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childrenさん (7mylnxf4)2020/8/27 21:16 (No.115511)信仰を前進させることができない元わが教団の他教団。
そのせいか、ひたすらわが教団への批判に血道を上げるしかないようだ。
なぜ、このようなことが起こるのか。
答えは、簡単。
信仰とは、神から与えられるものだからだ。
社長には、社長の祈りがあり、社員の祈りとは異なる。
同じように、教主には教主の祈りがあり、信者の祈りとは異なる。
元を含めて、教主として祈りを捧げられるのは、教主様ただ、お一方だけ。
教主としての祈りに、神は教主としての祈りに応えてくださった結果だと思うのである。
かつて中村総長は、総長として神に祈りを捧げていたから、教団運営を間違えずにすんだのと思う。
今回の教団分裂のときの、組織としての最高責任者の地位にあったのは、主の光の仲泊氏だ。
最高責任者としての祈りを捧げていたからこそ、教主様を戴けたのだろう。
あっ、失敬。
元わが教団には、もうお一方、教主がいらしたのだった。
教主として、神に祈りを捧げていたなら、いつか同じところにたどり着くだろう。
教主としての祈りを捧げていれば、の話だが。