管理人は、世界メシア教の信者です。けれども本掲示板は、非公認。世界メシア教とは一切、関係ございません。賛成、反対、いずれのご意見も歓迎いたします。ただし、デマ、個人や団体名を挙げた誹謗中傷は、削除させていただくこともございます。ご理解くださいませ。

掲示板

BBS
アイコン設定
投稿者さん使い方

管理者の承認後に掲載されます。掲載の是非は管理者が判断いたします。予めご了承願います。
c
childrenさん (7jq7spuy)2020/6/7 10:27 (No.88176)
御教えには、「浄化」という教えがある。
創造主は、自身が作った人間を愛しているから、人間を崩壊させるような
ことはしないという考え方だ。

病気、貧乏、争い……。人生には様々な困難が立ちはだかる。
これらはすべて、人間を崩壊させないための神の愛であるということだ。
いたずら悲しんだり、下手な手段を駆使してごまかしたりしなくても、
神の愛を信じていれば乗り越えられるよと。

これが簡単そうで、なかなか難しいという現実もあるにはあるが。
返信
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/8/16 06:47
古来から、さまざまな民族が興亡を繰り返してきた。
アメリカ大陸の西洋人、ギリシア人だって、ソクラテス時代のギリシア人とは
何らの関係もない。
中国だって、孔子時代の中国人など、ほぼいないといっていい。
何を隠そう、わが日本だって、大和民族なんて、ほとんどいない。

神は正義。
この民族問題、追い出され滅亡に近い状態の民族問題をどう解決なさるんだろう。
ちょっと気になる。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/8/15 08:42
神は正義なり。
つくづく実感する今日この頃だ。

思い越せば、前回の教団紛争。
あのときは、総長であった中村氏の行動が正義だったと思う。
一般社会人の立場で見て、そう判断できる。

教団は、社会のなかの一部として行動する部分が大きい。
だから社会人として正義に立脚していかなければならない部分が大きい。

対して教主は、信仰の世界という部分が大きい。
本教でいえば教祖である明主様の教えをいかに継承していくか。
この部分が何より優先されなければならない。

わが教主様の言動に接していると、つくづく明主様を継承されていることを
痛感する。

教団としての正義を貫いた主の光、
教主としての正義を貫いた教主様、

この2存在が合致して、世界メシア教がスタートした。
古巣教団の衰退が伝えられる今日この頃、つくづく
神は正義なりだということを実感させられるのだ。
返信2
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/13 21:42 (No.150453)
人は、自分が得をしたことより、損をしたことのほうに過敏に反応する傾向がある。
ちょっと視点を広げてみると、最も損をしているのは主神様ではないだろうか。

人間を作り、天地を作り、空気、水、太陽……あらゆるものをお作りになりながら、
とかく忘れられがちだ。
それどころか、存在さえ否定されることもある。

それでも、黙って、今日も、天地も空気も水も……お与えくださっている。

わが教祖、明主様も、浄霊を、自然農法を、薬害を教えてくださりながら、
最後のお仕事であったキリスト教と呼応する部分については、スルーされてきた。
それでも、浄霊をいただけば奇跡をくださる。

明主様のお心は、ひいては主神様のお心は、本当のところはどうなんだろうって
思ってしまった。
返信
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/8/9 23:13
小生には、どうしても許せない人が何人かいる。
思い出すたびに、ムカつく。

原因の一端は、自分にあるとわかっていても、許せない。
もし、相手が謝罪したとしても、やっぱり許せないだろう。
もちろん信仰者なので、報復しようとは考えないが、心の中では許せない。

そのことで、自分を責めていないわけではない。
それでも、やっぱりやっぱり許せない。

今日、ふと思ったのだが、許せない心もまた神様のもの。
人間にいくら謝ったとしても、何らの影響もないのではないだろうか。
どうしても謝罪したいなら、神様に対して謝罪するしかないのではないか、と。

そう考えると、許せない自分を責める気持ちが軽くなった。
いくら謝罪されたとしても、神様に謝罪しないかぎり、許せない気持ちがあるのは
当然のことかもしれないと考えるからだ。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/15 22:03
いささか世俗的過ぎる見方で恐縮ではあるが……。

現在、法の目はどんどん細かくなっていく一方で、人間は身動きとれなくなっていると
いって過言ではない。
なにか行動すれば、必ず何らかの法などの規制に抵触する。
行動といっても、口に出しただけでなんらかの規制にひっかかるのだ。

自由なのは、心の中で思うことだけ。
この領域を規制する法などの強制力はない。

想念の時代。
時代に叶っていると思ったりするのだが、
あさましすぎる発想かもな。
c
childrenさん (7q3l7suk)2020/12/14 21:33
私の言ったとおりにしたら、奇跡はどんどん出る。
しかし、私の言ったとおりにやる人はいない。
こんな趣旨の発言を聞いたことがある。

明主様の仰るとおりにしないから、忌まわしい問題が起こるということだろう。
だとしたら、教団に起こる忌まわしい問題も、明主様の仰るとおりにやっていれば雲散霧消する
ということになる。

明主様が、「キリスト教と呼応する」
     「浄霊は二の問題」
と仰ったんだから、そのとおりにやってみればいいと思う。

やってみてダメなら、いつでも元通りに戻せばいいだけのことじゃん、
と思ったりする。
返信3
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/3/12 20:22 (No.182319)
教主様を批判する人たちによって初めて知ったのが、グノーシス。
学校で習ったこともないし、テレビなどのマスコミを通じても聞いたことのない言葉だった。

小生はさっそく調べてみようとして書店を回ったが、適切な書籍には出合えなかった。
あとで知ったのだが、書籍自体、ほとんどないのだそうだ。
教主様はもちろん、グノーシスは知らないと答えている。
これに対して、教主批判の人たちは、「比較宗教学を学んだのに知らないはずはない」と言った。
しかし、知らなくて当然。
小生がそうであったように、グノーシスなんて大半の人が知らない言葉なのだ。

誰もが知らないということを知らない人が、教主様が知らないのはおかしいと批判した。

教主様批判の多くが、なぜか、よく知らない人が根拠もなしに批判しているということを実感する。
その一つが、「教主様がグノーシス主義の影響を受けている」というものではないかと推測している。
返信
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/8/6 14:41
最近聞いたところによれば、
宗教には決定的な定義はなく、学者の数だけ、宗教への定義はあるそうだ。
つまり、キリスト教は、イスラム教は、という定義は不確定的定義ということになる。

ということは、グノーシス主義の定義も、学者の数だけあるということになる。
教主様をグノーシス主義の影響を受けていると言った学者は、ますます怪しくなってくる。
要するに、自分たちの都合に合う学者を連れてきて、批判的評価を下せばいいだけのことに
なるではないか。

そんなことで、教主様を、いや一人の人間を批判していいものだろか。
教主様批判を繰り広げた人たちへの不信感は、深まるばかりなのだ。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/3/18 20:02
キリスト教は、さまざまな土着信仰を取り入れながら形成されていった。
布教地域の拡大につれて、その地域の信仰を吸収していったのだ。

有名なところでは、マリア信仰が生まれる土壌にあげられる古代ローマのミトラ教。
サンタクロースだって、砂漠地域のイエスが知る由もない存在だ。
その他もろもろ、土着信仰のよい面を取り入れ、世界宗教にふさわしくない部分は自然に
消滅し、現在のキリスト教があるわけだ。

その過程で切り捨てられたのが、グノーシス思想のようだ。
理由は既述したように、創造神を悪をした点だ。

これなどももっと詳細をみていけば、融合できないわけでもないと思う。
キリスト教の頑なさが切り捨てたものも、明主様信仰のメシアであれば救うことができるのではないか。
キリスト教がそうしたように、世界メシア教も世界じゅうの信仰を取り入れ、世界信仰として
不都合な部分だけが自然消滅されていくのではないだろうか。
もちろんキリスト教だって、本当のメシア信仰にふさわしくない部分は自然消滅。
本当のメシア信仰が形成されていく。
そんなイメージが、小生の脳裏をかけめぐっている。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/3/17 18:48
ところで、グノーシス主義、なかでも異端とされたキリスト系グノーシスは、
本当に救われない存在なのだろうか。
気になる。

この世が悪に満たされているのは、創造主が悪だからとするグノーシス。
この部分は、わが世界メシア教とは相いれない考え方だ。
しかし、グノーシスの信仰は、創造主の上に至高神ともいうべき神を想定している。
この至高神は、悪とはみなされていないようだ。

グノーシス主義者らが、至高神への信仰を持っているなら、救われないことはないのでは
ないかと思う。

なぜなら、キリスト教でもわが教祖、明主様も、救われる唯一の条件として、
主神様への信仰を挙げているからだ。

だとしたら仮に現在のグノーシス主義者が悪だとしても、至高神への信仰がある限り、
悪の部分は消滅すると考えられる。

そもそも創造主と、至高神を分けるという考え方が無理あるんじゃないかなぁ。
善と悪。
この2神論で行く限り、説明のしようがなかったのかもしれないと思ったりするんだが。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/3/16 19:48
不思議なのは、なぜ教主様がグノーシス主義の影響を受けていると
言われているのかだ。
グノーシス主義を少しばかり調べてみた小生でさえ、教主様とグノーシスとは
無関係であることが歴然としてくるというのに。

どうやら発端は、ある宗教学者の見解によるものだったようだ。
この学者は、教祖である明主様のみ教えを集めた全集のようなものを発刊したときに
当時の教団が意見を求めた有名な学者だ。

この学者と教団がどういう関係にあるかは定かではないが、当時の教団とは何らかの
経済関係があることが窺われる。
監修のようなことをしたのであれば当然、対価が支払われるだろう。
意見を求めただけであっても、単に学者の名前が欲しいだけだったとしても、なんらかの
対価が支払われていると考えるのが普通だろう。

あくまでも想像だが、今回、教主様の行動について意見書か何かを、教団が求めた。
そこに、この学者の忖度があったとする。
教主様を貶めるために、内容を吟味することもなく、悪イメージのあるグノーシスを持ち込んだ。
東洋に深い関係のある教団なら、大きく外れることはないだろうと考えたことだってありうる。

加えて、学者が自ら調査活動をするとは考えられない。
教主様を貶めたい教団、依頼者である教団が提供した資料、情報だけを基に作成したものであったのかも
しれない。

今どき、学者も経済的にひっ迫していることが少なくない。
いくら「小遣い稼ぎ」の意見書だったとしても、誰かを貶める危険性のある意見書を書くなら、
双方の見解を聞いたうえで作成するのが、真面目な学究者としての態度ではないかと思うんだが。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/3/15 19:56
キリスト教系グノーシスが異端とされた最大の理由といえるのは、
創造主を悪としたことのようだ。

グノーシス派の人たちは、主張はこうだ。
この世は悪に満たされている。これは、この世を作った創造主が悪だからだという。
創造主を悪とする点が、キリスト教義に反するというものだ。

わが教主様は、創造の世界において私たちはすべて天国にいた。
その天国は永遠の生命があるとおっしゃっている。
つまり、グノーシス派の教義とは100%、相いれないことがわかる。

対して、教主様を批判する人たちは、尾行・盗聴・盗撮を是としている。
それは、この世の悪を暴くために必要な行為だということのようだ。
  「この世の悪」
まさしくグノーシス派キリスト教者の論と重なるものだ。

この点でみれば、教主様より、反教主派の人たちのほうがはるかにグノーシス色を
濃く帯びていると言わざるを得ないことになる。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/3/14 11:28
ごくわずかしか見当たらないグノーシス主義の書籍を当たっただけで、
しかも読めば読むほど理解しにくかった。
それでも、なんとか概略ぐらいは見えてこないわけではない。
その段階での見解だということを念頭に置いていただきたい。

グノーシスに正式な定義はないようだ。
必ずしもキリスト教関連の思想というわけでもないらしい。
大まかにいえるのは、東方の思想、文化なのは間違いないようだ。

さまざまな東方宗教のなかでも、グノーシスだと最もやり玉に挙がっているのが、マニ教。
キリスト教西洋社会と繰り返し戦争を重ねたペルシャで信仰されていたせいも大きいだろう。
そもそも人は、自分に理解できないものは切り捨てるクセがあるそうだ。

グノーシスと関係なくても、理解できない東方文化、宗教はとりあえず異端としたと考えられなくもない。

だとすれば神道や仏教と呼応してきたわが教祖、明主様のご聖業も「東方」であり、
その明主様のご聖業を受け継ぐ教主様のお仕事もグノーシスと言えなくはない。
なにせ「自分の信者なら、イエスくらいの、いやそれ以上の奇跡を顕わせる」なんて
おっしゃっているわけだから。

疑問なのは、教主様にグノーシスのレッテル張りをしている教団が明主様を看板にしている
ことだ。
自分たちのグノーシスはよくて、教主様のグノーシスがわるい!?

わけわかんない??????
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/3/13 09:51
グノーシス主義の影響を受けているというものに、ポストモダンがある。
20~30年ほど前だったか、ちょっとしたブームになった学派だ。
中沢新一、浅田彰だったか、小生も読みふけったことがある。

わかりにくい思想を、わかりにくい単語を羅列し、わかりにくい文体で書いてあるのが特徴だ。
結局、何を言いたのかわからなかったわけだが、あらゆるものを否定しようという趣旨だったことは
おぼろげながら理解できた。

教主様のご教導の全体を通じていえるのは、あらゆるものを肯定しようとしているといえる。

この点で、教主様とグノーシス主義は正反対であることがわかる。
返信7
c
childrenさん (7lqfd3y9)2020/7/27 23:18 (No.106701)
「人間は想念しだい。喜べば、喜びごとが来る」
このみ教えの類推解釈を、もう一つ。
小生個人の解釈であることは、前もって断っておきたい。

人の欠点ばかり探していると、自己崩壊をもたらす。
野党の現状がその一例だろう。
そのシステムは、
欠点探しを行っていると、欠点探しの神様につながる。
やがて、欠点探しの神様は、自分の欠点まで探してくださる。
その結果、自分が崩壊していくということではないかなぁ。

他人を論っていると、いつしか、その欠点と同じことを自分がしてしまう。
これは、ありがちなことだ。

神は、八百万。様々な神様がいらっしゃる。
やはり、すべてをお作りになった最高の神様につながっていたいものだ。
返信
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/31 15:10
絶対的な通説ではないようだが、プロギタリストがおもしろいことを言った。
 左利き用がある楽器は、勝手に、自由にやっていいけど、
 左利き用がない楽器は、先生について習ったほうがいい。

この発言を、信仰にあてはめてみた。
信仰するだけなら、神に捧げるだけなら、自由に、勝手にやれると思う。
しかし、神の意図にしたがって信仰するなら、そうはいかない。

教団というか、教主という存在がないと難しいと思う。
伝統的に今までのことを踏襲するだけなら、まだいいんだが、
進んでいるご神業に合わせて、信仰するとなると、そうはいかない。

一般信徒あるいは教団幹部という立場で、本当に神様の意図を知る、あるいは
感じ取ることは難しいのではないだろうか。

やはり教主という立場があってこそ、その責任で神様とつながることもできるし、
神様のほうでも安心して、真意を下す気になれるように思うのだ。
返信1
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/30 05:37 (No.238959)
こんなはずじゃなかった。
人生にはありがちなことだ。

故高倉健さんは、初めて化粧した自分を鏡で見て、
情けなかったと語る。
本当は、事務方として、芸能界者に入社したのだそうだ。

某テレビアナウンサーは、報道に配属され、ニュースを読む
ものだと思っていた。
しかし、民謡大会の司会をやらされたと振り返る。

芸大卒でミュージカル俳優になった方は、テレビでお笑い番組に
出演することもある。
「思ってもみないことをさせられるが、実は、人生の本筋は
そこにあるような気がする」
と語る。

教団に疑問を持つ人の多く、主に専従者については、
こんなはずじゃなかったと思う人もいるのではないかと思う。
自分の能力を認められていない、と。

小生は専従者ではないが、一般社会で生きていてもよくある。
そこは主神様のご意図だと思い、とりあえず前向きに担わせて
いただこうと考えている。
返信
返信0
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/4/14 19:20 (No.196127)
人体は小宇宙というテレビ番組があった。
科学者ではないので、正確を期すことはできないのだが、
人間の体は、宇宙というか自然界の仕組みのすべてが含まれているという
話を聞いた記憶がある。
進化の過程を含めてだ。

これほど宇宙や地球を映し出している人体だとしたら、
そこに主神様の分霊、先祖が含まれていてもおかしくはないと思う。

よく一人一人の中に、メシアは存在するということに批判する声があるが、
むしろ存在しないほうがおかしいと思う。
人体が小宇宙でも、自然界の仕組みで構成されていないのであれば、
話は別なんだが、
返信
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/28 22:23
かなり前のことになるが、医師から聞いたことがある。
「血液さえきちんと流れれば、がんを含めてたいていの病気は治る」
小生には、真偽を確かめるだけの医療知識はないので、一応信じることにしている。

血液、聖言では、霊だ。
霊を清めると、血液がきちんと流れるようになるのかもしれないと思った。

小生も年齢とともに、体のあちこちが故障している。
霊、つまり血液を清めることを考えてみようかと思う。
体が順調に動かないと、想念も前向きにならない気がする。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/4/15 21:04
聞くところよれば、主神様は過去、現在、未来を一望しているのだとか。
だから未来を預言したりもできるんだそうだ。

わが教祖、明主様は預言はしないと仰っている。
当たるかどうかわからないものを言ってもしかたがないという理由だ。

この齟齬をどううずめていけばいいのだろう。

未来は、変えられる!

絶対力であるメシアが誕生した現在、未来さえ変える力を持ったということかもしれない。
とはいえ、大きな道筋。
天国を作る。
この部分は、キリストの預言と合致していると思う。
その他のことが変わるということだろうな、きっと。
返信2
c
childrenさん (7n2vwtud)2020/8/30 21:14 (No.116713)
神中心の信仰と、自分中心の信仰がある。
単に、宗教行事を最優先にするということばかりではない。

よく、どの教師のやり方がみ教えに合わないとか言って批判することがある。
わが教団の教祖が、「み教えを逸脱した」という批判も、この範疇に入るだろう。

御教えは、そのときどきの状況に応じて、説いたものだと思う。
一貫して通用する真理もあれば、そのときに限定して通用する真理もあるように思う。

教主様を仰ぐ小生も、これらの批判によって迷いに陥ることがないとはいえない。
そんなとき必ず、「メシアの御神様、こんな思いに囚われています」と奉告する。
すると、「そんなことはないよ」という声は聞こえないが、
「教主様を信じたままでいいよ」とでもいわんばかりの出来事に出合ったり、ふと、ひらめいたりする。

神様に奉告する。これも神中心の信仰ではないかと思ったりするだな。
返信
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/26 22:08
中国では、寒さに強い蚊の研究が進んでいるそうだ。
成功したら、どうする?
夏だけだって大変なのに、冬にまで蚊に悩まされるなんて、まっぴら。

また愛人スクールもあるそうだ。
どうすれば、妻のいる男性を口説けるか。
その方法を指南しているそうだ。
もちろん、口説く相手は、お金持ちの男性。
お金になれば、どんなことでもやるということなのだろう。

要するに、恥の意識がない。

信仰も同じで、病気さえ治れば、神様なんてどうでもいい。
自分の願いさえ叶えば、神様なんて頭にない。
神様のいない信仰って、役に立たない、社会にとって害にすらなることしか
生まないのかもしれない。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/6/25 19:46
いまだに、明主様信者のうちの大半が、現当利益を求めていると実感する。
主神様にすべてを委ねたのだから、あとはどうなろうと関係なし。 なはず
なんだけど、やっぱり変化がないと気になる。
思い通りの変化、身に見える変化、なんだけど。

たしかにメシア降誕のご教導を受けて、赦しをお受けしますと申し上げて以来、
多くのことが変化した。
それでも変化しないことは、ある。

やっぱり主神様のみ心に叶っていないんじゃないか、
自分のどこが間違っているんだろう、
あれこれ考えてしまう。

この思いも、お委ねするしかないんだろうな。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/4/24 18:43
世の中には、正しいことが通らないというのは珍しくない。
憤懣やるかたない気持ちになることも多い。

本当に正しいことは通らないのだろうか。
自分が勝手に正しいと思い違いをしているだけだろうか。

いずれにしても、正しいことは絶対通るという前提で神様に向かおうと思う。
正しければ、通るはずだし、
勝手な思い違いであれば、思い違いに気づかせていただけると信じて。
返信3
c
childrenさん (7kc9ykn8)2020/6/22 20:58 (No.93201)
世界メシア教と、その出身を同じくする教団との間にも
争いはある。
同じ主神様を信仰し、同じ教祖によるみ教えに基づているのに、である。

ユダヤ教を母体とする、キリスト教とイスラム教の争いと似ているかなとも思う。

主神様は、その時々、その事情に合わせて、さまざまな形で教えを垂れた、と思う。
そのため一見、齟齬とも思える信仰が生まれた。
それらの齟齬をすり合わせていくには、一旦、それまでの信仰をすべて
主神様にお返しするといいと思う。
そのうえで、新たな信仰を戴く。
そうすれば、現代に合った、主神様の意図に合った、信仰を戴ける、と思う。
返信
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/25 13:49
事実かどうかの確認はまだできていないのだが、
教主様を批判している教団で、こんな発表がなされたようだ。

世界メシア教の離脱者数を挙げて、
信者を引き留めるために、離脱者には「死」が待っていると言ったのだという。
地上天国祭の場で、言ったということらしい。

地上天国祭には参拝したし、お話もすべて、この耳で聞いた。
そんなことを言えば記憶に残っていておかしくはないのに、まったく聞いた覚えがない。
一体どこから、そんなデタラメを仕入れてきたのだろうか。

反教主教団の言うことは、事実がないのは周知のとおりだが、すぐにわかるような
デタラメを言うとは不思議でたまらない。

近年は、嘘とわかってもいいから、イメージダウンが第一。
あとで嘘とわかっても、すでにダウンしたイメージは簡単には回復できない。
この前提の下で、デタラメを流すのが、情報戦略になっていると聞く。

反教主派教団には、こうした情報戦略を進める組織が入り込んでいるのだろうか。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/21 20:19
以前、書いた記憶はあるのだが、見つからないので
再度書きこむ。

尾行・盗聴・盗撮を擁護する人たちの一部からは、
教団の乗っ取りを懸念する声が聞こえてこないでもない。
教主様に接近して、教団を牛耳ろうとしているのだという懸念だ。

ひょうんなことから、盗撮現場の動画をユーチューブで見た。
驚いた。
貧乏な小生でも、大事な人と会うときは、コーヒー2000円、
最低でも1500円クラスの店を使う。

ところが、あの店はせいぜい500円、高くても800円ではないだろうか。
そんな店で乗っ取る意思のある人と会ったりはしない。
乗っ取り側、乗っ取られ側ともに、精いっぱい自分を高く見せようとするものだ。
あのクラスの店で会ったりはしない。
というわけで、個人的に親しい友人ということが想像できる。

教主様はよくわからないが、夫人であるまゆみ奥さまの服装も、普段着に近い
ものだった。

こんなわかり切った動画を見せて、さも意味ありげに語る。

本気で語っているなら、あまりに無知。
わかっていて語っているなら、かなり悪質。
ということになる。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/13 12:35
争いといえば、メシア降誕。
メシア降誕を否定するところは、小生が知る限りの明主様教団にはない。
にもかかわらず、メシア降誕の前と、あとでの変化を語る教団はない。
この面を明確にしているのは、わが世界メシア教だけだ。

明主様があれほど大喜びした、メシア降誕だから、その前後でなんらの変化も
ないというのはありえない。

メシアという絶対力が降誕する前と後。
そのことで、どういう変化あるのか、ぜひ伺いたいものだ。

わが世界メシア教はメシア降誕後のご神業を進めているので、その辺は説明するまでも
ないだろう。

言ってみれば、メシア降誕前のご聖業を継続している勢力が、
メシア降誕後のご聖業を遂行しているわが世界メシア教を、批判しているにすぎない
という構図が見えてくる。
返信3
c
childrenさん (7lyzockd)2020/8/2 23:09 (No.108241)
革命家が最初にすることは、相手の最も大事にしていることを潰すことだそうです。
価値観、価値のシンボル、中心人物……。

一国の首相が土下座している図なども、その一環かもしれません。
かつて会津の白虎隊が、鶴ヶ城が焼けていると勘違いし、皆で自刃したのは、
シンボルを潰すことの効果を示す例といえそうです。

何かを否定しなければ、自己の目的が果たせない。
ちょっと寂しい。
本当に優れたものなら、他者を否定しなくても、優越性は自明のはず。
宗教だって、同じ。
他教を否定しないでいい宗教に出合えたことを、今さらながら感謝しちゃいます。
返信
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/18 08:54
ワクチン論争がさかんだ。
明主様信者の間でも、ワクチン攻撃をする人を見受ける。
薬害を伝えるのが、御用だと考えているようだ。
小生は、なぜか消極的だ。
もちろんワクチンは打たないし、万一、職場で強制されたら、
職を辞すほうを選ぶだろう。

明主様の聖言には、いたるところで薬害を伝える文言が見つかる。
かといって、小生たちのように、いきなり医薬を排除したとして、
どのくらいの人が不安に陥ってしまうかを考えるからだ。
そこへの対処方法もなしに、いたずらにワクチン攻撃をすることへの
不安を感じる。
気の毒だとは思うが、ワクチンによって安心する人がいれば、薬害を
受け入れるのを認めるしかないという判断なのだ。

思うに、明主様の仰りたかったことの、最優先事項は、神の愛。
 副反応という危険性をともなう医薬品を用いなくても、健康は維持できるよ。
 神様が、自分の子どもである人間に、そんな危険な真似をさせるはずはない。
 危険なものを用いなくても、健康が維持できるように、作ったんだから。

明主様信仰者である小生は、むしろ浄化の法則を世の伝えるほうに携わりたい。
そのためにお使いいただくことができたらいいなと願っている。

ちなみに、わが世界メシア教がどう考えているかは、まだ知らないのだが。
返信1
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/23 19:23 (No.163559)
お詫びの時代ではなく、悔い改める時代。
お詫びと、悔い改めのちがいはどこか。
小生なりの考えをまとめてみた。

一々の罪を償うのが、お詫び。
根本的に罪を消滅するのが、悔い改め。

すべてのものは、主神様のもの。
それなのに、自分のものと思い込んでしまっている。

横領という犯罪がある。
自己の占有する、他人のものを不正に領得することだ。

命も、財産も、功績も、能力も、すべて主神様のものなのに、
自分の手元にあるからといって、自分のものと思い込んでしまう。
これは、横領に当たるのではないだろうか。

すべてのものを主神様に返上しないかぎり、根本的に罪が消えていくことはないということに
なりそうだ。
返信
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/7/1 22:45
悔い改める。
聖書によれば、神は親。
親に、ケーキを買ってと頼んだのに、せんべいを買ってくることはない。
そう信じることができるかどうか。

そのはずなんだけど、
過去に、幾度も、ケーキを買ってもらえなかった記憶があると、
やはり買ってもらえないのではないかと思ってしまう。
買ってもらえなかったのに、それだけの理由があった。
そこまでは、神様を信じることができる。

しかし、今回も、買ってもらえなかった理由が払しょくできているかどうかは
わからない。
そこなんだよな。

神様を信じることはできても、自分がそこに到達できているかどうかは
わからない。

到達できていないかもしれない自分を、そのまま神様にお委ねしてみる。
それしかできない。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/6/30 19:24
主神様にしたがうことと、教団にしたがうことは同じなんだろうか。
小生は、過去に、所属する教団の資格者ともめたことがある。
資格者の考え方をどうしても受け入れることができなかったからだ。

もちろん自分では正しいと思っていたが、やっぱり後ろめたさは残った。
主神様に逆らったような気持ちにならないでもなかったからだ。

結局そのときは、主神様にすべてを申し上げたところ、そこの所属を
離れるような流れになった。

今の教団には、そんな考え方の違いはない。
しかし、些細なことのなかには、受け入れられないこともある。
すると、やはり資格者とはなんとなく感情のもつれが生まれる。
いや、そう感じるだけかもしれない。
人間関係だけなら、それでもいい。

もしかしたら、主神様に逆らっているのではないだろうかという不安になる。
今回も結局は、すべてを申し上げた。
自分はこうだけど、主神様の意思なら、そこにしたがいますと。
そもそも、主神様に逆らうことなど、できるわけもないのだから。
というわけで、はてさてどうなることやら。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/3/2 20:02
世界メシア教が誕生するきっかけとなった主の光教団からも少数だが、
離脱者が出た。
多くは、定年した職員と、定年を間近にした職員だった。
離脱の要因には、老後の生活資金があったのではないだろうか。
一般社会でも、同じような不安を抱えた人はたくさんいる。

会社にいたときのような待遇を、定年後も求めてしまう。
課長、部長と呼ばれ、チヤホヤされたころの自分。
教団職員の場合なら、先生と呼ばれたころの自分。

それらのすべては、神の力に向けて発せられた尊敬だったと思う。
職員としての立場を離れた以上、すべてを神にお返しするのが当然のことだと思う。
それをいつまでも私物化してしまうから、第二の人生が歩めないのではないかと思う。

定年は、次の人生への始まり。
人生を二度楽しむための定年だと思う。
そのためにも、神様のものは神様にお返ししたほうがメリットは高いと思う。

その昔、大手広告会社を定年した同社の重役は、第二の人生を植木職人として
生きたというニュースを思い出す。
こうした人が増えると、社会はもっと明るくなると思う。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/2/22 20:01
人生相談を受けている人に縁があった。
多大な苦難の末、ひとかどの成功者に分類される人物だ。

彼は言う。
「人ってこんなに弱いものかと思った。そんなことで悩むかぁ!?」と言いたくなるのだと。

たしかにそうなんだよな。
自分では窮地、ピンチと思っているが、自分で思い込んでいるだけかもしれない。

教祖のご聖言によっても、すべては浄化。
想念の実践でも、すでに救われているんだと教えられた。

浄化だとわかっていても、浄化は怖い。
できればないほがいい。
神様から見放されたかなと思ったりもする。

しかし、彼は、
「逆風のときのほうが、意欲が湧くから好き」だと言う。

いいときも、わるいときも、すべては主神の愛。
わるいときも感謝できるように、悔い改めたいなぁ。
まだまだ、だけど。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/2/18 19:51
たしか、「邪神が苦手とするのは、常識」という御教えがあったように記憶しているが……。
尾行・盗撮・盗聴という行為がまかり通るということは、非常識な団体ということになるのではないか。

それさえ目に入らないまでに、問題視しない団体。
邪神にとって、ご馳走そのものではないだろうか。

常識のあるなしについて、今一度、考え直してみたくなった。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/2/7 23:10
2晩徹夜同然で参拝させていただけた立春祭。
金曜日、いつも通りに仕事したのだが、なんとかこなすことができた。
こなせなくてもいいやと覚悟しての参拝だったが、主神様のご守護に感謝せざるをえない。

とはいえ、この年だ。
いつもなら翌日は休暇をとっていて、この休日で初日の徹夜分は回復した。
しかし今年はどうしても休めない。
おまけにコロナもある。
こんなときに長距離の移動して、もし何かあったらという心配もあった。

これらの心配をすべてお委ねしての参拝だった。
無事に務めを果たすことができて、ほっとしている。

しかしだ、さすがに2日分の徹夜を回復するのは大変だ。
土日の2日は、ほとんど寝てしまった。
もったいない気もするが、そのまま受け入れようと考えている。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/2/3 20:36
明日は立春祭。
コロナ化での斎行は、かなり冷や冷やものではないだろうか。
教団側にとって、小生ら信者らにとっても。

小生は、悔い改めることを考えてみたいと考えている。
そして新たな一歩を踏み出したい。
これまでの人生でどうして叶わなかったことを実行に移したい。

これまで叶わなかったのは、行動しなかったからだ。
なぜ、行動しなかったのか。
実行できるだけの環境が整わなかったのは、主神様の意思に叶っていないからだと
とも考えた。
まだ時期が来ていないからだとも考えた。

しかし、思いだけは消えなかった。
このことのどこかに悔い改める点があるように思う。
主神様への向かい方に悔い改める点があるのではないかと考えている。
その点に出合わせていただけたらいいな。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/28 19:53
歴史を振り返ってみると、失脚させられた人に共通する特徴が見いだせる。
もちろん、ほかにも原因はあるだろうので、特徴の一つと捉えるべきかもしれない。

その特徴とは、周囲の取り巻きが失脚をもたらしているのだ。
鎌倉幕府は3代将軍まではだれでも知っているが、4代目以降はあまり知られていない。
京都の皇族や公家から招いて将軍にしていたのだ。
子どものときに将軍にし、大人になると将軍職を解いて京都に返す。

その理由として挙げられているのは、大人になると自分の意思ができ、周囲に取り巻きが集まる。
この取り巻きから切り離すために、大人になると将軍職を解いたのだ。
実は、2代将軍頼家が非業の死を遂げたのも、取り巻きが野心を抱いたせいだという説も根強い。

同じことは、わが元教団でもあるのではないかと思う。
取り巻きが、あれこれ持ち上げて、野心を遂げようとする。
本当に賢い人なら、自分にはなんの力も手腕もないことに気づいているはずだから、
取り巻きから唆されることは少ない。
しかし、さほど賢くない人が取り巻きから持ち上げられる、自分にも実力があるかのように
錯覚する。
本当は、神様の手腕なのに。

人に期待するのは、危険だと思う。
神を讃えていくのが、本来の姿なのではないかと、このごろ強く思うのだ。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/27 20:00
安倍前総理の復活を望む声は少なくない。
インドから表彰されたことで拍車がかかるかもしれない。
同じようにトランプ前大領の復活を望む声も少なくない。
小生だって、この両者の活躍を望む一人だ。

かといって素直に同調する気にはなれない。
人に求めすぎることに不安を感じるからだ。
彼らはたしかに多大な功績を残した。
しかし、それは神が彼らにやらせた結果だ。

教団でも草創期に功績者、どの先生の浄霊がすごいとか、あの先生は立派だとか
あれこれ評価する人が少なからずいる。
その先生の浄霊や功績がいくらすごいからといって、それらはすべて神様が
やらせたことだ。
すごいのは、どこまでも神様なのだ。

彼らがすごい人物であるとしたら当然、すべては神様に使っていただいた結果であり、
自分の力ではないことを知っているはず。
見せかけの功績であるなら、別だが。

人間に求めすぎることは、求められた人間を困らせるだけのような気がする。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/26 22:15
悔い改め。
かなり強烈な言葉だ、「悔い」だもんな。
よほどの悪事でないと、悔いたりはしない。
取り返しのつかないほどの悪事を犯してしまったということだろう。

他人の命、物を盗ってしまったということに気づいたとき、悔いが起こる。
そ、私たちは神様の命、ものを盗ってしまったということだと、小生は考えた。

これまで小生は、さすがに信仰者なので、他人をけなすことはしないようにしてきた。
しかし、褒めることはいいことだと考えていた。
ときには心にもないほど、大げさに褒めることもあった。

今にして思えば、褒めることも間違いだったと、悔いている。
すべては、神様のもの。
その人への褒めは小さめに抑えて、神様をたたえるべきだったのではないかと思ったのだ。

よく教団の先達をほめそやす人がいる。
これなども、ほめそやされた先達は、苦々しく思っているのではないかと思うのだ。
素晴らしい先達であれば、すべては神様のものだということを知っているはず。
神様へのたたえを、自分が横取りしたような気分になっているのではないかと思うのだ。
きっと不快なんだろうなと。
だからこそ、教団に様々なトラブルを起こして気づかせ、やめさせようとしていることだって、
ありうるのだ。
自分たちが築いてきたものは、この程度。
「後輩たちよ、神様のほうを向け」とな。
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/25 22:05
ご聖言も、神様のものだ。
教祖明主様の説かれた教えを取り次いでいくうちに、
その取次者が慕われ、持ち上げられることがよくある。
その結果、信者を自分の信者のように扱ってしまうこともよくある。

これは、業務上横領なのではないかと思ったりする。
神様のものを使って、個人的利益を得るわけだから。
本来、すべて主神様にお帰ししなければならないはず。

幹部を含めて信者は、個人的な利益を得るのはおかしい。
そんなんじゃ?
納得しないわな、小生も納得しない一人だ。

しかし、よく考えてみると、利益は神様からいただくもので十分ではないかと思った。
会社員だって、会社の仕事で行ったことで個人的な利益を得たら、ワイロだ。
給料としてもらっている分があるじゃないか!
c
childrenさん (7q3l7suk)2021/1/24 20:01
業務上横領という罪もある。
その業務を担うものが、横領した場合、罰はより重くなる。
宗教家が、宗教を運営するにあたり、利益を自分のものにしてしまうことだ。
幹部には幹部の、信者には信者に応じて、罰は重くなるのかもしれない。
もっとも、これは限界の法律ではなく、神の律法上、こうなるんじゃないかという
あくまでも推測の話だ。

かつて御教えと呼ばれた、教祖明主様のご聖言。
ご聖言をいくら知っているからと言って、自分のものにしてしまい、
自分で勝手に都合よく解釈してしまう。
それを信者に、あるいは未信者に吹聴して個人的利益を図る。

これらも怖いことではないかと想像するんだよな。
返信12

Copyright © 《世界メシア教》と出合う, All Rights Reserved.