ。
話し言葉で本心を言いすぎると、とかくどぎつくなったりもする。
でも、歌なら、歌なら、言えないこともある。
話し言葉でしっくりこない部分を表現しなさいとことで、神様は歌をくださったのだ考えている。

小生は、心から羨ましい。
この話し言葉でしっくりこない部分に気づき、表現する言葉を持っている人が心底、羨ましい。
歌って、本当にいいよなぁ。
川柳が、歌に分類されるものかどうかは知らないんだが。

教祖、明主様の和歌に、
 和歌は御国の光なるらん
だったか、本当にそうだよなって思う。
明主様にも、話し言葉では表現できない部分があったのだろうなと思ったりもする。
返信8
c
childrenさん (9frykn8j)2025/2/21 23:44 (No.1393582)削除
世界救世(メシヤ)教。
日本語と外国語が一緒になっているから、いづのめ。
いづのめだから、理想形だという信者がいる。
これは、いづのめにとどまっているのが理想形だと考えているってことだと思う。
しかし、明主様のお仕事は、いづのめの先まで見据えたものだったと考える。

小生には、漢字につつまれたなかに、「メシヤ」が入っている形に見える。
つまり胎児。
日本語と外国語、縦と横が結ばれたから、受精した。
やがて誕生したのが、世界メシア教ということだ。
小生には、そう思える。
返信
返信0
c
childrenさん (7md4umvt)2020/8/12 20:42 (No.111407)
間違った事実に基づいて、間違った判断をし、
他者を傷つける。

事実ではないことを知りながら、意図的に他者を非難する人は論外だ。
そうではなく、本心から、間違った事実を真実だと信じ込み、
他者を非難する人は、本当に困る。

宗教界にもよくあることで、わが教団も今もって、この被害に遭い続けている。
他者を非難する前に、せめて神様に問うてみてほしいものだ、
「自分は、こう思っているのだが、神様の意図に沿っているのでしょうか」

そうすれば、的外れな非難は、少しでも回避できると思う。
ひいては、罪を作らずに済むのではないかと思う。

そ、キミたちのこと、きみらのこと、だよ。
返信
c
childrenさん (9frykn8j)2025/2/15 20:44削除
人間の体が間違ったことをして、病という状態に陥ったとき、
正しい方向に進むようにしてくれるのが、IPS細胞のようだ。
このことの是非はさておき、IPS細胞という言葉は知っていても、
中身は全く知らない。
小生のような文系人間は、知ろうという意欲すら生まれない。

最近、ひょんなことから、IPS細胞を知ることになった。
文系脳での理解だから、詳細な正確性までは責任持てないが、おおまかにはまちがっていないと思う。

最初の細胞は、どんなものにもなれるように仕組まれている。
ところが一旦、手や耳、目などに分化すると、手だけ、耳だけ、目だけの方向にしか進まなくなる。
これを最初の細胞にもどして、手にも耳にも、目にもなれるようにするのがES細胞だ。
ES細胞は、ご承知のように、最初の細胞として受精卵の状態に使用する。
受精卵は、すでに生命だとして反対する声が強い。

対してIPS細胞は、分化した細胞に、いろいろな操作をして、最初の細胞と同じ働きを持つようにしている。
ES細胞への反対意見は、IPS細胞には及ばないという点に、IPS細胞の優位性がある。
もっともIPS細胞は、がんになりやすいと懸念する声もあることは記しておきたい。

医学的なこと、生物学的なことは、小生の守備範囲を超えている。
信仰者として思うことは、最初の状態にもどせば、どんな方向にも進めるという点である。
もし精神面にも通用するならだが、
人間はよく間違いを犯す、そして後悔しても、もはや間違った方向にしか進めないことが多い。
そんなとき、最初の状態にもどせば、新たな方向性が見えてくるのでないかという思うんだよね。

小生らの信仰人生には、多くの間違った方向に行ってしまった仲間がいる。
一度、最初の信仰にもどしてみたら、違う方向だって見えてきたんじゃないかなと、いうわけだ。
その意味で、「すべてを神様にお委ねいたします」という信仰に出合えたことに、大いに感謝した
しだいである。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/1/25 13:37削除
派閥解散のニュースを見ていて、確認する。
大学教授の野蛮性を見ていて、確認する。

強い派閥にいることで、自身の栄達、安泰を図ろうとする政治家たち。
まさしく政治屋さんだったのか!
大学教授の肩書だけで、どうにも理解できない論理を公言する。
まさしく無知蒙昧だったのか!

神の目から見れば、人はすべて平等。
いまさらながら、平等だと痛感する。
とくにメシアが降誕してから、顕著になってきたのかなと痛感する。

権力や肩書だけでは、人は動かなくなってきたのを痛感する。

他人のことはどうでもいいんだけど、教団だって、そう大きく変わらない。
地位や立場で人を動かそうとする人がいなかったのかなと。
中身といっても、急に中身が向上するわけでもないんだが、
せめて向上しようという気持ちだけは忘れたくないなとな。

余談だが、今年になって、死者が急増しているということをきいた。
事実の裏付けはとれていないんだが、コロナワクチンとの関係を挙げる声もある。
世間の価値観ってやつも、やっぱり当てにはならなくなった気がする。
世間の価値観って、地位や権力が作り上げたものも多いからな。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/1/21 23:58削除
小生は、怒っておる。
わが教団発行の冊子によれば、
 いづのめ教団から多数の信徒が、主の光教団つまり世界メシア教に移籍したことで、
 いづのめ教団は信仰活動費に支障が出ている。損害賠償を請求する訴訟を起こしている。
とのことだ。

まず第一点、信仰は教団を信仰するものではなく、神仏を信仰するものである。
神仏との向かい合いのなかで、信徒が自分の頭で考え、自分の責任で教団を選択したのである。
その結果、運営に支障が出た教団があったとしても、損害賠償などありえない。
重ねて言うが、教団運営のために信仰しているわけではない!

世間での宗教信者に対する目には、信仰する人間は自分の意思で考えず、行動しないように思われる
節が否めない。
しかし、これはフェーク情報。
実際には世間の人より自立している。
なぜなら常に神に向かっているから、光を受ける。
光を受けるから、浄化し、頭もよくなる。
嫌でも、自分の頭でものを考えるようになるものである。

世間の奴らは知らないからフェーク情報に惑わされるのもしかたがない。
しかし信仰者であるいづのめ教団の人間が、フェーク情報に惑わされるのはどうなっているんだ。
自分の体験から、信仰すればだんだん自立することくらい実感しているだろうに、どうなっているんだ!?
まさか、いづのめ教団では、教団の意思通りに動く信者を養成し、神に向かわせないように
信仰指導をしてきたわけではないだろうな?
そんなことはないだろうな?

第二点めは、現在わが世界メシア教にいる元いづのめ教団の信者は、いづのめ教団から
追い出された信者さんたちがほとんどである。
自分で追い出しておいて、自分が困ったからといって、損害賠償を請求するなんて道理が
どこの世界にあるのか!?
健忘症にでもなったのかな???
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/1/16 22:32削除
聖言。
われら明主様信者は、明主様の聖言を正しく理解していたのだろうか。
なんとくわかった気がしていたり、誰かの解釈をそのまま信じ込んでいたの
ではないだろうか。
よく拝読してみると、??? と思う箇所が多々ある。

  今までは許されていたことが、だんだん許されなくなってくる。
  これからは几帳面に、明確にしていかないといけない。

今までは、なんとなくだったり、誤解釈でも許されていたが、
これからはそうはいかなくなるってことだよな。

聖言を几帳面に理解していくこと、大切だなぁ。
一から拝読し直しだなぁ。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/1/9 22:12削除
裏どりしてはいないのだが、聞いた話。

仏教はインドで始まったとされている。
アショーカ王やカニシカ王の時代には、全土に風靡したといっていいだろう。
その後、イスラム化が進み、仏教は壊滅した。
ゼロといっていいほどなのだそうだ。

そのインドで再び、仏教が活性化しているというのだ。
仏教徒は、人口の7%ほどというから、1億ちょっといったところだろう。

仏教が復興した理由は、差別がないからだとか。
イスラムというか、ヒンドゥー教は伝統的に差別が厳格だ。
このことに耐えかねた被差別民たちの手によって、仏教の復興がスタートした。
仏教は、身分差別がないからな。

世界メシア教の信者としては、仏はすべて神のもどったと信じている。
だから、仏の力に期待しても無理なんじゃないかと思ったりするが、
そのへんは、特別な配慮をもって、インドの復活仏教徒を導いていただきたいなと
願いたくなる。

差別はいけないのは当たり前だけど、これがなかなか実現しない。 しなかった。
ついに過去形ではなく、現在進行形になってきたのかなと思ったりする。
メシアが降誕したんだもん、人類は皆メシアであり、平等な社会がやってくるのだと
信じている。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/8/24 21:18削除
同僚から聞いた話。
いくつかある立ち飲みコーヒーチェーンの都心店でのこと。
見た目、白人系の外国人だが、日本語はかなり堪能。

アイスコーヒーを注文し、氷はいらない。そして、
氷のない分、コーヒーを入れてくれと言う。
店員といささかのやり取りをしたあと、願い通り、満杯にコーヒーを満たした
カップを手に笑顔をたたえてお礼を言った。

コーヒーと氷の体積を同一に見たとき、価格的につり合いがとれるなら問題はない。
しかし、それはありえない。

この件について、やはり欧米人を夫に持つ妻が言った。
この夫は、総菜などを買うとき、何を入れてくれるか細かく注文するという。
もちろん高そうな具材を重点的に注文するのだそうだ。
妻は日本人なので、毎回、恥ずかしくてたまらないのだと言う。

この夫の言い分は、こうだ。
 売るという意思と、買うという意思が合致した以上、あとは金を払うほうの言い分を
 通すべきだ。

こんなことあるのだろうか。
欧米の法律は知らないが、日本法ではこんな理屈は成り立たないと思う。
契約が成立した時点で、特定されていなければ、中等程度の物を渡せばいいではなかったか。

小生は、付け加えた。
仮に、海外でこんな法律があったとして(ないと思うが)、我々が考えないといけないのは、
日本の法律と海外の法律と、どちらが人類を幸福にするか、だと。
小生は日本だと思うので、日本人はもっと日本人の考え方が人類の幸福に優れていることを
主張していく必要があるのではないか。

何が人類を幸福にしていく価値観なのか、日本人はもっと声を上げていいと思うぜ。
c
childrenさん (8hlmn685)2023/8/13 11:14削除
先月から多忙続きで、2~3時間の睡眠しかとれない日も少なくなかった。
暑いこともプラスして、とにかく寝不足の日々が続いていた。
仕事に居眠りをしてしまうことも一再ならず。
そんなこともあって、昨日は、一日中眠って過ごした。
体調は本日、ようやく日常にもどった感じだ。

しかし、心は暗い。
うしろめたいのだ。
昼間に寝ていたことに、うしろめたさがつきまとう。

ある日本在住の外国人と話すことがあった。
日本人は、失敗を恐れて、狭い世界でいきようとする。
一度の成功をもたらした世界にしがみつこうとする。
失敗せずにすむ狭い世界で生きようとする。

ところが人は、社会は、つねに成長している。
いつのまにか狭い世界では収まり切れなくなっているのに、相変わらず狭い世界に
生き続け、自分をがんじがらめにしてしまう。
ある日、爆発するか、そうでなくても自分をいびつにし、成長を阻害しようとしだす。
まるで、纏足だ。
纏足すると、社会的活動は極端に阻害される。

信仰だって同じではないだろうか。
一度の成功にしがみついていれば、失敗はないと思い込む。
経験のない広い世界に生きようとしなくなる。
世の中も、ご神業も、常に成長し、自分の信仰だって成長しているのに、狭い信仰生活に
押し込めてしまう。

それがいいと信じ込んでしまった人はしかたないにしても、
広い世界の信仰生活をしようとしている人の邪魔をすることだけはご遠慮いただきたい
と思うのだが。
失敗しないことにこだわるのは、成長を阻害し、役立たずを作ることでしかないと考える。
そんなことを神様が望んでいるとは、どうしても考えられない。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/7/26 21:37削除
旧統一教会のトップの発言が物議をかもしている。
 日本はわるいことをしたのだから、日本から金を巻き上げてもいい。
このような趣旨だという。

歴史的に見て、日本が半島を自国化しようとしたのは事実だ。
現代の価値観からすると、たしかに容認しにくい点はある。
だからといって、自国化に向けて着々と政治を展開したのは事実だし、
当時の状況からやむを得ない事情もあったと思う。

百歩譲って、日本がわるいことをしたのだと仮定して、
日本が反省したり、謝罪の気持ちを持つことがあってもいいと考える。
だからといって、他国から金を巻き上げていい国など、どこにもないと考える。
まして信仰者でありながら、このような発言があるのは理解を超えてしまう。

なぜなら、すべては神様のものであり、いいわるいを決めるのも神様の専権事項。
人間の分際で、勝手に善悪を決め、金を巻き上げていいなどと発言するのは恐ろしい。

以前から何度もここに書いたが、この教団からは信仰者の匂いが感じにくい。
末端の信者さんはそうでもないんだろうが、教団の考え方から、「神」という意識が
吹っ飛んでしまっているように思えてならない。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/10/22 19:16削除
冤罪問題に取り組んでいる知人がいる。
小生も冤罪はただの一つもあってはならないという立場だ。
だからといって、冤罪問題に取り組む団体にはかかわりたくはない。
冤罪被害者の立場でしか問題を見ようとしないからだ。
冤罪被害者はかわいそうだ、加害者はひどい。
この視点しかないことが多い。

この知人が取り組んだ冤罪被害者は、知的障がい者だという。
障がいの認定作業中に判決が出てしまった。
そんなことがあるのだろうかとは思うが、あるとしたら、やっぱり許せない。のだが……。

聞くところによる、刑務所の収監中人の多くが、知的レベルが一定水準に達していないそうだ。
つまりものごとの善悪や、損得を判断するレベルに達していないということだ。
だれか「大丈夫だ」「みんなやってる」などの誘い文句をそのまま受け入れてしまう。
判断する能力がない。

思えば、その昔は、知的障がい者などは街中にいっぱいいた。
突然、当たり前すぎることを言いだし、暴力さえなければ、街の人気者だったりもした。
今は、医療施設に入れられ、われわれの日常生活からは姿を消した。
家族にしてみれば、手のかかる知的障がい者の面倒など見る余裕がないということだろう。

知的障がい者との接点をなくしてしまった現代人は、知的障がい者がどの程度危険で、
どの程度危険でないかを知らない。
その結果、どう接していいか、冤罪加害者となった捜査機関も知らないのではないだろうか。
社会だって、危険さを承知していれば、危険を回避する術くらいに身についているはず。

冤罪の陰には、面倒なものはすべて人の目から消し去ってしまったことがあると思う。
本来担わないといけないものから逃げてしまったという気がしてならない。
もっといえば、雑音。
引き受けなければならない雑音を、力ずくで消し去ってしまう。
小生からみると、恐ろしいことのように思えてならない。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/10/1 20:40削除
憎まれ口に聴こえてしまのは心外なんだが、やっぱり言おう。
よく信者は、「真明さまは頭がいい」と言う。
その理由は、何も読まずに長時間話せるからだそうだ。

この発言に接したとき、小生は返答に困る。
言うまでもなく、頭がわるいとは思っていないが、別にいいとも思ったことがないからだ。
というより、関心がないのだ、頭の良しあしには。

真明様は、第5代教主になられる方。
したがって求めるものは、神様のご意思にどこまで近づけているかどうかだと思う。
よけいなお世話かもしれないが、信者が求めているのは主神様であり、明主様なのだ。
そのご意思を間違いなく受け止めていただける方のほうがいいと思うからだ。
頭のよしあしは、二の次、三の次でいい。

小生が教主様に追随しているのは、教主様が明主様時代の信仰を与えてくださったからだ。
別に頭がいいからでも、詞がいいからでもない。

そもそも世の中の職業で、頭の良さを必要とするものはかなり少ないと思う。
近いところでは、故安倍総理だ。
彼は偏差値的には決して高いとはいえないが、おそらく日本を愛する思いが並大抵ではなかった
のではないだろうか。
そこの思いが、世界じゅうの指導者の尊崇を集めることとなったではないかと考えている。

それそれの職業に応じて、必要なのはそこへの思いがどれほどあるか。
それに応じて、残す成果が異なる。
こんなところではないかと思う次第。

ちなみに小生は、上に対してはなはだ酷な態度になりがちである。
その分、下に対しては、ときにおべっかではないかと自嘲するほど寛大だ。
どんな職業に就かせようとして、神様はこの性格を与えてくださったのだろう?
たまにそんなことを考えてしまう。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/23 23:43削除
二代様を後継者にという遺言の存在があることは、今年になって知った。
これまで、明主様は、遺言を残さずに昇天されたと聞いていた。
正式な場で聞いたがあるかどうかは定かではないが、実に多くの場で耳にしてきた。
 ご自身でもまさか昇天するとは思っていなかったんだろうな。
 明主様の唯一のミスは後継者を定めていなかったことだ。
 後継者を決めなかったのは、神様のご意思にお任せしていたためだ。
などなどさまざま。

いずれにしても、明主様は遺言を残さず、後継者の指名もしていなかった。
あたかも、これが事実であるかのように、長年、思われ来た。
多くの信者がそう信じて疑わないままなのではないだろうか。

遺言の存在があるなら、正式に公式の場で発表されることを願う。
もちろん、私生活に関する部分までは公表する必要はないと考えるがな。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/31 23:38削除
信仰者でも悩みはある。
信者同士のもめ事もある。
小生はときおり、こうした相談を受けることがある。
回答はいつも決まっている。
 神様に言えばいいじゃん。
小生は、すべて知っているわけではない。
いや、ほとんどのことを知らない。
答えようがないからだ。

2~3日前に相談された信者さんは、小生の回答にこう答えた。
 神様に叱られたらいやだから、言わない。

この信者さんの考え方は、こうだ。
神様の前に出るときは最高の自分をお見せするものだから、もめ事とか悩みとかを
奉告するのは失礼なのではないか。

たしかに神様の前に出るときは、いつもよりいい服装をしていく。
身だしなみも整えていく。
だからといって……。
なんかすっきりしない????
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/16 21:37
法律の元祖ともいえるのが、ハンムラビ法典だ。
そしてモーセの十戒も神との契約だから、法といえるだろう。
イギリスは、いち早く制定したマグナカルタ以来、法を守るという意識が根付いている。

ハンムラビ法典の代名詞的になっているのが、目には目を、歯に歯をだ。
よく復讐法と言われるが、一説によれば、受けた損害以上の害を与えてはいけないという
趣旨だと聞いたことがある。
この点をイギリスは、今でも堅持しているのかもしれないと思ったりする。
だからこそ、相手から攻撃させるように仕向ける。
自国の反撃が相当と思わせるだけの、被害を受けるように仕向けるのだ。

先の大戦でいえば、ハルノートを突き付けることによって、日本を窮地に追い込み、武力行使
せざるをえないようにした。
ハルノートは米国だが、イギリスの精神を受け継いでいてもおかしくはない。
まんまと日本は、相手の罠にのってしまったことになる。
日本がもう少し我慢していたら、どうなったかな……。

それは無理な相談だろう。
悪くなる未来しか見えなくなってしまうわけだから。
ただ、そこに神様への意識があったとしたら……。
現在は、メシアと絶対力を戴いている。
目には目以上の害を与えることも、相手の罠にはまることも回避できるのではないだろうか。

現在の法律は、目に見える形のものしか裁けないが、
主神様なら、その行動を起こさせた心のなかまでお見通しなわけだから、
罠だって、そう簡単に仕掛けられるはずはないと思うのである。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/15 23:43
ウクライナ、よく持ちこたえている。
それどころか、ロシアの敗戦は必至という見解も多くなってきた。
一連の報道に接し、イギリスは戦争には強いなと今さらながら驚嘆する。
ウクライナの背後にもイギリスの姿があるというし、実際、首相までが現地入りしているくらいだ。
わが日本だって、イギリスと組んだ戦争は勝っている。
維新のときとか、日清戦争とかだが。

この理由について考えてみたんだが、単にいい国、わるい国という側面だけではないのではないだろか。
先の大戦のときだって、イギリスというか米国の手法はとても善人とは思えない。
身びいきではあろうが、日本は罠にはめられたようなものだと言えなくもない。
東京裁判のパール判事だって、この点を指摘している。
けれども、いい国であった日本は、結局、負けた。
罠にかかってしまったわけだ。

戦争、争いといえば、武器こそ使っていないが、訴訟。
弁護士から聞いたことだが、
 民事は、被告に回れ
と言われるそうだ。

この点に重ねてみると、イギリスの強さが見えてくる気がする。
常に、被告に回るように仕組んでいる。
つまり、相手から攻撃させるように仕向けている、ように見える。
今夜は眠いので、続きは明日にしよう。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/9 21:42
現在、最も大量に飛び交う単語といえるのは、ウクライナではないだろうか。
ウクライナといえば、ロシアだ。

ロシアの歴史を振り返れば、半分はアジアといってもいい。
そのロシアの最も有名な人が、エカチェリーナ2世かもしれない。
ドイツからロマノフ朝に嫁いだ女性だ。
両親ともに王族の家に生まれ育ったエカチェリーナ2世は、教養もあり、学問もあり、
啓蒙専制君主として勇名だ。

対してロシアは、どうだったのだろうか。
エカチェリーナの時代、ロシア貴族に向けた書簡にこんな記述があるそうだ。
 「人前で、鼻くそをほじくらないこと」
貴族だよ、貴族に対して宛てた書簡で、これだ。
つまりロマノフ朝時代の貴族は、人前でも平気でホジホジしていたということだ。

そんな王朝に嫁いだエカチェリーナが、夫ピョートル大帝への尊信が生まれるとは思えない。
冷たい女性だと思っていたが、こんな背景があったとなると、そうそう批判できないと思えてくる。

わが国を取り巻くアノ国、コノ国は、ロシアと直接対峙してきたわけで、影響し合って
いても当然かもしれない。

もっと言えば、アジアに対しても、ロシアの延長戦くらいにしか思われていないのかもしれない。
欧米人が、アジアを見下した一因ともなっているかもしれない。
メシア降誕の地、日本だって、まだまだ同様の視線を持っている欧米人だって多いかもしれない。
もっと日本の歴史を勉強してくれればいいんだが、強制することもできない。
どう思われてもいいんだが、日本への蔑視が、メシアのご神業の妨げになっていないといいなぁ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/8 21:55
イエスは予言者だが、預言者と称する人はほかにもたくさんいるそうだ。
いかがわしいとされる予言者もたくさんいるとか。
そのなかで、最後の予言者と称するのが、マホメット。
思うに、世界3大宗教と言われるイスラム教の開祖だけに、やはり本当かもしれないと
考えている。

わが世界メシア教の教祖である、明主様は予言者ではない。
聖言のなかでも、そう仰っているから事実だろう。
というわけで、これをどう解釈すればいいか。

予言とは、人類を救うメシアが降誕することを言ったものではないのだろうか。
すでにメシアが降誕した以上、予言は必要ない。
あとは建設あるのみというわけだ。

イエスもマホメットも嘘などついたりはしなかった。
その証拠に、メシアは降誕したのだから。
もちろん証拠を提示することはできない。
メシア降誕を信じて、すべてを本来の持ち主である主神様にお返しし、
生きていく。
そ、我らの後ろ姿が、証拠となるのではないだろうか。

心を引き締めて日々を暮らしていかねば。
って、日曜日の今日は、午後からのんびり寝て過ごしてしまった。ウハハ
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/5 21:26
ブルカほどではないにせよ、イスラム女性は肌や髪を隠している。

ある歴史関係者によれば、ムハンマドの教えでは、
 肌や顔、髪を隠せ
とは言っていないそうだ。
本来は、
 美しいものを隠せ
と言ったのだという。
さらに女性だけに求めたものでもないという。

あくまでも歴史関係者であって、宗教関係者ではないので、視点の違いはあるのだろうし、
小生は研究者ではないので、真偽の確かめようはない。
話しとしておもしろいなと思った。

 美しいものを隠せ
が、いつの間に、女性の肌や髪に変わったのだろうか。
おそらく戦乱に明け暮れた中東地域では、男性は過激になり、女性は男性の餌食になりやすいため、
本来の教えを、世情に合わせて、都合に合わせて、変えたものではないかということだ。

小生は、さらに深読みしてみた。
美しいもの、つまり人が羨ましがるものを見せびらかせると、思わぬ被害が待ち受けているよという
戒めだったのではないだろうか。
自慢話は、身を滅ぼす。
日本人でも十分に通用する感覚だ。

さらに、さらに深読みするなら、美しいものは人目につかないところにあるよという
意味でもあったかもしれない。
見えないところにこそ、本物があるよという教えかもなと思ったり。

ところで、美しくない人が隠すと、どうなるんだろう???
よけいなお世話だな。ウハハ
返信17
c
childrenさん (7k2dx5ox)2020/6/15 22:51 (No.90933)
本日6月15日は、地上天国祭。
火素が最大になるので、その分、浄化も厳しくなる日だ。

今年は残念ながら、信者を集めての祭典は断念せざるをえなかった。
それでも火素が最大になる日であることは変わらない。
気分を引き締めて、夏を乗り越え、実りの秋を迎えようと思う。
返信
c
childrenさん (93tbcq5j)2024/6/17 21:33削除
誤解のないように追加しておく。
旧教団時代というのは、主の光を除く。
小生が経験する限り、主の光時代には、非人道的な
習慣はなかったんだよね。
どっから入り込んだ、非常識なんだろうな。
c
childrenさん (93tbcq5j)2024/6/17 21:29削除
恒例のケータイ検査。
今回は、ついに参拝者の複数人が声を挙げていた。
側で聞いていた小生は、「もっと言え」と心の中で叫んでいた。

いいかげんに、社会常識を持とうよ。
恥ずかしいよ、こんな非人道的な行為が堂々を行われているなんて。
正直、恥ずかしくてたまらない。

自分の過ちには寛大で、
信者のミスはきびしく取り締まる。

旧教団時代から悪癖を引き継いでいることに、気がつこうよ、いいかげんに!!
c
childrenさん (93tbcq5j)2024/6/16 12:59削除
帰巣本能、きそう本能。
小生の周囲には帰国子女が多いので、慣れっこだ。
驚きもしないし、びっくりもしない。

本教はまだまだ「敵」が多い。
失敗や失態を待ちかねている人がつきない。
またアレコレこき下ろそうとするんだろうな。
そう思うと、ユーウツ。
めんどくさいなと思いながら、帰宅の途についた。

YouTubeにアップするまえ、帰巣本能の部分だけ、修正してくれないかなぁ。
音声だけちょっと録って、貼り付けるだけの作業に済む。
それを潔しとしないならば、修正テロップを流してくれないかなぁ。
そんなことを考えている。

ミスは誰にでもある。
修正テロップくらいなら、恥ずかしいことでもなんでもない。
そこを、どう、改めていくかだけの問題だ。

それにしても、帰国子女というかバイリンガルが日本社会で冷遇されるのは
日本語力の問題が大きいと思う。
日本語で読み書きし、日本語で考える。
これは大事なことだと再確認した。
なんといっても、明主様の聖言は、日本語で考え、日本語でしたためられたものなのだから。
匿名さん (93tbcq5j)2024/4/20 11:33削除
春季大祭、参拝させていただけた。
例によって、例のケータイ検査は、今回もあった。
あの野蛮さは、そう簡単には改まらなってことだな。

ところで、親戚の子が、青少年の集いに誘われた。
昔の練成会のようなものだろうな。
親戚の子は信者ではあるが、活動はしていない。
少しでも、神様に近づける機会を得させていただけるのは、
小生にとっても感謝の極みだ。

かといって、スンナリ、OKとは言えないものがあった。
ケータイ検査を思い出したのだ。
まさか青少年の集いではケータイ検査はないと思う。
問題なのは、ケータイ検査を正当化している価値観だ。

人のものと自分のものと区別がつかない子に育ってもらっては困る。
神様の御名を盾にして、他人のものを強制的に検査する。
こんな野蛮な思想を持ってほしくないのである。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/2/23 14:12削除
残念ながら、例のケータイ検査は今回もあり。
いかに不合理なことを続けているかは、彼らもわかっているのでは
ないだろうか。
 このまま変更しないでください。
オフにした設定を変えるなという意味だ。

つまり、いくら検査しても、設定変更してしまえば意味がないということ。
意味のないことを、わざわざ、他人のものを取り上げるという反社会的行為を
強いてまでやることが、いかに愚であるかということ。
彼ら自身の口から自白しているわけである。

ま、マヌケの一言だよな。

反社会的行為をいかに理屈をつけたとしても、結果が証明している。
 マ・ヌ・ケ
な事態、今後、いつまで続けるのだろうか。
いいかげんに気づいてほしいんだけどね。
恥ずかしいもん。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/2/7 22:13削除
真明さまのきわめつけは、なんといっても
 泣かぬなら、私が泣こう
だね。
これは、過去最高のフレーズだと言って過言ではない。

明主様のお仕事はすべてといっていいほど、誰もやらない、つまり泣かないことだった。
誰もやらないから、自分でやった。
というものだったと思う。
逆にいえば、他の人ができることは、わざわざ自分がやる必要ないともいうものだった。
そもそも宗教活動自体が、それまでにはないものだった。
にもかかわらず、既存の宗教にあてはめようとする人がいることが、笑える。

もう一つは、余談のなかで気になることがあった。
 バイリンガルに育てる。
バイリンガルはたしかに今後、重要であると思う。
そのこと自体には異論はないのだが、気になることがないこともない。

ある学者か評論家の言ったことなんだが、
 自分の思いを100%表現できる言語を持たないと、荒れやすくなる。
という説だ。
複数の言語を操れるといいうことは、どの言語も中途半端になりやすい。
自分の思いを100%表現できないストレスが、荒れる要因になる。
言葉で表現できないからイライラし、暴力をふるうようになりやすい。
この説、わかるんだよね。
言葉で100%表現できると、気持ちに余裕ができるから、おだやかでいられる。
バイリンガル育成には、ぜひ気をつけないといけないなと思っている。

もう一つの説は、
日本語を使うから、日本人は頭がよく、おだやかな人が多い。

日本語ほど微に入り細にわたり表現できる言語はないそうだ。
その日本語を使って考えてきたこと、つくづくありがたいことだと思っている。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/2/6 21:19削除
真明のことで発表いたします。
教主様がこう言い出したとき、息をのんだね。

 まさか教主様引退!?
 奥様と老後を楽に過ごしたい!?

短い時間だったが、すごーく長い時間に感じた。
別に真明さまが教主様になっても、何らの異論もない。
しかし、今の教主様と教主様としてあおぐ時は、可能なかぎり長く続いてほしい。
これは理由はなく、本能だと思う。
本当にヒヤヒヤさせられちまったぜ。

真明様が、正式に、「教主代理」に就任されたことの
発表だった。
 ほんと、心臓にわるい。

で、話は前後するが、いつもの教主様のツカミ。
今回は、ダジャレではなく、方言だった。
本部事務所で働いていたときの経験をもとに、
 これ、なおして
といわれ、
 どこを修理するんだ?
と思っていたら、
 しまっておいてくれ
という意味だった。

聞くところによれば、当時の本部事務所の標準語は、関西弁だった。
関東育ちの教主様は、関西弁にとまどう様子がおかしい。

西日本出身で関東に来た人なら、誰でも身に覚えのあるところ。
小生もしっかり覚えている。
で、小生が戸惑った話だ。
 行きつけの喫茶店のマスターに千円札を出して、言った。
  これ、壊してほしいんだけど。
 マスターは金づちを持ち出して、千円札をたたこうとした。

関西では、こわす 
関東では、くずす
なんだよね。

箒ではくは、はわく だし。
いろいろあるんだよね。
もっともネットが普及した現在、こうした戸惑いも過去のことになりつつあるんだよね。
ザンネンな気がする。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/2/5 19:24削除
立春祭、参拝させていただけました。
冒頭から、小姑になってしまって、恐縮だ。

 寒さのなかで凛として、……寒さもゆるんで春を迎える。
おおむね、こんな感じだった、理事長挨拶。

寒さが緩んだ今日、小生のところはドカ雪。寒い。
他も地方も大体同様だと思う。
しらけるよな。

昨年来、「棒読み〇〇」という言葉が飛び交っている。
まさに、棒読み状態なんだよね。

この原因について考えてみた。
あいさつ原稿は、大祭に先立って作成される。
だから時時の時候、天候など、細部まで表現しきれない。
この点があるのではないだろうか。
 「寒さが緩んで……」の時点で、すでにドカ雪情報は、多くの参拝者の脳裏にあったはず。
もっとまじめにやろうよと思った参拝者は、小生だけだろうか。

とりわけ理事長は、嘘の下手なタイプだと想像するんだよね。
だからこそ、信頼しているわけでもあるんだが、
役者のように、ありもしないことをさもあるかのように上手に言えるタイプなら別だけど、
やっぱり変だよ。

AIばやりの世の中、こうしたズレは人々のストレスの温床でもある。
前もって作成した原稿であっても、状況に合わせて変える、付け加えるなど、
人間の参加が必要だと思うね。
AI⁺人間、少しでも完ぺきに近づけると考える。
c
childrenさん (8xxl97s3)2023/12/25 00:08削除
大祭時には、来席されている政治家の紹介がある。
今回もあった。
小生は、救世教時代から、こうした政治家に投票したことは、
一度もない。
一度くらいはあったかもしれないが、よほど投票したい政治家がいなかった
ときだと思う。

今回は、久々に有村治子氏が来場していた。
彼女は、主の光教団時代から、来場していたので、お名前はよく存じていた。
しかし、一度も投票したことはない。
でも、次回は投票しようと考えている。
ニュースなどを通じて、彼女の考え方というか政治姿勢が見えてきた気がする
からだ。

ただ、来場しているだけで投票する気にはなれない。
小生もかなりすれっからしのところがあって、
「どうせ、党から割り振られているから来ただけだろう」
と思ってしまうのだ。

会場では、紹介に添えて、「メシア聖堂建設に力を……」と言うが、
そのことと投票は、別問題なのである。

小生は、国会議員は、国のために何をするかがミッションだと考えている。
一団体のために力をつくしているからと理由なら、そのへんの支援団体や圧力団体と
なんら変わるところはない。
そこまで落ちぶれたくはないもんな。

とはいえ、来場してくださったことへの感謝はある。
投票はしないが、
 神様のみ心にかなう政治家になれますように
このくらいの祈りの気持ちでいるようにしている。
過去、来場した政治家のスキャンダルが出ることがある。
神様におゆだねした以上、やましいことがあると表にでやすいのかなと思ったりしてしまう。
c
childrenさん (8xxl97s3)2023/12/21 22:28削除
教団の非常識、ケータイ検査は今回もあった。
しかも、会場内での案内はなく、他人のケータイを取り上げる方法
一辺倒だった。
さらに会場内の案内担当のなんとも無礼な態度も目撃した。
一般社会ではありえないことが平然と行われているのは、さすがに
ひいちゃうね。

思うに、教団とは一歩距離をおくべきではないかと。
そのために、いろいろなことを見せられたのかもしれない。

ひるがえって考えると、小生がこれまで信仰を続けてこられたのは、
教団にどっぷりつからなかったからではないか。
社会的に非常識にならずにすんだことで、信仰を続けてこられたように
思う。

信仰をなくしたら、元も子もない。
教団とは距離を置いて、信仰第一で歩んでいこうと思った。
c
childrenさん (8xxl97s3)2023/12/20 21:47削除
12月23日は、ご生誕祭。
今年は、一足早く12月17日に行われた。
イエス生誕とともに。

小生は、例によって、近づくにつれて多忙となった。
それに応じて、脚の痛みも増した。
これまた例によって、なんとかなるだろうということで
参拝することにした。
なんとか参拝はさせていただけて、仕事もようやく今日、
一段落。
一息つけた。

小生は、イエスの生誕に感謝する気持ちはある。
ただ、あの悲惨な最期をどうしても、真正面から受け入れることができない。
悲惨すぎる。

まだまだ主神様を受け入れていないということだろうか。
そんなことを思いながら参拝させていただいた。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/10/7 19:16削除
例のケータイ検査は、今回も実施されていた。
ただ、初期に比べるとかなりゆるくなっているのは、歓迎だ。
このまま自然消滅してくれればと思うが、気になることもある。

会場内のケータイ確認の呼びかけがなくなっていた。
ケータイの音を消すようにという呼びかけだ。

検査を止めるには、注意喚起が必至。
検査は強制力を行使することであるが、注意喚起は本人の意思を誘発するもの。
どちらが、神様の意図に近いかと考えると、言うまでもなく
後者だと判断する。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/10/5 22:22削除
ご神名を奏したあと、3拍手する。
外部会場を使うようになって以来、教主様が行っている。

小さなことだけど、3拍手。
家庭での参拝もそうだが、3拍手のうち1拍手は必ず、多くは3拍手目なんだが、
音がかすれてしまうのが常だ。
大祭での教主様も、やはりそうなることが多い。
失礼ながら、親近感を感じるシーンでもあった。

ところが祖霊大祭のときからなんだが、3拍手とも同じトーンで立派な拍手音になっている。
もちろん、そのほうが気持ちいい。
今回も、気持ちよかった。

3拍手は1拍手くらい、音がかすれていいんだと思うようになっていた。
だって、教主様だって、かずれるんだも~~~んてなぐあいに。

教主様の拍手が同じトーンになった今、小生も何とか同じトーンになるように
しないといけないかもな。
でも、どうすればいいのだ?
同じトーンで3拍手するには、どうすればいいんだ?
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/10/4 21:56削除
今回も、音楽は目立っていた。
音楽に知見のない小生のいうことなので、どこまで一般的に
通用するかは疑問だ。
そのうえで、言うなら、高音部が割れているように聴こえた。

祭典前のピアノ演奏もそうだったし、男性ボーカルグループのときもだが、
高音というか、強く、大きく演奏すると、音が割れてしまうように聴こえた。
音楽用の会場じゃないせいで、機材も、室内装置も無理があるのかなと思っていた。

今回は、アカペラの合唱もあって、音楽面はますます広がりを見せてくれ、
とても楽しい時間になった。
決まり切った音楽シーンの繰り返しではなく、何が起こるかわからない。
音楽は、今後がますます楽しみになってきた。

そうなると課題は、音響設備と会場だろう。
ということは、その意味でも、専用の会場、つまりメシア聖堂の必要が具体的に
なってきたということかもしれない。

繰り返すが、音が割れていたかどうか、音響設備や会場のせいかどうか、
小生はまったくの素人なので、的外れな指摘だということも大いにありうる。
単に小生の耳のせいということだって大いにありうることをお断りしておく。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/10/3 21:59削除
秋季大祭、参拝させていただきました。
今回のメインは、小生的には、「全身全霊」だ。
なかなかできないことなんだが、やっぱりこれしかないと
思うんだよね。
なぜなら、すべては主神様がお作りになったものだからだ。

作り主にすべてをお返して、そこから始まる世界に生きていく。
作った存在なら、すべてを修理できる。
作った存在でないものが、知っている範囲内で修理しようとする。
一部しか知らないから、一部しか修理できない。
一部を修理しても、修理したように見えて、他の部分を破壊してしまう。
そのことに気づかない。

だからこそ、全身全霊、すべてをお返しするところから道は開けない。
できるかできないかは別として、全身全霊をお捧げすることに取り組んでいくことにした。
ちょっと怖いけどな。
小生、性格けっこう暗いのだ!
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/22 21:22削除
恒例のケータイ検査は、今回も行われていた。
水も漏らさぬ厳戒ムードこそ緩んできたものの、参拝者全員のケータイを
取り上げての検査は、相変わらずだ。

会場でも、高齢男性の口から、
 あれ(ケータイ検査)は、失礼だよな、ほんと!
という声がもれていた。

信仰は礼節だという聖言がある。
この聖言との整合性は、どのようにつけているのだろうか?

メシア聖堂での大祭では、なくなってほしいものだ。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/20 21:46削除
きっかけは、真明様の言葉だった。
 世界メシア教の聖地を作ろう!
もちろんメシア聖堂のことだ。

メシア聖堂、小生は以前からすっきりしないものを感じていた。
教祖、明主様の聖言との整合がつかなかったのが最大の理由だ。
 箱根、熱海、京都、九州、大陸……最後がエルサレム。

正式に聞いたわけではないが、メシア聖堂の立地は九州ではないらしいとのことだった。
だとしたら、明主様のご神業はどうなるんだ???
しかも、箱根、熱海、京都の聖地を否定するようなご発言もしばしば耳にしていた。
明主様のご神業は???????

この問題に、小生なりに整合性がようやくつかせていただいた気がする。
つまり、箱根、熱海、京都、これらは模型として天国が地上にもできることを示してくださったもの。
ところが、明主様のご神業は、この地上全体を天国にすること。
聖地は、どこもかしこも、我が家や道路、山や田畑を含めていたるところに建設されていく。
その一環として、メシア聖堂第1号があり、その後も2号、3号……と建設されていく。
教会も聖地だし、その上位というかまとめの存在としてあるのが、メシア聖堂。

これから、世界じゅうのいたるところに教会ができ、一定のまとまりとしてメシア聖堂が建設されていく。
そのなかに、大陸だったり、エルサレムだったりに教会ができ、メシア聖堂ができる。

思うに、明主様のご神業は、箱根、熱海、京都のような形で作られていくと思い込んでしまって
いたのではなかったか。
明主様ご昇天後、聖地建設だって、天国にいる存在として、つまり姿が見えなくなった明主様の手の
行われていくことになる。
姿の見えなくなった明主様の聖地づくりは、これまでとは異なる形で進められていくだろう。
そんな考えにたどり着いた。

言うまでもなく、小生のたどり着いた考えが、明主様のご意図であるとは断言できない。
しかし、小生なりにすっきりできる考えにたどり着かせていただけたのは、ありがたい。
納得しないと動けない性質なんだよね、小生は。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/19 20:58削除
今大祭の音楽は、非常に素晴らしかった。
感動的だった。
最初から少し違っていた。

オープニング曲、「永遠にあなたに」。
小生個人としてだが、
  ……もののようにしてきました。
この部分のメロディーがひどく心をかきたててくれた。
サビには当たらないと思うが、幾度か繰り返され、そのたびにワクワク
湧き上がってくるものを感じていることに気づいた。

そして、ハレルヤコーラスに始まるラストの音楽。
これがまた絶品だった。
なんといっても指揮者の動きが素晴らしい。
言葉で説明するなら、指の先までしゃべりだす、そんな感じで中身が濃い、濃い。
もちろん、コーラスもいつもに増して、過去に聴いたどのハレルヤよりも格段に
素晴らしかった。

変な言い方かもしれないが、力が適度に抜けているところが、逆に感動を醸し出して
いる気がした。

以前、この掲示板に、歌は自分で歌ったほうが楽しいと書いた。
人に聴かせる音楽は、そのうえに何かがプラスされていなければならない。
非常に大変な作業だみたいなことを書いたと記憶している。

その日からわずかしかたっていないのに、実現した。
自分で歌うより、はるかにはるかに素晴らしいものだった。
自分で歌うことなどすっかり眼中から消え、聴き入ってしまったね。
ハ~レルヤ、ハ~レルヤ♪♪♪
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/18 13:47削除
信仰継承がスムーズに行かないのは、親つまり継承する側に、信仰の
喜びがないから。
なぜ、ないのか?
それは、信仰がなかったから。
概ね、こんな内容であった。

大いに共感したね。
病が治った喜び、人間関係の悩みから、経済的な悩みから解放された喜びはあったとしても、
信仰することの喜びには至っていない。
自分が病気や人間関係、経済苦から解放されたとしても、子つまり継承される側には
すでに3苦から解放された状態。
なにも、わざわざ信仰させる価値を感じないというわけだ。

なにせ、信仰はまだまだ社会の理解がなく、その分の苦労は並大抵ではない。
子どもにも同じような苦しみを味合わせたくないと思っても不思議ではないだろう。
親のこの思いが無意識のうちに子どもにも伝わっているので、子どもも信仰をしようという
気もちにはなりにくい。

では、なぜ、親に信仰の喜びがないのか?
答えは簡単、教団に信仰がなかったからだ。
世間へ媚びへつらうことばかりに終始し、神様への信仰がおろそかになっていた。
これが、旧教団を通じて行われてきたのだから、信仰の喜びなど感じようもない。

神様への信仰、これなくして信仰の喜びはなく、子どもへの継承もない。
的を射すぎてといっても言い過ぎではないほど、小生もその通りだと思ったね。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/17 08:30削除
メシア降誕祭、無事、参拝をさせていただけた。
スケジュール的にタイトだったこともあり、2晩、ほとんど眠れないまま
だったが、昨日はなんとか仕事にも行かせていただけた。
仕事がわりにらくな業務だったことは、心からありがたかった。

今回の大祭の特徴は、海外参拝者が多めだったこと、音楽がクローズアップ
されていたこと。
そして、信仰継承などをはじめ、具体的な話が充実していたこともある。
いずれも小生個人の感想だ。

さらに個人的な感想を付け加えるなら、久しぶりに会った信者さん方が元気かつ
きれいになっていることもある。
安定した信仰活動の場があることをうかがわせるものだと捉えている。

さらに、さらに、メシア聖堂の建設について、小生個人のイメージがようやく具体化した
こともある。
これまで漠然としたものしかなく、明主様のご聖言とのつながりもさっぱり見えてこなかった。
混乱した思考のなかでのメシア聖堂だったが、大きく具体的なイメージができたことは
ありがたい。
自信をもって、メシア聖堂建設に参画できるわけで、信者としては最大の喜びである。

もちろん貧しい小生の身では微力すぎるほど微力であるという問題が大きく
横たわっていることもあるんだがな(トホホ。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/5 22:05削除
日本人が、宇宙計画に参加しはじめたころだ。
日本人研究者が、丹念に調べ、完璧なほどの調査結果を報告した。
しかし、NASAが、それをそのまま使うことはなかった。
必ずNASAで一から調べなおしていたのだ。

人命にもかかわり、莫大な予算をかけた計画だから、万一のことがあっては
いけない。
念には念を入れる気持ちはわからなくない。
しかし、このときの日本人研究者のどれほど情けないものだったか、想像にかたくない。
日本の研究者など、一目も置かれていなかったということだ。
NASA、自分たちが上の存在だと思い込んでいたのだろう。

現在では、日本のシステムをNASAが取り入れることが多くなっている。
何事も、信じてもらえるまでには、長い道のりがかかることはわかっている。
長年、信仰してきて、それなりに神様を信じてきたつもりだ。
それでも、信じられないのか。

例によって、ケータイ検査のことなんだが、
信じるということを、常に口にしている信仰者の集まりであっても、
信じようとしない。
自分たちの信仰は信じていても、信者の信仰は信じないということか。

神様は信じても、信者は信じない。

宇宙計画に参入した初期の研究者がどれほど情けない思いをしたか、
胸にズキンと迫ってくる。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/27 22:49削除
G7では、日本の警察官が、外国の警備担当者から検査を受けたそうだ。
開催国を信じようとしない、外国。

大祭時に、信者のケータイ検査は今回も行われるだろう。
信者を信じようとしない、教団。

ちょっと似ているなと思って、冷笑した。

日本人はおとなしいから何も言わないけど、怒りを爆発させる人もいる。
信者もおとなしいから何も言わないだろうけど、心のなかで怒りを溜め込む信者だって
いないとは限らない。

仲間を信じられない社会って、なんだかなぁ。
口で何と言おうと、行動が証ししている気が否めない。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/25 21:53削除
地上天国祭、メシア降誕祭だが、
大祭を前にして、またしても小生はご浄化にあえいでいる。
以前からの脚の痛みが、極度に達していた。
朝夕のラッシュが怖い。
倒れ込むように空いた席に座ったり、横断歩道で立ち往生してしまったり。

ただでさえ痛い脚を抱えて、5年ぶりくらいの風邪にも見舞われた。
ぼんやりした頭で、心もとない足下。
交互に1歩ずつに前に出せば、いつか職場にたどり着く、我が家にも倒れ込める。
1歩ずつ足を前に出すこと以外、何も考えないようにしよう。
そんな2週間が過ぎていた。

本日は、ようやく風邪の浄化が峠を越した感じだ。
駅から自宅まで、1回も休まずに帰りついた。
頭も少し、はっきりしてきた。

こんな状態でも一日も休まず仕事をさせていただけたことがありがたい。
もっとも職場では何度も居眠りをしてしまうし、土日は寝たり起きたりだったがな。
とりあえず、再び元気な日がやってきたことはうれしいかぎりだ。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/10 21:45削除
いつものことだが、大祭の前後は、ゴタゴタする。
今回も、かなり心を痛めていた。

小生には、かねてよりどうしても従事したい仕事があった。
何回もトライしてはいたのだが、うまくいかない。
すっかり諦めていたところに、3月初め、向こうから舞い込んできた。
要請を受けたい。
そうなれば、現在の仕事を裏切ることになる。
まして、要請された仕事は一時的なものだ。
その仕事が終わったあと、次の仕事に巡り合える保証はない。
小生は、高齢だ。

しかし、やりたいものはやりたい。
清水の舞台からというが、本当にそのつもりで、やりたい仕事をやることにした。
先のことは、どうなるかわからない。
とりあえず、現在、やりたい仕事に従事している。
精いっぱい誠意を注いでいくことで、先のことはどうにかなると思っているのだが。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/8 20:47削除
コーラスメシアは春季大祭でも大活躍だった。
しだいに本格化していく様子が窺えて頼もしい。
同時に、歌は聞くより、歌うほうが楽しい。
カラオケに通じるものがある。
専用の会場がないのだから、今のところ、叶わぬ願いではあるが。

というのも、しだいに本格化していくコーラスメシアを聴いていると、
どんどん遠い存在になっていく気がする。
聴かせるためのコーラスがどのようなものか、残念ながら、音楽には知見のない
小生には想像のしようもない。

だから何も言えないのだが、聴かせるためのコーラス、どこかにまだ誰もたどり着けていない
スタイルがあるように思ったりする。
いまだ誰もたどり着けていない聴かせるためのコーラス。
本格的で、うまいだけでは、聴いているほうは感動できない。
プラスアルファの何かがあるのではないかと思ったりする。
この何かが、何かがわからない。
これを具現化していっていただけることを、願う。
素人かつ音痴な小生の考えなので、ずいぶん勝手な願いではある。

ちなみに、各教会では信者さんたちがハレルヤを歌っているようだが、
これを歌うのがとても恥ずかしいのだという声も耳に入ってくる。
これは、慣れれば変わると思っている。
やはりコーラスは、カラオケと同じで、聴くより歌うほうが楽しいと思う。
恥ずかしがらずに歌い続けてほしい。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/7 23:36削除
例によって、小生の天敵ともいえる、ケータイ検査。
今回もしっかり行われていたが、やや緩やかになった。
いいことだ。
その前に、小生の気分がよかったこともあるだろう。
最大の理由は、祭典会場内には、多数の高校生らしき奉仕者が迎えてくれていた
ことだ。

若いことはいいことだが、そこにとどまっていれば、ありがちな見解となる。
そこで、もう一歩深めて考えてみた。
なぜ、若い、高校生の奉仕だと気分がいいのか?
なぜだろう、なぜだろう、なぜだろう???
ここ数日考えてみた結論は、雑念だ。

大人の奉仕者には、なんらかの思惑がつきまとう。
一生懸命にやろう、上の人の気に入るようにやろう、ご守護がいただけるようにやろう……。
この思いが若い奉仕者にはない、あるいは薄いんだと思う。
なんとなく、言われたとおりに、笑顔でくらいなものではないだろうか。
小生の若かりし頃の奉仕中の想いはこんなものだった。

この雑念のなさが、信徒にとって不快な思いを与えないのではないかという結論だ。
かなり嫌味な言い方だが、
 神様の名を盾に、人のもので何でも思い通りにしようとしているとしか映らない。

その奉仕、本当に神様のためなのか?
 奉仕からすっかり遠ざかってしまった小生だが、今度、奉仕の機会がいただけたら、
そのあたりの想いをしっかり自戒して臨ませていただこうと思った。
日々の仕事だって奉仕だし、想いを自戒していこうっと。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/6 21:53削除
小生は中学時代、しばしば学級委員という役割を担っていた。
3年生のときだったか、クラスじゅうが暴れて大混乱になった。
今より生徒数が多く、先生は一人一人罰を与えることはできない。
まだ体罰氾濫のころ、1人ひとりの生徒をぶったたくわけにはいかないというわけだ。

 学級委員2人、前に出ろ!
 今から、2人をぶったたく。
 皆を代表して、2人をぶったたく。

女子の学級委員と二人、思いっきり、頬を殴られた。
あざができた。

小生は、暴れていない。
女子の学級委員も暴れていない。
むしろ、クラスの混乱を必死で収めようとしていた。
なのに、なのに……。

その日から、幾日もたたないうち、また暴れようという空気になった。
 やめろよ。
 どうせ、怒られるのは学級委員だけ。
 俺たち、関係ないもん。

その日から、小生は役員をするのを止めた。

わるくないのに殴られたことは許せる。
しかし、代表して皆のぶんを殴られたのに、皆は他人事のような顔をしていたのが許せなかった。
本当は、クラス全員、1人ひとり、殴られるはずだったのに。

イエス様への想いが、だんだん身近になってくる。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/5 22:37削除
イエス復活祭並びに春季大祭。
今年の春季大祭の名称だ。

以前にも書いたことがあるが、イエスは贖い主。
いくら贖いとはいえ、あまりにも残酷な贖い方だ。
なぜ、主神様はあそこまで残虐な方法で、贖いをさせたのか。
イエスを否定する気はないが、あの最後には目を覆いたくなる、と。
その気持ちに変わりはないが、少しだけ気が安まる気分になれた。

本来なら、人類すべてが、あの残虐さを受けるはずだった。
あの残虐さを体験して初めて、贖うことができた、全人類一人一人が。
そのことに思いを致したイエスが、すべてを身代わりとして引き受けたのではないか。
自分が残虐さを引き受けることで、全人類を残虐さから解放できる。
ならば、自分が……と。

イエスという方は、途方もない人類愛を持たれていた。
我らだって、自分を犠牲にして、わが子や家族が助かるならという気持ちを持っている
人は少なくない。
同じように、イエスが全人類を家族のように思っていたのではないか。

自分が苦しめば、愛する人が助かる。
そう思ったとき、苦しみは幾分なりとも軽減する。
こういった体験をした人はいると思う。
十字架上のイエスの苦痛が少しでも軽減されていたなら、と思うと、やっと
イエスと向き合う気になれる。

それにしても、あの苦しみはわれら一人一人もれなく体験するはずだった
苦しみだったのだと思った。
イエス様、感謝とかありがとうではすまないくらい、想いは募る。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/4 21:59削除
春季大祭。
一番印象に残っているのは、ヨハネの福音書の一節。
 見ないで信じる者は、さいわいである。

多くの信者は、浄霊の奇跡を「見」て、入信している。
そのくせが未だ、直っておらず、「見」てから信じるぞ、という習性になっている気がする。
小生だってその一人だっただが、病貧争が「見」えなくなるまで、天国は来ていないという
姿勢でいる。
これって、少々トロすぎないかと、最近、思うようになった。

本来の在り方として、浄霊の奇跡を「見」た段階で、その奇跡を起こしているのは
神様だと教えられている。
その時点で信じているのが、本来の在り方だと思うのだ。

なのに、まだ、この願いが叶っていない、あの願いはかなわかったといって、
神様を信じられずにいる。
これがまちがっていたのではないかと、最近、思っている。

だから、どうなるかわからないけど、とりあえず信じることにしよう。
本心から信じられなくても、とりあえず信じているという前提で行動するようにしている。
結果はいい。

「見」てからというが、これは唯物思想のものの見方であり、
我々信仰者のものの見方は、もっと大きなところに置いたほうが前進するように実感している。
つまり「見ないで信じる」ことだ。
そのほうが幸せになれるとキリスト教では教えている。
明主様もきっと同じではないかと思っている。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/2/8 13:17削除
立春祭、真明様の聖言は、イエスによって贖われているということ。
これには、まったく異論がない。
贖われた我々は、メシアになられた明主様によって、救われた。
救われたということは、どういうことなのか。

考えるに、主神様の下で生きていけるということ。
完全無欠の主神様の下で生きているのだ。
過去を隠すこともなく、未来を不安に思うこともなく、生きていけるということだと
捉えている。

我々に求められているのは、主神様の下で生きるということの実例を示していくことでは
ないだろうか。
これは、言葉で言うのはたやすいが、長年身に着けてきた救われる前の生活習慣。
そこからはなかなか抜け出せないのが現実だ。

一つずつ、そのたびごとに、心を向けて考え直していくしかないかなと考えた。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/2/7 21:09削除
立春祭。
かねてより投稿し続けている、ケータイ検査。
今回も実施されていた。
もちろん高飛車な態度こそ消えてはいるが、検査自体は水も漏らさぬ姿勢で臨んでいたことは
まちがいないだろう。

この問題は、そう簡単にはいかないと判断した。
腰を据えて、じっくり取り組んでいこうと考えている。

思えば、尾行・盗聴・盗撮問題。
この問題に取り組み始めたとき、世間はむしろ小生たちのことを奇異な視線で見ていた。
 なぜ、どこが、おかしいのか!?
 証拠がないと正当性を主張できないじゃないか?
大半の一般社会人がこんな考え方をしていたものだ。
弁護士でさえ、尾行・盗聴・盗撮を薦めたりしてくらいだ。

小生も当時は、尾行・盗聴・盗撮問題がなぜいけないのかわからなかった。
当時の上司が、元々尾行・盗聴・盗撮問題に取り組んでおり、いかに社会の信頼をなくす行為かを
じっくり説明してもらった。
以来、小生も、尾行・盗聴・盗撮の危険性を訴えるようになった。

現教団の教主様が、尾行・盗聴・盗撮行為の被害を受けたことを知ったのは、
ずっとあとのことになる。
今では、幾人かのマスコミ、言論人も尾行・盗聴・盗撮がいかに卑劣な行為であるかを
訴えるようにはなっている。
しかし、体制はとなると、まだまだ先の観が否めないところだ。

最近、騒がれている回転ずしのナメナメ問題。
あれも、犯人の社会ではどこかで正当化されているのではないだろか。
行けないことであると知ってはいては、それがカッコいいとする風潮があったり
するものだ。

それと同じで、ケータイ検査も、いけないこととは知っていても正当化している社会があるのだと
思う。
集団のなかで正当化されている行為の危険性を、マジョリティにするのは容易ではない。
だからといって、危険は危険。
長い目で、どこまでも訴え続けていこうと誓った。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/2/6 22:30削除
立春祭から帰宅した。
仕事が忙しく、足も痛みが増し、歩くのも人目はばからず引きづる日々。
金銭的にも、年末年始の長期旅行で費やし、余裕がない。
とりあえず、決めたことはやろうという気持ちで、神戸に向かった。

金銭の都合がつき、仕事も一段落、最も心配した足も当日になってかなり
歩くやすくなっていた。
というわけで、とてもいい気分で参拝させていただくことができた。

今回のメイン発表は、聖言だろうな、やっぱ。
これまで「聖言」の語は、教祖明主様から発せられたもののみだった。
これに、二代様、三代様、そして現四代教主様、さらに五代教主様になられる
真明様の加えて、聖言と申し上げることになったとのことだ。

これについては、理由を記したものも配られ、書生としても納得できるものだった。
 教主は、明主様を継承する存在であり、その言葉は明主様のものとする。
ざっくりと記すと、こんな理由だ。

また、元教団のやつらはいろいろいちゃもんをつけてくるんだろうが、知ったこっちゃない。
万一、明主様以外から発せられたことが、明主様の意思に反する場合は、
明主様が軌道修正、裁き、なんらかの手段を講じるものと信じるからだ。
我らは、明主様は現在もお働きになっていると信じているのだから。
愛する信者を、この世に残して放置するはずなど決してないのだ、とな。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/8/14 14:07削除
ちょうど1週間前の今日、8月7日は祖霊大祭だった。
湾岸エリアの都会感の包まれた場所。
小生も参拝させていただいた。

最も鮮明な出来事は、真明さまのあいさつの冒頭、
 できるなら、私は信仰者だとプリントしたTシャツを着て歩きたい。
との言葉だ。

これまでも別に否定はしていないし、教主様の後継者をいただけたことについて
感謝の念は持っている。
しかし、指導者というか、教えの指導者という部分ではイマイチ混とんとしていたのは
事実だ。
無理やり指導者だと思おうとするのはかえって不敬な気もするので、そのままで推移してきた。

今回初めて、信仰上の指導者としての真明さまを認識させていただけた気がする。
Tシャツ発言を聞いたときだ。

帰宅して、パソコンを開いたら、
 我々は宗教を隠さない、絶対に
のタイトルが、ユーチューブに。
同じ思いの信者さんが、ほかにもいたことが、無性に嬉しかった。

ま、タイトルを付けたのは専従職員だろうが、ぴったりはまってるぜ、
今、最も、渇望していた言葉だ。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/9/10 15:58
1回の参拝者数が限られているなら、回数を増やせばいい。
とどうしても思ってしまう。

会場費用、滞在費用などコスト面もあるだろうから、
そう簡単にはいかないんだろうな。

現在はネットでも拝見できるのだが、やはり生は生。
会場に身を置いているのと、教会や自宅でユーチューブを観るのとは、
やっぱり違う。

もしかしたら、これも神様の振り分けだろうか。
なんて不安になったりもする。
秋季大祭は、普段参拝できない人に譲ることに決めたが、
小生は振り落とされたのかなぁ、なんて。

まだまだ天国人になりきれない小生なのだ。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/9/8 13:36
1カ月弱に迫った秋季大祭。
自粛の強化による影響を受けて、さらに人数制限が厳しくなりそう。
小生も希望は出したが、どうなるかはわからない。

いつも参拝させていただいているので出しゃばらず、なかなか参拝できない
人に譲ろうと思う。
入場はできなくても、会場の外からでも参拝させていただこう。
想念だけで。

想念を具体的に現すために、可能な限り会場の近くに行こう。
交通機関の予約だけは入れることにした。
返信35
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/5/20 11:27 (No.211935)
美しい
この世に完璧なものなどないと思っていたのだが……。

   
返信
c
childrenさん (93tbcq5j)2024/6/8 10:28削除
自由主義者の小生は、集団行動が大ッ嫌いだ。
何事にも例外はあるらしい。
見てると涙が出てくる。
 3:00あたりから始まるよ。
c
childrenさん (93tbcq5j)2024/4/28 23:05削除
古い出版物に、日本人の優秀さについての聖言があった。
何でも栄光の編集に言われて、今はまずいというわけで、
さわりだけにとどめると記されていた。
なにせ、まだ講話の前のことのようなので、しかたない。

それが昨日、今日はYouTubeに目が留まった。
正義の授業で有名なハーバード大の、あのマイケル・サンデル教授だ。
YouTube情報なので、どこまでが真実かは定かではない。
小生にはハーバードに知り合いなどいないので、確かめようがないのだ。

サンデル教授は、日本の文化が世界にないもので、素晴らしいという。
神話が現代の生活にまで生きている。
神話は世界じゅうにあるが、現代の生活につながっているものは他にはないのだとか。

また芸術面の素晴らしさについても説明している。
そのなかに、日本の音楽があった。
日本の音楽には、わざと雑音を入れる。
これも、世界にはないのだとか。
雑音を入れると、自然界になじむのだとか。
なぜかまでは、小生にはわからないが。

サンデル教授の説が、どこまで明主様のいわんとされたことかはわからない。
それでも、日本人の素晴らしさが認められたのだとしたら、うれしい。
日本人に与えられたミッションを少しでも担えることができたらうれしい。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/1/3 14:08削除
教祖、明主様は華道流派を創立する意思をお持ちだったのだろうか。
花の価値はたしかにお認めになっていた。
 できうれば刑場の片隅にも1厘の花があれば
という類の聖言があったように思う。

光輪花の写真も拝見したことがある。
ほかにもあるのかもしれないが、光輪花はどちらかというと、茶花に近い
ように思う。
野に咲く1厘の花である茶花への思いはあったとしても、生け花流派へのこだわりは
あったのだろうか。

以下は、なかったという前提でのことだが、
既存の華道流派を取り入れるのはどうだろう。

山月流は、もはやできない。
新流派を創立するとしても、山月は承知しないだろう。
ならば、既存の流派と呼応して花活動をしてもいいのではないだろうか。
既存流派の講師を招いて、各教会で教室を開設するのだ。
もちろん世界メシア教の名を冠することはできず、取得できるのは
既存流派の資格になるのだがな。

そのためには、押さえておきたい点が1つある。
既存流派の華道への心と、明主様の生け花への思いに、決定的な齟齬がないことだ。
その結果、折り合える流派があれば、の話しだ。

華道といえば、9割が女性だ。
そのなかで、定年退職した男性がポツポツといるそうだ。
定年退職した男性は、外から見るより、ずっと暇を持て余しているようだ。
絶望は死に至る病だといった哲学者がいるが、
退屈だって似たようなものだと思う。

その意味でも、既存華道との呼応は価値があると思うんだがな。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/1/2 12:20削除
生け花って、信仰があるんですよね。
 医療のない時代、病人をいやそうとして生けたのが、
 華道の始まりなんです。
華道家元一族から聞いた話だ。

小学校のころ、学校の帰り道、田のあぜ道に咲いていたレンゲ草を摘んだことがある。
捨てる場所もなく、そのまま家に持ち帰った。
父親が、そのレンゲ草の束を見て、「気分がよくなった」と言い、
床から起き上がったことがある。
ちなみに、そのときの父は二日酔いで寝ていた。
二日酔いといえども、本人にはつらかったようだ。

その日から、小生は花が好きだ。
誰かをいやそうという気持ちがないと、生け花の価値はないのかもしれない。
病だけでなく、いろんなことをいやそうという気持ちだろう。

その華道、華道だけではなく現在、日本の伝統文化は、日本では振るわない。
しかし、外国では、かなり広がっているそうだ。
国内の教場でも、外国人が増えているのだという。

この現象は、宗教と重なる。
日本の伝統文化はすべて、宗教から始まっているのかもしれないと思ったりしている。
匿名さん (8xxl97s3)2023/11/29 22:42削除
在宅勤務の日々。
PCとにらめっこしているわけだが、ユーチューブをバック音楽代わりにしながらの
作業だ。
たまには音楽も聴くが、ニュース系が多い、英語の。
別に英語を理解できるわけではない。
日本語だと聞き入ってしまう心配があるが、英語だとわからないので聞き入る心配はない。
英語の勉強もかねて、ちょうどいい。

たまには音楽も聴く。
今日は、めずらしく、クラシックを聴いてみた。
ショパン、バッハ……いろいろはしごしたが、なんちゅうか。
小生の場合、やっぱり和の音楽がいい。
心が明るくなる。
琴や笛の音を聴いていると、意欲が湧いてくるのだ。

そこにいくと、洋音楽はやっぱりどぎつい。
心が暗くなって、作業が進まない。
画面を見ると、演奏している人の顔も怖い。
これが世界標準なのだろうか。
小生が甘いのだろうか。
でも、これが世界標準になる世界って、いやだな。

そういえば、数少ないクラシックコンサート経験だけど、
日本人の演奏者も指揮者も、もっと笑顔だったよね。
すくなくとも、こわい顔の人はいなかった。
c
childrenさん (8x6p95ma)2023/11/9 21:21削除
先日、駅前の路上で、津軽三味線をやっていた。
ジーンズスタイルの若者が、一人で演奏していた。
観客はわりに多く、会社帰りのサラリーマンのほか、近くの交番前では
わざわざ出てきたと思われるお巡りさんが数名、聴き入っていた。
若い人が多いのが、目についた、

思うに近年、和もの人気が目立つ。
音楽だけでなく、食や習慣、文化なども「和」をテーマにしたものが増えている
気がする。

明主様のご聖言では、和服が正しいというものがあったように記憶している。
わが世界メシア教では、世界救済のミッションによって、いろんなものが西欧化している。
ところが世間では、和へ和へと草木もなびいている。

このズレはなんだろうと考えずにいられない。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/8/10 23:16削除
懸案のケータイ検査は、今回も行われていた。

日米両国での生活経験を持つ人物の発言だが、
日本の交通、とくに鉄道は完璧に近い運行を行っている。
だけど、アメリカのように時間通りでないことから生まれることもある。
想定外の事態から、生まれることは少なくない。
人生が想定通りに行かないように、想定外のことから現在の人生があるように
想定外のことがもたらすものが人生を、社会を進化させるという。

日本でしか生活したことのない小生にとって、一概にうなづける発言ではなかった。
とりわけ交通機関が想定通り、時間通りであるから得る利益は大きい。
と同時に、想定外の事態への対応が生まれにくいことも否定できない。
現在の台風6号による社会停滞を目の前にして、とくにその思いは強くなる。
失敗を恐れすぎていることが、現在の日本社会を停滞させているのだとも言う。

ケータイの雑音なしに大祭が行われることは素晴らしいことだ。
それと同じくらい、いや、それ以上に雑音に対処するシステムを構築することも大事だと思う。
ましてや、他人のものを取り上げてまで行うケータイ検査が作り出したうそっぽい厳粛さを、神様は
本当に喜ばれるかは大いに疑問だ。

ま、水も漏らさぬ体制はかなり緩和されたのに比例して、会場内のケータイ消音への協力を促す
体制が強化されていたように思う。
本来からすれば、協力を求め、消音するスキルのない人のために消音への手伝い体制の強化が
理想だと考える。

ま、いい方向に向かいつつあるのではないかとは思っているのだが……。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/8/9 22:03削除
後半のトピックは、音楽だ。
男女混成の「家路」。
小生も思い入れたっぷりの1曲だ。
壇上のメンバーはとても美しく格調高く歌っていたが、小生も歌いたくなった。
そう思っていたら、隣席の男性が小さな声で口ずさんでいるのが聞こえた。
なんと音痴自慢の小生をはるかに超える音痴だ。
音痴だって、歌いたくなる、「家路」。
心に沁み込んで離れない。

続いて、男性5名によるコーラス。
男性のみのコーラスは、小生が知る限り、初めてではなかっただろうか。
コーラスメシアも、新時代を迎えたようで、今後も様々な広がりを見せて
いただけるのではないかと楽しみにしている。

何より好感だったのは、楽しそうに歌っていたことだ。
歌っている方が楽しそうだったので、こちらまで楽しくなれた。
外国の方1名は、普段から体で表現することに慣れているようで、自然に表情も
身振りも豊かに表現されているように映った。
とにかくムリなく、自然なのは、うらやましい限りだ。

そこに行くと日本人は、形に現わして感情を表現することには不慣れだ。
それでもメンバーは、いつもに比べると、かな~~り豊かに表情で表現しているように
見えた。
コーラスメシアの今後は、どんな展開を見せていただけるのか、本当に楽しみだ。

そういえば、コーラスメシアの今日を見せてくれた先駆者的な、女性。
今回は彼女の姿が見えなかったが、彼女なくして、今日のコーラスメシアを目にすることは
なかったんだろうなと思った。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/8/8 21:56削除
今回の祖霊大祭、最大のトピックは、やはり
まゆみ奥さまの久々のご登場だ。
車いすでの登場だったが、時々立ち上がり、手を振られるなど、
お元気な様子だった。

庶民性あふれる人柄も相変わらずで、信徒からの声掛けに対して、
声に出してお応えになっていた。
教主様が自らマイクを手渡すなどほのぼのとしてシーンもあった。
奥さまも、こみ上げる涙をこらえきれなかったようで、会場一丸となって
喜びに沸いた。
小生も、少しだが、涙がこぼれたぞ。

髪が白くなったせいか、神々しささえたたえていた。
一か八かの瀬戸際を乗り越えた姿は、やはり美しいね。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/8/7 06:18削除
祖霊大祭、昨日、無事に参拝させていただきました。
今回は比較的近い東京、お台場での開催だった。
とはいえ、なぜか仕事が立て込んでしまった。
それは嬉しいことだが、もし請けた仕事が納品日までに完成しなかったら……、
急いでやって、やっつけ仕事になってしまったら……
寝不足になって思わぬミスを起こしてしまったら……、
心配事はつきなかった。

最終的には、決めたとおりに参拝させていただこう。
仕事もやれるだけのことはやって、それでも失敗したら、それはそれでいいかと
思い、コツコツ取り組んでいた。

昨日、帰宅後も仕事をし、何とか目途だけはついた。
内容の結果はこれから出るわけだが、ま、納品日は守れそうだ。

大祭のときはいつも、ギリギリのところまで追い詰められ、ようやくクリアさせて
いただける。
そんなことを連続だなぁ。
返信10
c
childrenさん (93tbcq5j)2024/5/20 09:05 (No.1167684)削除
最近、食についての聖言をよくいただく。
したがって、食についてのスレッドを立てた。
アスリート、正確には元アスリートなんだが、オリンピックメダリスト。
専門の栄養士がついている人もいるが、そうでない人もいる。
彼らの食は、ほとんど和食だ。

もちろん肉、獣肉も食べているが、主食は米。
期待されながら、途中でエネルギーダウンした女性マラソンランナー。
彼女は、エネルギーダウンの原因はパンだったととらえ、米食にした。
その後は、エネルギーダウンはないのだと言う。
米食は、栄養士のついていないアスリートがとくに熱心だった気がする。
筋肉の代表みたいな重量挙げアスリートすら、米食。
「米じゃないと、エネルギーが持たない」

あの14歳の金メダリスト、岩崎恭子さんは「糖質カットはしない」と公言。
競技に入る前は、羊羹を食べていたという。
過激な運動をするには、和食じゃないと無理ということだろう。

小生も少しずつ菜食を心掛けているが、昨日はそら豆とひじきの煮物が、
ものすごく美味しかった。
ま、ベーコンは入っていたのだがな。
返信
c
childrenさん (93tbcq5j)2024/6/2 08:38削除
地産地消。
地元でできたものを食するのが理想だという。
 海に囲まれた日本人は魚食。
 長時間労働をする農民は、野菜食。
こんな聖言があったと記憶している。

食が地産地消がいいなら、人間だって同じなんじゃないだろうと
ふと思った。
生れた場所で一生、生ていく。
これが最も幸福に近いんじゃないのかと思う。
幸福、つまり神様のご意図に沿うんじゃないかなとね。

歴史を振り返っても、生まれた土地を離れるのは、犯罪者、食い詰めた者、
戦で負けた者くらいだ。
蝦夷の人たちだって、戦に負けたから、全国に離散させられた。
生れた土地を出たくて、出たわけではない。

それなのに、近年は、好んで都会に出ようとする人が増えた。
若いうちはいいが、年をとると実に哀れだ。
こういう高齢者を多数見ているせいか、人生も地産地消かなと思ったしだいである。

もっとも全く循環しない社会なんて発展性がない。
そのために逃亡者や破産者がいるのかもしれない。
好き好んで出ていくのではなく、生まれた土地で生きていく。
生れた土地にあるもので、生まれた土地を発展させてことが正解なんじゃないかな。

ないものねだりをしても、しょうがないよね。
小生はいまさら生まれた土地で暮らせないが、今あるものをもっと大事にし、
そこから生まれた物で老後を生きていくことにした。
返信1
c
childrenさん (7k8sk41o)2020/6/20 10:28 (No.92629)
織田信長は、信仰心の篤い人物だったようだ。
元々織田家は、神官の家柄だったそうで、神社や寺院を手厚く支援していた。
キリシタン弾圧のイメージがあるので、信仰心が薄いように思われがちだが、
どうやら誤ちと言っていいようだ。

では、なぜ、キリシタンを弾圧したのか。
それは、キリシタンが他教を攻撃したかららしい。
もちろん日本人を奴隷を売り飛ばしたりしたこともあるのだが。

信長の例によってみれば、日本人の宗教観はあらゆる宗教を受け入れることにある。
これは、他国人の宗教観に優越したものだと思う。

世界メシア教も、日本発祥の宗教だ。
あらゆる宗教を受け入れるのは当然であり、その点でも、他の宗教に優越した特性だと考えるの
だが……。
返信
c
childrenさん (93tbcq5j)2024/5/5 21:39削除
LGBT界の重鎮ともいうべき方の話を聞いた。
「性転換はしたけど、別に女になろうとしたわけではないのよ」
仕事の関係で海外に行くことが多いのだが、通関手続きが非人道的すぎる
ものだったようだ。

 自分だけならまだ我慢できるけど、一緒に行った人まで同じに目に遭わ
されるのだけは回避したいと思ったのが、性転換に踏み切った理由だと
語った。
 海外では、LGBTへの白い眼は、想像をはるかに超えたものがあるようだ。

彼女は、こうも言った。
「性転換したら、女になれると思い込んでいるのよ。だから、騙されたり、
裏切られたり、悲しい目に遭うのよ」

 そして、言った。
「あたしがこの年まで生きてこられたのは、男でいたからよ。男でいたから、
皆が可愛がってくれたの」

 直に聞く話は、小説より響く。
 どれだけひどい目に遭ってきたか、どれだけ誤解されてきたか。
 マイノリティーの日々を乗り越えてきた気構えに感心した。

彼女は自分たちの性意識を「病気」と呼ぶ。
「あたしたちみたいな病気を持って生まれても、ちゃんと生きていけるようになったわけだから、
それだけもありがたいことなのよ。(現在のLGBT者について)、わがままとしか思えない」

なにかを乗り越えてきた方の言葉は、力が違う。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/12/2 16:58削除
信長は、絶頂期に亡くなった。
絶頂のすぐ先にあるのは、がけ下。
こんなことはありすぎるほどある。
松下幸之助氏や、高倉健氏など、長く絶頂を維持するケースはむしろ例外であると感じる。
 災いは忘れたころにやってくる。
言い得て妙だ。

逆に、幸運も忘れたころにやってくると思う。
Wカップサッカー、今度はなんとスペインに勝利した!
ドイツ、スペインと軒並み勝利なんていうことは過去にあっただろうか。

今度のWカップはまったく盛り上がらなかった。
小生などは、ドイツに勝ったニュースで初めて、Wカップをやっていると知ったくらいだ。
誰も期待していない勝利。
まさしく、幸運は忘れたころにやってくるの典型的なケースだったと思う。

もう一つ、忘れたころにやってくる災い。
絶対忘れないようにしようと思ったりするが……はてさて。
返信2
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/23 22:21 (No.434593)
無信仰者に向けてのスレッドにしよう。
無信仰者といっても、目に見えないものは信じないという人ばかりではない。
トイレの神様を信仰している人はいないと思うが、まぁ諸々の神様を信仰をしている人も
ここでは無信仰者のくくりにしておきたい。
そして、元わが教団である世界救世教の名を一歩も出でようとしない人々も含みたい。

もっといえば、わが世界メシア教の信徒も含まれるかもしれない。
いくら世界メシア教の信徒だからといって、主神様に心の底から帰依している人ばかりでも
なさそうだからである。
もっとも、そこまで言えば、小生自身だってまだまだ完璧に帰依しきっているとまでは
言い切れない場面もあるからだ。

そこで、これらの人々すべてに向かって問いたい。
あなたは、主神様によって作られた存在だと考えるか?
それとも、誰の意思でもなく、偶然によって作られてしまった存在だと考えるのか?

まずは、この点で、どちらだかと考えるかを明確にしておきたい。
返信
c
childrenさん (93tbcq5j)2024/5/4 10:03削除
脚がわるいので、遠出をするのが怖い。
そんなことあってゴールデンウイークだが、家でゴロゴロしておる。

先日、言われた。
 お前さ、自由主義者なのに、なんで宗教やってんの!?
同じようなことは何回か言われておるがな。

世間では、宗教と言えば、自由をしばるものと思い込んでいるのでは
ないだろうか。
小生は、逆だと感じておる。

かねがね自由主義者を公言してはばからないせいもあって、自由については
よく考える。
自由を守るには、まず責任をとること。
次に、他者の自由を阻害しないこと。

これが意外に難しい。
責任を追及されると、逃げたくなる。
間違った解釈によって、責任追及されることもある。
あれこれ考えて、結局、自由主義者を公言し続けていられるのは、
神という存在があるからだと実感しておる。

間違った解釈に基づいて責任追及されたとき、
自分を守るために、他者の自由を阻害したくなるとき、
さまざまな場面で、神に祈り、神の裁きを求めることで、なんとか
自由阻害を回避できたと実感するんだよな。

神様なくして、自由を謳歌している奴。
小生から見ると、このタイプの自由主義者のほうが不思議な存在なんだよな。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/2/3 09:49削除
権威の崩壊に、歯止めがかからないね。
実に惜しみなく、権威が崩れていっている。

権威といわれる学者が、在野の学者に太刀打ちできない。
権威といわれるメディアが、読者・視聴者を納得させる情報を流せない。
権威といわれる高級官庁が、国民を理解させる説明ができない。
中身のない権威が、中身のないことを自ら露呈している格好だ。

これらに共通しているのは、
 窮地に立たされた権威は、力づくで上から目線で封じ込めようとする
ことだ。

学生時代には嫌というほど経験している。
 教授の意見と違う意見を口にすると、
 教授は顔を真っ赤にして罵声を浴びせてくる。
そんなとき、
院生の兄さんが、きちんと論理だてして説明してくれたもんな。

これまで通用してきたやり方が、通用しなくなったってことなんだろうね。

中身のないことを露呈された権威は、しばらく、力づくで国民を攻撃して
くるんだろうなと思うと、暗くなる。
最後のあがき、というやつで。

せめて、論理だけでもきちんと立ててほしいよな。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/2/1 16:43削除
『セクシー田中さん』とやらが、話題だ。
原作を大幅に変えて、放送されたことが、原作者を自殺に追い込んだ、と報道されている。
この報道が事実として、という前提だ。
小生は観たことも読んだこともないということをご承知おきくだされ。

原作者といえば、人間の原作者は、主神様だと信じている。
原作者の意図を勝手に変えて生きている、われら人間を見て、
原作者の主神様も心を痛めているだろうな。
そんなことを考えてしまう。

以前、あるテレビドラマの監修をやっている人に会ったことがある。
専門家として、ドラマは、ありえない内容になっていると思った。
ドラマの人は、現実どおりではドラマにならない と言った。
この監修者は納得した。

田中さんの件も、十分な話し合いがあれば、もっと何とかなったのではないかと
思い、残念な気がしている。

十分な話し合いもなく、独断でやってしまう。
こういうことは珍しくないのだが、その土台には、思い上がりがあると思う。
自分は何をやってもいいと勘違いする思い上がりが。
c
childrenさん (8xxl97s3)2023/12/4 21:52削除
いわゆる「トロッコ問題」
右の道には5人の工夫がいる、左の道には1人の工夫しかいない。
暴走トロッコを走らせれば、その道にある人は死に至るのは必至。
さて、あなたならどうする?
こんなところだと記憶している。

最大多数の最大幸福。
これを公共的善と考えるベンサムは、5人を助けるために1人を犠牲にするのは
善という。
対して、1人を犠牲にしているから、善とはいえない。
単純に5人対1人とは言えない。人は家族を抱えており、その数は単純に決められない。
などなど反対意見も数多くある。

というわけで、小生にとって、哲学は本当にめんどうくさいの一語。
そういう事態に遭遇しないように、神様に祈る。
という結論しかない。

だが、神様はイジワルなところがあって、その事態には遭遇したくないと思っていると、
遭遇させてくれっちゃりすることがある。

万一、トロッコ問題のような事態に遭遇したら、どうすればいいんだろう。
サイコロでも振るしかない。
c
childrenさん (8xxl97s3)2023/12/3 21:49削除
絶対ダメと思うことがある。
小生はこれまで、絶対ダメと思うことは、諦めてきた。
神様がやってはいけないということだと解釈したからだ。

ところが年をとると、できることが少なくなる。狭くなる。
ダメじゃないことだけをやっていては、生きていける世界がないのだ。

ダメ元で、ダメなこともやってみる。
一種の開き直りといってもいいくらいだ。

ところが意外とダメじゃなかったりすることがある。
やってみるとできたりすることがある。

現在の小生は、皆がダメと思うこと、自分でもダメと思うことをとりあえず、
ダメ元でやってみて、現在も生きている。

信仰のおかげというと、未信仰者は臭く感じるようだが、
それを承知で、あえて言うことにする。

信仰のおかげで世界が広がったから、現在も生きていけるのかもしれないと考えている。
世界が広がっていなければ、狭い世界を生きつくしたところまでで、小生の人生は終わっていたのかもしれない、
と考えている。
c
childrenさん (8wvvh8wb)2023/11/26 20:52削除
「公共」という言葉がある。
日常的に使われている言葉だ。
今まで、何気なく使っていた。
最近知った。
公共とは、公と私との関係を考えることであると。

ソクラテスの昔から、公と私の問題は考えられてきた。
それが、哲学であり、倫理であるのだと。
そうだよな、悪法も法なりって、まさしくそうだ。
私には何のやましいことがなくても、公の法にはしたがわなくてはいけない。
最大多数の最大幸福だってそうだし、
最大多数の考えは、少数の人を犠牲にすると批判する哲学もそうだ。

少数保護は大事だけど、保護しすぎるのはどうなんだろうと思ったりする。
最小少数のために、最大多数を犠牲にしていいのかとな。
そこまで考えると、結論は出ないのだが、要は、その最小を保護することが、
多数にとっても利益があるかどうかではないかなというのが、小生の結論なんだけどね。

とりあえず、何かを決するとき、主張するとき、
小生という個人に発生した主張が、全体という公にとって、どのように裨益してか、
そのことは、常に念頭に置いている。
さらに、小生には信仰がある。
全体の利益につながるという結論まで出したあとは、主神様に奉告したうえで、
決する。
そこまでして間違えたとしたら、しかたないというところなんだよね。

神様のいない人たちは、どうしているのだろう。
c
childrenさん (8x6p95ma)2023/11/10 21:56削除
ショックな動画を観た。
たぶん小学校、教師が何かを床に投げ捨てた。
生徒が、四つん這いになって、床の物を拾った。
よく観ると、生徒によっては手渡しされていることもある。
手渡しされた生徒は、言うまでもなく、四つん這いになることはない。

四つん這い生徒と、手渡しされた生徒の違いは、賄賂、袖の下なのだという。
袖の下を渡した生徒と、渡していない生徒を同じ扱いにすると、
袖の下を渡した生徒の親からクレームがくるのだとか。
これは、日本の隣国での出来事らしい。

日本だったら、この教師は、そくクビ。
その前に、その生徒が退学になるのではないだろうか。

一方、今年の春に、知人から直接、聞いた話だ。
今話題の埼玉県川口市在住の知人は、知人の母親の体験を話していた。
 知人の母親が、近くのマンション駐車場を通りかかったとき、ものすごい剣幕で、
 外国人女性が怒鳴りかけてきた。
 指先は、駐車場に停めてあった車を指している。
 ココ、トメタノ ダレ!!!
外国人女性は、自分の停める場所だと大声で繰り返した。

知人の母親は、その駐車スペースが、そのとき停めてあった車の持ち主のものであることを
知っている。
契約したのか、お金を払っているのかと問うと、どちらも、ノー。
どうやら、2~3日、持ち主が空けていた間に、外国人女性が停めていたらしい。
だから、自分の駐車スペースだと言い張ったというわけだ。

世界には、いろんな価値観があって、その価値観があたかも常識のようになっている。
その国で常識だからといって、日本に持ち込まれたら、たまらない。
日本の常識と、その国の常識、どちらが人類を幸福にするか。
そのうえで、常識を判断していく必要があると思う。
 変な常識、持ち込まれたら、困るんだよ、本当に。
c
childrenさん (8hlmn685)2023/10/15 21:39削除
現在の人々が、顕著な反応を示す言葉の一つが、「責任」だ。
以前、小生がプロジェクトのトップに就いたときのあいさつで、
 私の仕事は責任をとること。
 責任とりますよ、とります!
この言葉で、サブのトップが反応した。
 どうして責任をとらなきゃいけないんですか。
 私たちにはどうすることもできないことだってあるのに。

同じようなことは、信仰の場面でも時折、ある。
 もし、神がいなかったら、どう責任をとるのか。
たしかに小生には、神を見せることはできない。
神があることを示すこともできない。
 だから、「信じる」じゃないのか。
目に見えて、確実にあるなら、それは事実であって、「信じる」ではないと思うのだが、
繰り返し、同じような発言を聞かされる。

「信じる」はさておき、信じた結果の責任は、小生がとる。
小生に関する部分は、小生がとる。
もしいなかったとしたら、信仰に費やした時間も、金も無駄だったことになるが、
文句は言わない。
すべて受け入れる。

しかし、どう責任をとるのかとくってかかる人たちは、
神がいたときの責任には、なぜか論及しない。
神がいるかもしれないし、いないかもしれないというどっちつかずの人たちも、
いたとき、いなかったときの、責任は視野にないらしい。

神がいると信じた結果の責任、いないと信じたときの責任、どっちつかずの立場の責任。
すべての行為について責任は発生する。
責任のとれる選択は何かなと考えたとき、小生の場合は、
神はいると信じるという選択だったということなんだよな、だから信仰しているのだ。
c
childrenさん (8hlmn685)2023/10/14 00:00削除
テレビでは、専門家を称する方々が、ハマスがあんなことをしたのには、
イスラエルがひどいことをしたからだという。

イスラエルが、あんなことをされなくてはいけない何をしたのか?
思い当たらない。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/10/12 20:55削除
以前も記したことがあるが、ある仏教者の質疑応答。
 問 悪いことをしていながら、裁かれない人がいる。
 答 裁かれているから、悪いことをしなければならない状況になっている。

いささか過激な発言だが、侵略やテロ行為をしなければならなくなったということが
裁かれているということではないかと思う。
ムスリムの過激な行動は、神の理想を実現するための宗教行為だと言われているが、
すでに神は、彼らを見放してしまっているのではないだろうか。
正確には、彼らの考え方なんだが。

神に見放されてしまっているから、テロをしなければならなくなった。
なぜなら神は、可愛い人間にテロなどをさせるわけはないと思う。
 君らの信仰はウザいんだよ。
 私の心がわかっていない!
とでも、仰っているように思えてしまう。

見放したといっても、神様にとって人間は大事な子ども。
改心さえすれば、神様の本当の心さえわかれば、彼らを赦さないはずはないと思う。

テロリストくんたちに聞いてほしい。
今一度、白紙の心にもどって、神様のみ心を訪ねてほしいんだけどさっ。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/10/11 21:51削除
誰もが、第三次世界大戦が脳裏をよぎるのが、
ハマスによるイスラエル攻撃だ。
ハマス側に肩入れしようとするのが、中ロ。
欧米に真っ向から対立の姿勢を示そうとしているわけだ。
ますます第三次世界大戦の文字が鮮明になってくる。

小生は若くないので、戦争は何かと不都合だ。
だからといって、必要不可欠なら、受け入れようと思う。
この問題も、歴史的なものはさておき、やはりいきなりの武力攻撃は
認めてはならないと考えている。

もっとも小生的には、歴史的にも、あの地域はイスラエルの土地だと考えている。
現在の世界史が正しければ、という前提付きだがな。
もちろんユダヤ民族は、もっと南から移動してきたわけで、父祖の地とはいえない。
しかし、歴史的により早くあのあたりに住みついたのは、ユダヤ系民族だもんな。
その前からアラブ民族が住んでいたという史料が出てくれば、別ではあるんだが、
とりあえずユダヤ系が安定した政権を樹立していたように理解している。

ま、このへんは歴史の専門家に委ねるしかないんだがな。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/10/10 21:35削除
党に無届でロシアを訪問した国会議員が言う。
 ロシアは大国だから、勝てない。
 だからウクライナは早く終戦に向けて話し合うほうがいい。
この論理、一応は理解できないこともない。

一方で、どんな理由があろうとも、他国を侵略する行為は認められない。
① 大国だから、妥協しろ。
② 他国を侵略する行為とはとことん戦う。
①と②のどちらを選ぶか。

訪ロ議員の論には、②の視点がまったくない。
だから、反発しか得られない。

目先のことを度外視すれば、やはり②だ。
目先のことを優先して①を選んでも、②の行為を許してしまえば、遠からず、
人類は悲惨な日々を受け入れることになるのは必至。

というわけで結論としては、やはり可能なかぎり②を選んで頑張ってみる。
それでもダメなら、一時的に①を選んで、時を待つ。
小生なら、そうするね。

究極と、目先。
時を見ながらマネジメントしていくしかないが、人類の心底にあるのは、
やはり②だと思う。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/10/9 21:16削除
いわば流行り言葉であるかのように使われる「多様性」の語。
大事だと思う一方で、多様性だけでいいのかとも思う。
いろんな価値観、文化がありすぎると、混乱するだけではないのか。
どこかで収束していかないと、散らかりっぱなしになってしまう。
そんな部屋には暮らしたくないし、頭がおかしくなってしまう。

歴史を振り返ると、正反対のことが同時に起こっている。
つまり、多様化を進めるには同時に、収束が必要だと思う。
いろんな価値観、文化を収束していく動きが必要だということだ。

いろんな価値観、文化、そこに齟齬が生まれたとき、どうすればいいかという
議論が不可欠だと思う。
LGBT問題を例にすると、LBGTの人の利益を図ることは大事だが、
だからといって、マジョリティーの利益を阻害していいのか。
その議論がまったくなかった。
そこから政権への不信が生まれた。
議論自体をスルーしてしまったのだからな。

われら信仰者は、主神様ならどうなさるだろうかという思考の基準がある。
いろんな価値観、文化から各自が選んだ価値観や文化、その結果の責任は
各自が背負う。
何に対しての責任かといえば、社会もあるが、やっぱり主神様への責任なのである。
信仰を持たない人が議論し、選択するとき、何を判断基準にするんだろうと、
ふと思ったりする。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/7/19 21:50削除
以下の質問は、実際の質問ではなく、仮想である。
ただし、日常生活を通じて見聞きしているものを土台に作り上げたものではある。
第4回

Q:信仰はしてもいいと思うけど、抹香臭くなりたくないんだよな。
 いい子ぶりっこみたいになるのも嫌なんだ。

A:信仰というと堅苦しいイメージがありますね。
 実際に、そのイメージに振り回されている信仰者も多い気がします。
 小生は、こういう信者さんとは距離を置くようにしています。
 やっぱり苦手なんだ、こういうタイプ(秘。
  ただ神様に対しては、別。
 心からすげ~と思うし、論理的にも、経験値からもすげ~~と思う。
 
  個人的には、やんちゃな信者がいてもいいと思うし、ひねくれた信者がいても、
 不真面目な信者がいてもいと思う。
  ただ、周囲の信者さんたちとうまくいかなくなることは必至なので、
 そのへんはうまく立ち回るしかないとは思う。
  接点は必要最低限にしながら、相手に話を合わせつつ。本音を少しずつ混ぜていく。
 そのとき注意するのは、やっぱりウソだけは言わないことだ。
 あとでつじつまが合わなくなってしまうからだ。

  そんなことまでして信仰しなくてもいいと思うかもしれないが、
 たかが人間関係のことで、あのすげ~~~神様への信仰を断念するのはなんとも
 もったいない気がする。

  もちろん、そんなことまでして信仰したくないというのであれば、それは自由だけどな。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/7/14 22:40削除
以下の質問は、実際の質問ではなく、仮想である。
ただし、日常生活を通じて見聞きしているものを土台に作り上げたものではある。
第3回

Q:目に見えないものは信じないことにしている。神だって見せてくれれば信じるよ。

A:見た、聞いたという例は、歴史上にもあるし、現代にもいるようではあります。
  ただ、小生自身は見たことも、神の声を聞いたこともありません。
  それなのに、なぜ信仰できるのか?
  そう思われる気持ちはわかります。
  生まれたときから信仰のある家庭で育ってきた小生自身、その問いに直面した時期は
  ありました。
  散々、考え、悩みましたが、結論はできませんでした。
  そのうえでたどり着いた答えは、とりあえず信じる。
  神がいるという前提で生きていくということでした。

  この結論を選択した理由は、神はいると考えたほうがいろんなことのつじつまが合うからでした。
  いないという前提で考えると、疑問ばかりを抱え、疑心暗鬼の気もちで生きていくことに
  なりそうでした。
  二者択一なら、つじつまを合わせ、前向きに生きていくほうがいいなということです。
  そのときから40年ほど過ぎましたが、小生の出した結論を方向転換しようと思ったことは
  ありません。

  今後のことはわかりませんが、このままで信仰を続けていくでしょう。
  万一、神はいないということが確定したとしたら、そのときは後悔だけはしないでおこうと決めて
  います。
  自分で選択した道ですから、結果の責任も他に転嫁せず、自分で抱えていこうということだけは
  決めています。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/7/12 22:23削除
以下の質問は、実際の質問ではなく、仮想である。
ただし、日常生活を通じて見聞きしているものを土台に作り上げたものではある。

Q:宗教に入ると、お金がかかると聞いています。
 神仏はお金を使うわけではないので、疑念を持っています。

A:たしかに、お金はかかります。
 しかし、貧者の一灯だと考えています。
 神様は、自らお金を使いませんが、人を通じて使うと思います。
 だから、献金自体は、なんらの疑問を持っていません。
 けれど、神様は、献金させていただこうという気持ちがないと喜ばれないと
 思っています。
 誰かに言われたからとか、お付き合いだからとか、ケチだと思われなくないから
 という気持ちでは神様に失礼だと考えています。
 小生にもお金のないときはありましたので、そのときは金額はかなり少なかったと
 思います。今でもですが(アハハ
 お金はかかりますが、人ではなく、神様への献金だという視点で臨むのがいいのではないか
 と思います。
 ええかっこしたいという気持ちとの戦いだという気持ちで臨んでいます。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/7/11 21:38削除
以下の質問は、実際の質問ではなく、仮想である。
ただし、日常生活を通じて見聞きしているものを土台に作り上げたものではある。

Q:信仰をしてみたいとは思いますが、いかがわしいイメージもあります。
 入信してみて危険だとわかっても遅いので、躊躇しています。

A:他宗のことをあれこれ言うのは、控えたいので言及は避けます。
 ただ、宗教といえども一般社会の一員として活動しているので、反社会的行動の
 見られるところは避けたほうが無難だと思います。
  次の段階として、個人的な利益、名誉欲、ビジネス欲などをやたらに
 満たせるように思わせるところも、小生なら避けます。
  さらに、入信、脱会が自由であることも重要要素としています。
  そこまで確認したら、あとは、感性の合うところであるところ。
  小生も宗教信者であるので、信仰を持つことの意義は痛いほど実感しています。
 自己責任ですが、思い切って、飛び込んだほうがいいと思います。

 第一回宗教相談室は、こんなところにしておきます。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/4/30 18:37削除
縄文時代……狩猟・採集・移動
弥生時代……農耕・定住
一般的な縄文時代と弥生時代のイメージだ。
実際には縄文時代にも農耕は行われ、定住生活を行っていたというのが最新の研究結果だ。
なぜなら、定住し、農耕をしなければ三内丸山遺跡のような巨大住居跡はありえないからだ。
もみ殻なども発見されているという。

別に考古学をやろうというわけではない。
厳密な区別は、ひとまずスルーしておくことにする。
言いたいことは、狩猟・採集から、農耕への移り変わりについてだ。

なんとなくのイメージだと、狩猟・採集生活は不安定で、農耕生活は安定した暮らしになる。
しかし現実には、長年、狩猟・採集生活をしてきた人が農耕生活に切り替えるには、非常なリスクを
ともなう。
狩猟・採集は獲物が得られようと得られまいと、その日のうちに結果が出る。
ただし、食料保存はできない。
対して農耕生活は、結果が出るまでには数カ月から一年かかる。
天候次第で、一年分の食糧が不作に見舞われることもある。
このリスクをとったからこそ、人類は、保存できる食糧を確保できたんだと思う。

信仰は現在のところ、多くの人にとって、収穫できるかどうか未知の存在だ。
このリスクをとって信仰生活を選んだ人々は、人類の新時代を切り拓く存在になる。
小生は、そう信じているから、リスクをとったし、信仰生活をしている。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/16 22:47削除
野菜だって品種改良さえているじゃないか。
改良したのは人間だから、品種改良された野菜を作ったのは人間だ。
そんな声が聞こえてこないでもない。

実際、最近は品種改良が進み、いろんな米や野菜ができている。
それは事実なんだが、品種改良して、人間の思い通りの野菜ができているのだろうか。
改良者の思い通りに改良できているのだろうか!?
だったら、様々な食品公害や危険性を訴える声があちこちであがるだろうか!?
遺伝子組み換え野菜が、その代表ではないだろうか。

遺伝子組み換えはさておき、品種改良に反対ではない。
しかし、プラスの改良とマイナスの改良があると思う。
プラスとマイナスの境界線はどこにあるのだろうかを考えてみた。

神様の意図に叶う改良は、プラス。
神様の意図に沿わない改良は、マイナス。

人間だって、日々改良されていると思う。
進化だ。
神様の意図に叶う改良は、進化。
神様の意図に叶わない改良は、退化。
さらに、改良なしに、従来通りに固執している人間もいる。
変化は怖いもんな、その気持ちはよくわかる。

ただ信仰者なんだから、主神様に心を通わせながら、変化つまり進化していきたいなぁ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/12 13:25削除
親は子を 育ててきたと いうけれど 勝手に赤い 畑のトマト
歌集『サラダ記念日』で有名な歌人、俵万智女史の短歌だ。

人間を生んだのは、たしかに両親である。
そして育てた。
けれど、本当に人間を作ったのが両親だとしたら、もっと違う子どもを作ったのではないだろうか。
もっと従順で、賢く、穏やかなで、眉目秀麗な子どもに、育てる過程ででも修正したはずである。

思い通りの子どもを生み、思い通りの子どもに育て上げたなんていう話しは、
未だ聞いたことも見たこともない。
制作者なら、思い通りに設計し、工作し、改良したはずだ。

それができていないということは、やはり両親が本当の制作者ではないという仮説が成り立つ。
トマトのタネを植え、水をやり育てたのは人間だが、
トマトの形に、赤い色にしたのは人間ではない。

我ら信仰者は、本当にトマトを作り、赤い色にしたのは、主神様だと考えている。
信仰のない人、神の存在を否定する人たちが、ルーツ探しで思考停止させてしまう理由は、
そこにあると思う。

神様を信じている小生らは、その分、自由に伸び伸び思考活動ができるのがありがたい。
c
childrenさん (85dmj2x1)2023/1/11 09:49削除
一時期、ルーツ探しが盛んに行われた。
自分のルーツ、先祖が誰だとか、どこそこの出身だとかを探るのだ。
小生の縁者にも、ルーツ探しを行い、小さな神社を立てた人がいる。
ただし、そこで終わっている。
その先まで探し求めようとはしていない。

どうせわからない。
ということで、思考停止させてしまう。
ところが、どうやら、わが教主様は、そこで思考を停止させていなかったようだ。
教主という立場への使命感なのか、人間としての興味なのかは不明だが、
数年前の出版物に、そのあたりの記述が見いだせる。

要約すると、
 すべてを創造されたのは、主神様。
 われら人間も、やはり主神様の創造によるもの。
 したがって最初は、主神様の手のうちに生まれた。
 つまり天国であり、光に満ち満ちたところで誕生した。

その記憶は、現在のわれわれのなかにも息づいている。
ただ眠っているので、気づかない。

自分のルーツ探し、その先のルーツ探し、思考停止せず、やってみるといいかもしれない。
小生は、天国で生まれたことを納得できたし、
ルーツがわかったことで、不思議に、心に安定感が生まれてきた。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/12/29 18:50削除
教祖・明主様のことがユーチューブで取り上げられていた。
このサイトは歴史ものをよく扱っており、小生も好きでよく拝見している。
とりたててわるく言われているわけでもなく、むしろかなり正確にまとめられている気がした。
参考資料に使ったのが、東方の光教団の出版物だったということも一因であろう。
  

東方の光は、元わが教団の一員だが、現在はなんらの関係もないと言っていいだろう。
法律的には、わが世界メシア教が追い出された格好だ。
もちろん小生は、世界メシア教こそが正当に、教祖明主様の教えを継承する教団だと思っている。
そのへんをごちゃごちゃ言うのは、江戸っ子明主様は粋ではないと考えるだろうと思うので、
やめておく。
いずれ、明らかになることだと考えているからでもある。

というわけで、ここで取り上げたのは、1点の疑問点のせいだ。
そもそもわが教団が「追い出された」格好になった直接のきっかけは、
教主様が「メシア」の語を公言されたからだ。
東方さんなど、元教団の人々は、メシアの語を口にすることを認めなかった。
教主様の口を封じようとしたからだ。

それなのに、参考資料があるユーチューブ番組では、しばしば「メシア」の語が出てくる。
アレッ、アレレ、アレレのレ!?
いつの間に方向転換したのだろう?  アレレレレレ????????

その間の事情説明など一切なしに、突然方向転換するのは、元わが教団の最大の特徴だった。
小生は、それが最大の不満だったことも事実だ。
変えるのはかまわない、ご神業は進展しているのだから、変るのはむしろ当然だと考えている。
しかし、理由くらい説明しろよな! ってな。

あれほど嫌い、封印してしまっていた「メシア」の語を表に出した理由くらい説明しろよな!
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/12/3 20:21削除
宗教批判は、旧統一教会から、創価学会に移行しつつある。
批判されていることのすべてが事実ではないだろうか、どうしても許せないこともある。
それは、同じ学会員を使っていじめを行い、教団の意向にしたがわせようとしたというものだ。
これはひどい。
こういうタイプの行為は、どうしても受け入れがたい。

このことが事実かどうかはわからないが、似たようなことは旧わが教団にもないとはいえない。
もちろん、ここまでひどい話ではないのだが、
信者が集団で示し合わせて、意向に沿わない信者をしたがわせようとする行為だ。
まぁ、教主様にしたがった信者さんたちも、同じような憂き目に遭ったのではあるが。

ここで気をつけたいのは、自分たちの行為を正当化していることだ。
神様の意向に沿わないと決めつけ、いやがらせをすることが、神様の意図に叶うことであり、
相手のためだと信じ込んでいることだ。

誰が神様の意向を正確に判断できるというのだろう。
と思うのだが、信じ込んでいる人は意外に多い。
こういうは、神様の意向にしたがおうとしているのではなく、
信者さんの意向にしたがおうとしているだけではないかなと思う。

小生の経験では、きちんと神様に向かっていると、誰かを誰かを害しようとする行為は、
なぜかストップさせられてしまうのだ。
いろんな形で、誤解が解けたり、自分の非に気づいたり、相手が別の件で不利益を受けてしまったりなどなど。
そのたびに、神様って、実にセンス良く、裁いてくださると感心させられる。
まちがっても、誰かをいじめることを容認してしまうなんてことはない、はずなんだけどなぁ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/17 11:45削除
歴史家の視点で見ると、宗教的献金は、こうなるようだ。
 金銭などの献上物は、神に捧げるものである。
 ただ神は目に見えないし、いないから、結局はその教団の支配下に入る。
 だから宗教的集団は、政治を動かすほどの力を持つようになる。

この方の、献上物とは金銭より、土地に視点を置いた発言ではあった。
日本歴史ではこのような例は少なく、主にヨーロッパでの歴史を説明するための発言だと思う。

目に見えないものはないとする立場に立つと、たしかにこうなる。
しかし我々は宗教者だし、神様の存在を厳として信じるものである。
対した額ではなくとも、一切の献金は神様に捧げている。
金額の部分は、教団が使うことになるが、想いのほうはいつまでも神様の下にある。
神様の下にある献金を、神様を忘れて使ったとしたら、神様はどうなさるのだろう???

ヨーロッパの歴史が、日本の歴史に比べて、かなり過酷かつ残虐なシーンを繰り広げてきた
一因には、神様のものであることを忘れてしまった宗教活動があるのかもしれないと思ったりする。

日本歴史だって、まんざら蚊帳の外でもないのだが。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/12 11:14削除
有名漫画家さんをはじめ、故安倍氏を死に追いやった犯人を礼賛する発言を
散見する。
 おいおい、頭、大丈夫か!?
と言いたくなる。

彼ら、彼女らにとって、安倍氏は都合のわるい人物だったろうから、その死は
ありがたいことであり、犯人を持ち上げたくもなるのだろう。
以前も書いたことがあるが、元検事さんたちから伺った話によると、
 人は何かのことに集中して、他のことが見えなくなったとき、犯罪を犯す。
まさしく、この典型的な頭脳状態に陥ってしまった挙句の犯罪礼賛発言だったのではないかと
想像する。

彼ら、彼女らが正気にもどったとき、まさか暴力によって人を殺害した人物が礼賛されるような
社会になってほしいとは考えないだろうからだ。
何かに集中して、他が見えなくなるというのは、実に怖い。
他山の石にせず、小生も自戒させていただくことにしよう。

宗教者の立場でいえば、殺人もそうだが、その他の忌まわしいことの真の原因は、
何でも、人の命までも自分のものにしてしまっていることがあると思う。
日本はたしかに私有財産制の国だが、100%の私有権が認められているわけではない。
同じように、命も自分のもののように見えるが、自分で作ったものではない。
それなのに、自分のもののように錯覚してしまう。
これが犯罪の、テロの真因ではないだろうか。

すべてのものを、制作者である主神様にお返しする。
いきなり返さなくても、せめて主神様のものだという意識を広めていけば、
犯罪の多くの部分はなくなるはずである。
この思考の拡販は、われらのミッションなんだろうな。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/6 19:56削除
旧統一教会と縁を切れ、解散させよなどの声がある。
小生は、同じ宗教人としての同情心はある。
宗教はとかく世間の冷たい目にさらされることが多いからだろう。
その意味で、宗教だからといって、不利益な扱いを受けることには
憤りを覚えている。

もちろん縁切りや解散にふさわしい事実が出てくれば話は別だ。
しかし、今のところ、出てきてはいないようだ。
著しい反社会行為があったとも、犯罪行為があったとも、まだ耳にしてはいない。

大金を持ち出したから、無理やり宗教行為をさせられた……。
これらは、もちろん忌まわしいことだし、あってはならないことだと考える。
神様の意図とも反しているように思える。
だからこそ、現在の逆風に見舞われているのかなとも考えている。

だからといって、忌まわしいことは、宗教界だけではない。
社会全般に、何らの問題もない集団も、個人もいないと言っていいのではないだろうか。

たとえば、銀行。
BIS規制、バブル崩壊時には、たくさんの自殺者を輩出している。
貸すときは、頭を下げてきて、借りるように勧めた。
いざ経営があやしくなってくると、無理やり貸したことなどどこかに消えている。
多数の自殺者の背景には、保険があったと思う。
小生が直接、聞いた文言はほぼ同じ。
 保険金がありましたね、あれがあれば会社の借金は返せるし、家族も助かりますね。

小生はいまさら銀行を責めようとは考えていない。
銀行の衰退、不祥事が相次いでいるということは、やはり神様の裁きを受けている
ということだと考えているからだ。
何も小生がでしゃばるまでもない。

ただ、あの時点で、銀行と縁を切れ、解散させろなどという声がまず聞かれなかった。
銀行はよくて、宗教はダメ。
そのことを明確に説明する論理があれば、話はこれまた別だが。
そういうこともない段階で、いたずらに批難がまかりとおるのは、
法的整合性がとれないように思う。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/11/1 12:41削除
小生は、生来、人見知りだ。
おとなになるにつれて、表面的には人ともうまくかかわれるように
ふるまっているが、本心では、人を好きになれない。
心は、どこかで通じる。
相手も、本心から、心を許して接していないことはわかる。

ここ数年、
 神は、限りない愛を人間に与えている。
こんなことを教えていただいているうち、小生ならではの
 神は、1人も残さず、誰よりも愛しているなどと
考えるようになった。

会社の人たち、電車の中で見かけた人たち、その人たちに対して、
 こんな奴でも、神様から、誰よりも一番愛されているんだろうな。
と思ってしまう。

そう思うと、急に相手は愛おしく思えてくる。
 だって、神様から、一番愛されているんだから。
そうそう粗末にはできないし、理屈じゃない親近感が湧いてくる。

そのせいか、最近、職場の人間関係がいい。
仕事も一応、スムーズに運んでいる。

現在、わが教団は、ご利益系のことは言わないから、
言いたくはないが、信仰をしていてよかったとは感じている。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/10/21 09:21削除
またまた旧統一教会、の記者会見。
今回は、宗教者の1人として、おかしな点は見当たらなかった。
会見者も、自分の宗教信念を語る場面があったりして、小生にも理解できるものだった。
ただし、マスコミは……。
マスコミは目的ありきで、非を探そうとしてるだけなんだろうからしかたない。
別に、マスコミの論調に合わせる必要はないわけで。

あらさがしをしたいマスコミの視点は、現実に被害を訴えている信者がいるじゃないか!
という点だろう。

この点について、会見者の信仰はわかったが、教団としてはどうなんだということがある。
この点は、第三者である小生には、わからない。
仮に教団も、会見者と同じであり、体制もそこに基づいているとしても、末端信者はどうだろう。
末端信者が勝手に動いていることはありうると思う。
なにせ、献金を集めることが、神様の喜ぶことであり、ひいては自分の利益になると考えている
信者は少なくない。
強引な献金集めが皆無だったとは言い切れないだろう。

問題は、末端信者が勝手に行った行動について、教団はどこまで責任を負う必要があるかという点だ。
小生が考えるに、法的な問題はないという結論だ。
ただ神様の目で見て、社会的な目で見て、そういえるかどうかはわからない。
強引な献金集めが神様の喜ぶことであるという風潮を放置した責任はないのかということだ。

贓物故買罪。盗品とわかっていて、購入した罪だ。
ここが、どうなるかだろう。

信者の勝手な行動。
会社なら、自己栄達のために社員が勝手に強引なビジネスをまとめるような行為だ。
これに、会社がどこまで責任を負うか。

わが教団も、なにかあっても教主様には責任が及ばない方針だ。
よくは知らないが、規約でもそううたっているのではないだろうか。
だからといって、教主様に責任が及ばないとは言い切れない。
法律的には、いくら念書、覚書と題していても、内容が契約なら、契約書とみなされる。
信者は、自分の信仰が本当に神様の喜ぶことに発した行為なのか、自己の利益のために発した行為なのか。
この点を今一度問い直す必要があるように思う。

なぜなら、信者は、強引な行為を強いるとき、しばしば「信仰」や「神様」の文言を使うからだ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/10/17 10:40削除
自分で書いたセリフに、自分で考えさせられてしまった。
 聖なる世界でなくなってるとしたら……。

憲法では、宗教に公権力は介入できないことになっている。
この方針を変えることはないだろう。

ということは、公権力が介入するのは、宗教以外の部分ということになる。
宗教部分には介入できないわけだから。

つらつら憶測するのは、うわさの域を出ないが、某外国との関係だ。
日本で集めた献金を、日本に害をなしつづける国に、送金している。
この部分になら、公権力は介入せざるをえまい。
なにせ、国家反逆という大罪中の大罪なのだから。

小生はつねづね考えているのだが、天皇家が世界最長の寿命を得ているのは、
政治との距離を取り続けてきたからではないだろうかということ。

聖なる世界が、俗なる世界にかかわるのは、慎重のうえにも慎重でありたいな。
聖言によれば、
 信仰心を持った人が政治家になるのはいいこと(趣旨)
境界線は、ここ。
信者としては、この境界線を一歩たりとも踏み入れてほしくないなぁ。
c
childrenさん (8hlmn685)2022/10/15 22:00削除
旧統一教会、ついに公権力の介入がありそうだな。
宗教法人法による介入というから、おそらく戦後初。
解散の前段階ともいわれているようだ。

悲しいことだ。
これを機に、さまざまな宗教団体に、公権力の手が伸びてくるのが怖い。

小生は、宗教は必要不可欠なものだと考えている。
そして世俗の権力に踏みにじられるのは不愉快きわまりない。
聖なる世界に、俗世間が土足でどかどか入り込んでくるわけだからな。
そりゃ、不愉快だ。
その前に、入り込めるはずもないとさえ考えている。

そんなときに、なんだが、聖なる世界が、聖なる世界でなくなっていたとしたら、
俗なる世界も入り込んでこられる。

神のない宗教。
神より人間に支配されている宗教。
今後、この種の宗教は淘汰されていく段階に入ったのだろうか。
いいことだが、やはり怖いな。
身を引き締めて、主神様がいてくださる世界に居続けたい。
c
childrenさん (8hlmn685)2022/10/14 22:19削除
相変わらず、旧統一教会批判は手厳しい。
それが波及して、宗教界全体に対する視線も、警戒色を強めている。
小生個人としては、同じ宗教人として、旧統一教会を擁護する気持ちを否定できない。
他者にすれば、
 すでに信仰を持っているから、統一教会にかかわる心配がないからであって、
 家族がかかわるかもしれない立場としては、この機会につぶしておきたい気持ちになる。
らしい。

その気持ちもわからないでもない。
というわけで、再び同団体の記者会見をみてみた。

小生の立場での意見だが、
 やっぱり「神」がいない。
この感想を強くした。

すべてのことは、主神様がなさっていること。
旧統一教会への批判も、やはり主神様がなさっていること、だと思う。
神様が、何をもとめて、このような逆風を与えているか。
そこへの視線がなく、世間の理解を得ることばかりに集中しているという観が否めない。

社会活動に使う、ボランティアのことだと思うが、
ボランティアは、ボランティア団体にまかせておけばいい。
宗教団体なら、宗教団体にしかできないことをやっていなければ、
わざわざ宗教団体のメンバーになる必要はないと思う。

宗教のない宗教団体って、意外に多いのかもしれないと、ふと考えた。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/28 09:51削除
まったくのウワサにすぎないことを、最初に、断っておく。
ウワサの情報源は、わが教団の信徒。
たあいもない雑談のなかで出てきたことだ。

現在、わが世界メシア教は、元わが教団から訴えられているとか。
世界メシア教がお預かりしている信者の献金は、元わが教団のものだから
返金せよという請求訴訟のようだ。
どのような請求理由か基づくものかは、まったく不明。
もしかすると地位保全が棄却されたことで、献金まで元わが教団のものだという
論理構成なのかなと思ったりしているが……。
この前提が正しいとたら、小生は、笑止千万、かつ怒り心頭である。

くり返し言うが、献金は神様に対して行ったものであって、教団に対しては1円たりとも
行っていない。
この教団なら、神様の下に届けてくれると考えたから、わが世界メシア教にお預けしたものだ。
そこに司法がからむ余地はないはず。
どの教団に献金を預けるかは、完全な個人の裁量であり、自由なのだ。
国家が、司法が決めるのは、とんでもない思い上がりだと判断する。

なんか変だよな。
元わが教団が変だなとはとっくの昔に思っていたことだが、
信者がお預けした献金を、「自分たちに、返せ」などと、どこから出てきた発想なのか、
さっぱり意味不明。

くり返し言うが、献金は、神様に対して行ったもので、教団に対してではない。
神様のものを、横取りしようとするなよな!!

返金訴訟など、根も葉もないウワサであることを願うばかりだ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/25 22:18削除
世界救世教の被包括法人としての、主の光教団。
被包括法人としての地位を、最高裁で認められそうにない方向にあるそうだ。
この件について、鬼の首を取ったように、元教団の信者さんから言われた。
ちなみに、元教団とは、被包括法人の一員として教団のことだ。
そして、主の光教団とは、わが世界メシア教の法律上の名称のことである。

わが教祖、明主様の聖言によれば、
 この宗教に入ってからのことはよい方向に考えれば神の意図に合ってくる。
こんな趣旨のものがあったのを記憶している。

つまり、世界救世教の被包括法人でなくなったことが、主神様のお働きを担うには
利便性が高いということだと、小生は捉えている。
もっとベタな表現をすれば、小生などは元々、世界救世教が嫌だった。
主の光教団にご縁をいただいたとき、本当にうれしかった。
やっと、あの教団と縁が切れたことが嬉しかった。
ま、一介の信者に過ぎない身だから言えることかもしれないが。

それにだ、被包括法人でなくなったことで、具体的にどんな不利益がある?
主の光教団の法人格がなくなったわけではないだろうから、活動自体にはなんらの支障もない。
さらに、何より歓迎すべきは、最高裁で棄却されたことだ。
嫌になったから「出ていった」のではなく、とどまるように努力したが、
向こうから「追い出された」という、この事実が歴史に刻まれたことだ。
どんなに嫌になった古女房でも、一旦、縁のあったものを捨てることはなんとなく気が引ける。
しかし、向こうから縁きりを主張されたのなら、後ろめたい気持ちが起こらずにすむ。

なにはともあれ、我らは明主様を信徒しているのであって、世界救世教という教団を信仰しているわけではないのだ!

この感覚、無信仰者の方々にも理解していただけるとありがたい。
今話題の元統一教会の献金問題にからめると、
 神様に献金しているのであって、教団には1円たりとも献金はしていないということだ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/25 22:15削除
世界救世教の被包括法人としての、主の光教団。
被包括法人としての地位を、最高裁で認められそうにない方向にあるそうだ。
この件について、鬼の首を取ったように、元教団の信者さんから言われた。
ちなみに、元教団とは、被包括法人の一員として教団のことだ。
そして、主の光教団とは、わが世界メシア教の法律上の名称のことである。

わが教祖、明主様の聖言によれば、
 この宗教に入ってからのことはよい方向に考えれば神の意図に合ってくる。
こんな趣旨のものがあったのを記憶している。

つまり、世界救世教の被包括法人でなくなったことが、主神様のお働きを担うには
利便性が高いということだと、小生は捉えている。
もっとベタな表現をすれば、小生などは元々、世界救世教が嫌だった。
主の光教団にご縁をいただいたとき、本当にうれしかった。
やっと、あの教団と縁が切れたことが嬉しかった。
ま、一介の信者に過ぎない身だから言えることかもしれないが。

それにだ、被包括法人でなくなったことで、具体的にどんな不利益がある?
主の光教団の法人格がなくなったわけではないだろうから、活動自体にはなんらの支障もない。
さらに、何より歓迎すべきは、最高裁で棄却されたことだ。
嫌になったから「出ていった」のではなく、とどまるように努力したが、
向こうから「追い出された」という、この事実が歴史に刻まれたことだ。
どんなに嫌になった古女房でも、一旦、縁のあったものを捨てることはなんとなく気が引ける。
しかし、向こうから縁きりを主張されたのなら、後ろめたい気持ちが起こらずにすむ。

なにはともあれ、我らは明主様を信徒しているのであって、世界救世教という教団を信仰しているわけではないのだ!

この感覚、無信仰者の方々にも理解していただけるとありがたい。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/24 21:25削除
旧統一教会の記者会見をネットで全部、見てしまった。
懐かしい顔もあった。
彼のようなエリートは社会的に非難を浴びると、脱会してしまっていたのかと
思いきや、教団職員になっていたようだ。
会社で居づらくなったのでなければいいが……。

弁護士も同席していた。
信者の弁護士がいることは羨ましい。なんといっても、その宗教への理解が違う。
と同時に、あまりに距離がなさ過ぎたのが残念だ。
いくら信者であっても、クライアントとの距離は適度に保つほうがいいと思った。

ときどき感情をあらわにする発言もあったりして、シラケてしまう。
教団との距離がなさすぎると、発言内容への信頼が減少するからだ。
法律家として記者会見するなら、やはり法律家として出席してほしかった。

一番の残念は、宗教的発言がなかったことだ。
献金に対して、宗教家としてどのように捉えているのか、そのへんを論理だてて
公にしてほしかったな。
2人とも、かなり賢い方のようだったので、期待したが、
そのへんの記者会見となんら異なるところが見られなかったのが、残念でたまらない。

期待していた宗教的捉え方というか、小生ならこんな発言を聞きたかったというものだ。
 献金は、神に対してなされる行為。
 教団は、神様のお金を使わせていただいているに過ぎない。
 そこに誤りがまれば、神様は教団を裁かれるだろう。
 神の裁きは、想像以上に怖い。
 これは宗教経験者ならわかるだろう。
ま、こんなところだな。

「感謝して」という言葉はあったが、守護は誰なのか?
そこが「神」であるか「信者」であるかは大きな違いだ。
人間である信者なら、ある程度までダマすことは可能だが、
神様となるとどうはいかない。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/18 18:50削除
なんとなく台風っぽい一日、ネット三昧で過ごした。
東大生金貸しの名を冠せられる、光クラブ。
厳密には、元東大生ということなんだろうけど、この人物は相当優秀だったようだ。
すべてを論理的に計算し、行動にも移す。
その結果、26歳の若さで自殺という結論に達した。

もちろん唯物的論理に基づいた計算だが、相当、正確だ。
自殺に至る最後の賭けも、彼の死後1カ月後には実現しているのだ。
あと1カ月生き延びれば、彼は契約を果たし、大金持ちになったということだ。
しかし、それでは彼は契約内容を果たすことにはならないと考えたのだろう、
契約内容の履行日の前日に、自死を遂げている。

唯物的科学もここまで真理に近いところまで計算する能力を持っていると思う。
ところが意図したとおりにはいかない。
論理を論理通りに実現していくのも、やはり主神様の働きなしにはありえないということだろう。
なぜなら、すべてのものは主神様のものだから、どんなに正確な論理を立て、実行しても
どこかでひずみが出てしまう。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/11 19:58削除
ルソーは、自然状態の人間は、
自己愛と同情心から成ると考える。
自然状態の人間が、農耕を始め、私有財産を持つようになったことから
不平等が生まれ、やがて戦争状態になっていくとする。
これを回避するためには、一般意思、つまり統一された意思が必要であり、
そこに国家の存在が必要になる。

小生は、この国家を、神と置き換えてみたりする。
なぜなら、人々の一般意思が正しく導くことができないからだ。

以上は、教科書などで出てくる社会契約論の3者の説だが、
神という存在を視野に入れない時代の人々でも、とにかく何かを求めていたんだなぁと
感慨深い。

思うに、
神の存在を否定するということは、完全を否定することでもあるんだろうなぁ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/9/9 21:48削除
ホッブスは、自然状態の人間は、自己保存のため
他者を攻撃する。
つまり、戦争状態だ。
戦争状態を回避するためには、自己保存を捨てることが必要である。
どうやって捨てさせるかというと、捨てないと罰するぞという
強い力、言い換えると国家を作ることだとする。

小生は、この国家を、神と置き換えてみたりする。
なぜなら、完全に罰することのできる国家なんてないからだ。

ロックは、自己保存は、他人を害しないかぎり容認する。
他人の自己保存権を害する場合だけ、罰せられる。
富も同じで、自己保存は認められるが、それを超えることは認められていない。
つまり、腐らない範囲なら認められるということだ。
貨幣は腐らないので、いくら蓄積してもいい。
ただし、蓄積の度合いによって、不平等が生まれるから、やはり戦争状態になる。
戦争状態から抜け出すためには理性が必要であり、この理性を国家の立法行為に求める。

小生は、この国家を、神と置き換えてみたりする。
なぜなら、完全な法を作ることのできる国家なんてないからだ。
ホッブズは、国家に裏切られたときは、逃げるしかないと言うが、
ロックは、抵抗、革命を認めている。

ルソーは、次回に綴ることにした。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/31 00:20削除
旧統一教会批判がかまびすしい。
信仰者の一人として、今一つ不完全燃焼なのは否めない。
もちろん小生は世界メシア教信徒だし、宗旨替えしようという気持ちなどみじんもないせいもあるだろう。
だから他の宗教を批判するようなあさましい真似はしたくないという気持ちもあるからでもある。
それらを加味して、不完全燃焼なのだ。

思うに、批判の多くが、小生の耳に入る批判だけだが、本質に迫る情報がないからだ。
宗教教団だって、一点の曇りもないところはないのが現実だ。
だから、非のある行動は改めればいいわけで、その宗教全体を否定するには論拠として不完全なのだ。
本質的論拠とはなにかといえば、教義だ。
当該教団がどのような教義の下に行動しているのか、この点が明らかになっていないから、批判にのる気には
ならないのだ。

小生だって、元わが教団の尾行・盗聴・盗撮を批判し、これらの教団から縁が切れたことを喜んでいる。
かといって、その世界メシア教という教団に出合っていなければ、いまだに元教団から離れることは
ないと思う。
教団の行動には批判があっても、教義には疑問がないからだ。
もっと正確にいえば、小生は主の光教団出身なので、尾行・盗聴・盗撮教団とはいち早く縁が切れていた
わけで、その背景には尾行・盗聴・盗撮教団への疑問を、主神様に奉告していたから早くに縁が切れたの
だと考えている。
 小生にはどうしても、あの行動を受け入れる気にはなりません。でも、この信仰は辞めたくないのです。
 小生が間違っているのですか、信仰を続けるためには、あの行動に加担するしかないのですか。
まぁ、こんなことを祈っていたら、主の光教団に縁をいただけた。

主の光教団だって、非がないことはないだろうが、なにせ規模が小さい。
強引な行動をするだけの力がなかったせいかもしれないが、非常に満足していた。

というわけで、その教団に受け入れらない部分があったとしても、それが信仰の部分でなければ、
決定的な批判をするにはいたらない。
信仰の的は神仏であり、教団ではないからだ。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/23 22:58削除
国葬は、宗教形式を廃して行うそうだ。
別に問題はないと思う。
政府が行う以上、税金を投入する以上、特定の宗教形式を用いないのは当然だろう。

宗教形式を用いないからといって、神が働かないわけではないと思う。
なぜなら、この世のすべては神様のものだから、
宗教形式の有無、ご神名の有無、なんらの関係もないと考えるからだ。
もっといえば無神論という神もいるのではないかと考える。
いってみれば、サタンの名で呼ばれる神かもしれないが、
無神論者は、無神論の神を拝するから、無神論の神の意思のままに動いているにすぎないと考えている。

無神論の神を含めてすべての神が、主神様を拝するようになる。
これが悔い改めることであり、世界平和の実現であり、主神様に帰一するということではないかと考えている。
もっとも、これは小生独自の考えであって、わが世界メシア教教主様がどう考えていらっしゃるかは
わからないのだが……。
違っていたら、そのときに改めて記すことにする。

問題なのは、無神論の神を信仰している人たちは、どうなるんだろうかということだ。
無神論の神が悔い改めて、主神様に帰依したときは置いてけぼり? 信仰の対象を失って
混乱のときを過ごすのだろうか?
無神論の神様が、自分を信仰してくれた信者さんを一緒に主神様の信仰へ連れていってくれる。
そう信じたい。

国葬問題にもどすと、主神様はきっと、日本を守る神様を派遣してくださると思う。
安倍元総理を批判する人たちのいうことが、正しいかどうか、日本の神様に判断していただけるのが、
国葬という場だと思う。
まさか、冤罪を被せたことが明らかになったりしたら、ちょっと気の毒ではあるが。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/16 20:22削除
安倍元総理の国葬に反対意見があるそうだ。
主に、反安倍の立場から出ている。
そこで、信仰者である小生を、反安倍の立場に置いて、考えてみた。

国葬ということは、国家を鎮護する神に委ねることだと考える。
反安倍の立場の人たちがいうように、万一、安倍氏が国家に対してやましい行動があったなら、
そこで裁かれるわけである。
安倍氏の、やましい行動が表ざたになることが大いにありうるわけだ。
反安倍の立場の人たちにすれば、喜ばしいことだと思う。

無信仰者は、神様をなめていると思う。
神様はいくら祭礼を行っても、悔い改めがないかぎり、赦したりはなさならない。
神様は人間の親だから、かばってはくださるが、かばうからこそ、悪事は戒める。
わが子を悪人の道から救い出そうとするのだ。
そこが信者としてもツライところなのである。

メシア降誕はたしかにありがたいが、メシアが降誕したということは、今まで大目に見てくださっていた
ことを、厳格に対応されることでもある。
だからこそ、反教主派の教団は、教主様批判をするわけだ。
小生だって、怖いさ。
だけど、もう神様について行くと決めたから、メシアの裁きを受けいれることにした。
 なるべくお手柔らかに。
せいぜい、こんな祈りを捧げたりはしているがな。

葬儀も同じで、神の手に委ねるということは、神の裁きに委ねるということもあると思う。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/13 22:23削除
安倍元総理襲撃事件に絡んで、某宗教団体が注目されている。
霊感商法とかなんとか。
当該教団のことは一切知らないので、霊感商法かどうかは言及のしようがない。
ただ同じ宗教人としては心中穏やかではない。
2~3日考えた末の、小生としての結論であることを承知されたい。

まず献金がどれほど多額であろうと、他人がとやかく言う問題はないと考える。
もちろん、なんらかのだまし行為があれば、話は別。
あとは、なんらかの強制があった場合も、話は別。
宗教者には宗教者にしかわからないものがある。
小生は貧しいので多額の献金などしようもないのだが、今ある金銭のうち可能なかぎりは
献金したいとは考えるからだ。

小生は原理的自由なので、本人の心からの行為について、他人が口出しする光景は、
無性に腹が立つ。
この立場で、当該宗教団体の記者会見を見たうえで、気になることが1つあった。
 (献金に対して)感謝の気持ちで使わせていただく(趣旨)
はぁ!?

何度も言うが、小生は貧乏だ。
それでも献金はするが、1度たりとも教団に対して献金したことなどない、ない、ない!
てめぇらに感謝される筋合いはないぞぉ!!
献金はすべて、神様に捧げ、お返ししたもの。
てめぇらは、神様のお金を使わせていただいておる立場ということをわかっておるのか!

以前、お玉串をお供えしたとき、元わが教団の若い専従者が、言った。
 ありがとうございます
ちげーだろー、てめぇになんか1円たりともあげてねえぞぉという心の声。
悪気がないのはわかるんだが、献金する気持ちをクールダウンさせたことは間違いない。

小生が専従者だったら、こう言うね。
 おあずかりします。
間違いなく、神様の下に届けてくれれば、それで十分。
それ以上でも、それ以下でもないんだよね、イチ信者の気持ちは。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/7/7 23:56削除
遅い帰宅が続き、脚が痛い。
しかし、明日からは久々にのんびりだ。
ほぼ3カ月ぶりののんびりだ。
脚の痛みも癒せるだろう。

その間、メシア降誕本祝典。
そのせいかどうか不明だが、小生はきびしくなった気がする。
これまでも上に向かってはかなり厳しい見方をしていたが、
目下というか、若い人には非常に甘かった。
自分の若いころを思い出して、なんでも許してしまっていた。
それが、やっぱりは間違いは間違いという見方をするようになった。

もちろん態度はどこまでも穏やかに。
しかし、心のなかでは、それは間違っているよ。
若い人には酷かもしれないが、ここでケジメをつけようという気持ちになることが多くなった。
これまでなら、自分が我慢すればいいという感じだったのにだ。

若い人に厳しく当たれば、反感を買う。
高齢者にだって、同じだ。
信仰者の強みは、そこにある。
神様に、自分の思いをすべて打ち明ける。そしてお委ねする。
そうすることで、事態がなんらかの形で動く、これ、ほんと不思議なんだが、動くんだ。

なぜ、相手に言わずに、神様にという思いもある。
ずるいじゃないかと思うときもある。
しかし、小生は人間だから100%事実を正しく見る能力はない。
100%正しく見ることのできる存在に、裁きは委ねたい。
その思いから、ずるくても、神様に委ねるのだ。
もし、神様がいなかったら、そのときの不利益は小生がかぶるという気持ちもある。
その結果、今まで、神様に裁きを委ねるのを止めようと思ったことは一度もない。
物質的な見方で恐縮なんだが、この経験を繰り返すうち、信仰していてよかったという信念が
強くなっている気がする。
c
childrenさん (8482szl4)2022/6/12 16:53
ある飲食店の女将がぼやく。
コロナで営業不振になった店のために給付される補助金のことだ。
この女将は、その補助金が出ることを知ったときには、すでに申し込み期日を
過ぎていた。
文句を言ったが、相手にされず、補助金を受け取れなかったそうだ。

 知らなかったんだから、その責任をとってくれ。
 みんなに知らせるのが、あんたらの仕事で、それができていなかったから、
 自分はもらえる金がもらえなかった。
 だから賠償しろ。

女将の言い分は、だいたいこんなところだ。
気持ちはわからないでもないが、通らないことは誰でもわかる。
学校時代の定期テストなら、「習っていません」といえば通用するが、実力テストや
入試テストでは通用しない言い分だからだ。
法律的にも、「法の不知をもって責任なしとはしない」という態度をとっている。

その情報を知らなかったのは、各人の責任。
空気や水と同じように、どうも情報はタダだと思い込んでいる火とが多いらしい。

同じことは信仰の世界にもいえるように思う。
 すでに天国はできている。
 メシアは降誕している。
 誰でもメシアになれる。
この情報に出合わせていただけたことが、尊いことで、感謝すべきことなんだと思う。

もっとも出合っていても、否定してしまう人もいるんだけどな。
飲食店の女将だって、実は出合っていたのかもしれない。
出合っていながら、聞き流していただけだったりして、気の毒に。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/6/4 23:01
かなり前のことだが、新しく施行される法律条文の意味が
今一つ明確でなかった。
仕事で必要だったので、あいままにしてはおけない。
そこで関連する省庁に電話をかけた。

いろいろな部署を回されたが、いずれも部署も明確に説明してはくれなかった。
挙句は別の省庁の担当だと言われ、別の省庁にも電話をした。
そこでもいろいろ部署に回されたが、どこも明確な返答は得らなかった。
そして、最初の省庁にまた回され、また別の省庁に回されということを
繰り返した。
ほぼ一日近く費やした挙句、最終的にはある人物のところで回された。

その人物は即座に、しかも端的に、自信たっぷりに断言した。
あれだけ多くの官僚が役人がいい淀んでいたし、言葉を濁すばかりだったことを、
そんなに簡単に、明瞭に、しかも自信たっぷりにきっぱり言いのけた。
小生も、さすがに心配になった。
 「もし間違っていたら、困るんです」
無礼を承知で確認した。
 「大丈夫だってば、だってあの条文は私が書いたんだから」
そういって思い出話に花を咲かせた。
 いやぁ、あのときは大変だったよ……あやうく廃案になるところだった……。

誰もが明確に断言することのできないものも、それを作った人なら簡単に断言できる。
役人とは責任を取りたくない一心の生き物だと言われているが、
作った人は、すべてがわかっているから、間違う心配もない。
責任うんぬんも関係ないわけだ。

世の中もことも同じで、世の中を作った主神様ならすべての原因がわかるから
間違うこともない。
間違いたくないなら、それを作った人に委ねるしかないと思う。
無信仰者諸君、キミたちは、その発言を、行動を、本当に自信をもって行っているのかな?
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/30 23:17
世の中には、さまざまな不合理がある。
こんなとき、無信仰者はどうするんだろうか?

私的な人間関係で不合理を感じたとき、相手に文句を言う。
冷たい態度をとる、などかな。
しかし、自分が不合理と感じていることであっても、相手にもそれなりの理由があったりする。
逐一話し合えばいんだろうけど、話し合いはこじれることもある。
その結果、相手に不当な不利益を与えてしまうこともありうる。

自分さえよければ、という考えなら、それでもいいけど、
それでも、その相手との人間関係は崩壊する。

対して信仰者なら、どうするか。
神様にすべてをお委ねするから、相手には一応、普段通りの対応ができる。
神様は、すべてをお見通しだから、正しく解決してくださる。
人間関係はなんらの不利益もなく、継続していく。

もちろん、そうはならないときもあるけど、そんなときもお委ねしているから
自分はいつも通りの行動ができる。
ところで、これは体験しなければわからないだろうけど、
神様にお委ねして、なんらの変化のないことは、非常に少ないんだよなぁ。
なんらかの変化が必ず、ある! といって過言ではない、体験上。
c
childrenさん (85dmj2x1)2022/5/26 12:37
ソフィストたちは、しばしば「詭弁」の語とともに語られる。
民主化を迎えた古代ギリシャでは選挙があり、選挙で選ばれるためには
議論で選挙民の賛意を得なければならない。
この必要から、政治家をめざす人たちに議論を教えるためにソフィストたち
が生まれ、活躍したといえなくもない。

選挙で選ばれるためには、目先の利益、目に見える形での利益を示すほうが有利だ。
今、この問題を、解決することだけに終始し、その先のこと、その外のことなど捨象して
しまった議論、哲学。
この点は、現代社会とあまり変わっていなかったようだ。

これに対して、「いや、普遍的なものがある」と唱えたのが、ソクラテス。
その結果、ソフィストたちの反感を買い、罪人にまでされてしまったとされている。
ソクラテスが神という言葉、意識を使ったかどうかは知らないんだが、
普遍的なものとは、われらのいう主神様に通じる発想ではないかと考える。


わが教団史だって、教祖明主様のご昇天により、目先の問題を解決することに終始した時期があった。
これに対して、いや明主様の働きは普遍であり、今も生き続けていると唱えたのが、現在の教主様。

神という意識のない無信仰者にとって、われら信仰者はソクラテス的な存在に当たるのではないかと思う。
目に見える世界だけでなく、目に見えない世界にも通じる普遍的なものはある! という立場だ。
返信47
c
childrenさん (7kmgdz79)2020/6/29 23:56 (No.97347)
誰でもメシアになれる。そこへの疑問を投げられることは今なお、
ないでもない。

しかし、人は死んだらみな仏。
この思想は、多くの日本人が受け入れている。
だったら、誰でもメシアになれたとしても、おかしくはない。
「死」に相当する行為が、メシアの赦しを受け入れることではないかと
かんがえるのだが。 いかが。
返信
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/3/30 21:48削除
いろんなことが変わっている、気がする。
教主様の聖言を、よくわからないまま受け入れてみてから。
すでに天国はできている。
メシアの御神様の赦しをお請けし、天国に行く。

その昔の信仰生活のような、やれどこがよくなりました。
こんな奇跡がありましたとかいうものではないんだけど、
なんとなく変わっている気がするんだ。

これまでやりたかったけど、手も足もでなかったことが、
手足の先くらいは取り組めるようになっている。
まだ海のものとも、山のものともいえる段階ではないんだがな。
とりあえず、毎日、そっちで頑張っているよ。

というわけで、掲示板はなかなか更新できないが、
元気で、意欲的に取り組んでいるというわけだ。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/2/25 11:49削除
元横綱の話。
高成績をあげ、身体能力も高く評価されていたが、
なかなか横綱になれずにいた。

ご本人も別に横綱になりたいという強い意志はなく、
ただやるべきことをコツコツやっていれば、地位はあとから
ついてくる。
そんな思いでやっていたと述懐する。

あるとき支援者の一人に奨められて、神道を通して、
相撲について学ぶことにした。
 土俵になぜ女性は入れないのか。
など、現在では公にすることをはばかられることも含めて、
勉強したそうだ。

学びの一環として、「横綱」とはどういうことかもあった。
初めて知ることが多かったそうだが、学んでいくうちに
横綱になりたいと意欲が生まれてきたという。

学びだして一年後、彼は晴れて横綱を巻く。
そのときは、やったー! とか、ガッツポーズをする気分はまったく
なかった。
言葉では表現しにくいそうだが、ズシーーーンと全身を貫くものが
あったのだそうだ。

まず、完成形を知る。
そのうえで、完成形に近づこうとする。
この順序があるとすれば、
まず、メシアとはどういうものか。
そのことをしっかり学んでいく。
その先に、メシアになりたいという意欲はしぜんに生まれてくる。
ものかもしれないと思った。
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/2/24 12:50削除
卵が先か、鶏が先か。
よくある議論だが、ネットでも行われていた。
小生が同意したのは、鶏が先という結論だった。

 理由は、鶏がいないと、卵が孵化しない、というもの。

鳥だって、神様が作られたものだと思う。
だとすれば、鶏つまり完成形を先に作られたということになる。
これを人間に応用すれば、人間だって完成形、つまりメシアという人間を
先に作られていたことになる。

メシア、つまり天国だな。
天国はすでに作られているということの裏付けにもなるように思う。
天国に住むメシアという完成形を常に頭に置いて生きていくことにしょうと
思った。

ところで、現在、われら世界メシア教徒は、メシアの卵としてこの世に生まれた。
そのことを納得できたときが、孵化したとき。
とすれば、現在、われらはヒヨコ。
よちよち歩き出したところということになる。
ピヨピヨ。
c
childrenさん (8x6p95ma)2023/11/7 21:05削除
下の動画を見られた方は、わかったと思う、
メシアは、聖書を知らない東の国に降誕するだけでない。
メシアは、2人現れると記されているようだ。

メシアが2人!
わが世界メシア教では、イエスと明主様の2人をメシアとしている。

それだけではない。
誰でもメシアに馴れるとしている。
死海文書でも、そこまでは記されていなんだろうな。
c
childrenさん (8x6p95ma)2023/11/6 20:56削除
メシアは、聖書を知らない東の国から登場する!
聖書を知らない東の国、日本ジャン!!

これは、死海文書のある記述らしい。
死海文書は、広義では旧約聖書に属するようだが、真偽を疑う
声もないわけではないようだ。
したがって、無条件に信じるわけにはいかないし、明主様信者以外の人にも
もっともらしく話すわけにはいかないだろう。

でもだ、でもだ、明主様信者にしてみれば、心強い、ハッピーな内容ではある。
長いので、冒頭のほうだけでもおもしろいし、時間があれば全編観ても、おもしろい。
一見の価値はあると思う。

 
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/8/23 22:48削除
誰でも皆、始まりの天国で、主神様とともに暮らしていた。
初めて教主様より、そう聞かされたとき、とても信じられなかった。
  そりゃ教主様はそうだったかもしれないけど、小生は違うだろう。
教主様はいかにも育ちがよさそうだし、上品だが、
小生は庶民だし、育ちもよくないし、性格もあまり素直ではない。
だから、ありえない。
そう思っていた。

ところが近頃、小生もそのずーーーーーーーーと昔、主神様と一緒に天国にいたような気がしている。
何があったわけでもないし、何かが変わったわけでもないのだが、
なんとなく、いつのまにか思えている。

そして、天国にいたのだと思うと、気分が明るくなるから、不思議だ。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/7/31 22:05削除
多少の入れ替わりはあるものの、世界大学ランキングのトップといえば、
やはりハーバードだろう。
実際に受験した人によれば、簡単なテストと論文。
論文のよしあしが、合否のポイントになっているようだという。

この人物は、
これまでやってきたこと、これから何をしたいかについて記したそうだ。
日本の歴史的言語研究を通じて、日本人の考え方について記した。
 世界では、勝者がヒーローになって称賛される。
 しかし日本では、滅びの美学があって、敗者にも美を見出す。

このことに興味を持たれたのはないかとのことだった。

話を聞きながら、想像した。
 誰でもメシアになれるという宗教を信じている。
 世界じゅうの人々がメシアとして、神の子どもとして尊重される。
 これなくして戦争はなくならないし、平和もやって来ないと考えている。

こんな論文を書いたとしら、ハーバードは受け入れてくれるのだろうか?
神学を究めるためにスタートした教育機関だけに、反キリストのカルト人間
として警戒対象にされるのだろうか?

論争になったとき、論破できるだけの論理性くらいは整理しておきたいものだと
思った。
ありもしないとらぬ狸なんだけどな。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/29 21:21削除
わが国の近隣諸国の一つ。
この国では、富裕層は家族を世界じゅうに拡散させる例がしばしば見られる。
そのうちの一人は、オーストラリアだったか、にいる。
この人が家族に語ったそうだ。

オーストラリアとかアメリカ、日本ではやったことをうやむやにするのは、まず無理。
ヨーロッパ諸国も一般に同様だと考えている。
この人の家族が暮らす国は、50%は可能。
その他のいわゆる発展途上国は、ほぼ100%可能だという見方をしている。
アフリカ、南米……。

やったことを隠すとは、犯罪などを行っても、お金や人脈さえあれば逃れることができると
いう意味だ。
だからこそ、有力者や権力者などの顔色をうかがって物事を判断し、取り入ろうとする。
この風潮が当たり前のように根を張り、あたかも賢いことのように思われているというのだ。

日本だって、100%、この風潮がないとはいえない。
さらに元わが教団でも、もしかしたら現教団でもないこともないかもしれない。

人の顔色をうかがう信仰ではなく、神様の顔色をうかがう信仰。
メシアの時代の信仰とは、後者だと考えている。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/23 22:27削除
メシア降誕後の世界とは、個々の人間が自分で考え、自分の意思で行動する
世の中ではないかと考えた。
理由は、主神様の分霊は、個々の人間に与えられており、個々の人間な必要な
ことは、その分霊を通じて下ると思うからだ。

自分で考え、自分の意思で行動する。
とりもなおさず、結果の責任は、個々の人間が負うことになる。
そのために必要なのは、正しい情報だ。
主神様の意図をより正確に伝える情報だ。
これなくして、人間は正しい判断もできなければ、正しい行動もできないし、
思いもよらぬ責任をこうむることを回避するのは難しい。

そこで重要なのは、教団だ。
主神様の意思を正しく伝える教団なくして、正しい判断も、行動もできない。

小生の宗教生活のなかでは、教団の言う通りにしていれば何とかなるという声は
非常によく聞いた。
たしかに何とかなったが、どこかにすっきりしないものを抱えたまま、教団指導者の
言うなりに行動してきた気がする。
ちなみに、小生はそう素直でもなく、少なからず問題信者の面が強かったんだがな。

ところが、教団の言う通りに行動しても、責任は個々の信者が負ってきたではないか。
教団が代わりに責任を負ってくれるわけではない。
そのことに文句はない。
ただ、主神様の分霊をいただいていることを教えていただいたことの意義を強く感じるのである。

教団は、情報伝達機関。
かなり唯物的な捉え方だが、そう違ってはいないつもりなんだが、どうだろう?
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/3 21:03削除
宇宙酔いは、大気圏で暮らしてきた人類が、重力のない場所で暮らすことに
慣れるために起こる現象のようだ。
時差ボケなどと同じように、普段と異なる場所に慣れるための対応症の一種といえるのだろう。
我らが教祖、明主様の聖言には、季節の変わり目に起こる風邪なども、新たな季節に
対応するために起こる浄化だと教えてくださっている。

だとすると、従来の世界から、天国で暮らし始めている我ら。
それまでの生活から天国生活に慣れるために、ある種の対応症状が起こることは当然、ありうることだ。

宇宙ボケを予防、軽減するには、薬剤などをはじめ3つあるようだが、事前に宇宙生活に慣れていく
訓練をするのだそうだ。
これまでの信仰、浄霊をはじめとしたことはいずれも天国生活に慣れるための訓練だったともいえるのでは
ないかと考えた。
1つ残された訓練は、想念。
天国生活での想念を、いまから訓練している。

天国生活といっても、主神様とともに暮らす生活のことだと思う。
主神様と四六時中一緒に暮らす生活、うそはつけないし、わるいことは起こらない。
その想念を今、我らは訓練しているだと思ったりしている。

余談だが、原爆の真下にいると、原爆の被害は受けないという話しを聞いた。
科学的なことはわからないので、あくまでも噂として受け止めたのだが、仮に事実だとして
話しを進める。
原爆、際限なく大きな強い光。
それよりはるかに大きく強い光が、主神様。
その主神様の真下、完全に重なってしまえば、悲惨なことなど起こりようはずがないのでは
ないだろうかと想像したり。

主神様と完全に重なる、主神様の意図が完全に具現化された生活が、天国生活だとしたら……。
そこになれるための訓練が、現在の信仰生活ということになるのかもしれない。
そんなことを考えてみたりする。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/1 21:16削除
人権と言えば、サヨクの専売特許のようなイメージが染みついてしまった観がある。
だけど、本当だろうか。
サヨクを打ち出した国家、人権人権と言う団体ほど、人権がないのを実感するんだよね。
小生は、今こそ、人権が大事な時代になったと考えている。

なぜなら、我々人類は、一人残らず、主神様の分霊をいただいている。
人権を無視されるということは、主神様の分霊を無視されることではないだろうか。
人権を無視することも、また、主神様の分霊を無視する行為ではないかと考えるのだ。

これまで人権が軽んじられてきたのは、主神様の分霊をいただいていることを実感する(信じる)
人が少なかったためだと推測する。

主神の分霊を大事にすることは、人権を大事にすること。
信者を思い通りに動かそうとする宗教団体、
人を思い通りに使おうとする組織、
これらは主神様の分霊を無視する行為だということになる。

これらに対抗するには、もっともっと主神様にすべてをお委ねして、
主神様の意図のとおりに動く人間になることではないかと考えているのである。
まずは、信仰者が人権の実現を具現化していく。
そこから世界は変わってくると思う。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/28 20:35削除
宇宙開発は、宇宙で暮らすことを想定し、地球での暮らしに反映させていくことだそうだ。
宇宙は現在、地球上での暮らしにある安全、安心、快適とは最も遠い環境にある。
これは、地球上での現界集落や、災害地などの状況と近い。
宇宙生活を快適にすることで、地球での不便な環境での生活をしやすくすることにつながる
とのことである。

宇宙で生活する研究の有為無為はよくわからないので、さておくが、
現状とは異なる環境での生活を考えていくことはちょっと興味深い。

地上天国、これも現在の生活環境とは異なる部分が大だ。
病貧争がなく、健富和の世界なんて、ちょっと見回してもどこにもない。
少なくとも小生の周囲にはない。
宇宙での生活も小生の周囲にはないが、実際に試みている人はいる。
災害地や現界集落の生活も、実際にないわけではない。

一見ない生活を想定して備える。
天国生活だって、一見ないように見えるけど、いつかやってくると信じている。
そこでの生活に慣れて備えていく。
我らの信仰生活もまた、宇宙開発と似ているかなと思ったりする。

異なるところは、
宇宙開発は、あってほしくない環境での生活を克服していくこと。
天国開発は、あってほしい環境での生活に慣れていくこと。
ここなんだよな。

いつ天国生活になっても恥ずかしくないように、困らないように、
宇宙飛行士になったつもりで日々を過ごしていこうと思ったりしている。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/23 20:52削除
天国のイメージができたら、次は、鏡が必要だ。
パンダの話でいえば、水たまりだ。

鏡に映った自分の姿を見て、初めて、自分がパンダだとわかる。
                 自分が天国にいることがわかる。
鏡に相当するものが、今のところ、思い浮かばない。

1つ浮かぶのは、自分と向き合うこと。
人と比べるから、天国にいることがわからなくなる。
だから、あえて、自分と向き合うことが大事だと思った。

なぜ、人と向き合ってもわからないかといえば、人の心のなかまでは
正確にはわからないからだ。
自分の心なら、なんとかわかる。

こんな思いで神様に向かったとき、どうだった。
あんな思いだったら、こんなだった。
などなど、逐一、思い返してみる、あるいはこれから確認していく。
これが鏡になる思うんだが、今一つ、ピンとこない気もする。

もっと他に、鏡に相当するものがあるのかもしれない。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/19 21:39削除
天国ができていることを自覚する方法を、パンダの例を利用して考えてみた。

まず、パンダ、つまり天国とはどういうものかを自覚する必要がある。
小生が考えるには、天国とは神とともに生きる世界だと思う。
神とともに生きるとはどういうことか、神様の意図の下に生きること。

神様の意図の下に生きるとは、すべてを神様にお返しすることから始まる。
自分のものだと思っていたことをすべて、一旦、神様にお返しする。
そのうえで、自分の心のなかに湧きおこったことを、神様に奉告し、お委ねする。

聖言によれば、健富和、真善美なんだが、それは天国生活をすることによって
得られる状態。
小生だって、貧乏だし、足が痛いし、嫌われることだってある。
とても天国とはいえないが、それでも天国に住んでいるつもりでいる。

あまりご守護とか奇跡とか言いたくないんだが、少し前、つまり「メシアの赦しをお受けします」
という前に比べるとずいぶん変わったのを実感する。
天国にいること、神様にお委ねすることを実行するようになったせいだと、
自分では信じている。
いつの日にか、健富和、真善美も夢ではないかなとも思い始めている。

そんなところで、天国を意識すること、イメージできることは、天国がすでにできていることを
自覚する第一歩かなと考えているところだ。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/18 23:27削除
下の投稿にある、パンダの話は、記憶に残る概略だけを記したもの。
細部の、つながりがわるい部分は、勝手につなげたので、正確ではない。
正確な話を知りたい方は、「円覚寺」のHPで確認してほしい。

もう一つ、訂正するなら、「メシア」の部分だな。
「メシア」を「天国」に変えたほうが、理解しやすいかもしれないと、あとから思った。
ま、メシアでもいいだけど、メシアとして新しく生まれ変わることはあったとしても、
現在は、その過程。
そこで、すでにできている「天国」ならそのまま重ねられる。

いつまでも、天国をめざして、目の周りを黒くしても、笹の葉を食っても、天国はできない。
なぜなら、すでに、もう天国にいるのだから。
このことを受け入れるかどうか、だ。

ま、かわいいけどな。
パンダになろうとして、目の周りを黒くしたり、笹の葉を食ってるパンダって、想像するだけでかわいい。
でも、おれらは人間だからな。
パンダほど、のんきにしてもいらない。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/3/17 19:34削除
臨済宗と曹洞宗の違いを確認しようと、ネット検索していたら、
おもしろい話に出合った。
 パンダを見ようと並ぶ行列のなかに、パンダがいた。
 「お前はパンダなんだから、行列しなくていいじゃないか」
 しかし、パンダは、パンダを知らなかった。
 長い時間をかけてやっと対面したパンダは、パンダになろうと努力した。
 目の周りを黒く塗ってみたり、笹の葉を食べてみたり……。

 どんなに努力しても、そこにいるのはパンダの真似しただけの生き物。
 努力は裏切られるばかりで、パンダになった実感は持てなかった。

 あるとき、転んだパンダは、水たまりに映った自分の姿を見た。
 おれが、パンダだ。

 自分がパンダであることを初めて知ったパンダ。
 それからは、パンダになろうと努力して裏切られることはなくなった。
 自然のままにしていれば、それがパンダだった。
 伸び伸びとして駆け回るパンダの姿があった。

これって、いつか天国人になれると思って、浄霊をし、参拝をし、御用をし、常に不完全燃焼
だった過去の小生の信仰と重なる。

だれでも、みんな、神様のこども、メシア。
そのことを認めるか否か。
パンダになろうと目の周りを真っ黒にしなくても、最初からパンダだった。
我々は最初から、メシアだったのだ。

余談だが、仏教者は、こうしたエピソード話が実に上手だと思う。
説得力あるよな。
c
childrenさん (85dmj2x1)2021/12/4 21:32削除
NK細胞は、医学的には笑い、前向きな気持ちなどのとき、活性化するそうだ。
NK細胞が活性化すると、がん細胞を攻撃するので、いわゆるがんの状態にはならない、そうだ。

イメージなんだが、
メシアを通じて、主神様の赦しをお受けする。
それと似ているのではないのだろうか。

誰でも、主神様の分け御魂をいただいているが、そのことを認めようとしない。
だれでも、すでに主神様の赦しをいただいているが、そのことを認めようとはしない。
認めること、これが分け御魂を活性化するということなのかな、と。

NK細胞だって、誰でも備わっているのだが、活性化しないかぎり、
ない、のと同じ。
いくら分け御魂をいただいていても、活性化していないかぎり、いただいていないのと、同じ。

小生は、自分では、主神様のお赦しをお受けし、天国にいるつもりである。
天国にいるというだけで、うきうきした気持ちになる。
初恋に心をときめかした、あの感覚に似ているのだ。
何十年ぶりによみがえったワクワク、ドキドキ感だ。
返信17
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/3 21:40 (No.774645)削除
メシア聖堂完成に向けて、新たなスレッドを建てて記していく。
これまでも様々な疑問点を記してきたが、今一つすっきりしないものがあるのは
否めない。
できるなら、この点を一つ一つすっきりさせていきたいというのが目的だ。

なぜ、すっきりしないといけないのか。
まずは、その点から記すことにした。

これまでも別のスレッドで記したことだが、柔道家の故古賀稔彦氏の発言を借りることにする。
 勝てる子と勝てない子はいるが、勝てる子だけを育てても、勝てる子も勝てない。 
そのために古賀氏は、まず勝てない子から最初に指導し、育てていたそうだ。
 いつも大声であいさつをし、道場の雰囲気を盛り上げてくれる子、
 細かく皆を気遣ってくれる子などなど、こうした子どもたちの力が合わさって初めて
 勝てる子が勝てる。

そのために勝てる子は、こうした勝てない子に好かれていなければならない。
勝てる子ばかりに気を取られていたら、勝てない子は疎外感を覚え、勝てる子を支えようとは
しにくくなる。

メシア聖堂だって同じだと思う。
計画し、先頭に立って遂行していく人間だけがすべてを知っていても実現できるものでは
ないように思えてならない。
勝てない子の想いが総合して勝てる子に集約されて初めて勝てるように、
直接的には何もしていない信者が直接遂行する人たちに集約されて完成するものだと思う。

どのくらいの費用が掛かり、どこまで工事が進み、どんな壁にぶつかっているのか。
これらのことを勝てる子も勝てない子も共有していくことが不可欠だと思う。

たしかに、何も知らなくても献金はでき、メシア聖堂は完成するだろう。
しかし、それでいいのだろうか。
小生は、水面下で進んでいくメシア聖堂建設に、やっぱり今一つ盛り上がれない。
返信
c
childrenさん (8xxl97s3)2024/2/28 13:49削除
その昔、三大様のころだ。
救世会館で大祭などのとき、祝詞上げていると、
三大様のお声と、後方の席の声がズレてしまう。
たぶん、音速の関係だと思う。

現在は、祝詞がないので、メシア聖堂では、余計な心配かもしれない。
しかし、歌などを斉唱しているときに、同じことは起こらないのだろうか?

現在の科学技術というか、建築技術というか、音響技術でもいいのだが、
こうした事態を軽減する技術ってないのかな?

できるなら、メシア聖堂では、前方と後方の声のズレは、ないほうがいいよな。
今や、世界のはてまで、瞬時にして同じ画面や音声を共有できる時代なんだからさ。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/7/25 21:29削除
昭和27~28年ごろの出版物で拝読した明主様の聖言。
 聖地はほかにもたくさん造る。
 それ以外にも小さな聖地をあちこちに造る。
こんな感じの記述があった。

聖地と言えば、箱根、熱海、京都、これから造ることになる九州、大陸、エルサレム。
ここだけだと思い込んでいたが、そうではないという聖言があったのだ。
知らなかったなぁ。

メシアの時代になって、この世のすべてが天国になった。
ということは、この世じゅうが聖地かもしれないという小生の思い付きは、まんざら
的外れでもなかったということになる。
ちょっとれしいかな(テレテレ。

やれ箱根、やれ熱海なんて目くじら立ててる暇はないわけだ。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/7/20 21:58削除
冒頭から謝ってしまおう。
信者を、ペットに見立てて、ごめんなさい。🙇

謝ったあとで性懲りもなく、信者さんにも猫型と犬型がいるように思えている。
猫は、場所になついて、人には懐かない。
犬は、場所ではなく、人に懐く。

いつまでも聖地という場所にこだわっている信者さんがいる。
知っている信者が聖地から引っ越せば、さっさと知っている信者さんに着いていく信者さんもいる。
どちらかというと、小生は犬型だな。
聖地にはいずれ戻れると信じているが、事情によっては一時的に離れても、ご主人さまと一緒に
引っ越してしまうからな。
ただ、人には懐かないという点では、猫型だろうな。

言いたいことは、猫型でも犬型でもなく、信者は神様に着いていくのが理想ではないかということだ。
聖地がどこにあろうと、どんなにお世話になった人がいようと、
そこに信仰がなければ着いて行かない。
信者だったら、信仰に着いていくのがベストではないかと、ふと考えた。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/6/25 20:18削除
メシア降誕祭を経て、メシア聖堂への考え方が固まった。
この世のすべてが天国になるということは、この世のすべてが聖地になる
ということでもあるだろう。
つまり、そのシンボルとしてメシア聖堂がある。
つまり、つまり、我が家だって天国であり、聖地である。
聖地で奉仕をするように、我が家の掃除に取り組んだ。
疲れたぁ。
歳だねぇ。

我が家も聖地だと思うと、気持ちいい。
仕事だって、神様の御用。
マンデーブルーになりがちな週末。
御用に向かうときのような気持ちで、月曜日を迎えたい。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/9 22:01削除
ケチをつけるの得意だね。
小生に向けて、今日、言われた。

人の批判をすることに後ろめたさを感じるのは、信仰ゆえだろう。
小さいころから教えられてきた。
 人のことをとやかく言うもんじゃない。
 人の振り見て我が振り直せ。

このところ、メシア聖堂についてあれこれ批判的なことを記してきたせいか、
やっぱりヤバいのかなと思ったりした。
もちろん、ここに記したことは事前に必ずご神前に奉告したあとでの行動だ。
それでも、小さいときから培ってきた「批判」には後ろめたさが否めない。
にもかかわらず、小生の批判心はムクムク湧き上がってきている。

メシア聖堂だけではない。
その他もろもろ、批判的な側面が見えてしまう。
今後、どうしていくか。
ちょっとだけ迷いはあるが、やはりこのまま批判的な側面を記していくことになるだろう。
なぜなら教団刊行物には、プラスの側面しか出てこない。
プラスのみの出版物なんて、誰も信じない気がする。
マイナスだってあるものはあるんだから、そのまま記していくほうがメリットがあると思う。

少し前だが、ある雑誌の編集部で耳にした電話だ。
某テレビ局の部長があるタレントをほめそやすコメントを書いてきた。
 「こんなんじゃ記事になりません。本人(そのタレント)だって書き直していいと言ってるんだから」
食い下がる編集者に、テレビ局部長はどこまでもNO。
視聴率を持っているそのタレントの機嫌を損ねたら、自分の身が危ないとでも思っているではないかと
思う。
でもなー、持ち上げ、ほめそやすだけの記事なんて、誰も読まないと思うんだけどなー。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/8 21:15削除
説明がないのは、メシア聖堂だけではない。
訴訟だって同じだ。
散々、署名を集めておいて、その後の動向は正式には伝わってこない。
せいぜいうわさ話として漏れ聞く程度だ。
これでは信者は、一緒に戦った気がしない。

そもそも小生は、署名を金科玉条とすることには大いに疑問だった。
たしかに何らの効果もないとはいえない。
その程度だ。
日本の司法は今もって、やはり法律専門家によって主導されている。
彼らは法律の専門家ではあっても、宗教の専門家ではない。
専門どころか、知識はないに等しいし、まして色眼鏡をもっていることさえある。

これに対抗していくには、やはり論理しかないと考える。
宗教の大切さを説き、どこから問題が発生したか、どの点に疑問を持っているのか。
そういったことを明確に説明していくことのほうが、署名よりずっと勝敗を左右する
と考えている。
つまり信者は、論理的に考えて、必要だと思ったから署名に至ったことを伝えていく。

しかし、それはムリ。
信者は何も説明されていないのだから。
なんとなく、言われたから、おつきあいで署名していることのほうが多いと推測する。
信者は何も説明されていないのだから……。

もう一つ言うなら、司法、つまり裁判官は何に目を奪われているのか。
答えは、上級審で判断を覆されることだ。
これが、怖い。
そのためには、100%覆されない論理構成ができている必要がある。
裁判官だって、自分の身が可愛いのは、一般人と同じ。
しかし、これならいける! というほどの論理構成ができていれば、そっちに賭けてみる
くらいのプライドは持っていると信じている。
小生なら、この裁判官のプライドを信じるほうに賭けるね。

日本の訴訟は、法律の専門家である裁判官をいかに説得するかだ。
正義が、正義を十分説明できる論理構成があれば、なかなか頼もしい存在だと思う。

ちなみに、小生が裁判官だったら、この訴訟は却下するだろう。
なぜなら、宗教は、司法といえども介入できない領域だと判断するからだ。

もっと付け加えると、これは小生に届いているウワサ同然の情報に基づいている。
だから、間違っていることは大いにありうる。
だって、だって、だって、何も説明されていないし、ほとんどの情報が届いていないからだ。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/7 21:27削除
言わないとわからないのか、俺の気もちがわからないのか。
少し前の時代には、よく耳にした発言だ。
その結果、「俺」の気もちがわかるまでには数十年かかるし、それでもわかればいいが、
わからないままBAD BYE 担ってしまうことも少なくない。

言わなくてもわかるのは、主神様だけではないだろうか。
それだって何十年もかかるし、わからないまま信仰を失ってしまう例も多々ある。
主神様なら、よく目を凝らしていると、答えをくださる。
でも人間の場合は、主神様のような力はない。
答えを与えるほどの力はない。
可能なかぎり説明していくことが賢明だと考える。

ところで、説明するには、表現能力がポイントになってくる。
小生はかなり昔から「日本語力」という言葉を使っていたが、最近になってしばしば
聞くようになった。
日本語力が低いために、説明しているつもりでも、説明になっていない。
正しく読み取ってもらえない。
正しく説明することもできない。

英語教育には賛成だが、それ以上に日本語能力を上げていく必要があると思う。
繊細な部分まで表現できる日本語を使って思考すると、思考が広がり、深まる。
西欧思想がとかくYES か NOでしか表現できないのに対し、
日本語ならYESとNOの間、YESもNOも含んだところまで説明できる。

明主様の聖言だって、変ったといわれる現世界メシア教の言わんとするところと
なんら変わらないことを、日本語力をもって読み取っていけば明瞭なのだ。
単純に「変わった」という言葉で説明していくと、正しく理解できない信者を
増やすだけのように思えている。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/6 20:01削除
明主様の時代と変わるべきところは変わっていいと思う。
ただ、そこには説明が必要だ。
明主様の時代には説明があったが、今はなくなっている。
ここまでは、すでに記した小生の感想、意見である。

説明の論点としては、どの部分は変わってよく、どの部分は変わってはいけないか。
その境界線を明確にしたほうが理解を得やすい。
すべて変わるべきなら、現在も明主様の聖言としてさまざまことが引用されていることと
整合性がつかない。
引用されている例としては、キリスト教化する、浄霊は二の問題などなど。

時間的経緯でいうなら、メシア降誕以後と以前か。
それもありだと思う。
一つの説明理由としては、大いにありだろう。
であれば、メシア降誕以前の聖言はすべて変わっていくべきなのか?
具体的な事例は思い出せないが、メシア降誕以前の聖言も引用されていたように思う。
間違っていたら、訂正されたい。

小生個人としては、このことに加えて、明主様の意図を想像して判断している。
明主様だったら、こうなさるだろう、こんな世の中をめざしていただろう。
そんなことを考えながら、聖言の変化を受け入れている。

そこで言いたいことは、明主様は理由の説明もなしに、結果だけを公表していく。
そんな教団運営を望まれていただろうか。
そんな社会を理想としていただろうか。
たしかに公表できることできないこと、公表すると悪事に利用されかねないこと、
正しく理解できる人とできない人……。
様々なことを考えると、なるべく内密に進めていくほうが楽だ。
明主様だって、そう思われないわけはないだろうと推測する。

それでも、あえて公表されていらしたのは、そこに人に存在する主神様の分霊に
対して、伝えていたのではないかというのが、小生の結論だ。
ご神業は、主神様に奉告もなしに、結果だけを伝えて進めていくものだとは、
どうしても思えない。
このことは、メシア降誕以前、以後で変わるとは思えない。
c
childrenさん (8ncp4ynd)2023/5/5 21:29削除
メシア聖堂、ときに「聖地」と表現されているようだ。
聖地でもいいと思うし、そのことに異存はない。
ただ場所だ。
そこへの説明は、小生が知る限り、一切ない。
説明できない理由があるなら、一言、「言えない」といえばいいことなのに、
と思ってしまう。

われら明主様信仰者にとって、聖地は、箱根、熱海、京都、九州、中国、エルサレムだと
聞かされてきた。
そこにのっとっていくのか、そうでないのか。
それさえ説明はない。

この点については、様々なお言葉をつないで婉曲的に解釈すると、上記以外の場所になることも
否定できないようだ。
誤解のないように予め断っておくと、小生個人としては、上記以外の場所でも問題ではないと
考えている。
ただ、不明点が横たわるのは事実としてある。

これも婉曲的な想像だが、明主様の時代と変わることもある。
変わるのも当然だと思うが、どういう理由で変わるのかは説明が必要だと思う。
 聖地が汚されたから……。
汚されたのは事実だと思うが、主神様は穢れを浄化する力もないのかなどという反論が
湧いてくる。

おそらく、聖地が汚されたということは、明主様の聖言にある聖地以外の場所を、聖地に定めようという
明主様のみ心だと解釈されたのだろうとは思う。
われら信者が求めているのは、こういう理由なのである。
突然変わるのは、われらの特技となっているが、これは裏を返せば、
いつだって裏切られるということでもある。
その点が、今一つ燃えない理由ではないかと考えている。

ちなみに、現時点での小生の捉え方は、聖地はどんなに汚されてもいつだって浄化できる。
竹島と同じで、現在は単に実効支配されているにすぎない。
時期が来れば、本来の持ち主のもとも帰ってくるということ。
そう信じている。
返信9

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